第9話「終わらない時間を守るために」
朝の森は、夜より静かだ。
鳥の囀りも、風のざわめきも、魔物の咆哮も――
全部遠くに聞こえる。
自分と世界の間に、透明な膜があるような感覚だった。
俺は焚き火の灰を払いながら伸びをした。
「今日も……いい一日になりそうだ」
明るい声。
気分の良い笑顔。
しかし、言っている内容は日常ではなく“異常の継続”。
◆
焚き火の向こうに、仲間たちの影が揺れている。
「何をするか……みんな、意見ある?」
問いかけると、声が返ってきた。
「狩りだろ」
「強い敵と戦わなきゃ、鈍るぞ」
「今日の肉はどんな味かな」
「行ってらっしゃい、みんなのために」
仲間の“幻覚の声”は、以前より滑らかで自然だった。
反応は速く、会話として成立している。
違和感はない。
いや――違和感を感じないことが、違和感だった。
だが俺は疑わなかった。
「そうだよな。強くならなきゃ。
もっと上手く狩れるようになれば――みんなを守れる」
その思考は、かつての俺とは真逆だった。
もう“旅の目的”も“倒すべき敵”も存在しないのに、狩り続ける意味を仲間の声が作り上げていく。
◆
森の奥へ進む途中、ふと懐かしい記憶が浮かんだ。
「そういえば、旅の途中でさ……俺、みんなを助けたことがあったよな」
自然に話し出す。
「あの時、洞窟でドラゴンに遭遇した時さ。
俺が一人で斬り込みに入って、時間を稼いで――
みんなを助けた」
その記憶に、仲間の影が反応する。
「そうだ、お前がいなきゃ全滅だった」
「さすがだよ、アルス」
「あなたのおかげで生きてこれた」
「英雄だよ」
胸が熱くなる。
しかし――
現実は違う。
あの時ドラゴンの注意を引いたのは勇者カインだった。
俺は震えて動けなかった。
助けたのは俺じゃない。
だが今、脳は違う形で記憶を“保存し直した”。
「……そっか。俺だったよな」
訂正しない。
違和感を覚えない。
むしろ――誇らしい感触だけが残る。
◆
それから数時間後。
別の魔物との戦闘が始まった。
巨大な猪型魔物 ブラッドボア。
筋肉の塊が突進し、大地が震える。
普通の人間なら悲鳴をあげる場面――
しかし俺は、笑った。
「やっぱり……戦闘は気分がいい!」
時間が歪む。動きが見える。
呼吸と鼓動と筋肉の動きが、鮮明に感知できる。
剣が肉を裂き、骨を砕き、血が弧を描いて降り注ぐ。
「きれいだなぁ……!」
落ち着いた声で、殺戮の景色を讃える。
仲間の声が背後から重なる。
「もっと深く刺せ」
「速く動け」
「美しく殺せ」
「手を抜くな、楽しいだろう?」
それは指示であり、命令であり、誘惑だった。
俺はその全てに従った。
戦闘ではなく、舞踏。
殺害ではなく、戯れ。
血と力の交響曲。
そして死体が地面に崩れ落ちた瞬間――
俺の口元には幸福の笑みがあった。
◆
「……美味しそうだ」
戦闘直後とは思えないほど、日常的な声。
肉を切り分け、焚き火で焼く。
手際は慣れすぎていた。
仲間の席に肉を置き、自分の分を口に運ぶ。
噛むたびに、脳が痺れ、感覚が爆発する。
「俺は間違ってないよな」
囁くと、影の仲間たちが一斉に答える。
「正しい」
「間違っていない」
「もっと強くなって」
「ここにいればいい」
その肯定は、依存であり、束縛であり、呪い。
「ここが……俺の居場所なんだよな」
俺の言葉に、幻覚は優しく応える。
「そうだ」
「外に出る必要はない」
「森は君を守る」
「君は森に必要だ」
聞けば聞くほど、心が落ち着く。
だから疑わない。
「外に出る理由がないなら……出なくていいよな」
それは宣言。
願い。
埋没の始まり。
焚き火の明かりが俺を照らし、影たちを揺らす。
夜が深まり、火が消える頃――
仲間の声が、囁きに変わった。
「ずっと一緒にいよう」
「終わらない時間を作ろう」
「壊れたままでいい」
「狂ったままでいい」
「その方が、私たちを失わずに済むから」
俺は――優しく笑った。
「うん。終わらせない。誰にも終わらせさせない」
声は柔らかく、温かく、人間そのものだった。
しかしその瞳には
――世界を焼き尽くす狂気が宿っていた。
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