第32話 雑魚は嫌いだ



 シオンを保護して三週間が経とうとしていた。


 彼女は依然として目を覚まさない。深い眠りについており、生命維持装置の心音だけが虚しく医務室に響いているだけだ。本当に生きているのか再度疑いたくなるほどに彼女は静まり返っていた。


 このまま目覚めないことも有り得そうだった。その場合、彼女の処遇はどうなるのだろうか。軍部で三海大将以外にシオンの存在を知っているものはいないし、目を覚ます見込みがないと判断されたとしても、ウチの預かりのままになる可能性は高いが……。果たしてそれがこの拠点にとって、スノードロップにとって有益となるかは判断がつかない。


 それは目を覚ました場合でも同じこと。いや、目を覚ましたときの方が絶対に厄介なことになるのは目に見えている。あれはそもそもアンサスかどうかもわからない。そんなものをどう取り扱えばいいのか。


 三海大将に周知されたことで知見を得られることになったのがせめてもの救いだろうか。だが、それにしたって厄介なことに変わりはない。三海大将が戦略兵器並みと表現したように、この世界の常識を根底から覆すほどのなんらかの危険を孕んでいる存在なのだ。爆弾処理にプロのアドバイスがついたところで、相対するものが爆弾である事実が変わらないのと同じことだ。


「……どうすっかな」


 俺はくるくるとペンを回しながら、こめかみに手を置いた。マホガニーの机には、すでに片付けた本部への提出書類が散乱している。仕事はもう終わった。秋田大佐との話し合いもさっき済ませたし、シオンについての定期報告も桜に電話で伝えている。


 暇を持て余したので、シオンについてこれまで考えてきたことを改めて整理したのだが、相も変わらず方向性は見えてこない。


 目を覚ましていない以上、状況は変わりようがないので仕方ないことではあるし、どうしようもないが……。それよりも困るのは、スノードロップのことだ。


 スノードロップ。


 あの子は最近になって活動的になってきているようだった。相変わらずほとんど誰とも会話をしていないようだが、外出は以前よりもはるかに頻度が増えている。椿の話では、やはり拠点外に出ているとのことで、さすがに注意をしたほうが良いのではないかと意見も出たが、現状ではなにもできない。


 もともと注意したところとて素直に聞くような子ではないが、だからこそなおさら今の状態で余計な声をかけるのは得策ではないだろう。それに、出かける行為そのものが彼女にとって大事な意味を持つ可能性もある。


 黙認する他ない。


 ただ正直……正しい手順くらいは踏んでほしいんだよなあ。そうしたらこちらも堂々と送り出せるし、周りにも説明がつくのに。


「あまりあいつを特別扱いしすぎない方がいいよ」と、ネコヤナギからも最近苦言を呈されたからな。なるべくこの拠点内での立場を悪くするようなことはしないで欲しいところだが……。


「言って聞くなら、こんなに苦労しないんだよなあ」


 だって、ああなってるし。


 ただでさえ嫌われているし。


 好感度マイナス292だし(これでも8上がったんだけど)。


 難易度高すぎるよ。


 溜息を付いて、コーヒーを口に付ける。もうすっかり冷めているからか、苦味が強く感じられる。淹れ直そうかな。


 俺は一気に冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がると、棚のそばにあるコーヒーメーカーを手にとった。豆を新たに入れ直しスイッチを押す。軽快な音楽が流れ、ゴリゴリと豆を轢き潰す音が耳を打った。


 しかし、いずれは向き合わないといけないよな。三週間様子を見てきたが、そろそろ何もしないわけにはいかなくなってきた。スノードロップは貴重な戦力だからか、三海大将や秋田大佐からも再三様子を聞かれるし……。


 それに――もう一つ問題がある。


 俺はある書類に目をやる。マホガニーの机に置かれたその書類は、出撃勧告書。つまり「お前出撃実績少ないから、もっと出撃しろよ」と注意する書面である。


 勧告書だからあくまで命令ではないので、無視しても問題はないのだが、ただでさえアスピスは実績も評判も評価もよくないからな。あまり出撃しないようにしても、どんどん上層部の心象が悪化して、面倒なことになりそうだ。上層部は三海大将だけではない。彼に敵対する保守派派閥の連中からとやかく言われる可能性があった。


 秋田大佐からの連絡もその件だったしな。出撃実績が少ないからそろそろ出撃した方がよいと苦言を頂いた。気心のしれた直接の上司とはいえ、その辺はきっちり軍人だ。


 ――気が重い。


 本当に気が重いよ。ただでさえ、出撃なんか行きたくないのに。


 よりにもよって、スノードロップが病んでいるこのタイミングだしな……。好き勝手する諸刃の剣ではあるんだけど、ウチの最大戦力であることはたしかなのだ。彼女が十分に能力を発揮できるかどうか怪しい状況で、なおさら出たくはない。


 ……なんとか出撃を回避する方法はないかな。


 そんな風に後ろ向きな考えを抱いているときだった。


 執務室の扉が勢いよく開いた。


「大変です、メンター!」


「いきなりどうした?」


 入ってきたのは、血相を変えたリンドウだった。ただならない様子に、俺は思わず目を見開く。


 彼女はよほど焦っていたのだろう。乱れた息を整え、ゆっくりと息を吸うと口を開いた。


「喧嘩です! ネコヤナギとスノーさんが喧嘩してます!」


 ……。


 俺はマグカップを落とした。


 ガシャン、と音が鳴って砕け散る。


「……は?」


 


 



 あのマグカップが高級品であることを忘れるくらい、俺は衝撃を受けていた。


 ネコヤナギとスノードロップが喧嘩。


 喧嘩だぞ。あの二人がだ。


 スノードロップならわかる。あいつはもう見るからにヤンキーで、性格からしても喧嘩っ早いし、そりゃあ喧嘩の一つや二つしたところで不思議はない。


 だけど、ネコヤナギは違う。あののほほんとしたやつが喧嘩するところなんて想像もできなかった。たしかに傷害事件を起こした前科持ちではあるけど、普段が普段だけにね……。あいつもしかして、意外と血の気が多いのか?


 俺はリンドウに案内されながら、事件現場に走っていた。


 どうやら喧嘩は中庭で起こったらしく、例のごとく外に出ようとしたスノードロップをネコヤナギが呼び止めて、騒動に発展したようだ。


 そういえば、思い返すとネコヤナギはスノードロップに対して辛辣なところがあった。最初の出撃で肩を触られたときも嫌そうにしていたし、二回目の出撃のときなんかは「放っておけばいいよ」とまで言って怒っていたからな。それに、スノードロップのことを嫌悪をもって「獣」と表現してもいた。


「なあ、リンドウ。ネコヤナギってスノードロップのこと嫌っているのか?」


 気になって確かめてみると、リンドウはなんとも言えない表情で頷いた。


「そうですね。はっきりと口に出したことはないですけど、たぶんスノーさんのことを嫌っていると思います。あの子、誰にでもフランクなのにスノーさんにはあまり話しかけませんから」


「やはりそうなのか……」


「ええ。でも、喧嘩をするなんて思いもしませんでした」


「俺もだよ。スノードロップはともかく、ネコヤナギに喧嘩をするイメージがなさすぎる」


「……ですね。ネコヤナギは意外と血の気が多いってリリーが言っていましたけど、ようやく意味がわかったかもしれません」


「……」


 そんな風に話をしていると、俺たちは中庭にたどり着いた。


 声がする。一方的にまくしたてるような甲高い声だった。


 ネコヤナギがスノードロップに詰め寄り、胸倉を掴み上げていた。


 あまりにも衝撃的な光景に思考がショートしそうだったが、「なにしてるんだ!」と叫んで二人に近づく。二人の間には椿がいた。なんとか二人を……というかネコヤナギを止めようと間に割って入ろうとしている。


「あ、メンター! 大変です、二人が喧嘩をはじめて」


「話はリンドウから聞いた。一体なにがあった?」


「それが……」


 椿がちらりとネコヤナギをみる。


 ネコヤナギは牙をむき出しにして、動かないスノードロップを睨めつけていた。今までに見たこともない鋭い形相。


 一方で、スノードロップの瞳には光がなかった。気だるそうに、怒るネコヤナギを見返しているだけである。


「こいつ、私たちのことを仲間じゃないって言いやがったんだ」


 説明しようとした椿の声を遮るように、ネコヤナギが怒気の孕んだ声をあげた。


 普段では考えられないほどの迫力に息を呑む。


「椿姉が心配して声をかけたのに無視しやがったから注意したんだよ。仲間を無視するのはよくないって。そしたら、こいつ……『お前らなんか仲間じゃない』『雑魚は黙ってろ』って……」


「実際雑魚だろ」


 スノードロップは淡々と言い放った。


 ネコヤナギが一気に気色ばみ、気炎を上げた。


「うるせえよ! 何様のつもりださっきから! みんなお前のことを気にかけて心配してるのに、馬鹿にするようなことばかり言いやがって! お前、大概にしろよ!」


「ネ、ネコヤナギ! 落ちついて!」


 椿の宥める声も、怒れるネコヤナギには届かない。


「だいたいお前なんなんだよ! 自分は不幸で可哀想なんですって面して歩いてるくせに、声をかけたら声をかけたで無視をする。どれだけ横着なんだよ! あぁ!?」


「……」


「色々あって、あんなこともあって落ち込むのはわかるよ。だけど、それはここに居るみんな同じことだ! この世界で不幸なのは自分だけだとでも思ってんのか、クソが! 私だってな!」


 ギリギリと歯を噛み締め、ネコヤナギは言った。


「私だって……色々あるんだ。不幸なのはお前だけじゃないんだよ……!」


 俺たちは黙るしかなかった。


 椿も、リンドウも、気まずそうに俯いてしまう。


 ネコヤナギの言うことは間違いではないと思う。ここにいる誰しもがなんらかの不幸に巻き込まれ、苦しんできているのだから。スノードロップだけが特別なんてことはない。


 みんな悪い夢の中で生き、そして涙を流してきた。


 その有り様は違えど、そのことに変わりはないのだ。


「……はっ」


 だが、熱の入ったネコヤナギの言葉は、スノードロップには刺さらなかった。


 荒みきった表情で一笑する。 


「同じじゃねえよ」


「……あ?」


「同じじゃねえっつってんだよ、ネコスケ」


「お前――」


 ネコヤナギが激昂しかけた瞬間だった。彼女の身体が沈んだ。まるで地面に吸い寄せられるように急激に――。


「……あ、がっ」


 倒れ伏せたネコヤナギは起き上がろうと全身に力を込めていたが、震えることしかできないようだった。周囲の草花が押しつぶされ、土が少しだけ凹んでいる。ネコヤナギの眼鏡にヒビが走った。


 あれは――スノードロップの固有武装「希望の雫エルピス」の能力。


 重力操作。


「やめろっ!」


 俺は叫んだ。


 だが、止めようと近づいた瞬間、スノードロップは力場を拡張した。俺のつま先にある草がぐしゃりと潰れ、石が割れる。


 ――これ以上は近づけない。近づいたら、ネコヤナギの二の舞になる。


「やめろ、スノードロップ!」


「うるせえ。喧嘩を売ってきたのはこいつだ。俺は正当防衛をしたにすぎねえ」


「やりすぎだ! 拠点内で武装の能力を勝手に発動するなど、許されることではないぞ!」


「はっ……。なら止めればいいじゃねえかよ。おら、行動制限でも廃棄処分でもやってみろよ? ああ?」


 歯噛みするしかない。


 こいつには行動制限や廃棄処分などの強制的なコマンドはなぜか通用しない。俺には力づくで止める術がなかった。


「スノーちゃん、やめなさい! メンターの言うとおりやりすぎよ!」


「知らねえよ。力量差もわからずに喧嘩を売ってきたこいつの自業自得だ」


 椿の注意さえも一蹴し、スノードロップは氷のような眼差しを倒れ伏すネコヤナギに向ける。


「雑魚が、生意気してんじゃねえよ」


「……あ、ぎ…………がっ」


「無理に動くと骨が折れちまうぜ。やめといた方がいい。……いいか、ネコヤナギ。俺とお前は違うんだ。まったく……すべてが違うんだよ。見てきたものも力も何もかもな」


 ――俺は特別なんだ。


 そう言い放ったスノードロップの顔には、冷たい笑みが張り付いていて。だけどそれは、ネコヤナギへの嘲笑ではなかった。


 あんなに……あんなに悲しい笑みを浮かべる者を俺は見たことがない。苦しげで、どこか寂しそうな荒涼とした表情で。

 

「雑魚は嫌いなんだ。だから、てめえみたいなやつも好きじゃない」


 ああ、どうしてお前は……どうしてそんなに辛そうなんだ。


 言葉とは裏腹に、なんでそんなに……。


「弱いやつはすぐに死ぬからな。だから、俺は俺よりも弱いやつを仲間だとは思わない。俺には仲間なんて――」


 スノードロップは一瞬言葉に詰まって、ニヒルに笑いながら口を開いた。


「仲間なんていらないんだよ」

 


 

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