第9話 それはまるで・・・始まりです
「その娘を、つまみ出しなさい!」
屋敷の廊下に美しき令嬢の怒号が響く・・・
(ひぇぇ・・・)
マユミは完全にその迫力に気圧されていた。
使用人達に担ぎ出され、屋敷の外へポイッっと捨てられてしまうに違いない・・・
そんな光景がありありと浮かんでいた。
「よりにもよって英雄殿をつまみ出せとは、なんと無礼なことを・・・」
娘を叱ろうとする侯爵、だが・・・
「こんな小娘のどこが英雄殿ですか!だいたい、いい歳をして英雄、英雄と・・・情けない」
・・・至極もっともな話だ。
マユミも自分をつまみ出さないでくれるなら、心情的に応援したかった。
だが・・・
「マユミさん、と言いましたわね?・・・」
「は、はい!」
どうやら矛先がマユミに向いたようだ。
鋭い視線で見据えながら、マユミの方へと近づいて来る。
「あなた・・・何が目的なの?」
「!」
(こわいこわいこわいこわい・・・)
少女と思えぬ迫力にマユミはすくんでしまう・・・狼の時とは別物の恐怖だ。
「お金が目的?それとも、侯爵家に取り入って何かするつもりかしら?」
英雄好きの侯爵を言葉巧みにマユミが誑かした・・・おそらくそう思っているのだろう。
別に誑かしたわけではないが、マユミの目的・・・屋敷を当面の生活拠点として利用する・・・というのは、『侯爵家に取り入って何かする』に該当するのではないだろうか?
それにはマユミも罪悪感があったので、弁明など出来ない。
「そこまでです、お嬢様」
「ゲオルグ!」
騎士が二人の間に割って入った・・・邪魔をされたエレスナーデが睨みつけるが、ゲオルグは動じない。
「マユミ殿はまがりなりにも正式に当主様がお招きした客人・・・
これ以上の非礼は侯爵家の恥、となりましょう」
「・・・今日の所は貴方に免じてその娘の滞在を許すわ」
明日にでも追い出しなさい・・・そう言外に匂わせ、エレスナーデその場を後にした。
「ゲオルグさん、ありがとうございます」
「いえ、想定はしておりましたので・・・」
とりあえずは助かったと知り、マユミは落ち着きを取り戻した。
「申し訳ない、娘がとんだ失礼を・・・あの子も昔はとても素直で優しい子だったのですが・・・」
「まぁ、複雑なお年頃ですよね・・・」
反抗期かな、親は大変だ・・・とこの時は思った。
そしてそしてマユミは応接間に通され、待つことしばし・・・
扉をノックする音・・・入ってきたのは老執事・・・たしか、じいと呼ばれれていた。
「マユミ様、お食事の用意が整いました・・・ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
「は、はい!」
マユミは緊張していた・・・なにせ貴族のディナーである・・・
いったいどんな料理が出てくるのだろうか・・・期待に胸が膨らんだ。
会食の間・・・広い部屋を照らす金細工の燭台、真っ白なクロスの掛かったテーブル・・・
周囲に使用人達が控えている・・・だいたいマユミが想像した通りだった。
そして・・・
マユミは緊張していた・・・なにせ目の前にお嬢様である・・・
マユミがカチャカチャと食器を鳴らすたびに睨んでくる視線が痛い・・・もう味なんてわからなかった。
四角いテーブルの上座に侯爵、その左側にマユミ、右側にエレスナーデが着席している。
どうやら他の家族はこの屋敷にはいないらしい・・・臣下であるゲオルグが同席するわけもない。
配置がこうなってしまうのは必然だった。
侯爵も何も言えないのか静寂が場を支配していた・・・その中でマユミの食器だけがカチャカチャと・・・とても気まずい。
「あなた・・・テーブルマナーも知らないのね」
最初に口を開いたのはエレスナーデだった。
その口調は怒り・・・を通り越して呆れているかのようだった。
「貧しい庶民だったので、こんな食事はしたことがなくて・・・ごめんなさい」
「貧しい庶民・・・ね」
マユミの言葉に嘘はない、マユミの実家は裕福ではなかった。
養成所もバイトしながら通っていたし、東京に出てきてからは言うまでもない。
「それにしてはその手・・・ずいぶんと綺麗ね」
「えっ・・・手?」
美しい少女にそんな事を言われるとは・・・こんな状況でなければ百合の花が咲いたかも知れない。
だが当然そういう話ではない。
「傷一つ無いまっさらな赤子のような手・・・いったいこれまでどんな暮らしをしてきたのかしら?」
「ええと・・・それは・・・」
助けを求めるように侯爵に目線を送る・・・不本意だが唯一の目撃者だ。
「だからさっきも言ったように、光がだな・・・」
「さっきも言いましたように、妄想は結構です」
(うわぁ・・・)
マユミが待たされている間に侯爵は説得を試みていたようだ。
だがその結果は見ての通りである。
「さぁ答えなさい、あなたはいったい何者なの?」
「あ・・・う・・・」
言葉に詰まった・・・本当のことを言ったとしても、妄想で片付けられてしまうのなら意味がない。
かと言って、なにか良い嘘が思いつくものでもなかった。
もはや無言を貫くしかないが・・・
(本当に何なのこの娘は・・・)
エレスナーデは混乱していた。
目の前にいるこの少女がまったく理解できない。
自分より年下の幼い少女に見える、だがこの国の貴族の子女なら見覚えの一つもあるはず、他国から?
侯爵家をどうこうするにしても、なかば隠居した父ではなく、実権を持つ兄を篭絡すべきではないのか。
ならやはり金目当て?でもこの娘の手は金に困るような人間の手じゃない・・・
何よりこの娘は自分を前に、本気で怯え切って何も出来ないでいる・・・ただの無能?それとも演技?
何もわからない・・・故にエレスナーデもこれ以上のことは出来ない。
この膠着状態を打ち破ったのは、部屋の入口からのノックの音だった・・・
「旦那様、吟遊詩人の方が参られました」
「おお、来たか!!すぐに連れてまいれ!」
助けが来たとばかりに喜び執事へ返答する侯爵・・・彼もまた辛い状況だったのだろう。
「吟遊詩人?」
「ああその・・・マユミ殿に・・・英雄譚を聞いてもらおうと思ってな・・・」
「なら私は聞く必要ありませんね、失礼します、ごちそうさまでした」
そう言って、エレスナーデは部屋を後にした・・・
気まずい沈黙・・・だがマユミは尋ねずにはいられなかった。
「侯爵様・・・お嬢様のことをお聞きしてもいいですか?」
それからしばらく経って・・・
「旦那様、吟遊詩人の方をお連れしました」
「うむ、待っておったぞ・・・マユミ殿?」
「・・・侯爵様、ごめんなさい」
そう言ってマユミが席を立つ・・・向かう場所は・・・知っていそうな人に聞くことにした。
「執事さん、エレスナーデお嬢様のお部屋はどちらですか?」
「マユミ様?それはいったい・・・」
「マユミ殿・・・娘に何を?」
「ええ、ちょっと・・・」
別に自信があるわけじゃない・・・あの様子では自分の印象はよろしくないだろう。
でも放っておけない・・・これは、自分にとっても・・・
「ちょっと・・・あの子と仲良くなろうと思って」
説得する、とか、お話する、ではなく・・・『仲良くなる』
この時点ではっきりそう言っていたと、後に侯爵は語る。
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