7
「不意打ちとは言え中々やるな」
すると男は全身に力を込め――その上半身は服を破りながら蜥蜴へと姿を変えた。
「ブチのめしてやる!」
大きく吠えた男は太く尖鋭な爪を振り上げ――その一振りは消えたスカリの背後にあった壁へ深い爪痕を刻んだ。
一方でスカリは既に男の眼前へと迫っていた。そして男の視界に潜り込みそのまま拳を顔面へと放つ。しかしその一撃は易々と倍はある蜥蜴の手に掴まれ防がれてしまった。
だがスカリの表情は動だにしない。対してニヤり余裕の笑みを浮かべる男。
そして男は大きく口を開き掴んだ手を引きながら傷一つない顔へ噛み付こうと牙を伸ばす。しかし空いたもう片方の掌底が下から顎を突き上げた。眼前で強制的に閉じられた口に広がるのは嫌な血の味。同時に緩んだ手から拳は脱し、男は天井を仰ぐ。
一歩で後退したスカリだったが、透かさず一歩で再度間合いを詰めた。その間に依然と天井へ向けられた顔の両脇で降参と言うように上がった左右の手。視覚以外の何かで彼女との距離を感じ取っていたのか、見る事なく完璧タイミングでその両手は振り下ろされた。
しかし両爪は空を切り裂き、スカリの姿は傍の壁へ。地面代わりの足場として壁を蹴ると真っすぐ男へ接近。その勢いに乗せられた蹴りは顔面を捉えた。彼女よりも大きな体は宙を舞い反対の壁まで――それがその一撃の強烈さを物語っていた。
そして地面に倒れるとその男が立ち上がる事は無かった。
「この弱さは力の元と契約者、どっちの所為なんだか」
呆れ声で呟いたスカリにとってはまだ、中々叩けない蚊の方が強敵だったのかもしれない。
それから再び壁に凭れながら警官の到着を待った。スマホを片手にただただ待ち続けること五分。無事に気絶した七人の男と薬物を警察に引き渡した彼女は、スマホを耳に当てたままビルを出た。
「これだけでいいの?」
「あぁ。拠点候補の一つで一番の外れかと思ったんだがな。思わぬ収穫――じっとしてろ!」
須藤の声が少し離れたかと思うと怒声に加え、何がぶつかる音と更に遠くから堪え切れない声が弾けた。
「悪い。どうやらこっちが当たりだったみたいだな」
「それじゃあ今回の依頼は終わり?」
「ご苦労さん」
「えぇ~、こんなんであの報酬貰っちゃっていいの~?」
その口調は笑み同様に少し蕩けていた。
「なんだ。まだ見てないのか?」
「え? どーゆーこと?」
「いや、何でもない。とにかく助かった。また何かあったら頼んだ」
「いつでもご利用お待ちしておりまーす」
やけに明るく営業的な声を最後に通話を終え、彼女はその場を離れた。
* * * * *
公園の一本の木を背にしたベンチへ豪快だがまるで等身大の縫い包みのように脱力し座るスカリは、
「はぁー」
聞こえてくる子ども達の活気溢れる声とは相反した大人な溜息を零していた。
「あのくそジジイ」
更にそう曇天へ呟くと顔を戻し、脚の上に置いてあった茶封筒を手に取った。そして再度、中身を引っ張り出す。
茶封筒から出てきたのは札束。しかしそれは全て千円札だった。
「めっちゃオイシイ仕事だと思ったのに! 昨日見てたらとんずらしてたわ」
愚痴を吐き捨てながら札束を戻した封筒を仕舞った彼女は、声交じりの溜息を追加で零し心を映し出したような曇天を見上げた。
するとそんなスカリの隣へ誰かがそっと腰を下ろした。その気配に顔だけで横を見遣る。そこには依頼人である吉川の姿があった。
「突然すみません。偶然、見かけたもので」
「いえいえ」
そう言いながらだらけた姿勢を正す。
「あの、調査の方はどうでしょうか?」
「別にサボってる訳じゃないですよ?」
揶揄う微笑みを浮かべるスカリに対し、遅れて吉川の表情も和らぐ。
「今のとこはまだ断定する事は出来ないですね」
「そうですか」
笑みの余韻を残しながらも同時に不安げな吉川は少しばかり顔を俯かせた。
「何か秘密があるだなんて考えた事も無かったです――ってまだ決まった訳じゃないですけど」
「今回がどうかは置いておいて、誰にだって秘密はあるもんですよ。あなたにも一つぐらいあるんじゃないですか?」
「秘密ですか……」
呟きながら僅かに俯かせた顔は頭上と同じで曇り模様。
「神速さんにもあるんですか?」
「そりゃまぁ。良い女に秘密は付き物ですから」
スカリはそう言いながら軽く髪を掻き上げ彼女なりの良い女を演じて見せた。それを見た吉川はクスっと一足先に太陽を覗かせた。
「確かにお仕事的にも秘密は多そうですね」
「人には秘密がある――そして時にその秘密を暴くのが探偵、神速スカリ」
スカリはキメ顔でそう言った。どこかの物語の登場人物のように。
「改めてよろしくお願いします」
「調査がまとまり次第報告するので待ってて下さい」
「はい」
会話が終わり、静けさに包み込まれた二人はそれぞれ視線を正面へと移した。どちらかが立ち上がりそのまま別れてしまいそうな沈黙の中。吉川は微笑みを浮かべながら和やかな声で話し始めた。
「実はここ、私と彼が初めて出会った場所なんです」
懐旧の情に染まった表情は導かれる様に鉛色の空と顔を合わせた。
「今日とは違って雲一つなく、焦がすように照り付ける物凄く暑い日でした」
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