ウィッチクラフト0 ゼロの魔女の魔法開発

彁はるこ

プロローグ

プロローグ ゼロの魔女

 いままさに、国宝が失われようとしていた。

 ロードン王国の国宝は、初代女王の名をかんした花から作られる香水だ。

 それは栄華えいがの象徴で――女王陛下と、選ばれた十三人の特級とっきゅう魔法師まほうしだけが身に付けられる。


 国宝の元になる植物園は、女王陛下と国の安寧あんねいを願って黄金庭園おうごんていえんと呼ばれていた。


 その黄金庭園が、いま、スライムの大群によって失われかけていた。



「フラウ。下の魔法師たちはすべて下がらせました」


 管理塔の階段を上がってきた褐色肌の若い騎士が簡潔な報告をする。


「ありがとう、シャルル」


 それを聞いた金髪の男は、派手なサファイアブルーのロングコートをドレスのように翻して振り返った。

 目が合うと、騎士が納得のいかない面持ちで言う。


「本当にいいんですか? 下の奴ら、まともに魔法が使えなくなるほど震えてましたが……それでも、多少の時間稼ぎはできていましたよ?」


「構わないよ。ここまで増えたら、どれだけの魔法師を集めてもどうにもならないからね」


 黄金庭園は大部分がスライムに食い荒らされている。

 被害に遭っているのは花だけではない。

 雨でぬかるんだ土壌どじょうはスライムの粘液ねんえきから溶け出した毒素どくそを深く吸い込み、黒く変色して悪臭を放っていた。

 ひどい悪臭は、二人のいる管理塔の最上階まで臭ってくる。


「それどころか、三大公爵家を揃えたとしてもどうにもならないよ」


 三大公爵家は女王の特別な腹心ふくしんで、魔法師としての実力も並外れた名家だ。

 呆れた眼差しで黄金庭園を見詰めるコートの男性――ブラッドール公爵家の嫡男ちゃくなんフラウ・デッド・ブラッドールは、女王より国宝をまとうことを許された特級魔法師だ。

 特級魔法師は魔法師の頂点だが、そんなフラウですらお手上げ状態だった。


「報告が遅すぎだ。スライムこそ早期発見、早期討伐しないといけないのに……」


 スライムはゼリーの身体にどんなものでも取り込み、金属すら消化する。それは、時に民家の壁や塀すらも溶かして家畜や作物を襲った。


 単体で増殖するスライムは一匹だけだと舐めているとあっという間に増えて、田畑のひとつやふたつ簡単に飲み込んでしまう。しかも、魔法でしか倒せない。

 あと一時間もしないうちに黄金庭園は跡形もなくなるだろう。


「それでも、おれの幼馴染は国の宝が失われる様を黙って眺めていられるほど、不誠実な魔法師ではないはずですが?」


 護衛騎士としてではなく幼馴染として口を挟んできたシャルルに、フラウは肩を竦めた。


「スライムを倒すだけなら簡単だよ。問題は、残る粘液。スライムを倒したとしても、粘液から溶け出した毒素を吸い込んだ土はどうしようもない」


 スライムの毒素は、雨と溶け合って地中深くまで浸透している。

 毒を取り込んだ花から抽出した香料は使い物にならない。


「どう足掻いても花は助からないよ」


 黄金庭園の崩壊は、国家に大きな混乱を招くだろう。


「とか言いつつ、随分と余裕のある顔をしていますね。なにを企んでやがるんですか?」

「心外だね。ボクじゃないよ。ボクはただ、親愛なる女王陛下より『見届けよ』と仰せつかっただけだ」


 余裕である理由を伝えれば、シャルルはすぐに思い当たった様子でハッと目を見開いた。


「噂の〈ゼロの魔女〉ですか⁉︎」


 フラウは唇を吊り上げて、ご機嫌に頷いた。


「現存するすべての魔法を覚え、知らない魔法はない。ゆえに〈ゼロの魔女〉でしたっけ?」

「彼女もボクと同じで、女王陛下よりかの香水を賜った特級魔法師だよ」

「でも、あまりいい噂は聞きませんよ? 魔法師として異端な考えを持ち、女王陛下の築き上げた平和な時代に傷を付けかねない、と……」

「それは他の魔法師たちの考えが古いからっ!」


 シャルルの言葉尻を食う声量で、フラウは強く訴えた。


「〈ゼロの魔女〉の考え方こそ、今後の魔法のあり方を大きく飛躍させるものだ! 女王陛下もそれを分かっていらっしゃる。頭の固い魔法師たちは昔の魔法に固執しすぎてる。そっちのほうが危険だろうに!」


 フラウはキィイイ……! と悲鳴を上げて金髪をむしった。


「〈ゼロの魔女〉の新しい魔法開発ウィッチクラフトの論文をまとめて処分しやがったのはどこのどいつよ⁉︎ 信じられない! いま思い出してもムカムカする!」

「あ、相変わらず〈ゼロの魔女〉の熱狂的なファンですね」

「だって、まだ見てなかったのよ⁉︎」


 フラウは気持ちが荒ぶりすぎて、仕事中なのに素の口調に戻ってしまっている。

 うわぁ……と、シャルルは引いた。荒れる幼馴染からそっと距離を取り、岩柵に寄りかかる。


「なんにせよ。女王陛下のお考えは、おれには到底理解できかねま、す……え?」

「――っ⁉︎」


 シャルルのぼやきが途切れる。

 フラウも違和を感じて我に返った。勢いよく岩柵に片脚を乗せて身を乗り出す。

 二人の目の前で分厚い雨雲が蹴散らされ、世界が金色に輝いた。

 空に浮かんだのは黄金の魔法陣。幾つもの複雑な陣が重なり合って、ひとつの大型魔法陣として形成されている。


「この魔法は、なに? まさか、これも〈ゼロの魔女〉が作った魔法⁉︎」


 それは時計の中身のように精巧せいこうな魔法陣で、フラウの知らない未知の魔法だった。

 未知の魔法を目の当たりにしたフラウは再び荒ぶる。


「こ、この魔法についての論文も、ボクは読んでない! こんな魔法知らないっ!」


 フラウの心境など知らずに、魔法陣から金の雨が降ってきた。

 雨に触れたスライムは針を刺された風船のように弾けて、瞬く間にスライムの大群は消滅する。

 そして、粘液で汚れた地面も金の雨に浄化されていった。

 浄化された土から、新芽が顔を覗かせる。


「スライムを倒す攻撃魔法に、土の毒素を取り除く浄化魔法。枯れた植物を甦らせる魔法に加えて、これは成長を促す魔法?」


 新芽はたちまち成長して、大輪の花を咲かせた。

 失われた植物が一斉に蘇る様は、黄金庭園の名に相応しい夢物語のような美しい景色だった。


「他にも……いったい、いくつの魔法を重ねてるの?」


 複数の魔法を同時に発動するのは、強い集中力と細かな制御技術が求められる。

 同属性の魔法をふたつ同時発動するだけでもひどく神経を擦り減らすのに、頭上の魔法は当たり前のように別属性のものが幾重にも束ねてあった。


「あれは!」


 ふと、フラウは花畑に佇む少女の後ろ姿を見つけた。

 すべてが黄金に煌めく世界で、濃い黒髪はいやに目立つ。羽織はおるマントも暗い濃紫で、そこだけ世界から切り取られているふうだった。


「居たっ!」

「フラウッ⁉︎ 落ちますよ!」


 興奮を抑えきれず前のめりになったフラウのコートをシャルルが慌てて掴んだ。

 憧れの〈ゼロの魔女〉に釘付けのフラウに、シャルルの注意は聞こえていない。


「ついに、ついに会えた! 〈ゼロの魔女〉!」


 彼女は外見と真逆の、白銀の長杖を手にしていた。

 魔法師にとって杖は欠かせない存在だ。杖は丈が長く、魔装飾が多いほど安定した強い魔法が扱える。

 なのに〈ゼロの魔女〉の杖は彼女の身長以上の長さはあるものの、至ってシンプルな形状だった。


「あんな杖でこれほどの魔法を行使するなんて、信じられない! しかも、たった一人で!」


 フラウは目を輝かせて〈ゼロの魔女〉に釘付けになる。強い気持ちが溢れて、どんどん身体が前のめりになった。


「っ……だから、落ちるって言ってるだろうがっ!」


 怒声とともにフラウはコートを強引に引っ張られた。

 後ろにバランスを崩し、フラウはゴン! と石床に強く後頭部を打ち付けた。

 頭部に激痛が走るが、それでも頭の中は〈ゼロの魔女〉でいっぱいだった。


「なんて、ぶっ飛んだ魔法を思い付くの……」


 うっとりと呟いて、フラウは意識を手放した。

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