雨で濡れて透けたシャツ


 ついさっきまで晴天だったのが幻だったみたいに、どす黒い暗雲が空を覆っていた。

 ひと雨きそうだ、と思った瞬間、避難する間もなく豪雨がやってくる。


 傘なんて持ってない。不用心か? 午前の晴天を知る人なら納得してくれるだろう……。折り畳み傘を持ち運ぶほどに用意周到でもなかった。


 滝のような雨だった。

 あっという間に俺たちはびしょ濡れに。……ここまで濡れてしまえば、このまま濡れ続けていても変わらないのでは? と諦めかけたけど、俺の背中を押してくる幼馴染に急かされてしまえば、俺だけ諦めるわけにはいかなかった。


 雨宿りするには雷が危険な大木の下は避け、車通りがほとんどない車道を走り、見えたバス停に駆け込む。


 四人程度が座れる椅子が置いてある小屋だ。

 ……今はバスがこない時間なので誰もいなかった。


 雨宿りしている人がいるかも、と思ったが、そもそも車通りがなければ人通りもない。

 一応、通学路だが、利用しているのは俺たちくらいなものだろう。なので貸し切りだ。


 小屋の屋根を叩く雨音が響き渡る。


 靴も靴下も、制服はもちろんパンツまでびしょ濡れだ。大粒の水滴があっという間に床を黒く染めていた。

 水を吸って重たくなったカバンを椅子に置く。ずしん、と、ほとんど入っていないのに、カバンの重さに視界がぶれた気がした。


「最悪……」

「まさかあの晴天からこうも急に降るとはな……天気予報だってゲリラ豪雨が降るなんて言ってなかったよな? ……予報できてたらゲリラではないのか」


 いつ降るか分からず急に降るからゲリラなのだから。


 幼馴染はスカートを両手で絞る。シャツや靴下、服が吸い取った水を溜めれば、バケツの半分ほどが雨水で埋まるのではないか。


「大丈夫か、美里みさと?」


「うん……でも、制服から下着までびちょびちょ……うわ、カバンの中まで……教科書も全滅だしもぅ……」


 雨に濡れた、と言うよりは川に飛び込んだ、と言った方が適しているかもしれない。

 夏の少し前のゲリラ豪雨。梅雨が終わったと思えばこれだ……。

 気温が高いし湿度もあるし……、ただ単に濡れている以上に気持ち悪い。


「あつー……やっぱダメだ。ねえ貴史たかふみ、上だけ脱ぐから誰かこないか見張ってて」

「いいけど……俺もいるんだぞ? 脱がなくていいだろ……」


「重ね着してるから暑くて重いの! 一枚二枚脱いだところで裸になるわけじゃないんだから! ……どーやらいやらしー想像してるみたいだけど、期待には応えられないからね? 残念でしたっ」


「してねー」

「嘘つけ! さっきから私の胸ばっかり見てるくせに!!」


 それは…………まあ、うん。

 否定できなかった。


 だって、濡れて、透けて……薄っすらと肌色が見えているのだ。

 そして目を引く『それ』が目の前にあれば……やはり気になってしまう。


 昔と比較できてしまう幼馴染だから尚更。


「まあ、見てたのは胸じゃなくて鎖骨だけどな」


「どっちでもいい。このあたりをじっと見てたら分かるから。いいから、外を見張ってて。一枚脱ぐだけでも、貴史ならいいけど他人は恥ずかしいのよ」


 この雨じゃ客はこないだろう。雨宿りにくる人はいるかもしれないけど……雨から逃げるように走ってくれば、足音が雨音にかき消されることもないはずだ。


 それでも、足音が雨音に紛れ込む可能性も、まったくないわけではない。万一、気づけなければ、幼馴染の着替えを目撃されることになる……それは嫌だ、と思った。


「分かった、見張っておくよ」

「よろしくね」


 水を吸って重たい靴だった。傾けると中で溜まった水が移動しているのが足の裏の感覚で分かる。歩けば、びちゃ、と不快な感覚だ。

 家に帰って全てを投げ出して、風呂に突っ込んだら気持ちいいだろうな……後始末はしなければいけないが。


 外を見る。豪雨のカーテンで周りがよく見えなかった……視界不良なのでたとえ人がやってきても分からない可能性もある。

 ……まあ、それは言い過ぎだ。さすがに誰かくれば分かる程度だった。


 見落としたとすれば、意識が後ろに向いているからだろう。

 がさごそ、するる、と、衣服が擦れる音だ。背後で、幼馴染が着替えている。


 視界不良で耳がよく働き、聞き取らなくてもいい音をよく聞き取ってしまう。

 見えていないからこそ想像力が働いて……幼馴染の着替えが鮮明に想像できる。


 見えていないからこそ。

 すっげえ、いやらしい。


「ていっ!」

「ぁいたっ!?」


 星が飛んだ。

 後頭部に衝撃が走ったことで、ふら、と小屋から出てしまいそうになる。


「もういいわよ」

「着替え終わったならそう言えよ。……叩くことないだろ……」


「痛くないでしょ?」

「痛くないけどさ……」


 振り向くと、ワイシャツを脱いで普段着のシャツになった美里がいた。

 一枚脱いだだけで体が軽くなったようで、美里は楽そうだ。

 しかし、雨で濡れて透けてしまっていることは変わらず…………え?


 見えたのは肋骨だ。


 下着をつけていなかったことも驚きだが、肌色を越えて肋骨が剥き出しに……?


 シャツの下は皮でもなく肉でもなく――――骨と、内臓だった。


「美里!? お前それ……肋骨、見えて……――痛くないのかよ!?」

「きゃっ、えっちっ」


 肋骨が見えてしまっていること気づき、まず出た反応がそれだった。

 美里は胸を隠すように両手で自分を抱きしめ……って、それどころじゃない!


「ふざけてる場合じゃないだろっ、骨がッ、病院――救急車――ッッ」


 濡れているシャツを掴んで持ち上げる。

 彼女のお腹、おへそ、そして下着をつけていなかった……――そう、綺麗な裸が見えて。


 当然、彼女の大きな胸が、ぼろんっ、と出てしまった。

 見てしまった…………あれ? 胸が、ある……?


「…………どういう……?」


 掴んだシャツの違和感。指先から感じ取れる、濡れたから感じた重さではなく……重なっているがゆえの、シャツの重さだった。


 濡れているから張り付いてしまい、二枚を一気に掴んでしまっていたらしい。

 一枚を剥がし、二枚目のシャツを確認すれば、そのデザインは肋骨だった。


 透けて見えた本物と見間違えた肋骨は、考えてみれば当たり前で、シャツのデザインだったのだ。分かってしまえばどうして見間違えたのか、自分で自分が信じられないほどのチープさだ。


 目の錯覚で本物に見えたわけでもなかったし……視野が狭かった、と言うしかない。


「そう、か……はは……まあ、違うなら良かったよ……」


「なにが良かったのよ……裸を見れたから? こっちの覚悟もまだなのに、急に見るなんて、マジでサイテーね……!」


 涙目だった。

 吹き込んだ雨が彼女の目元に落ちた、とは思えない。


 恥ずかしさとショックで自然と出た、美里の涙だ。

 今にも強烈なぐーが飛んできそうな怒りは……納得できる。

 そりゃそうなのだ。


「でも待ってくれ! 誤解だし勘違いだし――美里のことを思って……なんだよ!」

「うるさい!!」


 正面からの強烈なぐーが頬に突き刺さった。

 螺旋を描いた美里の拳はいつも以上にパワーがあって、衝撃が俺の体の芯を捉えた。

 頭からつま先まで痛みが抜け、俺の意識は、ここで――――





 ぷしゅー、と魂が抜けたように倒れる貴史。

 頭を椅子に打ち付けていたけど、大丈夫だよね……? 少し不安だ。


 でも、殴るしかなかった。急にあんなことをされたら……こっちだってパニックだし!!


「だ、騙せた、けど……こんなことになるなんて聞いてないわよッ!!」


 肋骨がデザインされたシャツ。もちろんドッキリのつもりだった。シャツが透けて肋骨が見えたら、すぐにドッキリだと分かっても一瞬はゾッとするかな、って程度の、昔からの幼馴染イタズラのはずだった……それが、まさか……。


 ……顔が熱い。

 気温とか湿度とか蒸してるとか関係ない。

 体の芯から発生する熱で内側から熱い。まるで、長風呂でのぼせるみたいに……。


 貴史は私のことを心配してくれた。それは嬉しいけど、服をめくって下着の下を見られるなんて、想像もしていなかった。

 一瞬とは言え、見られたことには変わりない。まだ納得のいく体のスタイルが作れたわけじゃなかったのに……っ!


「水着、見せる前に裸を見られた……」


 ――まあ、おかげできわどい水着を見せることに抵抗はなくなったけど。


 裸を見られたなら、ほぼ裸の水着だって着れるって思ってるし。



「……裸を見たなら責任、取ってもらうからね、貴史……っ」


 見られてしまえば、大胆に動ける。

 もしも、貴史に「裸を見てしまった罪悪感」が少しでもあるなら……突くべき弱点が剥き出しになっているようなものだった。


 これで突かないなんて、あり得ない。



 ぐだぐだしてたらたとえ幼馴染でも奪われるということは、骨身に染みている。

 だから、無駄に見えるようなことでもコツコツと積み重ねてきたのだ。

 一見、無駄かもしれないけど……。でも、無駄骨ではなく、無駄骨にさせない。



 ――あなたと一緒に同じお墓に入りたい。


 そんな告白をしてもしもフラれたら…………



 せめて、私の骨だけは拾ってね。



 …了

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