5-P1

 目を開くと、部屋は真っ暗だった。ぼんやりとした頭で状況を確認する。泣きそぼった目でベッドに入って、ムツミも横で丸まっていたのまでは覚えている。


「ムツ?」


 そこにあったはずの重みを感じなくて声をかけるけど、返事はない。自分が一人ぼっちなのだと気づくと、途端に世界から取り残されたかのように心細くなって、慌ててベッドから起き上がる。


 ふと、部屋のドアの向こうから話し声が聞こえた。


「大丈夫だよ。うん。心配しないで。わたしは変わりないから」


 犬のふりをしていない、人間のムツミの声だ。いつも犬の鳴き真似を聞いているせいで違和感を覚えてしまうけど、正真正銘、柔らかくて耳障りの良いムツミの声。その声にわたしの心は安らぎを感じる。


 それと同時に、犬の振りなんてさせて、その声を奪ってしまっているのだという罪悪感がズキリと胸を刺す。


 電話をしているらしく、話し相手の声は聞こえない。恐らく、相手はムツミのお母さんだろう。娘がずっと友達の家に泊まり続けていて帰ってこないのだ。わたしのお母さんから話は行っているだろうけど、心配には違いない。


 ムツミのお母さんは娘が他人の家で犬の真似事をさせられていると知っているんだろうか。もし知らされたら、どんな気持ちになるんだろう。怒るのか、悲しむのか。もし、知っているとしたら、どんな気持ちで電話をかけているんだろう。想像もつかない。


 だめだ。やめよう。考えようとすると、また真っ黒なもやもやが心の奥から湧き上がってきそうだったので、布団にくるまって無理やり振り払った。


「うん。うん。学校もちゃんと行ってるよ。リョウカちゃんも、リョウカちゃんのお母さんも優しいし」


 そう。全部知っている。


 ムツミがわたしのために、わたしの前でだけ犬を演じていることを。


 わたしが登校してから、急いで支度をして学校に通っていて、わたしよりも先に帰ってきて犬のふりをしていることを。


 犬の餌なんか食べなくても、わたしが寝てからお母さんがご飯を用意していることを。


 わたしの前以外では、人間らしい生活をしていることを。


 全部、知っている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る