第25話 穢れの雨の町ナガル 4
アリアが冒険者になって、
ナガルの町での暮らしにもだいぶ慣れてきた。
異世界で生きていくのは苦労も多かったが、同時に興味深いものだった。
そして、今日もまた冒険者ギルドで依頼を受けたアリアとシスティナは、暗く狭い洞窟の中を進んでいた。
依頼主の言によると、樹海の中で新たに発見されたその洞窟の、入り口付近で魔鉱石が発見されたのだという。――魔鉱石とは、その名の通り魔力の込められた鉱石であり、魔法のアイテムの素材や武具の材料になる貴重なものである。
発見者である依頼主は専門の業者を呼んで採掘を始めようとしたのだが、洞窟の奥から奇妙な音が聞こえてくるために作業を中止。
そして「洞窟内の安全確保」という内容で冒険者ギルドに張り出された依頼を、アリアたちが引き受けたのである。
「システィナ、それは何?」
システィナが手に持った金属製の円形の器具をじっと見つめているので、気になったアリアは尋ねてみた。
「これですか? これはコンパスといって、方角を示してくれる道具です。……旅の途中、いつでも太陽を見れるわけではないですし、方角を知るには、こちらのほうが正確ですから」
「へぇ……なんだか、おしゃれなアンティークみたいだね」
確かに、旅や冒険をする上で方角を知れるメリットは大きい。
未知の土地へ出向いて迷ってしまった場合でも、これまで進んできた方角さえわかれば、とりあえず帰ることはできるだろう。
森で迷子になったことのあるアリアにとっては、その重要性がよく理解できた。
いまアリアたちがいる洞窟だって、同じような道ばかりで自分の進んでいる方向がわからなければ迷いそうだ。
「それにしても……狭いね」
洞窟のひんやりとした足場に手をついて、
洞窟内は完全なる暗闇のため、先行するシスティナが
「洞窟ですからね……」
「うーん、やっぱりゲームとは違うなぁ」
ゲームの中でダンジョンとして出てくる洞窟といえば、だいたいは人の通れるような広さのあるものばかりだ。
こんなふうに天井が自分の身長より低くて、人が一人しか通れないくらいに狭く、足場も悪い場所を進まなければならないシチュエーションは少ない。
「これじゃ、剣を振るのも一苦労だね……」
「そうですね。なので普段は槍など長柄の武器を使う方も、洞窟内を進むときは剣や槌などの取り回しやすい武器に持ち変えるそうです。剣も使えない場所なら短剣を使ったり……」
「そうなんだ……。私も、もっといろんな状況に対応できるように用意しておかないと」
坂を降り切って少し進んだところで、前方に開けた場所が見えてきた。その様相は、大きめの広間というべきか。
「やった、これで少しは進みやすくなりそう――」
「しっ! アリア、静かに……」
さっそく広間へと進もうとするアリアを、システィナが腕で制した。低く緊迫した声音に、アリアも口を閉ざす。
「何かがいます……」
慎重に、壁を背にしながらアリアとシスティナは前方を覗く。
広間の壁と床の一部が、淡い光をまとい明滅していた。美しい。
その
それは、体高だけで人の背丈より大きい、ずんぐりと丸い体に八本の脚を持つ、異形の怪物だった。
「蜘蛛の魔物?」
小声でつぶやいたアリアの予測を、システィナが「はい」と小声で肯定する。
「あれは……穢れで変異した魔物だと思います」
「つまり『穢れの怪異』ってこと?」
「おそらく……」
蜘蛛のような異形の怪物は、ほとんど音を立てずに何かを捕食している。
暗闇の中でアリアたちが目を凝らすと、怪物は自らと同じ蜘蛛の姿をした二回りほど小さな魔物に、鋭い
「穢れにより異形と化した魔物が、この洞窟を住処とする他の魔物を食べて成長したのかもしれません」
「……大きすぎて出られないよね、あれ」
「はい。なので、最初はもっと小さかったのだと思うのです」
普段であれば自ら危険に飛び込むことはないのだが、今回はそうは言っていられない。
アリアたちが受けた依頼は、洞窟内の安全確保だからだ。
「放っておいたら食べ物がなくなって死んだりしないかな」
「どうでしょう……穢れの怪異は、餓死するのでしょうか?」
アリアは一瞬だけ眉根を寄せて渋い顔をするが、すぐに気を取り直して剣の
「なら……やるしかないね」
「戦うのですか? ……すごく、強そうですけど……」
システィナが不安そうに言う。
たしかに、あんなに大きな敵に挑むなんて、冷静に考えれば無謀かもしれない。
――アリアはこちらの世界に来てから、大きなカマキリの魔物だったり、さらにはシスティナから生まれた光の竜のような強大な敵と戦ってきたから、感覚が麻痺しているのだろうか。
「でも……」
アリアはシスティナを安心させるように、まっすぐと視線を合わせて強くうなずいた。
「二人ならきっと、大丈夫だよ」
「……はい。そうですね」
システィナも、得物である細身の剣と結晶の杖を持って立ち上がった。
「アリアとなら……きっと大丈夫」
そのとき。
蜘蛛のような異形の怪物の、ちょうど背中に当たる部位の中心が裂け、ぱっくりと開いた。
裂け目の中から覗いたのは、瞳。
虫というよりも動物のような眼球。それが「ぎょろり」と動いて、アリアたちのほうを見据えた。
「……やろう、システィナ」
「はい!」
ギルドの職員は「冒険に不測の事態はつきものだ」と言っていた。まさに、眼前の状況がそれだろう。
それでも依頼を受けてしまった以上は、冒険者としての責務を果たすだけ。
「行くよ!」
「はい! アウラよ。万象たるマナよ、我が敵を射抜け……」
システィナの杖の先端についた結晶が、青白い魔力の光を帯びた。
「
魔力の弾丸が、
空を駆る流星のように尾を引きながら、魔物へと直撃。炸裂した青白い光が、その巨体を飲み込んだ。
「システィナ、すごい!」
「いえ……まだです! アリア!」
ぞくりと嫌な予感がして、アリアはとっさにその場から飛び退いた。
直後、今までアリアが立っていた場所に魔物の脚部が叩きつけられ、轟音ととも地面が爆ぜる。衝撃で飛び散った岩の破片がアリアの体をかすめた。
「効いてないの?」
システィナのそばまで後退しながら、アリアが疑問の声を漏らした。
「わかりません……痛みを感じているのかどうか……」
蜘蛛の魔物はシスティナの魔術による攻撃を受けたはずだが、何事もなかったかのように平然と脚部を動かしてアリアたちのほうへと前進してくる。
そのまま魔物が屈むように八本の脚部を曲げて飛びかかる体勢に入ったので、アリアはシスティナの腕を掴んで、魔物の周囲を回り込むように走った。
「魔鉱石に囲まれた環境で生まれたので、もしかしたら魔力に耐性があるのかもしれません」
「なるほど。……それなら!」
ずしん、と誰もいないところに飛びかかった魔物は、背中にある目玉でぎょろりと周囲を見回してふたたびアリアたちを
その動きをしっかりと観察しながら、アリアは剣を握りしめて魔物のほうへと駆け寄った。
「アリア、気をつけてください……!」
「うん!」
魔物の、
ガキン! 鋭い音を立てて剣が弾かれる。
「硬い……! それなら、こっちはどう?」
続けざまに繰り出された爪をアリアは避けながら、今度は魔物のずんぐりと丸い胴体へと剣先を叩き込む。
ざくん、と刃が魔物の胴体をかすめて、生じた傷口から黒い霧が、まるで鮮血のように噴き出す。
だが、意に介した様子もなく、魔物は続け様にアリアに向けて爪を振るった。
「くうっ」
剣を振り抜いた直後で避けられなかったアリアは、
ずしんと重い衝撃が腕に伝わり、体重の軽いアリアはそのまま殴り飛ばされてしまう。
「アリア!」
硬い地面を転がり、洞窟の壁に激突してようやく止まったアリアのもとへとシスティナが駆け寄る。
「大丈夫ですか……!? 怪我は……」
「けほっ……。平気。とっさに後ろに飛んだから、なんとか防ぎ切れた」
全身に擦り傷ができて、壁面に打ちつけた背中と後頭部が痛むが、動けないほどではない。
アリアはシスティナを庇うように前に出て、直剣と小盾を構え直した。
その目の前へと、蜘蛛の魔物がにじり寄ってくる。
「どうしよう……分が悪いかな」
システィナの魔法もアリアの剣でも、大したダメージを受けているように見えない。
おまけにこの狭い洞窟内では、逃げ回りながら戦っても、いつかは追い詰められてしまう。
「剣も魔法も効かないなんて……」
アリアたちを串刺しにして捕えようと、蜘蛛の魔物が脚を振り下ろしてくる。
アリアはシスティナと一緒に横方向へと飛んでそれを躱す。しかし、ばごんと音を立てて砕けた地面の破片までは避けることができず、二人の少女の華奢な体は傷を増やしていく。
「まだ、手はあります……」
体勢を立て直し、杖を構え直しながら、システィナは言った。
「システィナ、どうするの?」
「アリアの剣の……刃を、こちらに向けてもらえますか?」
「え、こう?」
言われた通りに剣先向けると、その刀身へとシスティナは手を伸ばした。
「アウラよ。万象たるマナよ、ここに集え……
詠唱をしながら、システィナの白魚のような手が銀の刀身をなぞる。
すると。
アリアの剣に、その刃に、青白い魔力の光が宿った。
「これは……?」
アリアの疑問にシスティナが答える。
「アリアの剣に魔力を込めました。この剣の攻撃なら、あの魔物を倒せるかもしれません」
青い光を帯びた剣を、試しに軽く振ってみた。
ブン! と力強い風切り音が鳴る。
「ありがとう。やってみるよ、システィナ!」
剣先から光芒を残しながら、アリアは蜘蛛の魔物へと距離を詰める。
直後、振り下ろされる脚部を回り込むように避け、石の破片をその身に受けながらも怯まず、アリアは洞窟の天井近くまで飛び上がった。
「はああッ!」
蒼き光芒の一閃。魔力で強化され、威力と斬れ味の増した刃は魔物の体をやすやすと引き裂き、その傷口から魔力の
眩いほどの光が、蜘蛛の魔物を包む。魔物は断末魔の絶叫を上げるように、鋏角をガチガチと鳴らしながら八本の脚で暴れまわり、やがて動きを止めた。
最後に、ごう、と突風のような衝撃波を発して、魔物は黒い霧となって消えた。
「倒した……の?」
「……そうみたいですね」
アリアはもちろん、剣に魔法をかけた本人であるシスティナも唖然としている。
「すごいね、システィナ。こんな強力な魔法があるんだ」
「い、いえ……今のはたぶんアリアが……」
「え?」
アリアが首を傾げると、システィナは心を落ち着かせるように深呼吸を一つした。
「おそらく……今の一撃は、わたしの魔力だけでなく、アリアの魔力も込められていたのかと……。そういうふうに見えました」
「私の? でも、私は魔術なんて使えないよ」
「そうですよね。……でも、確かにあれは……」
システィナが顎に手を当てて考え込む。
「魔力撃……と呼ばれる技術かもしれません」
「魔力撃?」
「はい。手にした武器に素早く魔力を込めて攻撃する、高度な技術です」
アリアは手に持った剣を見つめた。ミスリルの刃に、自らの顔が映る。
「そう……なのかな? でも私、そんなすごそうな技のやり方、知らないけど」
「自然と、使っていたのではないでしょうか……?」
「ええ、無意識でそんなことできるかな?」
アリアの疑問に、システィナはその豊かな胸に手を当てて、堂々と言い放つ。
「はい! アリアなら、できるのだと思います! きっと!」
「そ、そう……?」
システィナに熱い信頼を向けられて、アリアは少しだけ
「と、とにかく、これで依頼は完了だよね」
「そうですね。ここが最深部みたいですから、周囲の安全を確認したら帰りましょう」
「うん。帰ったら美味しいもの食べようね。システィナ」
かくして――依頼を終えたアリアたちは、コンパスを頼りに、もと来た道を戻る。
その帰り道、どちらからともなく、二人は自然と手を繋いでいた。
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