マイ・ファニー・ヴァレンタイン 〜異世界に転生したら革命期でした。恋のバリケードを超えてゆけ〜
大黒天ぶら
第1話 バラ色の人生
たとえばのはなし
ひとが生まれてきたことに理由があるとしよう
正直そんなものがあると考えたこともなかったし
これまでを振り返って、それがあるとはとても思えないのだが
それでもあると仮定した場合、それはとても悲劇的だと思う。
ひとには役割があり、淡々と、そして粛々と
文句も言わずに、あるいは多少なりとも疑問を感じながら、こなすことだけが正しさと義務付けられている世界だとしよう
ある時、誰かがそんな理不尽なと声を枯らしていても
「受け入れる事がさだめなのです」と、まるで情緒も感じれない
厚顔無恥で自分だけが正義であると思っているようなやつに、膝をつけることになる。
なぜという声を、そもそも聞く気もなければ、折れるようなこともなく
往々にしてそのような輩は、こちらにあえて選択肢をあたえるような顔で議論をしたがるくせに、そのくせ結論を曲げることは決してしないのだ。
ひとを導くとは本来傲慢な行為である。
なにかを成し遂げなければならないという勘違いは、背景にある目的を逸らすための代償行為に他ならない。
生きていく上での拠り所を作るのは宗教と哲学の役目だが、生きることで積み上げられていくのはカルマだけである。
と、どんなに考えたところで贖える術はないということを我々はよく知っている。
ルールは一度引かれてしまったら、その文脈の中でしか生きられなくなる。
そして、それらは全くの善意で行われているという事実に愕然とするのだ。
突然なにを言っているのだと思われるかもしれないが、
私は、とある王の前で片膝をつきながらそんな益体もない考えに没頭していた。
儀式というものがなぜ行われるのか、それは権威を高めるために他ならない。
彼らからすればメインスポンサーは誰なのか、おまえの立場を保証しているのは誰なのか、不甲斐ないならいつでも地位を剥奪できるんだぞという意味合いと、おまえのためにこれだけの人間を集めてやっているんだという、まあなんとも嬉しくて涙が溢れ出そうな話である。
もちろん儀式を行う側の権威を高めるためには、お国に携わる様々なお歴々の顔を立てなければならない。
そのためもともとのスキームから年月を経て、継いでは足してを繰り返してきた結果、王の前に立つまでに幾つものセクションを超えないとならなくなり
しまいには誰の顔を立てるためだったのかさえ忘れられた、儀式のための儀式のようなものまで発生しているありさまだ。
たっぷりと半日をかけてやっと王様の前にでて、勇者であるという宣言を受けるようになるのだが、王も私も疲れ切って表情を無くしている。
しかも王は権威の象徴なので、こちらに話しかけるような役割はもっていない。
うんざりはしているかもしれないが、うやうやしくそこにいるだけだ。
仮にも私の役割には台詞があるので、こちらもうやうやしくその時まで待つ。
私の役割とは、選ばれた臣下として、王のため、民衆のため、この国の安寧ために魔王を倒すこと。
まぁそんな感じのことを剣に誓い宣言するわけだけど、よきタイミングで宰相か誰かが促してくれることになっているので、それまでは王と同じような顔をして、その場で大人しく置物と化している。
ちなみに魔王というのは、いうならば異国の元首ある。
そらそうだ、ある日突然自ら玉座に座って「ぐははは我輩が魔王だぞう」と言い出して発生するわけではないのだ。
信長だって(足利義教だって)第六天魔王と自ら名乗っていたわけではない、敵対勢力から理解が出来ないという畏怖からきている。
この世界の道徳的な不文律があって、それを超越してくる奴らだからけしからんと、あくまでこちら都合で、ふむふむ、あいつはやっぱ魔王ね、と言っているだけのことである。
魔王は魔王城の奥深くに構えていて、勇者が自分を倒す武器を護っている訳ではなく
結局のところ、国と国との戦争なので、互いに民衆から税収を得ていなければ戦争を起こすことはできない。
そのため僻地で小競り合いこそあれ、そんな頻繁には越境して攻撃ができるわけではないのだ。
そして、どうやらこちらの国は対魔王国戦において形勢が不利な状態が続いており
なおかつ長年の戦費が嵩み、徴税は増え続け、民衆の不満を逸らすために考えられたのが勇者制度である。
国産み神話として、かつて存在した魔王を倒した勇者の末裔が現在の王族である。
とはいえ、弟がどうしようもない聞かん坊で悪行三昧だったり、姉がメンヘラで部屋から出てこない役立たずだったりと、
さすがに柱のまわりで追いかけっこしながら性行為するような描写は出てこなかったが
古事記に似た挿話からも、悠久の建国時代は大変だったんだなあと感心する。
とりあえず国産みの英雄に倣い、勇者という称号を末裔である王が与えることで、国ぐるみでヒーローを捻り出すことで始めたこの制度なのだが
ひとりの勇者に国の存亡を委ねるなんて、そんな馬鹿げた話はどこにもない。
それぞれアイデンティティとして二つ名を授け、さまざまな勇者を生み出すことで解決を試みたのである。
例えば、団結の勇者とか、鉄槌の勇者、解体の勇者など、
ゲバ棒、バリケード、意義なしと叫ぶ世代の転生者でもいるのかと、訝しむネーミングセンス
やれ生めや、増やせと実に多種多様、さまざまな勇者が立て続けに製造されていった。
しかも途中からは戦死や寿命が尽きる者もいるわけで、今度は二つ名は決して永世ではないと2代目、3代目を襲名したりする。
もうどうせなら勇者28号とか、ナンバー66とか数字で管理したほうが効率がいいと思うんだけど、まあ命名された方はテンションだだ下りかな?
ともかく、この勇者栄冠の儀で二つ名をもらい、その肩書きもって任務(オーダー)を与えられる。
新たな勇者の誕生は国から伝令が派遣されて各領地へと通達され、
各役所で判子を押され、金ピカの額縁に名前を飾ってもらえる。
だが特別な功績もない、間もない勇者が民衆に認識されることはない。
勇者と言っても千差万別で、人気や認知度、それに伴う待遇も違う
一騎当千を謳う冒険者たちが夢見るステータスではあるのだが、実態は勇者として人々の話に上がる者は1%にも満たない。多くの底辺勇者の上にスターが生まれるのことで成り立っているシステムであるのが現状なのだ。
また、勇者にすばらしい人格が備わるわけではない。
醜聞はいつの時代でも、どのような世界でも共通の娯楽であって、暴行、横領、淫行などトップ層の勇者でも、ひとつのスキャンダルで簡単に転げ落ちる。
そのため、より権力の強い貴族に属することで、自分達の立場を庇護するように願うようになっている。
もはや、なにと戦っているのかわからないありさまなのだが、ひとは一度手にした環境を手放すことに、遠くの戦争よりも恐怖する生き物なのだ。
この大量消費勇者に選ばれるには試験があるわけではない、まあいうならば推薦があって査定される制度だ。
軍属の英雄だとか、冒険者として高ランクで名を馳せているだとか、当然何に属していることが重要で、そしてなるべく国に重宝されている機関で活躍を、それもたぐいまれな成績を認められる必要がある。
ある日、突然神託が降って村に勇者が生まれるわけでも、召喚の儀で学級クラス全員で転生されて任命されるわけでも決してない。
さすがというべきか、権力と名声が集まるところに不正はつきない。
もちろん裏口採用もある。
特に貴族の次男、三男坊はニートの代表みたいな奴らばかりなので、せめて名前だけでも家の役に立てと言わんばかりに、勇者という名を買っている家もあるくらいだ。
まあ、一定の功績の維持は必要なのだが、勇者の名を買えるような貴族は徴兵出来る領民の他に私兵が許されているため、いざとなればいつでも小隊ぐらいの規模を動かすことが出来ることから、特段問題はないのだろう。
さすがに知っている者からすれば嘲笑の対象でしかないのだが、毒にも薬にもならないならとほっとかれているというのが正しいのかもしれない。
勇者をプロパカンダとして管轄する局からしてみれば、制度の根幹となる権威を落とすことにもなるような現状に苦虫を潰している筈なのだが、なにせ国庫に金がないのだ。
多くの三文勇者を生み出したせいで維持費もかかる。
一部の優秀なヒーローを維持していかなければ、そうでなくても早晩破綻するだろう国の威信をも延命できなくなってしまう。
勇者に選ばれる割合は、主流となる、支配者層である民族から選ばれるのが多いという問題も抱えている。
戦時なので、縁故や血筋よりも比較的能力採用主義も進んでいるが
これに関しては要職を除けばという注釈がつく。
しかしながらヒエラルキーがあるところ、不満が生まれないわけではない。
少数派民族たちの火種は徐々にだが目立ち始めている。
ごく冷静に、側から見ればすでに詰んでいるようにしか見えないのだが、ひとは大抵見たい未来しか見ないものである。
役人たちはその危機感を誰よりも持っているはずだが、危うくても縋るしかないということなのだろう。
転生して16年、偏向を持たずにこの国の現状を分析をした知見である。
そんなありがたい勇者という名誉を頂くわけだが、声高に嘆くほど若い精神構造でもないし、未成熟な社会で反体制な事を口にすれば、感動的にきらめく断頭台が待っている。
そんなわけで、決して多くを期待しないという健全な精神でいることが、一番理性的であるという、ごくごくあたりまえの答えに帰着する。
さて、私が拝命する二つ名だが、ぶりぶりに厨二な感じであれば
「いいね その重っ苦しいの、背負ってやろうじゃねーの」
と誰も笑ってくれないモノマネもできるのだが
しっかりと稟議にかけられて、役員に上程され、承認を得てから事前に各所に通達されている。
ただし、儀式の中ではさも初めて知らされたようにしなければならないし、周りも同じように感嘆の声をあげてくれるので、これぞ儀式、これぞ予定調和ぞという集団演劇をすることが大人としてのリテラシーだ。
というわけで、長かった自分との対話もこれで終わりだ。台詞をつっかえずに言えるように喉を鳴らす。
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