脆弱性オンリーワン!
むかしむかし……とある王国に完全記憶能力を持つ少年がいました。
彼の名はシモン。
彼は、見たもの、聞いたものを、絶対に忘れることがありません。
だから、王国に住む人々は忘れたくないこと、忘れてはいけないことを彼に伝えていたのです。情報を伝えた人の顔とその場で付けた番号で紐付けし、一旦しまった情報をいつでも簡単に引き出せるようにしていました。
彼の存在は重宝され、彼はその能力を活かして小銭を稼いでいました。
お金が絡むことで情報の口止め料にもなるのです。
人々は彼に頼りました。頼り切っていましたと言ってもいいでしょう。
彼の脳は、もう彼だけのものではなくなっていたのです。
「――シモン、またお願いしてもいいかな?」
「はい、いいですよ。もちろん人には聞かれたくないことですよね?」
シモンと若い男が、大通りから一本ずれた狭い路地へ入りました。顔見知りである男から伝えられた情報をシモンが記憶します……シモンは「#528……っと」そう呟き、番号と情報、情報を教えてくれた男の顔を紐付けます。
顔、番号、そしていま聞いた情報の冒頭(でなくとも、一部で構いません)を合わせれば、情報が引き出される、という仕組みです。
どれかが欠けていれば、引き出すのに時間がかかってしまうでしょう。
情報が閉じ込められてしまうことはありますが、シモンが忘れるということはないので、情報が消える、ということはないでしょう……もちろん、シモンが生きている限りではありますが。
「はい、覚えましたよ。いま言った番号を忘れないでください。伝えた情報の一部を言ってくれれば引き出せるかもしれませんが……。まあ番号さえ教えてくれれば一発で引き出すことができますよ」
他人が番号を言えば情報を引き出せてしまうのではないか、と考えた人が過去にいましたが、情報を引き出すための鍵には、情報元の『顔』があります。
そのため、他人では絶対に情報の鍵を開けることはできません。
「番号ね……覚えておく。いつもありがとう、シモン」
お礼に、と。露店で売り出し中の肉の串焼きをくれた男です。
既に口止め料を貰っていながら、追加で貰ってしまいましたが、シモンは友好の証として遠慮はしませんでした。
小腹が空いていましたので、余計なことは考えずに、気づけば受け取っていました。熱々が冷めないように、すぐにかじりつきます。
「あの……シモンくん、私もいいかな?」
物陰から出てきたのは少女です。直前の男との会話を聞かれていた可能性もありましたが、小声で、耳打ちする形でしたので、よほど彼女の耳が良いということでもなければ聞かれてはいなかったでしょう……きっと。
シモンはそう思うことにしました。
厄介ごとは遠慮したいのです。
「どうぞ、今日はどんな情報を預けますか?」
「えっとね……」
完全記憶能力を持つシモンは、人々の記憶保管庫になっていました。
人々は不安でした。
自分の記憶力に自信がありません。紙に書いても、もし失くしてしまえば思い出すことはできません。それに、紙を誰かに見られてしまう可能性もあります。
だけど、シモンに預けてしまえば、彼は絶対に忘れません。顔、番号、情報の一部が紐付けられているので、引き出すのは容易です。
番号は覚えておく必要がありますが、紙に書いても番号だけであれば誰かに見られても構いません。仮に、番号がばれてしまっても、情報を渡した時の顔がなければ情報は引き出せませんから。ただ、なりすましにシモンが対応できるかどうかはまだ分かりませんでした。
そうまでして引き出したい情報が、シモンに預けられることはありませんでした。さすがに、世界を動かすような機密情報をシモンに教える権力者はいないのです。なりすましやシモンから無理やり情報を引き出そうとする前例は、今のところありませんでした。
前例がないということは、これからもないことを証明するわけではありません。
シモンは、楽観的だったのでしょう。彼自身が人が持つ秘密に興味がありませんでしたから。ただの言葉の羅列にしか思っていなかったのではないでしょうか……彼が悪い人間だったなら、誰も自分の記憶、秘密を教えたりはしません。
たまにそこそこ重要な情報を預けられることもありますが、シモンは興味を示しませんでした。演技ではなく、素で、彼は興味がないのです。
興味がなければ悪用することもなく、おかげで厚い信頼があったのでしょう。
ですが、彼の頭の中身を欲しがる人はいるものです。
たとえ機密情報が入っていなくとも、個々の目的によれば、シモンの頭の中の情報が必要になることもあります。
鍵がかかった記憶の箱。
鍵が開かなければ箱を壊してしまえばいい……記憶を奪おうとする人間がそういう発想に至ることは、不思議なことではありませんでした。
シモンは捕まってしまいました、案の定です。
彼も予想していなかったわけではないでしょうに……。
「……え?」
いえ、彼は攫われるなんて思ってもみなかったのかもしれません。……発想になかったようです。彼は、自分が攫われる理由が、分かっていませんでした。
深い深い森の中。
古い小屋がありました。魔物を討伐する狩猟者が使う休憩所なのでしょう。
小屋には武器がたくさんありました。魔物を狩る用……だと思いますが。
魔物用がそのまま人間に向けられても効果は充分に発揮します。
縛られ、床に転がされたシモンの周りには、いかつい男たちがいます。
まるで山賊のようでした。
山賊なのでしょう。
ひとりの男がシモンに訊ねました。
「#1から、全て教えろ」
「それは、言えません……顔と、番号が一致していなければ……」
「うるせえよ。今のこの状況を理解しているか? 痛めつけて、情報を吐かせようとしてんだよこっちは。周りを見ろ、拷問器具があるだろ? お前を殺さず、地獄を見せる覚悟も準備もある」
昼間のはずですが、部屋の中は薄暗いです。
ろうそくの頼りない火の明かりだけが、今は頼りでした。
「……言えません。そういう約束をみんなとしていますから」
「それを吐かせるのが俺たちの仕事だよ、小僧」
嬉しそうに立ち上がった男たちが、シモンに近づきます。
拷問が始まりました。
殴る蹴るは当たり前です。爪を剥ぐ、火であぶる、水責めもありました。
悲鳴が響きます。ですが、森の中なので王国までは届きません。
助けを求めても、外に人の気配はなく、気配があっても魔物のものでしょう。
彼の助けにはなりません。
「――吐く気になったか?」
「…………ぃ、あ……」
紫色に腫れた顔が痛々しいです。
まだ少年のシモンが堪えられる痛みは、あまりにも少なかったです。
「よし、続けるぞ」
「わ、わかったっ、言うから――教えるからもうやめて!!」
泣きながら、シモンが口を割りました。
男たちは「案外はやかったな」と不満そうでした。拷問をしたかったのでしょう。ですが、目的は情報を抜き取ることです……。
彼の降参を無下にして拷問を続け、彼を殺してしまっては目的は達成されません。男たちはそれを理解しているので、拷問の手を止めました。
「嘘をつくんじゃないぞ? 全てを正確に答えろ――#1からだ」
「は、はい……」
シモンが頭の中の情報を全て教えます。
#1から#500番台までの全てを教えるとなると、かなり時間を必要とするでしょう。すると、途中で聞くことに嫌気が差した――わけではないですが、ひとりの男が金づちでシモンの指を叩きました。
拷問で慣れていたとは言え、急に指が砕かれたので、シモンは舌を嚙みながら痛みに悲鳴を上げます。
「ひぎぃ!?!?」
「嘘をつくな、と言ったはずだが……? 指の一本一本を順番に潰していこうか、なあ?」
「ごめんなさいっ、ちゃんと言いますっ、言いますからぁ!」
「ったく。長くなるんだ、ちゃっちゃとやろうぜ?」
気を取り直して、シモンが全てを話します。
不要な情報は冒頭を聞いた時に男たちが「そこはいい」と切りました。なので全ての情報を話しているわけではないため、必要な時間も少しずつ削られていっています。
それでも長くなるでしょうが……。
男たちが情報を聞き終え、満足した時でした。
情報を聞き始めてから二度目の朝を迎えました。
途中休憩はもちろん、睡眠も取っていましたが、それでもシモンは衰弱しています。そもそも彼は拷問を受けていたのですから当たり前です。
彼は彼で、なかなかに頑丈でしたが。
「みんな、ごめんなさい……」
「助かったぜ、記憶の宝庫。お前の役目はもう終わりだ」
いや、また世話になるかもなあ、と言い残し、男たちが小屋から去っていきました。
また世話になる、ということは、情報がある程度たまったところでまた拷問をして吐かせようとするつもりなのかもしれません。お役御免のシモンが殺されなかったのは、まだまだ味が残っていると考えていたからでしょう。
男たちは、得た情報で一体なにをしようと言うのか……分かりません。
彼らの動向を追いたいところですが、シモンは立ち上がれませんでした。
少し休めば回復する問題でもなさそうです……。
シモンを信用し、情報を預けてくれた人たちのことを考えると、申し訳ない、とシモンが涙を流します。……でも、これは仕方ありません。完全記憶能力を持っていても、シモンは人間で、まだ若い少年です。痛みを与えられたら、吐いてしまうのは普通のことです。
想像できたでしょう……誰だって。
教える側は、そういうリスクも考えるべきだったのです。
そして――――情報を抜き取ったと思っている、男たちも、です。
薄っすらと、シモンが笑っていました。
痛みでおかしくなった、とも言えましたが、違います。今頃、情報を元になにかをしようとしている男たちは、少し『ずれている』情報に踊らされ、もしかしたら、致命的な失敗をしているかもしれません。
それを想像したのでしょう……シモンは、大声では笑いませんが、ニヤニヤが止まりませんでした。
痛みを与えられ、情報を吐いても。
細工をしていない証拠は、どこにもないはずなのに。
脅して出てくる情報が本物であると、思い込んでしまっているようでした。
「みんな、僕を信用し過ぎだよ……」
教える側も、抜き取る側も、です。
だって、記憶している彼が、情報を歪めることもあるのですから。
それが、できてしまえるのです。
「真実を覚えているのは、僕だけ……僕が、正解だからね……」
間違っている、と判断できるのも、覚えている限りは情報元と、彼だけなのです。
…了
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