第17話 ステルオール――天星の落とし子 1

 光の竜。ドラゴン。

 その見上げるほど大きな体は、青白い魔力の光によって、システィナの小さな体とつながっている。


『あれが……彼女の中に潜んでいた獣……』


 説明とも驚きの声とも取れないフローリアの声がアリアに届くと同時に、光の竜が魔力で形成された前足の爪を振るった。

 青白い刃が、雷光のように煌めく奇跡を残しながらアリアへと襲いかかる。


「……っ!」


 アリアは爪の一撃を、転がるように飛び退いて回避した。しかし魔力の余波を受けて、体に痺れと痛みが走る。


「う……くぅ……」


 何度も魔力の攻撃を受けて、地面に叩きつけられた体は、もはや満身創痍だった。


『アリア、まずは霊薬で回復を』


 答える余裕のなかったアリアは、無言のまま神花の霊薬の瓶のふたを開けて、その中身を一口飲んだ。

 すると魔力の光で焼かれた体が元通りになり、なんとか動けるようになる。


『アリア、あなたにお願いがあります』

「改まって……なに?」


 急いで立ち上がったアリアは、続く竜の爪の一撃を、飛び退いて回避する。

 しかし、避けても襲いかかる蒼い雷光のような魔力の余波が、無視し難い痛みとともにアリアの身を焦がす。


『あなたの力では、この状況で生き延びることは困難です……』

「はぁ、はぁ……だから?」


 地を転がるようにして、続くあぎとの牙の一撃からなんとか逃れながら、アリアは少しだけ語気を強めてフローリアに言い返した。


「このままシスティナを放っておいて、逃げろって言うの? そんなの――」

『いいえ。違います。アリア』

「――え?」


 距離を取り、木の陰に隠れていたアリアだったが、フローリアの言葉に気を取られた一瞬、その木をドラゴンの爪が殴りつけて、幹を焼きながら揺らした。

 背後を振り返ると、今までずっと動かなかったシスティナは立ち上がり、夢遊病のようにふらふらと歩いてアリアのほうへと近づいてきていた。


「システィナ……もしかして、あの竜に操られているの?」

『そのようです。あの獣の持つ意思によって、彼女は体と魔力の主導権を奪われているのでしょう』

「そっか……。それで、私へのお願いって?」


 アリアの問いに、少し間を置いてからフローリアが答える。


『……アリア。どうにかして、ここで彼女を止めることはできませんか?』

「止める……の?」


 アリアは少し驚いた。てっきり危険だから逃げろと言われるのかと思った。


『無理は承知の上です……しかし、このまま彼女が暴れ続ければ、おそらく被害はあのエレノーア教会のほうまで及ぶでしょう』


 迷いがあるのだろう。フローリアは、いつになく悲痛な声音だった。


『わたくしは、敬虔な善なる神々の信徒を……この地に生きる善良なる人々を、失いたくないのです』

「フローリア……」


 木に隠れたままアリアは一瞬だけ瞳を閉じると、システィナのほうへと振り返った。

 アリアが出てきたことに気づいた光の竜が、威嚇するように神々しい唸り声を上げる。


「うん、もちろんだよ。……私だって、どうにかしてシスティナを助けたいし、ユイたちも守りたいから!」

『……ありがとうございます。アリア』


 とはいえ、今も暴れていて手がつけられないシスティナをどうすればいいのかは、アリアにはわからない。

 せめてあの光の竜だけでもどうにかできれば――。


『あなたの魔剣は、魔力を斬ることができます』

「魔力を……? あの光の竜も斬れるってこと?」

『そうです。そして、飛ばしてくる魔力の光弾もかき消すことも可能です。そうしてなんとか近寄って、魔剣による攻撃を当てることができれば、獣を一時的に無力化できるはず』

「それでも、一時的なのね」

所以ゆえんはわかりませんが、彼女は無尽蔵と言えるほど莫大な魔力をその身に有しています。その魔力によって、獣は斬り裂いても再構築されるでしょう』

「そっか。うん……わかった」


 アリアは剣を構えた。

 旅商人の老婆から買い取った、ミスリルの一振りが、魔力の光を反射して淡い青に煌めく。


「勝負だよ。ドラゴン。……システィナを返してもらうから!」


 声に呼応するように、光の竜の動きが激しくなる。

 頭を抱えながらよろよろと歩くシスティナの体を支点にして、光の竜は四本の脚を使って獣のように森の中を駆け回った。


「……っ。速い!」


 今までは目覚めたばかりで動きが鈍っていたのか、背丈だけで見上げるほど大きい竜の動きは驚くほど軽快だ。

 青い竜は瞬く間にアリアの側面に回り込み、その爪を振るった。


「くっ」


 がつん! と重い手応えが剣に伝わり、アリアの軽い体が吹き飛ばされる。

 なんとか剣で受けることができたが、魔力の余波によって体が焼かれ、痺れと痛みが走った。

 なんとか受け身の真似をして起き上がるが、剣を構え直すよりも速く、光の竜は体を大きく回転させて尻尾をアリアの腹部へとしたたかに打ちつけた。

 打撃と同時に魔力の爆発が巻き起こる。

 軽々と宙に飛ばされた体が、地面に叩きつけられて転がった。


「かはっ……!」


 尻尾の一撃を受けた腹部を手で庇いながら、うずくまって吐血する。

 視界が霞む中、アリアが顔を上げると、竜はその顎を大きく開いてこちらへと向けていた。

 高密度な魔力の青い光が、口腔こうこうに集まり、ゆらゆらと揺れる。


(あれ……やばい……!)


 アリアの本能が警笛を鳴らした。

 痛む体に鞭を打って、血を吐きながらアリアは立ち上がって剣を構える。直後、光の竜は口から青い炎を吐いた。竜の吐息ブレス。魔力の炎だ。


「うわあああッ!!」


 とっさにアリアが正面に構えた剣によって青い魔力の炎は両断されるが、その余波がアリアの両肩と脚を焼いていく。

 激痛に朦朧とする中、青い炎の勢いに押し返されまいとアリアは必死に踏みとどまった。


(だめ……このままじゃ、持たない……)


「ア……リア……」


 システィナが、うわごとのように声を発した。

 竜は青い炎の吐息を中断する。

 雨に濡れ、熱に浮かされたように弱りきった様子のシスティナの虚ろな瞳が、アリアのほうへと向けられる。


 ああ、そうか。彼女も戦っているんだ。

 竜を抑え込もうと、せめて被害を少なくしようと、必死に心を保っている――。


 アリアは途切れそうな意識をなんとか繋ぎ合わせて、竜が動きを止めている隙に、神花の霊薬を一口飲んで傷を癒やした。


「システィナ……がんばって!」


 竜に――自分自身の力に、負けないで。


 アリアは祈りながらシスティナに声をかけた。

 すると、システィナの虚ろな瞳に、ほんの少しの光が戻った気がした。


(システィナも……戦ってるんだ)


 竜の体から発射された光弾を、アリアは剣で斬り払った。

 すると光弾はかき消され、爆発することなく消滅する。


「……逃げ……て……」


 システィナの消え入りそうな声が、アリアの耳に届いた。


「……もう……力を……おさえ……られ、ない……」


 アリアはかぶりを振った。


「逃げないよ」


 システィナを助けて、ユイたちを守る。

 それがアリアの、難しいかもしれないけどシンプルな、やるべきことだから。


「システィナ……あなたは、どうしたいの?」

「う……うぅ……」

「教えて! あなたの正直な気持ちを……!」


 システィナの瞳に、もう一度光が灯る。


「わたし……の……?」

「そう! あなたの!」


 そんなに苦しそうで、悲しそうで。

 いつも突き放すような言動ばかりだけど、きっと本心は違うはずなんだ。


「あ……あうぅ……」


 システィナは苦痛に耐えるように頭を抱えてうずくまる。

 青い光の竜が、空に向かって吠えた。光の竜の全身にまとった魔力が、その輝きを増す。

 真夜中の森、暗闇の中に蒼い稲光いなびかりが走り、蛍火ほたるびのような細かな光の粒子が無数に宙を舞う。


(……すごい、きれい……)


 アリアはその光景にしばし目を奪われてしまう。

 しかし見惚れている場合ではない。この青い粒子も稲妻も、竜とシスティナの持つ無尽蔵の魔力が可視化したものだろうということは、アリアにもわかった。触れるだけでも危険だ。

 アリアは向かってくる稲妻の一本を、ミスリルの剣で斬り払った。


「うぐ……なんて力なの?」


 全身にビリビリと感じる衝撃に、アリアは歯を食いしばって踏みとどまる。

 光の竜が、漆黒の空へと吠える。次の瞬間、竜は高密度の魔力の光線を口から放射した。


 ビィィィイィ――――ッ!


 竜は光線を薙ぎ払うように振り回し、巻き込まれた木々が焼けて倒れる。


「……っ、わああ――!」


 遅れて発生した魔力の爆発、その衝撃を浴びたアリアは地面を転がった。

 咳き込みながら体を起こし、背後で薙ぎ倒された木々を見る。


(あんなの……直撃したら、ひとたまりもない……)


 地面に落ちた剣を拾って、システィナと竜のほうへと向き直る。


「システィナ!」


 アリアはもう一度、その名を呼びかけた。


「わたし……は……」


 システィナが、苦しげに声を発する。


「もう……誰も、わたしのせいで……傷ついてほしくない……」


 アリアは駆け出した。魔力が稲妻と蛍火になってほとばしり続ける、竜のもとへ。


「……誰も……傷つけたくない……」


 近寄るほどに魔力が濃くなり、アリアの体を焼いていき、全身に痺れるような痛みが襲う。

 それでも走るのをやめない。踏みとどまり、光の粒子と稲妻を剣で斬り払いながら、前へ。


 そんなアリアに向けて、システィナは求めるように手を伸ばした。


「アリア……たすけて……」


 彼女の、本当の願い。言えなかった言葉。

 システィナの瞳からあふれた涙が一筋、頬を伝う。


「……わかった、助ける!」


 アリアは青い竜へ向かって飛び込みながら、剣を振り下ろした。

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