第2話「世界の死体と、生き残った呪い」
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「なんだよ……これ……」
瓦礫の山と化した王都の中心で、俺――アルスはひとり、崩れ落ちるように膝をついた。
地面に手をついたとき、指先に触れたのは石の冷たさではなく、乾いた黒い血だった。
死の臭い。焦げた肉の臭い。腐敗しかけた血の臭い。
嗅ぎ慣れているはずのそれが、今日に限っては喉の奥を締め付けるように強烈だった。
ここは俺たちの祖国――栄華を誇った王都エルディア。
かつては巨大な城壁と高い塔が空に向かってそびえ立ち、朝な夕なに賑わいが響く国だった。
それが今は、ひとつ残らず砕かれている。
家々は崩れ、石畳は割れ、広場の噴水は血の池になっていた。
風が吹くたび、焼け焦げた布と灰が舞う。
見覚えのあるはずの光景が、まるでまったく別の国のように見えた。
「……一週間……逃げ帰って……これかよ」
勇者パーティが魔王の前で敗北し、俺だけが生き残った日から一週間。
そのたった一週間で、王都は「滅び」ていた。
他の街や村は、こんなことにはなっていなかった。
外周の防壁沿いの村は無傷。
商業都市ドレイムも、冒険者の街リステアも、日常が続いていた。
ならなぜ王都だけが――?
「……クソッ、誰かいないのか!」
叫びながら、倒壊した建物の中を何度も覗いた。
引き裂かれたテント、転がる武器、血の跡、破れた衣服。
しかし、肉体そのものは見当たらない。
まるで――死体だけが“回収された”みたいだ。
その時だった。
アルスの魔力探査に、淡い反応が引っ掛かった。
誰かが生きている?
そう思った瞬間、胸が跳ねた。
俺は瓦礫を蹴散らし、駆け出した。
◆
魔力反応のある大広場にたどり着いたとき、思考が止まった。
「……嘘、だろ……」
そこにあったのは、生きている者ではなかった。
王都の住民たちが数百、数千人規模で、城壁の外から持ってこられた杭に磔にされていた。
身体は朽ち、乾燥し、焼け、形が失われた者も多い。
全員の胸には黒い刻印が焼き付けられ、頭上には無数の魔力糸が絡みついて空へ伸びている。
磔にされた無数の死体の足元に広がるのは――巨大な魔法陣。
凝縮された魔力の臭気が、まるで悲鳴のように空気を震わせていた。
「こんな儀式……誰が……なんのために……?」
声が震えた。
王都の中心にあるこの大広場は、人々が集い、飲み、笑い、歌った場所だ。
勇者パーティの凱旋式も、ここで行うはずだった。
そこが今、死体だけの祭壇になっている。
希望が集う場所が、絶望の中心へと変貌していた。
その心理的な落差に、目の奥が熱くなった。
怒りか、悲しみか、恐怖か、自分でも判別できない。
だが――次の瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、一週間前の記憶だった。
◆
玉座の間で、俺たちはあっけなく死んだ。
勇者カインは、魔王の拳一発でひき肉になり、壁に叩きつけられた肉片が飛び散って戦士バロウを貫いた。
魔法使いリュミエルは魔王が放った魔力の波動に触れた瞬間、神経が焼け切れその場で脳死した。
聖女エリスは、抵抗する間もなく、最初に握り潰された。
俺だけが生きていた。
「なぜ俺を殺さない……魔王……」
震える声が漏れた。
魔王は笑った。
心底愉悦に満ちた、底なしの笑みだった。
「殺そうと思った。だが……殺さなくても良いと思ったのだ」
その声音は刃より冷たく、悪魔より雄弁だった。
「お前には――不滅の呪いを与える。どれほど殺されても、何度でも蘇る。その“肉体のまま”」
熱が全身を駆け巡り、骨が焼け、血が沸騰する感覚に、意識が途切れた。
「さぁ見せてくれ――不滅の物語を」
◆
「…………」
王都の広場に戻る現実は、あまりにも重かった。
俺は生きている。
いや、生かされている。
勇者でもない俺が。
英雄でもない俺が。
――魔王の気まぐれという理由だけで。
喉の奥から、何かが溢れ出しそうになった。
怒りか、悔しさか、それとも――殺意か。
「俺だけ……生かされて……何をしろってんだよ……ッ」
拳が震える。
殺せないという呪いは、救いではない。
終われない地獄だ。
死ねない者は、殺せない者よりも脆い。
死ねない者は、いつか心が壊れる。
――魔王はそれを楽しんでいるのだ。
「絶対に……絶対に許さない」
この世界がどうなろうと、誰が敵になろうと構わない。
神でも魔王でも、理でも正義でも。
奪ったものを、奪い返す。
壊されたものは、壊し返す。
この呪いを武器にする。
否。この呪いを、地獄の刃に変える。
俺は、立ち上がる。
不滅の肉体――無限に蘇る身体。
訓練で積み上げた技量と経験。
暗殺者としての、殺しの技。
それらすべてが、今や歯車のように噛み合って回り始める。
「俺が――世界ごと壊してやる」
その呟きは、もはや人間ではなかった。
狂気の始まり。
感情の軋み。
理性の崩落。
《不滅》という呪いが、アルスをゆっくりと、しかし確実に別の存在へ変えていく。
この物語は、救世の物語ではない。
復讐でも、英雄譚でもない。
これは、悪魔が願った未来を――
一人の男が、狂気と共に歩んでいく物語。
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