スーサイドトリビュート
厘。
第一章「砂が落ちるより簡単なこと」
「わたしの髪を使いましょう。そして縄を作るのよ」
バニラ味の舌を名残惜しげに上顎に擦りつけた。
「縄を?」
「そう。長い縄を。塔を登れるようにね」
「そんなことしたって、アンタの母親には会えないでしょ」
「いいえ、聞いて。もっといい方法があるわ。ジュリの首に巻くの」
宝箱の居場所を知ってるんだと言ってくれたら、私は彼女と大海原へ飛び出して行けただろうか。でも帰り道のない鉄道の切符の方が魅力的だろう。
「二重にも、三重にも巻いて、たくさん首を絞めるの。ジュリの首の骨がボキリと折れた音を、ロケットの合図にしましょう」
月光の蜜を吸った銀髪を、ベランダのサッシに託したまま、彼女は満面の笑みを浮かべ、私にそう殺害予告をした。ここから十分もかからないコンビニで買ったアイスをとっくに食べ終えた私は、薔薇の種に変化しない棒を齧りながら、首を振った。
「早く食えよ。溶けるよそれ」
ありがとう、と頷いた彼女は、コンビニの袋からアイスを取り出した。彼女の手は、すでに溶けてきている中身の苺ジュレを人差し指で掬うだけで精一杯で、小さい口をめいいっぱい開けて齧った。
「私の首って王子様よりも軽いもんなのか?」
彼女はジュレをルージュにめかし込んで、今度は首を振る。
「まさか。わたし、王子様なんて宝石はもういらないの。ジュリがいれば舞踏会だってへっちゃらだもの」
「それでもティアラの宝石は必要だろ? 空っぽなんて紛いものじゃないか」
「安心して、もうそれは予約済みだから」
棒の端から垂れる寸前、彼女が私に差し向けてきたもんだから、バニラの絨毯が敷かれた味蕾に苺の砲弾がぶちまけられた。
「笑ってジュリ。ねえ、わたしをこの世でただ一人の殺人犯にさせて」
今なら、彼女の銀髪を浮かせたあの風すら嫉妬できるなんて、デタラメな嘘すらつけるのに。
それが人生初の愛の告白だと気づいたのは、私が彼女の父親を滅多刺しにした後のことだった。
葉山エステルとの出会いは、不毛な思考実験を議論することに似ていた。
その日は、何度言っても食器を流しに持って行かない男、役名を「父」というが、それにイラついたせいで、良妻のエプロンを体の一部に持つ役名「母」のお弁当を玄関先に忘れてしまい、伽藍堂の教室の机に鞄を置いた瞬間、今日一日の気力が磨き上げられた木目ディスプレイに全て吸われ、消え失せた。
規定の登校時間より三十分も早いこの教室が、今の私にとって地上での安息の時間だ。萎えたままの腕でも、日々のルーティンに忠実な肉体は、机に表示された「登校」のアイコンを押していた。
『おはようございます。高松原ジュエリさん。本日の登校時間は七時二十分。現在の規定学習率は規定値に達しています。よって本日の履修科目は選択による学習が可能です。選択科目は音楽、美術、模範家庭学科、メーカー児専用生殖学、』
脳内に安定した温和なナレーションが響くが、即座にミュートを視線カーソルで合わせ、予定表を横にズラしてニュースページを選択する。注目トピックスにはメーカー児の容姿変換に陸上部特化児の更新とインフルエンサー児の項目が追加されたとあった。何気なく、メーカー児という単語で、私の視線は嫌でも反応し、カーソルが選択する。
『今回の『チャイルドメーカー』のアップデートでは、陸上部児バージョン4と、新たに文学系インフルエンサー児が作成できるようになった。AI生成による文章作成技能のDNAの配列を組み直し、ついに実現! 事前セット内容は文豪のように優雅で気品あるお子様をお求めのお客さまにピッタリのラインナップとなっており、無料お試し品として、ランク3(十歳から十六歳までの)の育児プランを数量限定で配布とあり…………、』
もはや瞼の裏に焼きついて、目を瞑っても正確に思い出せるデフォルメされた赤ん坊と、それを抱くニコニコマークの母親のロゴは、今日も今日とて「お手軽な子供」を生産することにおいてピカイチの才能を発揮していた。
それこそ、このロゴが出てきた時は人類史始まって以来の虐殺計画などと言われ、国内外問わず批判と暴言で陰謀系と暴露系の配信者が戸建て買えそうなぐらいの盛り上がりを見せたのだが、今、私がこのニュースを読んでいるということは、世界はすでに疲れきっていたのだと分かる。
かつて、世界には『ナマケモノ』という生物がいたそうだ。私は死んだらその生物の先祖に謝りに行くべきだろうと思っている。ごめんなさい、人間は貴方よりも諦めを知らなさ過ぎたと。
「ジューリ! おはよん!」
ナマケモノの謝罪文を考えていると、脳内にご機嫌な声が響いた。視線で既読し教室の入り口を見ると、同じ藍青色の目をした女子が顔をだけを出しニコニコとピースサインをしていた。
やれやれ、と呆れる素振りだけを見せ、来る頃合いを知っていた私は手招きした。誰もいないひんやりとした教室は、コイツが入っただけで華やいだように見える。最近アイドル派生型血清を打ち込んだためだろう。
彼女の振る舞いは、その場を全て舞台装置にする視線誘導タグが私の目にも作用しているのだ。もっとも、これはメーカー児同士には効果が半減する。自然児が浴びたら、少女漫画のワンシーンのような感動を植え付けられるだろうが。
「普通に呼べよ。通知邪魔なんだから」
「だってジュリ、呼んでもこっち見てくれないんだもん」
「…………トキワ。アンタまたなんかタグ足した?」
ご機嫌取りの一言をくれてやると、むくれっ面の深碧トキワの頬は、たちまちに上がり、ニマニマとして私の机の前でくるり、と回って見せる。彼女のスカートが舞いながら、目の端にひらつく花弁のエフェクトに満足げに頷いた。
「そうなの! 可愛くない? 今回は儚げ花女子系ってやつにしてみたんだ」
「ケバすぎ。ゴミでも撒き散らしてんのかと思った」
「言い方ー! もう、ジュリはいっつもそれじゃん。でも今回は応援ポイントいい感じだったよ?」
「自然児向けだろ、それ。第一、私らじゃ効果薄いんだから意味ない」
「そんなことないと思うけどなぁ。一応これメーカーも自然も対応してるタグなんだけど。ほら、両性間好意上昇剤と、視線補正入りだよ?」
「あー、どおりで目が大きく見えるわけか。アイプチ頑張ったのかと」
「アイプチって! ジュリ、よくそんな死語知ってるよね。何十年前の話してんの」
「あの頃の世の女性は、それでも現実を捻じ曲げようとしてたんだよ。今よりよっぽど堅実だと思うけどね」
最近話題になった自然児のモデルが『美容整形』っていう言葉を流行らしたが、たまたま胎盤から生まれたというだけで、生まれ持った容姿への悲劇と運命をお涙頂戴のストーリーに仕立て上げるのはどうなんだろう。きっと口紅とマスカラの使い方も知らない。モデルという言葉も落ちたもんだ。
これほど言っても、トキワは気にせず私の前の席の椅子を勝手に引き、勝手に座って、教室に二十人目の生徒が入るまではこのまま喋り続ける。
けして無二の親友というわけでも、青春と心中しようと約束した友達というわけでもないのだけれど。それはひとえに私達が、この学内で十一人しかいない『メーカー児』だから、その一言に尽きてしまうのだった。
チャイルドメーカーのキャッチコピーは発表当初から変わらない。
『親に安らぎを 子供に無限の選択を』
少子化という未曾有にして約束された滅びの種は、どんなパンデミックよりも静かなテロリズムを刻み、すっかり世界を飲み込んだ。数年前、これに対抗する世界の答えを出したのは、とある運送会社であった。もっと早く教えてくれ! と、どこかの国のジャーナリストが膝を打ったその答えはこうだ。
『君たちは自分の子供にどうやって出産を教えてきた? 私たちはこの答えをもう用意してあるはずだ。「鳥が咥えるかごに乗ってパパとママのところにくるのさ」』
羊水の温かさか、パッキングされた肌にまとわりつくビニールの閉塞感か。世界は選ばせてくれなかったから、私は最初の息を肺に入れた時から、無神論者を貫くと決めたのかもしれない。
「でも、これで彼の心がゲットできたらジュリも流石に認めざるえないでしょ?」
「私の心は新作シュークリーム一個でいとも簡単に手に入るっていうのに、面倒なこったな」
九人目の生徒が入ってきたこのタイミングでトキワはまたむくれっ面をし始めたので、そろそろご機嫌直しとくか。後々うるさいし。
「D組のアイツでしょ? まだ諦めてなかったのか」
目線はこの前申請した数世紀前の短編小説に浮気していても、トキワがニンマリと笑顔になったのはわかった。
「アイツじゃなくて玉梓くんね! 諦めるどころか、アリアリだよ! この前なんか、言語S学で一緒のクラスになってさ。へへ、思い切って話かけてみたら、こうやって話せる人がいて嬉しいって!」
「タグに引っかかったっただけじゃないの? 釣りの感想?」
「そんなじゃないしー! ちゃんと名前もタグメッセも送ったし! したらまた授業でって言ってくれてさ!」
「そう、よかったな」
「どうしよっかなー。今度メーカー児生殖学も入れようかなぁ。もうすぐ解禁年齢だしさ」
頬を赤ながら体を揺らす彼女の姿はまごうことなきセーラー服の恋する乙女にしか見えない。メーカー児は国からお墨付きを得たラブドールだと、以前どこかの掲示板で見かけたとき、当人でありながら言い当て妙だなと爆笑した。彼女に言っても、カフェの新作メニューとしか思わないだろうけど。
私は二十人目の生徒が入ってきたのを横目にして「そろそろ朝礼始まるから」とだけ言った。
トキワが手を振り、自分の教室に戻る。私は再び外音ミュートを入れ、アーカイブの文章に浸る。その後も生徒が入ってくるが、こちらに挨拶をする者はいない。
トキワと私はそもそも発売時期が違う。彼女には『同性児友好性アイコン』が初期搭載されている。
旧型の私とは、まさに人間性が違いすぎるってやつだ。そうでなくても、この学園にいる自然児達の共通認識で『メーカー児への興味と困惑』をすで抱えている。私はそれを助長するように、マニュアルにあるような昼食の誘いを一言で断り、半径一メートル以内にいる物体を片っ端から睨め付け、次々と出来上がるクラスのコミュニティーサークルに入ることを頑なに拒んだ。
今まさに私は、『理想の孤立』を実現した先駆者であるが、世間はそれを『空気の読めない奴』と言うみたいだ。
ただ、これは自らの出生を疎んでいるわけでも、クラスメイトの恨み辛みを語るわけでもない。強い言うなら、間違ったパズルのピースは、どうしたってはまらないってこと。
子供精製専売株式会社『チャイルドメーカー』のもたらした功績は、タブレット一つで培養液に満たされたオーダーメイドチャイルドをパッキングして通販できるようにしただけではない。最重要にして最大の難関『教育』に関しても恩恵をもたらした。
この旧式の教育機関『学校』という場所が、とてつもなく高尚なお遊びをしていることが分かってもらえるだろうか。
「静かに! ホームルーム始めるわよ」
担任の女性教師の声だけはいつも聞こえるようにしている。一時的にアーカイブの海から浮上すると、ようやく教室の全体図を把握する。ミルクパズルの中にいるシミの気分とは、まさにこのことだ。
この場における担任教師の役割は、クラスの代表者である。テンポよく今日の学校全体の予定や、合同運動実習Aの待機場所、希望者限定の特殊科目の時間などを告げる。別に口頭で言わなくても、全員端末のカーソルを視線で動かせばそっくりそのまま今の文言をいつでも参照できるのだが、『学校の一日の始まりにはホームルームがある』という旧式の儀礼を重んじているのだ。ここはそういう場所である。なるべく従来通りの環境に子供を置くことこそが、この場所の本当の目的だ。
「高松原さん」
ホームルームが終わり、各々が今日の履修率に見合う授業の準備をする中、担任は柔和な微笑みを浮かべて近づいてきた。僅かに肌に温もりを感じる。鎮静効果のあるアプリをつけているためだろう。
「この後の授業は次元物理なんだけれど、よかったらどうかしら? 貴方はもう学習促進アプリがついてるから、今更対面式の講義は、いらないかもしれないけれど」
「………いえ。大丈夫です。もう今週の学習率は達成したので」
あえてきっぱりと断ったのだが、担任は笑顔を崩さないまでも、声にまでは気が回らなかったらしい。
「そ、そう……。ならほら、三限目の西洋古典解読はどうかしら?」
「でも、あれはもう人数締め切ってましたよね?」
「これは私が補助講師で入ってるの。だから貴方一人ぐらいなら空きも作れるわ。高松原さん、よく古いアーカイブを閲覧してるでしょう? 読むのももちろん楽しいけれど、仲間と意見を交換してみるのも面白いと思うの」
よく見ている。視線でカーソルを担任に当て、名前を即座にコピー&ペーストで検索する。今年ここに配属になったばかりで、生粋の自然児で講師適正A判定。サラブレッドか。
本心から私のことを気にかけてくれているのだろう。まあ、この学校のオンボロアーカイブに入り浸り、教室で亡霊のように読み耽っている生徒なんて目につく。メーカー児が導入されてまだ七年と少し。ようやく半々ぐらいの割合になってきても、認識はまだ移行段階だ。初期に導入されたメーカー児は、自己欠乏障害で共鳴自殺事件が起きている。これを機にメーカー児のメンタルケアとオーダー審査は随分と整備されたと聞く。
私はカーソルを逸らし、アーカイブを締めると同時に立ち上がり軽く微笑んだ。
「そうですね、考えておきます」
私の関心はすでに今日の授業をどこでサボろうか、というところにあった。
中庭に出ると、ぽっかりと空いた円形の空間の中央には真っ白な肌色をした桜の木が、永遠に枯れない花弁を散らし、近づくにつれて、アンビエント音楽が耳に流れ込んでくる。即座にそれをミュートし、持ってきたタブレットをタップしてインストールした文書を呼び出す。流し読みするなら視線モニタだけで十分だが、やはり実際に手の中で読むのがいい。本当は紙媒体でページ自体を捲りたいけれど、この年代のはほとんど残っていな韋ので、贅沢は言えない。
一時期のアーカイブ規制論争で規制されたときよりマシだ。別に今更、文学少女で売る気なんて全くないが、文字を読んでいる時はスポンジのような自分の隙間を気にしなくていい気がするだけ。
文字を、文字を読む。いつからか私は、この世界での呼吸法をそれしかわからなくなっていた。最初から持っていなかったのかもしれない。
木の下にある備えつけのベンチに腰掛け、ふう、と淡い風が髪を撫でる。人差しで左耳にかけてから、ふとこの場の空間を形作る、円形の校舎を見つめる。
そのうちの一つの窓に視線でカーソルを動かしズームすると、講義を受けるトキワの姿があった。口と鼻の間にタッチペンを挟んでアヒルの口をしながら、前のモニターを見ている。あれは彼女特有の癖だ。どんなに追加タグをつけても、加工アプリを入れても、あの癖だけは出会った当初から全く変わっていない。そしてもうそろそろ。
見慣れたタイミングで、ポトリとペンが間から落ち、彼女は慌てふためき両手でキャッチする。周りをさっと見てから、誰も見てないことを確認してホッと息を吐き出すところまで見たところで、私は無意識に目を細めた。自分と彼女の座る場所がこんなにも遠いことに、そこはかとない安心を得る。
そうして私は視線を外し、ようやく手元のタブレットをタップし、アーカイブをスライドした。
その時だ。頭上に赤色が降ってきた。
ぽこん。
まさにそんな感じで、私の頭に当たったそれは滑り落ち、ベンチの下に落ちた。やや重量のあるものだった気がする、と頭を摩りながら落下物を見れば、赤い靴が片方、落ちていたのだ。手に取って瞳のカーソルを合わせる。留め具の付いた赤いローヒールのパンプスだ。例えるなら、おとぎ話なんかで女の子が履いていそうな。
幼い、そんなイメージが真っ先に浮かんだ。
この靴は片方、右足。靴は二つで一つなら?
靴を持ったまま木を見上げると銀色の少女が、こちらを見下ろしていた。外音ミュートを外した私の耳は、彼女の第一声を捉えた。
「ごめんなさい! わざとじゃあないのよ」
腰まである銀色の髪は張られた糸電話の糸のようで、別の生き物かごとく、そよいでいる。紫陽花色の右目と、半月型の瞳孔を持つ黄色の左目は、同時に見開いていて、口はきゅう、と子猫のように小さい。輝く銀色の中にいながら、白いプラスチックのような肌色は、少女の存在をより浮世離れさせている。
私が完全に固まってしまっていると、少女は戸惑った様子で片足が脱げてしまったまま、一つ一つ足先で枝を確かめつつ、こちらに降りてこようとした。
「ちょ、ちょっ、いいって降りなくても! いや、なんで登ったんだ?」
「大丈夫よ! 登ったなら降りれるはずで、……ぎゃ!」
まあ、すでに彼女が落ちる確率を叩き出していた私に学習(インストール)済みの演算行動式が働き、パッドを投げ出して受け止める体制にシフトしていた。ただし、理論はできても実現できるかは、本人のやる気と運にかかっている。
容姿に見合わない汚い声を上げ、落下した体をしっかり受け止めたまでは満点で、しかし重心とのバランスをあまり考えてなかった腕は、踊った膝により一気に崩れ、二人して地面に激突した。下敷きになった背骨に鈍い痛みが走り、思わず舌打ちをこぼした。
「いやだもう! ご、ごめんなさい! わたしったら。ねぇ貴方、大丈夫? お顔はとれてない? 目も口もお鼻もついてる? もし落ちてたら言ってちょうだいな」
「あの、とりあえず退いてくれ。これ以上顔をベタベタ触るならその指噛みちぎりそうだから」
「なら舌打ちなさらないって約束してくれる?」
「聞いてんじゃんかよ。降参だ、ほら」
べ、と舌を出して両手を上げると、相手は笑みを浮かべて私の腹から横に退いた。払うべき埃もここには無いが、わざと肩口を叩いて起き上がると、彼女は波に揺られるように僅かに体を揺らしながら話した。
「わたし、貴方のこと見えていたの。だから上から声をかけてたのよ。でも全然気付いてくれなかったわ」
「ああそれは、外音ミュートしてたから」
「あ、それ知ってるわ。ロバの耳になる魔法のことね。よく教室でも見かけるの」
「ロバって……。なんだそれ。もしかしてお前、外国人?」
「随分古い言葉言うのね。いいえ、わたしは両手の皺を合わせるお祈りしか知らないもの」
「まあ、どんな神様でもいないよりいいだろうし」
「そういう貴方は? もしシスターなら教会にいかないとね。天使はいつもお喋りだから」
「どんなとこでも通じるだろうから言うが、まずは名乗る方が罪は軽くなると思う」
最近こんな会話を見た気がする、と思い出したのは塀の上にいる卵の紳士と風変わりな少女の話だ。もっとも、彼女の方が口は上手だけれども。作られたそよ風に相変わらず銀髪を靡かせつつ、彼女は満面の笑みで答えた。
「葉山エステル。でもエスって呼ばれる方が好きなの」
自分で言ったのだ。墓穴だったと反省する。
「…………高松原、ジュエリ」
「ジュエリ! そう呼んでいい? 綺麗な響き。生まれは宝石店かしら」
「馬鹿な。本当になんなんだお前………」
「わたし? クラスならあそこよ。A1993。でも、教室は嫌い。魔女のかまどの中みたいで退屈なのよ」
「サボりじゃんかよ。そんなことしてたら学習率足りなくなるぞ」
「酷いわ。そういう貴方だって同じではないの?」
「今年の分は一ヶ月も前に全部履修した。選択科目は必須ではないし、私には必要ない」
「じゃあわたしと同じね」
エステルと名乗る女は肩を楽しげに揺らして頷く。
「どこが。木登りする趣味なんかデザインされてない」
「魔女のかまどから逃げ出した兄妹は一緒にお菓子の家を逃げ出すの。貴方もわたしも、そうだと思わない?」
同じ体格、同じ言葉を話して同じようにしていても。あの教室で、私だけがメーカー児という看板を背負って宣伝している。『完璧な人工児童』というチャイルドメーカーの広告塔となって、たくさんのタグで才能を飾り付けて。
クリスマスの電飾を恨むようになった一年前の冬から、私はずっと、この桜の元で死ぬことを夢見ている。
彼女の言葉に反応は遅れたのはそれだ。しかし気にも留めず彼女はベンチに座り、片足だけ裸足のまま、落ちるとともに消える花弁のエフェクト蹴るフリをする。
「ねえねえジュエリ、お話ししましょ?」
「もうしてる。私はしたくない」
「ジュエリは桜って見たことある?」
「今、目の前にあるだろ。聞けよ」
「いいえ、本物の桜よ。茶色い肌の幹で、酒浴び声で咲いて、生徒の涙をたくさん吸って散ってしまう呆気ないほど弱い花のこと」
「…………そんな、物騒な花だったか?」
「昔はね、『卒業式』というのがあって、その式をやると何故かみんな泣いたらしいの。でね、式が終わると桜の木下で写真を撮るっていうルールがあって、だから桜はその涙で咲き誇っていたのよ」
アーカイブで見た『学校』の仕組みを読んだ時のことを思い出した。教師一人が三十人もの生徒にいっぺんに教えていたという。考えただけで辟易する。そりゃ泣きたくなる。インストールもアシストもタグも無い授業とは、一体どんなものなんだろうか。
彼女の話は多少の興味を引いたものの、パンプスを拾うと、ブラつかせている足を掴んだ。
「あん。積極的ね」
「馬鹿。……今度から靴下履け。だから脱げたんだろ」
「今朝、親指に穴が空いちゃったのよね」
「嘘つけ。そんなわけあるか」
「どうして? 本当よ?」
掴んだ足をそのまま押し込むように履かせ、私は見上げながら合わせたカーソルの上に並ぶ、彼女のタグに肩を竦めた。
「お前さ、自分のタグの色見てから言えよ。ブランドばっかじゃないか」
エステルはきょとんと私の瞳を見つめ返したが、ゴールドの輝きを放つタグばかりが並ぶプロフィールページが眩しい。いくらメーカー児にタグ効力が薄いとはいえ、香ってきたリラックス効果のある設定体臭の質の高さに思わず笑いかけてしまいそうなってしまい、意識していないと顔を作ってしまいそうだ。
家が相当な金持ちなことは自明の理。こんなブランド引っ提げたご令嬢に下手なことして難癖つけられたくない。今の正直な本心だった。
彼女は片目を二回閉じ、自己虹彩レンズにプロフィール欄を表示しながら、やはり分かっていないらしく眉を寄せる。
「貴方も皆と同じこと言うのね。つまらないわ」
「お姫さまのご機嫌取りはインストールしてないんだよ、これで勘弁してくれ」
「本気よ? わたし。貴方はきっと王子様なんだわ」
きめ細かい肌を貼った足を伸ばして、コツコツと踵を鳴らす。一定のリズムで刻むそれは、何かの曲なのだろうが、自己検索をかけてもヒットしなかった。
「ねえ、ジュエリ。貴方はいつもここにいるの?」
その言葉を聞かないために立ちあがったのだが、先に退路を塞がれてしまった。
「いつも、とは?」
「毎日よ。一年は三六五日のこと」
「そこまで馬鹿じゃない。聞いてどうすんだ」
「またお話ししたいの! お友達なら当然よ」
「私は王子様だから違うな」
「王子様がお友達なの」
「うわ生意気! メッセ送ってくるな!」
「お城で待っていてもお姫様はいつまでもお姫様のままだけれど、今日からはお友達のお姫様と王子様ね!」
「…………こんなことなら、桜になんて近づかなきゃ良かった」
「仕方ないわよ。この桜は完璧なのだから」
とん、とベンチから立ち上がったエステルはくるりと一回転してこちらに振り返って目を細めた。視線の先にある、周りの校舎の窓を数えるように見つめて言った。
「ジュエリ、次の約束をしましょうか。どんなことがいい?」
「針飲まされて終わる以外ならなんでもいいよ」
「じゃあ、この場所の名前を教えてくれる? 私、ずっと気になっていたの」
数えることに飽きた目は再びこちらを見て微笑む。面倒な宿題だ、と肩を竦めると彼女は手を振って行ってしまった。
またね、と言わなかった口が、今は憎いと思っている。彼女は最初から私が答えると分かっていたから。
パプリカの見た目をしたサラダのもどきのペースト加工食品の残骸をポリポリと食べていると、パポン、とトレイに乗った栄養補給率七十三%セット定食と、トキワがニコニコと私の前に座った。
「ジュリ、またそれなの? サラダばっかりって飽きない? ドレッシングは違うみたいだけど」
「機嫌いいね。どうせモノホンの食材じゃないんだから、どれ食ったって変わらんよ。アンタがいつも私の前で勝手に食い始めるのと同じこと」
「え? 誰か待ち合わせしてた?」
「いいや全然」
「ならいいや。さーて、いただきますっと」
瞬きクリックで管理アプリにカロリーを記入してから、トキワはそのまま手を合わせてフォークで野菜炒めの形をしたものを箸でつまむ。形式になったいただきますの意味を今度聞いてみようかなと思いつく。
「でも意外、機嫌いいジュリなんて初めて見たかも」
「は? 誰がって言った?」
「とぼけないの。こう見えてもウチの虹彩レンズの目は最新版なんだから! いつもより体温が三度高いし、表情筋も二ミリ動いてるし」
「元々こんな顔だよ。カスタマーセンター紹介しようか?」
「可愛いって言ってるんだってば。で? どうどう? あたりでしょ?」
「さあね。一口食ったら分かるかも」
ひょい、と彼女のデザートであるプリンのさくらんぼを摘んで口に放り込む。種まで完璧に再現されたそれは、忠実でありながら、人工的な酸味を舌に記録する。
「ちょっと! もー、そういうのはとっとくのがいいんだよ?」
「したら今みたいに無くなるだろ。私は先がいい」
「図星の間違いでしょ? んでー、何があったの? ジュリがそんなに喋るのも珍しいじゃん」
踏み込まれるのはもちろん本意ではないものの、トキワのはそう悪いものを感じない。これは彼女の固有スキル、とでも言おうか。半分はタグのせいなんだけども。
「ってことは、引っ張られてるのかもな。嫌なもんだ」
「え? どういうこと? 綱引きとかするの?」
「トキワって、たまにそういう言葉出るよね。死語なんじゃないのか?」
「ううん、綱引きってなんだか響きが可愛いから」
「さっき、まあ、詐欺に遭った」
「へー、今時イカしてる。どんな?」
「えっと、…………友人型巻き込まれ方式詐欺」
律儀に検索ワードを打とうとする彼女の虹彩レンズを慌ててフォークで遮り、息を吐いた。
「ごめん、今のは私が悪い」
「だから何それ。辞書引こうよ」
「もう広辞苑は八年前に買収されただろうが、グーグルに」
「でも、友達と話してたってことでしょ? ジュリが? あのジュリが? マジで?」
「…………やっぱり広辞苑で引こうか?」
今度は検索ワードを漁る私の虹彩レンズを、トキワが勝手に削除する。
「やだもー、照れ屋さんじゃん。可愛いよ、そういうタグあるの? ウチにも教えて」
「こんの野郎」
「どのクラスの子? どんな子? 可愛い? メーカー児ならウチらと一緒じゃんね。紹介してよー」
「合コンのパンピーかよ。…………お代は弾むよ」
トキワは構うことなく、食べかけのプリンモドキを渡してきた。全てが人工甘味料だと分かっていても、実はこの甘みが、どんなものより、解凍しただけのバランス矯正メニューを手料理という母親より、好きだ。
ちなみに、言った手前早々に白状するが、合コンの意味は知らない。おそらく「クソ野郎」と同じ意味かも。
「…………白い奴だった」
「服が? 確かに、制服は自由購入だけど」
「いや、なんかこう、全体的に。白い、みたいな」
「絶望的に言葉が下手くそだなぁ」
「なんだとー」
「例えばぁ、ほら! 顔小さいとか、目くりくりしてるとか、可愛い! とかさ、もっとあんでしょ?」
「ええ、めんど。一問一答にしてくれ」
「プリン返せー!!」
大口にスプーンを突っ込み頬張り、私は頬袋を隠さず思い起こす。
「全部、しろくて、子ねこみたいな口してて、よく喋るし、うるさくて、変なやつ」
「とらないから食べてから喋りなよ。他には?」
「そうそう。あとめちゃブランドのタグばっかつけてた。ボンボンじゃないか?」
「お、男子なの?」
「いんや、女だよ。体格の型番が雌型だったから」
「こらこら、もうちょい言葉気をつけなって。……でも、ジュリがそう言うってことは、マジでお金持ちなのは間違いなさそうだね」
「どういう意味だ、それ」
「だってまあ、ジュリのタグ嫌いは今に始まったことじゃないし」
頬杖を付きながら、少々垂れた目をしたトキワは、この話題について平均的な興味を得たようであった。だが、その半分は私の反応に対するものだろう。ご期待に沿うべく、一時間前の記録をレンズ脇に再生してみる。靴が直撃してから見上げた瞬間の場面で、停止をクリックする。
白い傘を持つ女性の絵を見たことがある。美術閲覧法が改定される前に開催されていた、電子展覧会でのことだ。シンプルかつ凡庸とも言えてしまう絵の前を、様々なアバター達が通りすぎていく中、私はその女性とただ見つめ合っていた。彼女の顔は白いベールがかかり、決して目なんて合うことはなかったのだけれど、私は何度か、すり抜ける仮想の指先でベールを拭いたいという衝動に駆られた。
泣いているのか、笑っているのか、怒っているのか、それとも。そのベールは決して取れることはないのに、静かに切望した。
彼女を見た時に呼び起こされたのは、それによく似ている。だが、似て非なるものだ。
なぜ、そう思うのか。
彼女は、ベールの下の答えを知っているのだろうか。
「ジュリ、ねぇ、聞いてる?」
「あ、ごめん。全然」
答えを出す前に、私を記憶から引き戻したトキワは、特に気にしてなさそうに会話を一つ巻き戻す。
「だからさ、聞いてないの? その子の名前とか」
「名前、ああ、そっか」
そうだった。名前があって当然だろう。すっかり失念していた事実に、軽く面食らってから、私は彼女の声をなぞって、口から取り出す。
「葉山エステルって、言ってた」
ころん、とグラスの中の最後から二番目の氷が、溶けて身を鳴らした。やけに際立った音から視線を目の前に戻すと、氷は見開かれたトキワの目と同じ大きさをしていた。
「ジュリ、その子さ」
口を開くのと同時に、トキワはようやく表情を決めたようで、整えた眉をきゅう、と上に少し吊り上げて言った。
「『ゲテモン』だよ」
彼女の名前は、焦げすぎたキャラメルの味がした。
スーサイドトリビュート 厘。 @ririsu07
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