第3話 狭間の森 3

 苦しみの中、ようやく意識を失うと、私はまた夢を見た。


 見るものすべてが大きい。

 いや、私が小さいんだ。


 見覚えのある道路だった。私は歩道を歩いている。

 並ぶ街路樹。人通りは少なく、ときおり車道には車が通り過ぎていくだけだった。

 思い出した。ここは、かつて私が保育園に通っていたときに通った通園路。

 幼い私は周囲をきょろきょろと見回して、誰かを探している。


 ああ、頭が痛い――この記憶は、なんだか嫌な感じがする。


 やがて、幼い私は目当ての人物を見つけた。


「おかあさん!」


 会いたかったその人。大好きだった母親。

 私は、何も考えずに道路へと飛び出していた。


愛里亜ありあ!」


 母の切羽詰まった声。

 迫り来るトラックの、急ブレーキをかける音。


 突き飛ばされて道路に倒れた私は、トラックのほうへと振り返り――。

 愕然と目を見開いた。


「おかあ、さん……?」


 私の母はトラックにはねられ、血を流して倒れていた。


 そうだ。

 十二年前のこの日、母は亡くなったんだ。

 私をかばって、私の代わりに死んだ。

 私のせいで――。




「……姉ちゃんのせいだから」


 弟の晴人がつぶやいた言葉。


「どうしても……ゆるせないんだ」


 何気ない日常の中で聞いたその声が、後悔とともに、今も私の心に残り続けている――。




 森の中。白い花畑の中央で。

 目覚めた私の目から、涙が一筋こぼれ落ちた。


「私……は……」


 魔物に食べられた現実と、母を失った過去の記憶が蘇ってきて、そのショックで私は茂みのほうへと駆け寄って嘔吐した。


「……はぁ」


 よろよろと私は少しだけ歩いてから、花畑の中に仰向けに寝転がる。


 もう……無理だ。

 なんでこんなに頑張っているんだろう。


 たしかに、私の中の何かが先に進むようにかしてくる気がする。

 けど、こんな苦しくて痛くてつらい思いしてまで、先に進む意味はあるのか。


 相変わらず、森の中は静かだった。

 宙を舞う白い花びらは、神秘的で美しい。


 もう、眠ってしまおうか。


 私は瞳を閉じた。


 そうだ。私は死んでしまったんだ。

 もし、ここから出られたとして、誰かが待っていてくれるわけでもないだろう。


 妥当な末路かもしれない。

 私はお母さんを死なせてしまった、最低な子なんだから。

 このまま永遠に森の中でひとりぼっちだとしても――。


「……本当に、静かだ」


 誰もいない。風の音しか聞こえない。

 寂しいなぁ……。


 孤独な静寂の中で、私はまた眠りについた。




 また夢を見た。

 過去の記憶。その中でも、一番新しいもの。

 私が死んだときの記憶だ。


 通学路。高校から帰る途中のこと。

 あの日の私は、下校中に晴人と偶然会って、一緒に帰ったんだ。


「晴人」


 道すがら弟を見つけた私は、控えめに名前を呼んだ。


「……姉ちゃん」


 返事はそれだけだった。

 喧嘩するような関係でもなくて、無視されるほどは嫌われていなくて、でも、きっと晴人は私のことを憎んでいる。

 そんな奇妙な関係である私たちは、その日も会話らしい会話などはなかった。


 少し気まずい雰囲気のまま、私と晴人は無言で家路に着く。


 そうして人のいない裏路地に差し掛かったときだった。

 それまで黙っていた晴人が、立ち止まって声を漏らす。


「なんだ……あれ」


 うつむいていた私は、晴人の視線を追って前方を見た。

 そこには……。

 黒い闇があった。どういう原理なのか、空間にざっくりと裂け目ができていて、そこから黒い闇が覗いている。

 その闇の奥からは、赤く光る目がこちらを見据えていた。


「……ひっ!」


 私がほとんど声にならない悲鳴を上げた。

 獣だ。触手の生えたおぞましい異形の獣が、こちらを見ている。

 直後、空間の裂け目の奥にある闇の中から、先端に鉤爪のついた、どす黒い触手のようなものが伸びて、私たちのほうへと襲いかかってきた。


「逃げろ……っ!」


 晴人に背中を押されるままに、私は走った。

 しかし、触手の動きは思いのほか速くて、逃げる私たちにすぐに追いついてくる。

 触手の先端にある三叉に分かれた黒い鉤爪が、晴人の背をとらえた。


「晴人……!!」


 鉤爪が晴人を襲おうとした、その刹那。

 私は両腕をいっぱいに広げて、晴人を守るように鉤爪の前へと身をさらした。


「姉ちゃ――」


 声は途中で途切れて、晴人は目を見開きながら私のほうを見た。

 鉤爪は、晴人をかばった私の胸を貫いて止まっていた。


 意識が遠のき、体の力が抜けていくのを私は感じた。


「晴人……逃げて……」


 それが、私の最後の言葉だったと思う。致命傷だった。

 私はわけもわからないまま、正体不明の魔物にやられて、死んでしまったんだ――。




 私はまた目が覚めた。

 森の中で寝てしまっていたようだ。


「晴人……」


 私はゆっくりと起き上がった。

 鉤爪の魔物に襲われたあの後、晴人はどうなっただろう。

 生きて、ちゃんと逃げおおせてくれただろうか……。

 心配だった。このままずっと森の中を彷徨って、いつか消えてしまうにしても、それだけが、あまりにも心残りだった。


「……行かないと」


 私は歩き始めた。

 この先に、あのカマキリの魔物の住処を越えた先に、何が待っているのかはわからないけど。

 このままでは、とても死にきれない。


「勝負だよ。……化け物」


 剣と盾を手に取り、霧の奥へと進んだ私は、カマキリの魔物と相対あいたいした。

 大きい。両手の鋭い鎌が、私を狙う。

 恐ろしいけど、不思議とさっきよりも勇気が湧いた。

 これまでの私は何もなかった。けど、今の私には目的がある。


 弟の、大切な家族のためと思えば、頑張れる気がした。


 ぶぉん! と魔物の鎌が横なぎに振るわれる。


「くっ!」


 がきん! と火花と金属音を散らしながら、私の盾と魔物の鎌がぶつかり合った。

 やっぱり衝撃に手が痺れるけど、攻撃を防ぐコツが、だんだんとわかってきた。

 できるだけ体重を前にかけて、押し返すように防いだほうがいいんだ。

 一歩踏み出すのは怖いけど、そうしたほうが自分への衝撃が少なくなり、鎌を振り終わった後の相手の隙も大きくなる。


 死の恐怖を乗り越えて、思い切って私は自ら盾を押し付けるようにして、カマキリの魔物の攻撃を防いだ。


 ガキィィン!


「……いまだ!」


 魔物が体勢を崩したその一瞬を狙って、私は思いっきり剣を振り抜いた。

 がつん! と重い手応え。

 錆びた剣ではカマキリの魔物の体を完全に斬り裂くことはできないものの、刃は半ば胴体に埋まっている。

 大きな魔物だけど、見た目は華奢だ。さすがに今のは効いたはず。


「カシャ……!」


 怒りをあらわにするように、カマキリの魔物は大顎を噛み合わせながら仁王立ちする。

 来た……!

 すぐさま斜め後方に跳躍して逃げた私をとらえきれずに、魔物の組み付き攻撃は空振りした。


「やった!」


 私は心の中でガッツポーズをした。

 この組み付き攻撃は、頑張れば避けることができる。避けられるなら、なんとかなる。

 渾身こんしんの攻撃を外したことを気にした様子もなく、カマキリの魔物は鎌での攻撃を再開した。


 がきん!


 激しい攻撃に私は息を切らせながらも、なんとか攻撃を防いでいく。

 盾に振り下ろす攻撃を、足を踏ん張らせてなんとか防ぎ、続く横振りの攻撃をしのぎながら、なんとか体勢を整えて。


 がん!


 続く返す刃の横振りを、また盾で押し返すようにして防御する。


「ここだッ!」


 叫びながら、私は右手の剣で反撃する。

 今の私の力でも、錆びついた剣では魔物の体を斬ることができない。

 だけど「突き」ならどうだ。

 鋭い剣の切っ先を、思い切り突き刺してやれば――。


「――!」


 カマキリの魔物が声なき悲鳴をあげる。

 私の突き出した剣は、魔物の細い胴体に半ばまで突き刺さった。


 いける。効いてる!

 このままトドメを刺そうと、魔物から剣を引き抜いた、その瞬間――。

 私の脇腹辺りに冷たい何かが突き刺さって、激痛が走った。


「……え……?」


 何が起こったかわからず、私は自分の脇腹に目を向けた。

 私の体に刺さっていたのは、触手のようなものだった。

 カマキリの魔物の、胸部と腹部のさかい目の辺りから黒色の細長い触手が伸びて、私の脇腹に食い込んでいたのだ。


 刺された箇所から血がにじむ。


 痛みと混乱で動きの止まった私に、カマキリの魔物は大鎌を振りあげて。


 容赦なく振り下ろした。




 森の中、白い花畑で私は目を覚ました。

 今度は夢は見ていないと思う。どうやら、毎回記憶を取り戻せるわけではないらしい。

 何か条件があるのだろうか。


 それにしても。


「……あんなの、ずるい」


 私は誰ともなく文句を言った。

 普通、カマキリにあんな触手みたいなものなんて生えていない。

 途中までは希望が見えそうだったのに……あれじゃ本当に生き物ではなく化け物だ。


「くそぅ……」


 私はしばらく、ふてくされたように地面に横になった。

 あんなの勝てっこない。もう痛い目に遭いたくない。


 それから数分くらい仰向けのままで、穏やかな風に吹かれながら、曇った空を見上げる。


「よし!」


 ふいに、私は体のバネを使って、ぴょんと勢いよく起き上がった。


「今度こそ、あの場所を抜ける!」


 そりゃあ、進んだらまた痛くて怖い思いするかもしれないけど。

 諦められない。弟の安否も確認しないといけないし、こんなところで心折れてしまうわけにはいかない。


 私はまた、森の中を歩みを進めた。

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