第44話 武装解放



 俺が何のために頑張っていたのか。


 それは、たった一人の家族を守るためだったんだ。


 津行涼花つゆきすずか


 俺のたった一人の妹。


 涼花は俺よりも歳が十も下で、幼い頃から身体が弱かったこともあり、家にこもりがちな子だった。俺は忙しい両親に代わって彼女の面倒を見ることが多かったんだ。歳が離れていることもあってか、俺たちはとても仲が良かった。


 俺たちはよくゲームをして遊んでいた。父親がゲーム好きだったことに影響されていたのだと思う。涼花は、外で遊べないフラストレーションをぶつけるようにゲームに熱中し、いつの間にか俺や父親よりもゲームが上手くなっていた。色々なゲームに手を出していたよ。スマホゲームも、据え置きも、何でもやっていたな。


 俺はそんな彼女に付き合わされていたからか、いつの間にかすっかりインドアな人間になっていた。あまり友達が多い方でもなかったし、積極的に人と付き合うのが好きなわけでもないから別に良かったけど。妹も喜んでくれていたからな。


 そんなある日。


 俺が高校三年生のときだった。


 両親が亡くなった。買い物に向かっている途中の事故で。飲酒運転をする車に猛スピードで突っ込まれたんだ。二人の乗っていた車は原型さえ留めていなかった。俺たちは、一瞬で大切な家族を失ってしまった。


 俺が高校を卒業をしてすぐに働き始めたのは、その事故があったからだ。元々大学に進学する予定だったが、頼れる親戚もいなかったので、俺が男手一つで涼花を養うしかない状況になっていた。


 俺は、必死に働いた。働き始めてからの仕事についての記憶が曖昧になるくらい、遮二無二働いた。上のやつらから何を言われようと、仕事がどれだけキツかろうと、妹のためなら頑張れた。頑張って頑張って、俺はなんとか妹を高校に行かせることができたんだ。


 それだけが、俺の誇りだった。それだけが、俺の人生のすべてだった。


 だから――。


 だから、彼女が「開花症候群」を発症し、もう助からないのだと知ってしまったとき、この世のすべてに絶望した。


 開花症候群。人間の身体に花が生え、徐々に徐々に花に侵されていく奇病だ。あるときから突然、全世界に流行した不治の病。


 俺は、身体が花となっていく妹を見ながら、魂のすべてを代謝する勢いで嗚咽をこぼした。


 俺の人生のすべてが、朽ち果てた。


 朽ち果てていったんだ。







 無意識だった。


 呆然とする化け物を前にして、俺は左手をかざしていた。その手の甲に浮き出した青色の刻印。聞いていた話では、メンターに浮かんだ刻印の位置はすべて右手だったはず。それが、なぜ俺だけ左手なのか。なにか特別な意味があるというのか。


 ぼうっと浮かんだ青色の光は、六つの花びらを象っていて。


 いま、その花びらの一枚が消えようとしていた。


 発動したのだ。


 究極の奇跡が。


「……」


 不思議だった。


 不思議なほどに、俺の心は凪いでいた。先ほどまですべてを諦めて、恐怖と死に己を委ねていたはずなのに。まるで、小高い丘の上から海を見るような落ち着き払った心持ちで、凶悪な化け物と相対している。


 ああ――。


 俺は、思い出したんだ。


 己に課せられた、使命というものを。


「……命は流転し花となる」


 有名なフローラ教の教義。


 俺は、その摂理を捻じ曲げる。


 流転はさせない。すべてを元に戻す。


 鐘の音がした。時計の針が回る音がした。俺と倒れ伏す椿の周囲に、時計の紋様が光を放ちながら浮かび上がっている。プリマヴェーラの奇跡。朽ち果てたすべての命を、光とともに元の姿へ還す御業。


 化け物の威圧に屈した草木が、花々が、瑞々しいまでの美しい姿へ戻りゆく。黒ずんだ世界は、その退廃に反逆を起こし、溢れんばかりの色を、失ったはずの色彩を、再び世界に輝かせた。


 化け物が、変わりゆく世界に狼狽える。


 世界だけではない。


 死にかけていたリリーも、リンドウも、這いずり回っていたネコヤナギも、そして死んだはずの椿も――。


 すべてが生を取り戻し、元の姿へ。


「――アァァ!」


 化け物が咆哮をあげる。得体の知れない俺の力に、恐れをなしたかのように。鎌を振るいあげ、俺に肉薄する。複眼には、俺の顔が幾重にも映し出されていた。まるで、憑き物が取れたかのような穏やかな顔。乾燥によって退色した花のごとく色素を失った髪。


「ネコヤナギ」


 俺は言った。


「頼んだ」


 化け物の鎌が、俺にあたる瞬間に弾かれた。黄色い障壁は、先ほどとは比べ物にならないくらい分厚く、俺たちを優しく包み込む。


 四肢を取り戻したネコヤナギは、立ち上がって叫んだ。


「こっちを見ろ化け物! 私はまだ、沈んでねえぞ!」


「――」


「ははははっ! オラァかかってこいよ! クソ野郎がよ!」


 化け物が色をなしたかのように、挑発するネコヤナギへ踊りかかった。アドレナリンの放出に身を委ねるように、ネコヤナギは高笑いをしながら、化け物の一撃を受けとめ、大盾と牙で迎えうった。


 所詮は獣だ。いま、誰が一番この場で危険なのかを、あの化け物はあっさりと見失っている。


 俺は抱きしめていた椿の身体を離して、その頬に手を添えた。


「椿」


 死から目覚めたばかりの彼女は、まだ微睡んでいる。眠そうな瞳で俺を見つめ、力なく「はい」とつぶやく。


 彼女の艷やかな髪がほどけ、指先に触れた。その柔らかさは絹よりも上品で優しい。あまりにも優しい生の実感。


 小さく開かれた桜色の唇から溢れる吐息。


 俺はその温かさに、こころを震わせた。


「俺たちを助けてくれ。お前の進化した力で」


「……はい」 


「みんなで、帰ろう」


 俺は、椿の唇に口づけを寄せた。


 通知が鳴り響いた。見なくてもわかる。キャラクターイベント「徒花に口づけを」をクリアしたのだ。彼女はこれで進化する。アンサスとして次のステージへ。


 武装解放へと至る。


「……はじめて、です」


 椿が、頬を赤らめてこぼした。


「はじめて、メンターから口づけをしてくれましたね……。嬉しいです」


「……うん」


「……乙女の唇を奪った責任、取ってくださいね。私はあなたのことが大好きなんですから」

 

「うん」


 わかっている。


 最初から、君の好意にはなんの偽りもなかった。


 だから、俺もその気持ちに応えないといけない。


「責任取るよ。俺は君の気持ちに応えたい」





「あはははっ!」 


 化け物の一撃を、ネコヤナギが大盾で弾き飛ばしていた。


 先ほどとは比べ物にならないほど運動能力が上がっているようだ。メンターの力の影響なのかはわからない。だが、椿たちを蘇らせたあの力は尋常なものではなかった。なにかしらの影響があっても不思議ではない。


 椿は、化け物たちへ近づきながら刀を引き抜いた。


 踏みしめる足は、使命の重さを帯びているはずなのに、これまでのどんな歩みよりも軽かった。


 メンターは約束してくれた。


 約束してくれたのだ。


 椿の気持ちに応えたいと。


「……」


 力が、無限に溢れ出してくるようだった。


 今ならどんな敵が来ても、屠り去ることができる。そんな無根拠な自信が、腹の底から衝動とともに溢れてくるのだ。


「……もう負けない」


 愛のために。


 自分を愛してくれる彼のために。


 愛する彼と幸せになるために。


 目の前の虫けらを殺す。


「――」


 椿は、足を止めた。


 戦闘領域に足を踏み込んだ椿を化け物が見やる。ネコヤナギの攻撃を受け流し、化け物は高速で翅を震わせ椿へと迫った。


「武装解放」


 椿は刀を正眼に構え、言い放った。


「――首切り庖丁」


 化け物が、一挙に間合いを詰め――。鈍色の刃を椿へと叩きつけた。


 だが、貫いたのは彼女の残像だった。


「ギィィ!」


 化け物が鳴きながら、視線を左へ走らせる。翻る赤い刀身。まるで流水のような滑らかな動きで、椿は切りかかった。完璧なタイミング。だが化け物は刃を振るい、椿の一撃を受け止めた。


 受け止めたはずだった。


 甲高い音を立て、火花を散らしたはずの斬撃は鍔迫り合いには至らなかった。


 化け物の腕がくるくると宙を舞う。


 椿は、刃ごと断ち切った。化け物の鋼鉄の腕を――。


 地面に落ちた腕。化け物は、傷口から噴き出した血を見て、呆然と佇んでいた。


「あら?」


 椿は冷笑を浮かべる。


「笑ってないわね? どうしたのかしら、さっきまであんなに楽しそうだったのに」


 赤い刃が、ゆっくりと動く。武装解放によって進化した「首切り庖丁」は、半月のように広い刃幅の刀に変わっていた。その切っ先から化け物の血とともに、禍々しい気配が立ち昇る。


「……血を見るのははじめて? うふふ、人間と同じ色をしているのね」


「ギィ――」


「ねえ、あなた」


 椿は、ゆっくりと化け物を睨みつけた。


 底しれぬ闇を孕んだ瞳で。


「覚悟はできてるわよね? あなたは、私の最愛の人を傷つけようとしたのだから」


 化け物が、恐れをなしたかのように叫んだ。明らかにこれまでの嘲笑うかのような暴虐に満ちた声とは違う。


 化け物は、初めて捕食者に出会ったのだ。


 自分を殺しうるものと。


「――」


 化け物の背中に、牙が突き刺さった。間合いを詰めたネコヤナギが貫いたのだ。


「余所見してんじゃねえよ。お前の敵は一人じゃねえだろが!」


 化け物が、ネコヤナギを薙ぎ払おうと腕を振るう。ネコヤナギは距離をとり、大盾を構えた。


「どうした災害! 椿姉にびびってんじゃねえぞ!」


 ネコヤナギの怒声とともに、椿は刀を振るい赤い閃光を走らせた。ネコヤナギに気を取られていた化け物は紙一重でかわし、返す刀を放つ。刀身で受け、流しながら斬りつけた。


 斬撃が交差する。凄まじい速度で繰り出された刀の応酬は幾百の衝突を生み出し、慟哭のごとき轟音を上げ続けた。空気が引き裂かれ、花を散らし、草木が恐怖に戦慄いた。


 まるで嵐だった。椿と化け物は、飛び交いながら森を破壊する。斬撃で、ぶつかった衝撃で、地面を蹴りつけた震撃で。


 化け物の刃が、椿の喉元を捉えた。


 だが――その隙はわざとだ。


 黄色い障壁が、化け物の刃を弾いた。


 壁にひびが走り抜ける。化け物が苛ついた声を上げる。わずかに崩れた体勢。たが、そのくらいの隙では化け物の急所を捉えきることはできない。返す椿の刃に、化け物が対応しようとした瞬間。


 化け物の身体が、蹌踉めいた。


 ――銃声。


「椿姉っ!」


 リンドウが、叫んだ。


 椿の刃が、化け物の右肩を袈裟懸けに引き裂いた。


「――ギィィィ!」


 化け物は悲鳴を上げてたたらを踏んだ。傷口の肉が盛り上がる。再生しようとしている。


 だが、その身体に純白の槍が突き刺さった。


「さっきのお返しにゃあ! よくもリリーちゃんの可愛い腕をやってくれたにゃんね!」


 これでもくらえ!


 その一言とともに化け物の回復が止まった。


 百合の花には毒がある。仲間には祝福を与え、敵にはデバフをかける毒を与える。リリーの「純潔の証ハグネイア」の効果で、化け物の回復が阻害されたのだ。


 椿の刃が、化け物の足を切り落とした。


 悲鳴。


 倒れ伏す化け物。


「……戦技『絶花の太刀』。うふふ、防御不能の太刀ですか。いい技ですね」


「……ギ、ギィ」


「ねえ、どんな気分? 一方的に蹂躙していたはずの敵から、逆になぶり殺しにされる気分は? きっと最悪な気分よね?」


 椿は化け物の身体を踏みつけて、嗤った。


「でも、仕方ないわね。あなたは、メンターを苦しめた。死んで当然のことをしたのだから」


 赤い刀身が、天をついた。

 

「だから、死になさい。私があなたに罰を与えるわ」

 


 ――さようなら。


 

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