第15話 エレノーア教会 6

 アリアはシスティナに肩を貸しながら森の中を歩き、エレノーア教会へと戻った。

 教会の入り口が見えてくると、雨の中、建物の外でアリアたちの帰りを待っていたユイが出迎える。


「あ、アリアお姉ちゃん! それに、旅人さんも……!」


 頭上で大きく手を振るユイに、アリアは片手で小さく手を振り返して答えた。

 隣を見ると、システィナも嬉しそうに少しだけ顔をほころばせていた。ユイが無事でいることを確認して、ほっとしたのだろう。


「アリア……」

「ん? なぁに?」

「わたしは……ここまでで大丈夫です。……送っていただいて、ありがとうございました」


 システィナはアリアの肩から離れると、ぺこりとお辞儀をした。


「今日のご恩は、かならず……何らかの形で、お返しいたします……」

「ま、待って!」


 本当に背を向けて去っていきそうな雰囲気だったので、アリアは慌てて止める。


「ユイもお礼を言いたいと思うし、せめて雨宿りだけでもさせてもらおう? ね?」

「……で、でも――」


 そう言いかけてから、システィナは口をつぐんだ。

 先ほどのアリアの「でも、とか、けど、とか言わない」という言葉を思い出して、忠実に守っているのかもしれない。

 そう思うと、あんまりにも律儀で、アリアは「ふふっ」と少しだけ笑ってしまった。


「どうしたの、お姉ちゃんたち」


 ユイがアリアたちのほうへと近づいてくる。

 教会の扉が開かれて、中から老修道女のキサラと、子供たち三人も顔を覗かせた。


「こっちに来て、アリアお姉ちゃん」


 ユイがアリアの服の裾を掴んだ。


「旅人さんも……よければ、うちに寄っていって! 助けてくれたお礼がしたいから!」


 続いてユイは、もう片方の手でシスティナの手を握る。


「あ……」システィナは、ぽかんとした表情をする。


「ほら、行こう。システィナ」


 アリアもシスティナの手を握った。


「わ、わっ……」


 システィナは二人に引かれるままに、教会へと入っていった。




 アリアとシスティナに乾いたタオルを手渡しながら、キサラが深々とお辞儀をした。


「話は聞き及んでおります。システィナさん、ユイが魔物に襲われて危ないところを、助けてくださったのですね。……ありがとうございます」

「……いえ、そんな……」


 アリアは恐縮するシスティナの背中を、ぽんと軽く押した。


「そのときにシスティナは怪我をしちゃったみたいで」

「あらまあ……! それは大変……!」

「それで……今日の宿もまだないらしいので、この教会に泊めてあげることはできませんか?」

「もちろんでございます。ユイを助けていただいたのですから、少しでもおもてなしをさせてください」


 トントン拍子に話が進んでいくので、システィナはまた恐縮していた。


「そんな……悪いです。わたしは町に行って宿を取るか、野宿でも構わないので……」


 遠慮するシスティナに、修道女のキサラは笑顔で言う。


「そんなこと言わずに……あなたさえよければ、ぜひうちで休んでいってください」

「ほら、システィナ。お言葉に甘えよう」


 それでも迷っているシスティナのもとに、アーサとヒルダとノクス、三人の子供たちが駆け寄ってくる。


「旅人のお姉ちゃん、ユイお姉ちゃんを助けてくれたんでしょう」

「名前……システィナっていうんだ。ありがとう、システィナお姉ちゃん」

「今日はうちに泊まっていってよ。みんなでご飯を食べよう!」


 わいわいと騒ぐ子供たちに囲まれて、システィナはオドオドと周囲を見回した。


「え、えっと……」


 キサラが、アリアとユイが、そして三人の子供たちが、システィナに微笑みかける。

 システィナは少しだけ泣きそうな顔をしながらも、口元を緩めた。


「……はい。……少しだけ……お世話になります」


 システィナがそう言うと、ユイとキサラは二人で顔を見合わせて、満足そうにうなずいた。




 キサラが夕飯の準備を始めたので、聖花でフローリアと話をしつつ霊薬を補充したアリアは、家事の手伝いをして時間を過ごした。

 その間、システィナは子供たちに詰め寄られていた。どうやら彼らの興味は、アリアからシスティナに移ったらしい。

 システィナは困惑しながらも、どこか嬉しそうに子供たちに接していた。


「ねぇ、キサラさん」


 アリアが声をかけると、キサラは料理の手を中断して振り向いた。


「アリアさん、どうかしましたか?」

「これ……受け取ってもらえませんか?」


 アリアはキサラに、革袋の中から一枚の金貨差し出した。


「これは……大金貨!? いただけませんよ、こんな……」

「いえ……私もユイたちに命を助けられて、ご飯までごちそうになって……こんなお礼しかできないのは、なんか嫌らしいですけど」


 アリアは苦笑した。

 この世界において、お金以外に何も持たないアリアには、こうしたものしか対価を払えない。

 やはり無償で何かをしてもらうのは、失礼に当たるのではないか。システィナと出会ったことで、アリア自身も改めてそう思った。

 まあ、システィナは逆に遠慮しすぎだと思うけど……。


「受け取ってください。教会への寄付だと思って」

「……承知いたしました。それでは、ありがたく頂戴しますね」


 キサラは受け取った大金貨を、大事そうに胸元で握りしめた。


「よき出会いをもたらしてくださった、善なる神々に感謝を……。このお金を使って、アリアさんたちには、より一層おもてなしをさせていただきますね」

「はい、それはぜひ! 私もお世話になっている間は、たくさんお手伝いさせていただきます」




 夕飯の時間。広い長テーブルに六人が椅子を並べて座り、食事の前の祈りを捧げた。

 アリアは見よう見まねだったが、システィナの祈る姿は美しくひたむきで、まるで敬虔な信徒のようであった。

 祈りが終わってみんなで食事を食べ始めると、システィナの左隣に座ったユイが口を開いた。


「ねぇシスティナお姉ちゃん」

「……何でしょうか?」

「聞いていいか、ちょっとわからないんだけどね……」


 ユイは人差し指で、自分のほっぺたを指差した。


「システィナお姉ちゃんのお顔のそれ、どうしたの?」


 ユイの言葉に、ヒルダも便乗する。


「そう! あたしたちも気になったんだけど、システィナお姉ちゃん、はぐらかしてばっかりで、ぜんぜん答えてくれなかったの」


 システィナの顔の左側。結晶化とでも言うべきだろうか。

 まるで頬のあたりが、まるで白い宝石のように角ばって、わずかに光を反射してきらめいている。


「えっと……それは……」


 口ごもるシスティナに、キサラは気を遣いながら言う。


「子供たちがごめんなさいね。話したくない事情があるのでしたら、無理に話さなくてもいいのですよ……」

「いえ……」


 システィナはかぶりを振った。


「これは、いずれ伝えなくてはならないことなので……」


 システィナの小さな手が、自らの頬をなぞる。

 そこだけ硬くなった皮膚。見る者によっては、おぞましくも美しくも映るだろう。


「これは……わたしの罪の証です……」


 アリアが首をかしげる。


「罪?」

「はい。本当は……わたしは、こうしてゆっくりと皆さんのお世話になることなど、許されないのです」


 システィナは、悲壮な面持ちで告げる。


「わたしの、この身と魂は、穢れにむしばまれています。顔の結晶は、穢れによって体が変化したことに由来しています」


 ユイがハッと口元に手を当てる。


「それも穢れのせいなの? たいへん! 大丈夫なの?」

「はい。わたし自身は大丈夫なのですが……」


 皆が神妙な顔をする中、事情のわからないアリアのためにユイが説明する。


「穢れっていうのは……穢れの神ダムクルドがこの世界にかけた呪いのことよ」

「呪い……。それがシスティナの体を変化させたってこと?」

「うん。……体が穢れに蝕まれたときの症状は、人によって違うのだけど、多くは体の一部が変化したり、不調を訴えたりするようになるわ。……そして、そこからさらに穢れに染まり続けると……」

「どうなるの?」


 ユイは少しだけ低い声で言う。


「ダムドになるわ」

「ダムド?」

「そう。正気を失って魔物になっちゃうの。そうして生まれた人の魔物のことをダムドっていうのよ」

「……そんなことが」


 アリアはうつむいた。

 フローリアから穢れについてある程度の説明は受けていたが、こうして現地の人に聞くとより詳細に、問題となっていることがわかる。


「……どうしたら人は穢れに蝕まれるの?」

「『穢れの瘴気』に触れ続けると、人や動物の体はだんだんと穢れに染まっていくわ。……あとは……『穢れの怪異』という魔物に襲われたときに、穢れを発症してしまうこともあるそうよ」


 穢れの怪異は、現実世界でアリアを襲った魔物もそれだ。


「それともう一つ。この辺だと、雨を浴びすぎるのもよくないわ」

「え、雨!?」

「うん。この地域において、もともと雨はリーティア様の祝福だったのだけど……穢れの神の影響を強く受けているせいで、今では『穢れの雨』なんて呼ばれているの」

「……」


 世界の穢れというのは、やはり深刻なものだ。

 その穢れをはらうのが、今のアリアの使命。

 責任重大だ。ユイたちが安心して暮らせるためにも、今現在、穢れに蝕まれているシスティナのためにも、なんとしても使命を成し遂げないといけない。


「教えてくれてありがとう、ユイ」

「うん。この世界のことでわからないことがあったら、なんでも聞いてね」


 システィナが遠慮していた理由も、やはりその身に穢れがあるからだろうか。それにしてもユイたちの反応を見る限りは、システィナは気にしすぎのような。

 それに、彼女の言っていた「罪」というのも気になる。


「アリアは……もしかして、迷い人なのですか?」


 今までの会話の流れから、システィナがそう尋ねた。

 すると、またそこから話が膨らんでしまって、アリアは聞く機会を失ってしまった。




 静寂と暗闇に包まれた教会に、雨の降る音と雷鳴が響き渡る。

 皆が寝静まったはずの時間。教会の扉が開き、中から銀髪の少女が一人、姿を現した。


「アリア……ユイさん……教会の皆さん、ごめんなさい……」


 音を立てないように、そっと扉を閉める。

 降りしきる雨が、手負いの少女を濡らす。


「やっぱり、私は……」


 教会に背を向け、うつむきながら歩き始めた、そのとき。


「どこに行くつもり?」


 背後からの声に、びくりと肩を震わせながら銀髪の少女が振り返った。


「システィナ」

「アリア……どうして……」


 教会の扉を開けて呼びかけてくるアリアを、システィナは雨に打たれながら呆然と見つめた。

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