第13話 ちゃんと食べてください



 リンドウと別れてから執務室へと戻った。


 あれから数時間ほど経ったが、仕事にまったく身が入らない。やる気がないとか疲れたとかいうより、気になることがあって集中できなかった。


 書類に走らせていたペンを止める。溜め息をついて、またペンを走らせ、止める。


「……」


 先ほど発布されたイベント、椿の廃棄処分。


 椿推しのプリストファンなら発狂しかねない内容のイベントだ。ぶっ飛んでいることで有名なプリスト公式でも、さすがにこんなキャラクターを粗雑に扱うようなイベントを作りはしないだろう。控えめに言ってもイカれている。普通なら大炎上だ。


 なんでよりにもよって、はじめて発令されたイベントがこれなんだよ……。


 この世界の神様とやらは何を考えているんだ。こんなイベント、誰も進めようとはまず思わないだろうし。


 そもそも戦力を減らしてまで別のキャラクターのイベントを進めるメリットがわからない。それだけの代償を払うのだから、なにかしら大きなリターンはあるのかもしれないが、なにが起こるのかは具体的に示されていないのだ。仲間を犠牲にしてまで博打をするほど悪趣味なやつはいないだろう。


 当然、俺もそうだ。


 椿を廃棄処分にするなどナンセンスだ。


「……メンター、お疲れですか?」


 机にティーカップを置いてくれた椿が、気遣うような優しい声音で訊いてきた。


「まあ、ちょっとな」


「そうですよね。さっきから手が止まっていますもの」


「さっきからずっと書類とにらめっこしていたからな。やはりデスクワークは性に合わない」


 現実ではバリバリにデスクワークしていたくせに、気取ったことを言ってしまった。俺はインドアだけど、露木稔は筋トレ大好きなアウトドア野郎だったみたいだし嘘ではないが。


「ずっと座って書類を見ていると疲れますよね。休憩にいかれては?」


「さっき行ったんだよなあ。なんかあまり机から離れてばかりなのも、それはそれで落ち着かないというか」


 椿の目が、少し細くなる。


「……ちなみにそれはいつ頃でしょう?」


「えーと」壁にかかった時計を確認する。「十時くらいかな?」


「いま、十五時ですよ。もう五時間も経っているではありませんか」


「あ、まあたしかにそうだな。結構時間たっているか」


「……昼食はどうされたのです?」


「まだ食べてなかったなあ、そういえば」


 俺は頭をかきながら答えた。


 前務めていた会社は休憩時間なんてあってないようなものだったからな。昼はサンドイッチなどで片手間で済ませていたし、食べないことも珍しくなかったから、つい忘れていた。


「……ちゃんと休んでくださいメンター。働き過ぎです」


「え、そうか?」


 これで働き過ぎなのか? 自分としてはけっこう緩くやっていたつもりだし、そんなに仕事量も多いとは感じなかったのだが。


「そうですよ。お昼を忘れるなんて……」


 椿に呆れた顔をされてしまった。


 いかんな。たしかに考え事をしていたのもあるとはいえ、昼を忘れて仕事をするなんて普通じゃないだろう。自分としてはのんびりやれていたつもりだったのだが、前世がイカれすぎていて感覚がおかしくなっているのかもしれない。


 自分の消えきれない社畜根性に愕然としていると、椿から腕を引っ張られた。


「ほら、メンター立ってください。仕事はもういいのでお昼に行きますよ!」


「そ、そんな引っ張るなよ。まだこの書類が終わってないから、せめてこれを終わらせて」


「それは急ぎではないでしょう! 提出期限は二週間も先です! さっきから見ていましたが、急ぎではない案件を前倒しでやりすぎなんです。どれだけ働くんですか!」


「え、だって前々に終わらせないと急に仕事入ったときに対応できなくなるかもしれないだろ?」


「この拠点にそんな急ぎの用件は来ません!」

 

「た、たしかにそうなんだろうが……」


 言っていて悲しくならないか?


 俺のしかめっ面を、椿は睨みつけて言った。


「いきますよ! ランチタイムです!」






 椿から無理矢理引っ張られ、俺は食堂に来ていた。


 テーブルには椿が作った料理が並んでいる。うどん、鳥五目おにぎり、そしてお新香。うどん屋の定番メニューみたいなラインナップだ。


「有り合わせのもので恐縮ですが、メンターは少食なようですし食べやすいものにしました。さあ、召し上がってください」


「あ、ああ」


 俺は箸を取って手を合わせる。いただきますの呪文を詠唱し、まずうどんに箸をつけた。


 ふわりと香るだしの匂い。社畜根性で眠らされていた腹が目を覚ましたかのように、ぐうっと鳴る。箸に持ち上げられた麺は、汁を吸っててらてらと輝いている。俗っぽいが、めちゃくちゃ美味そうだ。


 唾を飲み込み、俺は麺を吸った。


「……っ!」


 美味いなんてものじゃない。


 ツルツルとしたコシのある麺の食感は心地よく、カツオ出汁の濃厚な風味がかおった。あっさりとしているが、奥深いコクのある味わい。素晴らしい。


 汁をレンゲで掬い、口につける。うまい。今度は鳥五目おにぎりを手に取り、かじりついた。ああ、なんて味わい深い味付けなんだろう。うどんの出汁の旨味と鶏の旨味がこんなにも合うなんて――。


 これはいくらでもいけそうだ。


 気づいたら夢中で食べていた。咀嚼を十分にすることを忘れるほど、次から次へと料理に口をつける。


「いい食べっぷりですね」


 椿が微笑を浮かべながら言った。


「やっぱり腹が空いていたんじゃないですか。もう……ちゃんと食べないと駄目ですよ」


「ああ……そうだな。今度からはちゃんと昼をとるようにするよ」


「そうしてください」


「ところで……」


 俺は食べながら、ちらりと横をみる。


「……なんか近くないか?」


 俺と椿の距離は肩と肩が触れ合うか触れ合わないかくらいの距離になっていた。きょとんとした表情で瞬きを繰り返す椿は、すぐにむっと頬を膨らませた。


「……近くないです」


「いやいや、近いよ? どう考えても近すぎるよ?」


「近くないです! メンターがちゃんと食事をするかどうか見張らないといけないですから!」


「見張りってこんな近距離じゃなくてもできる気がするんだけど……」


 そう言いかけると、椿が突然俺の肩に頭を預けてきた。香水だろうか、それとも花より生まれた彼女そのものの匂いだろうか。甘やかで芳醇な香りがした。


「ど、どうしたいきなり?」


 内心の動揺に声がかすむ。


「……あの子は良いのに、私はダメなんですか」


「え?」


「リリーは許していたじゃないですか。あんなにみんなの前でベタベタして……」


「いやいや許してないよ? 引っ付くなって何回も言ったのにあいつが全然聞く耳を持たなかっただけでさ」


 緊張で早口になっていたせいか、椿は胡乱に目を細める。


「ふうん。そのわりにはデレデレしていた気がするんですけど」


「……デレデレなんてしてないよ。あいつは、別に俺の好みじゃないし」


「一緒に寝ていたじゃないですか。しかも裸で」


「そ、それはあいつが勝手に入ってきていただけで、俺が同衾を許したわけじゃない」


 なんか浮気の追及みたいになってきていないか?


 俺はなんもやましいことなんてしていないし、どちらかというとあいつの快楽主義的な余興の被害者なのだが。それに椿とは付き合っているわけじゃないから、弁明する必要も本来とくにないが……ロリコン扱いされても困るしな。


 それに、好感度1000の椿だ。ちゃんと説明しておかないとどんなフラグが立つのかもわからない。


「あいつ自由気ままだし、状況を引っ掻き回して楽しむところがあるだろ? 俺もちょっと迷惑しているんだよ」


「……」

 

「……あいつに振り回されているだけなんだ。あのときも、本当にあいつが勝手に入ってきただけで、俺からはとくに何もしていないよ。さっきも言ったけど、リリーみたいな小さい子はタイプじゃないしな」


「……、……本当ですか?」


「本当だ。俺は大人っぽくて真面目な子がタイプだしな」


 リリーとは真反対のタイプをあげておく。実際、そういう子が好みだし嘘ではない。


 椿が髪を触りながら、照れくさそうに俯いた。


「……そ、そうなんですね。ふうん、メンターは大人っぽくて真面目な子がタイプなんですか……そうですか」


「ああ」


「なら、リリーもネコヤナギも別にそういう意味では興味はないんですね……?」


 うなずくと、椿は安堵したように息を吐いて俺にもたれかかってきた。着物越しから伝わる柔らかい感触と温かさは、彼女の魅力を否応なく伝えてくる。


「……な、なんで引っ付くんだ?」


「確認です」


 椿の声は、甘く響いた。


「……本当に小さな子には興味がないか確かめてみようかと。私なんかでは魅力が足りないかもしれませんが」


「そ、そんなことないよ。魅力がありすぎて緊張している」


「……へぇ」


「だから、離れてくれると嬉しいなあって……。このままじゃドギマギしすぎてどうにかなりそうだ」


「……どうにかなってもいいじゃないですか」


 ……とんでもないことを言ったな、この娘。


 俺の腕にさらに柔らかいものが押しつけられる。あきらかに胸の感触だった。意外とおっきいんだな、着痩せするんだな、と煩悩まみれな感想を抱いてしまったが、俺は気を取り直した。


「よくないよ。俺と椿は……その……上司と部下なんだし」


「……」


「え、訊いているか?」


 椿が無言で顔を近づけて、目を閉じようとしていた。リップをつけた桜色の唇がぬらりと輝いている。


「つ、椿!?」


「……上司と部下なんて関係ありません。私は、あなたをお慕いしていますから。御寵愛をいただきたいです」


「御寵愛って……! いくらなんでもいきなりすぎるよ。その……俺にも心の準備というものが」


 そのときだった。


 食堂の扉が、ゆっくりと開いた。

 


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