第53話 先輩。
すぐに、あおいに電話をかける。
すると、あおいは取り乱してしまっていて、会話ができるような状況ではなかった。
「ヒッ、えっぐ……。おに、おにーちゃんが……死んじゃった……、なぎさん。こわい。こわいよ。しんじゃった……」
俺は、なんとかあおいの住所を聞き出し、走った。幸いウチからあおいの家は近かった。車より走った方が早い。
どうやら、今はあおい独りのようだった。
あの感じでは、何もできていないだろう。
俺は走りながら、警察、救急車の手配をする。
17歳かそこらの女の子が、たった1人で人の死に直面しているのだ。大丈夫なハズがない。
走りながら腕時計を見る。
まひるとの待ち合わせまで、数時間ある。
『……大丈夫』
俺は自分にそう言い聞かせた。
あおいの家が見えてきた。
俺はインターフォンなど鳴らさずに、そのままドアを開けて入った。
(バタン)
玄関に入った瞬間、寒気がした。
この不気味な程の静寂。
親父が事故で亡くなった時に、霊安室に入った時のことを思い出す。
経験した者にしか分からない、死の気配だ。
俺はあの時、1人ではなかった。
だが、あおいは……。
あおいの部屋はどこだ?
階段を上がろうとする。
しかし、その必要はなかった。
すぐ廊下の先に、あおいは膝を抱えるように
俺に気づくと、あおいは膝を崩したまま這うように駆け寄ってくる。その表情は、まるで、4、5歳の少女のように見えた。
「……にーちゃん、おにーちゃん……」
視線が泳ぎ、どこを見ているか分からない。
錯乱している。
俺はあおいを抱きしめる。
あおいの肩は、震えていた。
頭を撫で、おれはできるだけ優しい声で話しかけた。
「大丈夫。大丈夫。俺がついてるから……」
あおいに聞く。
「お兄ちゃんはどこにいるの?」
「おフろ……」
あおいが蹲っていた奥か。
おれは風呂場のドアを開けた。
風呂には水が張られていて、止めることなく継ぎ足された水が、浴槽から溢れ続けている。
ザーッという音が、無感情に響いていた。
流れ落ちる水がワインのように赤い。
浴槽には男性が、上を向いて口を開けて座っていた。風呂にいるのに、その唇は乾き、血色が悪かった。
不揃いな髪の毛は、数時間前に立ち上っていたでたろう湯気で湿っているようだった。……その男性は右腕だけ風呂から投げ出し、時が止まっているように動かない。
俺はその場に立ち尽くした。
……深村先輩だ。
その容姿は変わり果て、昔の面影がない。
精悍だった顔は、まん丸で無精髭が生えている。
すると、救急車が到着し、その場が慌ただしくなる。数名の救急隊員は、先輩を水から引き上げる。
そして、心臓マッサージを始めた。
その様子を見ていた俺は、まるでテレビの中の光景を見ているようだった。
俺は、隊員に、いくつか質問を受け、分かる範囲で答える。
ふと、横に目をやると、給湯器のエラーランプが光っていた。そうか。連続給湯でエラーが出て、水になったのか。
先輩は何時間、水風呂にいたのだろう。
続いて、警察が来る。
警察は、あおいと俺に、発見時の状況や生活環境などの質問をした。
おれは一つ一つの質問を、あおいに繰り返し聞かせて、答えてもらった。
それによると、あおいの両親は海外に赴任していて、今は兄妹だけで住んでいたらしい。
だが、あおいは混乱してしまっていて、これ以上の込みいった質問は難しそうだ。警察の方もそれを察してくれて、家の状況を簡単に検分すると、続きは後日ということになった。
……先輩が毛布に包まれてタンカで運ばれていく。
俺とあおいも、一緒に救急車に乗り込む。
あおいは膝に両手を置き、ひっきりなしに手を擦り合わせている。
あおいが兄と2人でどんな生活をしていたのかは分からない。だが、自分の経験から、急に肉親を失う気持ちは想像できた。
俺はあおいの肩を抱きしめる。あおいは震えていて、身体は冷たかった。俺は横にただ一緒に座って、言葉もかけられずにじっとしていた。
救急車は自宅の前でしばらく待機し、受け入れ先がみつかると、けたたましくサイレンを鳴らして走り出した。
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