21

 スカリは雨と血の混じった溜まりを踏み付けながら吉川の元へ。やはりこれだけの雨音の中でも彼女の連動しているような泣声は良く聞こえた。


「大丈夫?」


 肩に手を乗せ声を掛けるも彼女の顔は上がらない。


「――あなたは私の全てだったのに……」


 すると気を抜けば掻き消されてしまう声は泪に震えながらボソリ呟いた。


「あなたとなら全部捨てて……二人でなら何処までも」

「とりあえず中に」

「よし君……。あなたの居ない世界なんて……。私は……」

「雨も酷いし、まずは――」


 スカリは吉川に自分の声が届いてないと思い、肩から手を離すと辺りを見回した。そして一番近くに落ちていた傘で視線を止めると近づき拾い上げた。内側に溜まった水を零し軽く水滴を振り落とす。

 それから吉川の元へ戻ろうと振り返るが――スカリは思わず目を瞠った。息を呑む音を鳴らしながら手から傘が零れ落ちていく。折角、綺麗にしたのにも関わらず傘にはすぐに雨水が音を立て溜まり始めた。だがそんな事には見向きもしないスカリは瞬きも忘れじっと前から視線を離せずにいた。

 その先にあったのは――もはや泪か雨か区別のつかない顔を上げた吉川が自らの蟀谷に銃を突き付けている光景。頭上の空よりどんよりと曇った双眸は絶望に染まり、その顔はこの場所へ来た時より酷く憔悴していた。


「……ごめんなさい。私……」


 先程より離れた所為もあって辛うじて聞き取れる声の後、吉川は堪え切れず泪を流しているようだった。

 一方で青天の霹靂に反応が遅れてしまったスカリは声を上げ、手を伸ばした。同時に一歩でも早く彼女の元へ行こうと足も前へ。その向こうで彼女は何もかも失った双眸に蓋をした。


「待っ――」


 全てを遮りその銃声は響き渡った。残響が何処までも広がっていきそうで――それは酷く乾き切り、追悼の鐘のように悲し気な音だった。それに続き飛び散った鮮血の後を追うように倒れていった体が生々しい音を立てた。

 そしてまるで何事も無かったと言うように辺りは再び雨音だけを響かせ始める。その中、一人残されたスカリの手は意識とは関係なく落ち、何か言いた気に口を半開きにしたまま足を踏み出した。

 たった数歩の距離――それすらも届かず彼女は他と同じ様に血と雨の中に倒れている。でも神様からの最後の贈り物なのか、倒れる二人は来世まで一緒にいられそうな程に寄り添い、どこか安らかな表情を浮かべていた。

 何もかもが消えたその中で一人立ち尽くすスカリへ只管に打ち付ける雨。それは戦いの勝者と言うには余りにも悲愴に満ち、小さな姿だった。それも含めその光景はフラッシュバックさせるものでもあった。奥深くに追いやり何重にも蓋をしたあの忌々しい記憶を。

 暫くの間、一人立ち尽くしていたスカリはそっと空を見上げるとポケットから取り出したスマホを耳へ。


「――もしもし。あたしだけど」


 それから更に時間が経過すると、その埠頭には須藤の率いる警察が現場の対応を進めていた。須藤に経緯を話したスカリは後の事は彼に任せ早々に帰宅。彼女にとってのその日は、そこで終わりを告げた。

 そして翌日。スカリは相変わらずハングリーフルにいた。この日のメニューはお寿司。目の前に色とりどりのお寿司を並べながら彼女は二人に昨日の事を話していた。


「それでお二人は同じお墓で一緒になれたんですか?」

「さぁ? 彼の方は誰もいないから大丈夫だけど、彼女の父親が許可するかどうかじゃない?」

「ここまで付き合ったんなら最後までやってやりゃ良かっただろ」

「人なんて死んだらそこまででしょ。死んだ後にどこにいようがもう関係ない。どうせ分からないし」

「冷めた奴だな」


 ルエルは若干の哀れみを浮かべた双眸をスカリへ向けていた。


「もしそうだとしても私は、心から信頼している方と同じお墓に入りたいですけどね」

「じゃあベアルはあたしと一緒のとこに入ろうね」

「それもいいですね」

「ルエルは独りぼっちー」

「別に死んだ後なんざ、どーだっていい」

「なんだ。意外とあたしと気が合うじゃん。じゃあ右手だけ一緒に入れてあげよう」

「勝手にしろ」


 ベアルと笑い合いながらスカリは寿司を一貫口へ運び、お茶でほっと一息ついた。


「にしてもお前がエンジェラーとしての力を使うなんて久しぶりだな」

「そうだね」


 返事をしながら自分の手を眺めるスカリ。


「あの日からあたしは死なない。ていうより死を肩代わりされてる」

「見えるんだろ? お前の死因を代わりに受ける天使が」


 すると彼女は眺めていた手で顔を覆い溜息を零した。その脳裏では新鮮な記憶が再生されていた。つい昨日のあの瞬間。全身を銃を撃たれた後――両手を鎖で吊られた女性が自分と同じように全身に銃弾を受けるのが見えた。


「藻掻く鎖の音。彼女の苦痛に満ちた声。そして全てが静まり返る。――気楽に不死身だなんて喜べるようなもんじゃない」

「そうか……」


 呟くような声はそのまま溶けるように消え、店内には飲食店とは思えない静寂が広がった。少し重苦しく、どこか気まずささえ感じる沈黙。

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