元ヤン鬼越さんの声に悩殺されている僕。


 夏休み明け、初めての席替えはくじ引きだった。

 僕が引いた席は窓側の一番後ろの席。漫画やアニメで主人公もしくはヒロインが座る良い席だ。こんなところに座れるなんて……今日は運が良い!


「(なあなあ虎尾とらお、そこの席、俺に譲ってくんねえか?)」


 わざわざ肩を組んで仲良しアピールをするようにそっと近づいてきて、小声で話しかけてきたのはサッカー部の陽キャ男子だった。面識があるだけで、仲良くもないのだけど……。

 彼は一番前、教卓の前の席のくじを持っている。

 譲る……? もしかしてその席と交換してくれってこと……?


「う……でも、」

「いいだろ、お前メガネだし。黒板が見にくいんじゃないか?」

「ちゃんと見えるよ。裸眼だったら無理だけど……見えるようにするためのメガネなんだから」

「だとしても、いいじゃんかよ。お前は前でも後ろの席でも変わらねえだろ? 俺に譲ってくれよ、お前が引いた席ってサボりやすいんだよな……なあ頼むよー」


 と、お願いする形を取っているけど、肩を組む力がどんどん強くなってくる。さっきよりも密着度が上がっていて……。

 彼の鍛えられている太い腕が僕の首をやや絞めている。そして密着度がさらに上がり、彼がぼそっと僕の耳元で、周りには聞こえないが、ドスの利いた声で言った。


「いいから譲れよ。痛い目に遭いたいのか?」

「…………」

「お前みたいな陰キャを標的にすることなんざ簡単なんだよ」


 ――黙認、していることがある。

 彼らサッカー部の陽キャたちによって、僕みたいな陰キャが狙い撃ちにされた陰湿ないじめは、先生にこそばれていないけど、クラスでは周知の事実だった。

 餌食になったあの男子がなにをしたんだ、と聞けば、きっとなにもしていないと答えるだろう。たまたま目に入ったから。気に食わなかったから……。彼の中で許せないことがあったのかもしれないけど、話し合うこともせずにたったひとつの理由で狙い撃ちにして……、

 表沙汰にならないイジメは今も続いている。

 誰も、止めることはしなかった。

 すれば今度は自分が標的になるから……。


 ……僕は、我が身が可愛い。

 同じ陰キャであるけど友人でもない彼を助けようとは、やっぱり思わなかった。

 最優先は自己保身だった。

 だから……次の標的が僕になると言われたら、もう逆らえない。


「わ、分かったよ……」

「譲ってくれるのか。お前って良いやつだなーっ」


 僕が渡すよりも早く、僕の手からくじを抜き取った彼が、自分のくじを僕の手に押し込んでくる。こうしてくじが交換された。これで僕は憧れの席から教卓前の席に移動することになる。

 ……ただ、そこが悪い席、ってわけでもないけど。

 真面目に授業を受ける生徒からすれば一番集中できる席だ。

 それに、意外と先生の死角だったりもするのだけど……。

 近くの席の友達と喋りたい陽キャからすれば、一番前の席は嫌なのだろう。

 窓側の席。サボりやすいとは言え、騒ぐとすぐにばれる席であるとも言えた。


「恩に着るぜ、虎尾」

「いいから、じゃあ僕は前の席に、」



「チッ、隣の席ってオマエかよ……最悪だっつの」


「げ。……鬼越おにごえ……」



 最後尾、窓際席の隣――つまり僕の隣の席に座るはずだった女生徒だった。

 鬼越おにごえすみれ……さん。

 クラスメイトだけどついついさん付け、敬語で喋ってしまう、迫力がある女の子だった。

 化粧は薄いし、髪を染めたわけでも制服を改造しているわけでもない。見た目だけを言えば普通の生徒だけど、噂では彼女は元ヤンだそうで……。


 言動の端々から、そういうものが漏れて見える。威嚇、威圧……。彼女が狙ってやっているわけではなさそうだけど、こっちを見られただけで「え、僕なにかやっちゃったかな!?」と誤解するほどには攻撃的な目を向けられることが多い。

 理由を聞いても彼女は「なんでもないし」と言うので、こっちの勘違いだとは思うのだけど……。彼女と同じ側の陽キャの彼でも、鬼越さんと向き合うと借りてきた猫のようだった。

 いや、蛇に睨まれた蛙?


「いや、俺はここじゃなくてだな――ほらっ、ここはお前だろ、虎尾」

「え?」


 僕の手の中のくじと自分のくじを素早く入れ替え、サッカー部の彼はスキップしながら一番前の席へ向かっていった。


「あれ? 席、入れ替えたんじゃないのか?」

「無理だろ。隣が鬼越とか命がいくつあっても足りねえよ!」と、大きな声でここまで聞こえてくる。当然、鬼越さんにも聞こえているだろうけど……。


「くっだらねえ」

「…………」


 ウルフカットの黒髪。目つきの悪さは生まれつき、だろうけど、意識すれば直せるけどわざとそのままにしていると言ったような印象を受けた。

 元ヤン、っていうのは噂だけど、事実だとしたら、元だから今は違うんだよね……?


「なんだよ」


 じっと見ていることに気づかれて(当然だ)、威圧的に話しかけられた。これは僕が悪い。


「う、ううん、ごめん、すみません……。鬼越さんと近くの席になったことがなかったから……」

「あたしはオマエのことなんか知らない。名前は?」

「虎尾。……席、ここだからさ……よろしくね」

「あっそ。オマエ、いじめられそうな顔してるな。パシリとか、されてたことあるだろ?」


 鬼越さんの場を和ませるための冗談だった、だろうけど、残念ながら僕は当てはまってしまっている。パシリの経験は、ある。豊富と言っていい。上達はしていないけど。


「ふうん。じゃあ、明日からよろしく」

「パシリのこと?」

「それも含めてだな」


 鬼越さんに頼まれたら断れない……断ったらなにをされるか……。

 相手が男子よりはマシ、と思ってしまうのは女の子差別になるのかな……? 普段から女子と喋ることがない僕からすれば、鬼越さんでも女子だから(こういう言い方もマズイけど……)ちょっとドキドキする。

 チラチラと鬼越おんなのこさんの横顔を見ながら席に座ると、最後にちらっと見た瞬間、目が合った。

 鬼越さんもこっちを見ていたのだ。


「なあ虎尾」

「な、なんですか?」

「オマエ、キモイな」


 最大限、僕をバカにした顔と言葉だったけど、不思議と嫌な気持ちはなかった。

 鬼越さんに慈悲はなかったし、本当にキモイと思って言っていることは伝わったから、好感度なんて一切ないのは確定していたけど、でも……。


 これまで散々言われてきた、「陰キャオタクキモイ」の一言よりは全然、嫌じゃなかった。




 家に帰ってから。

 いつも通りに新作アニメをチェックしていると、耳心地の良い罵倒をするキャラを見つけた。そのキャラの罵倒は聞いていても嫌な気持ちにならなくて、何度も聞いていられるし、もっと言ってほしいと思えるような声で――可愛くて。

 セリフが冗談でも本気でも、その声優さんの声は僕の鼓膜と相性がとても良かったのだ。まさかとは思うけど……、まあさすがにそんなことはなかった。

 クラスメイトが実は現役の声優だった、なんて事実はなかったことだけは確認しておいた。




 翌日、隣の席の鬼越さんに挨拶してから聞いてみた。


「鬼越さんって元声優?」

「は? ……んなもんしたことねえけど」

「お姉さんとかお母さんとか声優だったりする?」

「さあな。あたしが知る限りはない、けど……。あたしに知らされてなければ知るわけねえだろ。……で、これどういう質問なんだ? あたしと声優がどうやったら繋がるんだよ」

「鬼越さんの声がね……綺麗? 可愛い? いや違うな……なんて言えばいいんだろ……」

「それを否定されるのも腹立つけどな」


 綺麗だし可愛いはもちろんあるんだけど……その上で。


「声優じゃないなら……じゃあ相性かな」

「あん?」

「僕、鬼越さんの声が好きみたいなんだよね」


 言うと、教室がちょっとだけざわっとした気がした。……声だからね? 別に鬼越さんのことが好きってわけじゃなくて……とか口に出してしまうのも鬼越さんに悪いから、言えなかった。

 鬼越さんはもちろん勘違いはしていないようで、僕に二百円を渡してきた。これは?


「喉渇いた。ジュース買ってこい」

「……分かった。でも二百円……?」


 うちの学校の自販機は一律で百円だ。……エナジードリンクは高いけど、基本的に水も炭酸飲料も百円で買える。だから二百円もいらないんだけど……。


「オマエの分もだ。パシるんだから、報酬を渡さないとな。ほらいってこい」

「……それよりも、ただ声を聞かせてくれればよかったんだけど……」

「いいからいけよ!」


 声で背中を叩かれるように教室を飛び出して近くの自販機へ。

 そう言えばなにを飲むのか聞いていなかったな……ジュースって言ってたから、お茶ではなさそうだし……。リンゴジュースとかでいいのかな? 僕の分はオレンジジュースにしておいて、好きな方を選んでもらおう。

 教室に戻って鬼越さんに聞くと、リンゴジュースがいいと言ったので渡す。


「鬼越さん、電話番号教えて」

「なんでだよ」

「夜、電話してもいい?」

「だからなんでだよ!!」


 ざわ、どころか、どよっとしていた教室。僕たちが注目を浴びているけど、一貫して僕は鬼越さんの声にしか言及していないので、やましいことはなにひとつない。話を続ける。


「鬼越さんの声が聞きたいから」


「……そんなにあたしの声が良いのかよ……。もちろん声優じゃねえし、なんの訓練もしてないぞ? 電話越しで聞いたら思っていたのと違うとか言うかもしれねえ」

「? それで鬼越さんは困るの?」

「……困ることはねえけどさあ」


 もしかしてガッカリされることを嫌ったのかな? 可愛いところあるじゃん。

 もちろん、それがないとは言えないし、電話だと全力が出せない(聞けない)というのも分かる。だったら実際に会って聞けばいいだけだし、僕が鬼越さんの声を嫌いになることはない。

 だから大丈夫、という意味を込めて笑いかけた。上手くできてるかな……あんまりしないから、不安だった。


「……いいけど、電話でなにを話すんだよ。あたしとオマエに共通の話題なんかないだろ?」

「いつもみたいに鬼越さんが僕をバカにして罵倒してくれればいいよ。ようは会話じゃなくて、鬼越さんの声を聞きたいだけなんだよね……ASMRって知ってる? みたいなものでさ」

「あたしが喋るだけ……? いやマジでなにが楽しいんだよそれ」

 楽しいと思うけど……ラジオも知らない?


「とにかく、僕が好きな声をじっくり聴きたいってこと。だから楽しいよ。僕にしか分からないだろうけど」



 訝しむ鬼越さんだったけど、僕の熱量に負けてくれたようで、若干引きながらも「分かったよ」と、電話番号を教えてくれた。……あ、意外とあっさり教えてくれた。ガードが堅いと思っていたけど、思ったよりも緩い……?

 偉そうなことを言うけれど、僕はちょっと心配だよ鬼越さん。


「ありがとう。じゃあ夜に電話するね。僕からするから……あ、でも用事とかあったり……」

「22時。空けとけ。あたしから電話する……いいな?」

「うん。ありがとう、鬼越さん」

「……オマエは……はぁ。よく分からねえ。持ち悪い『声オタク』だな」


 正確なことを言うなら、『鬼越さんの』『声オタク』になるのかな?




 そして約束の22時。

 着信があったので飛びついて電話に出ると、


『あたしだ。鬼越だけど……虎尾だよな?』

「うん。虎尾だよ。時間ぴったりだね鬼越さん……意外とちゃんとしてるんだね」

『意外とってなんだよ。……まあ、昔は酷かったらそう思うよな……。って、あたしのことはいいんだよ。で? あたしが喋ればいいのか? つっても話題なんかねえけど……』

「わくわく」


『オマエを罵倒することに期待してんじゃねえよ。しないからな? 望まれた罵倒はこっちだってしたくないんだから……。そうだなあ……じゃあ、お互いに質問でもしていくか?』

「質問」

『ああ。一問一答、でなくともいいが。答えたくないことは答えなくていい。長くなりそうでも、それはそれで構わない、ってことで。……嫌なら切るが?』


「いいね、それ。やろう。ところで鬼越さんは何時まで電話できるの?」

『何時間でもいいけどな。オマエが寝落ちするまで――』

「ああ、鬼越さんが寝落ちするまでだね」

『あたしが寝落ち? しねえよ。……軟弱なオマエより先にするわけないだろ』


「んー、でも、鬼越さんの声が聞けるなら僕は寝ないと思うんだよね……。だから鬼越さんが起き続ける限り僕だって起きているって理屈。逆に言えば、鬼越さんが寝れば僕もすぐに寝ると思う。だから僕が先に寝ることはないんだ」

『オーケー、あたしの子守歌で寝かせてやる』

「それ、気分上々じゃない?」



 その後、僕たちの一問一答は朝まで続いた。

 窓の外が薄く、明るくなってきたところで、限界が訪れたらしい鬼越さんから寝言が聞こえてきた。寝言だけどちゃんと僕との会話になっているのだからすごい。意地でも寝ていないと言うつもりらしい。


「鬼越さん」

『ぁい……寝てない、し……バカ……勘違い、すんな……』

すみれさんって呼んでもいい?」

『きも、い……呼ぶな、死ね…………ごめん、言い過ぎた……』


 素直だった。鬼越さんは、自分のミスをすぐに謝れる人だ。

 電話越しの方が可愛い人だった。なんて言えばぶん殴られそうだけど。


「ダメかな?」

『…………ふたり、きり、の時、なら……』

「分かった。ふたりきりの時は菫さん、って呼ぶね」

『ぅひ。……うぅん……? 眠い……ふぁあ』


「寝る?」

『寝る』

「おやすみ、鬼越さん」

『ん。おやすみ、虎尾くn』


 と、ギリギリのところで寝落ちしてしまったようだ。名残惜しいけど、本当の寝言を聞くわけにもいかないので通話を切って……――うわ、通話時間が見たことない時間になっている……。


 ともあれ。

 さて、徹夜になってしまったが疲れがまったくないのでこのまま起きて学校へいこう。

 鬼越さんはきっと寝坊どころか欠席になるだろうけど、意地を張った彼女が悪いのだから仕方ない。彼女が休むことで翌日の「ノート貸して」の会話イベントが生まれるなら願った叶ったりだ。



 自室を出ると、廊下でばったりと妹と顔を合わせた。

 僕を一瞥した反抗期の妹が、珍しく僕に話しかけてくる。


「お兄ちゃん……、好きな子でもできたの?」


 目ざとい。しかも鋭いし……。

 やっぱり女の子だからそういうことには敏感なのだろうか?

 でも惜しい、違う。


「好きな子はできてないよ。好きな声ができた、かな」

「なにそれ。……でも、それが恋に繋がることもあるかもね」


「つまり、声から始まる恋ってこと?」

「知らないけど」



 …了

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