魔王の娘は勇者になりたい。
井守まひろ
0.序章
その日は、これと言って特別な事もなく、普段通りの朝から始まり、普段通りの昼を迎え、普段通りに図書館で本を読んでいた。
朝、メイドのミアが私を起こしにきて、その頬にある薄紅の鱗と、蛇のような目を朝日に輝かせながら
「おはようございます、ベリィ様」
と言った。
彼女はラミアという魔物だが、母を早くに亡くした私にとっては、それと同然の存在だ。
朝はミアの作ってくれた朝食を食べ、昼もミアの料理を食べ、彼女に一言
「本を読んでくる」
と伝え、私は城の地下にある図書館で、今気に入っている本の続きを読んでいた。
幼い頃から、本を読むのが好きだ。
今読んでいるのは、図書館の隅で偶然見つけた童話。
こんな童話なんて、最近は読まなくなっていたけれど、昔は好きでよく読んでいたな。
そういえば、昔読んでいたものは勇者が登場する物語ばかりだった。
世界を支配している邪悪な魔王を倒し、勇者がみんなを救うお話……
私のお父様は、物語では勇者に倒される役の魔王だ。
勿論、お父様はそんな事をするお方ではないけれど、遥か昔のご先祖様は、かつて本当に世界の支配を目論んでいたらしい。
その時に魔王を止めたのが、
と、歴史に記されている。
勇者はルミナセイバーの選択によって代が替わるものだが、最近その勇者の訃報があった。
それ以降、新たな勇者が選ばれたという報告は無いけれど、実際はどうなのだろうか?
「ベリィ様」
ページを捲る手を止めてそんな事を考えていると、不意にミアから名前を呼ばれた。
「うん?」
「サーナ様がお越しになられております」
サーナ・キャンベル、私よりも少し年上の友達だ。
幼い頃からの付き合いだけれど、当時は彼女が公爵令嬢であるなんて知らなかった。
私が城の庭で遊んでいたとき、門の向こうから手を振ってきた少女、それがサーナだった。
それ以降よく二人で遊ぶようになり、今でも彼女は私の大切な親友である。
「わかった、すぐ行くね」
私は開いていた本のページに栞を挟み、席を立って城の門まで向かう。
サーナは私の姿を見つけると、あの頃のように大きく手を振ってきた。
「ベリィ~、やっほ~!」
「サーナ、来てくれたんだ」
小さい頃、私とサーナの背丈は同じぐらいだったはずなのに、今では私のほうがかなり小さい。
スタイルの良いサーナと並ぶと、まるで私は子供のようだ。
「魔王様、今お仕事でいないんでしょ? ベリィ暇かな~と思って遊びに来た! 久しぶりに少し散歩でもしようよ~!」
「いいね、ちょうど私も退屈してた」
サーナの言う通り、今お父様はカンパニュラ公国という国へ行っている。
私のご先祖様が過去に起こした事件の罪は重く、未だ魔族という種族は人族から忌み嫌われているのだ。
特にアイテール帝国とは冷戦状態にあり、向こうも大きな国であるが故に関係の修復が困難を極めているとのこと。
そんな中でも、お父様は他国との良好な関係を築く為、自らの足で他国に赴き、国の代表と対話をし続けていた。
今回のカンパニュラ公国訪問では、上手くいけば両国の貿易が出来るようになる。
すごい仕事だけれど、長い間お父様がいないのは、やっぱり寂しい。
少しお父様がいない寂しさを思い出してしまったが、それを紛らわすよう私は門の外に出て、サーナとその先に続く雪道を歩き出す。
最近は城に篭りがちだったから、城の外を歩くのは久しぶりだった。
地面に降り積もった雪は、私やサーナが歩くたびにキュッキュッといったような音を立て、白く染まった道の真ん中に靴の形を残していく。
幼い頃から、サーナと二人でよく歩いたこの道。
こうしてまた二人で雪を踏むと、まるであの頃に戻ったかのような感覚になる。
「ねえ、サーナ」
「うん?」
「手、繋ごう」
私からの提案に驚いた様子のサーナだったが、直ぐに笑顔で私の手を優しく握ってきた。
今は少しだけ、童心に帰ってワクワクしていたい。
大切な親友であるサーナの手をぎゅっと強く握り返し、首へ巻いたマフラーに顔を埋めて気恥ずかしさを紛らわせる。
「ベリィ、今日は何だか甘えん坊さんだね。さては久しぶりに私に会ったから、嬉しくなっちゃったんだな~?」
「う、嬉しいよ、すごく……ありがとう」
サーナは私が大きくなった今でも、私のツノに全く動じない。
魔王の一族が持つこのツノは、見た者を恐怖させる力がある。
その力は成長と共に強くなり、既に私は城の外ではサーナ以外の魔族から畏怖の念を抱かれているのだ。
そんな中でも私と対等に接してくれるサーナだからこそ、こうして甘えたくなる。
サーナはいつも明るく、優しく、私を元気にしてくれる存在だ。
「ねえ、ベリィ……」
「どうしたの?」
そんな彼女が、いつになく暗い声で私の名前を呼ぶ。
本人は明るく取り繕ったつもりかもしれないけれど、長い付き合いである私には少なくとも普段の楽しげな声には聞こえなかった。
私の手を握っていたサーナが、不意にぎゅっと手に力を入れる。
「実は最近さ、変な人達に付き纏われてて、何か、研究で私に協力して欲しいみたいな……」
「研究……? どんな内容の?」
「詳しくは分からないけど、世界の真理がどうとかっていう、カルト臭いやつ。この前は家にまでやってきて、お父様が追い払ってくれたけど、また来るかもしれないし……」
世界の真理、研究……胡散臭い事この上ない。
そもそも、何故サーナを付け狙うのか、サーナには特別な何かがあるということなのだろうか?
「狙われるような心当たりとか無い?」
「それは……」
サーナは私の質問に、少し躊躇ってからその重い口を開く。
「私、実はお父様の本当の子供じゃないんだよね」
少し衝撃だった。
これまでそんな話は知らなかったけれど、そう簡単に言えるようなことでも無かっただろう。
「そうだったんだ。ちょっとびっくり」
「だよね、今まで話せなくてごめん。私も最近お父様から聞かされたんだ。まだ赤ん坊の頃に保護されたらしいから、私も覚えてないの」
私の中で、サーナに対する謎が増えた。
もし、サーナの出生と件の研究に関連があるならば、サーナには特別な何かがあるのかもしれない。
ただ、やはり一番不安なのはサーナ自身だろう。
得体の知れない自分の正体、それを知らないまま、謎の連中に付き纏われてているのだから。
「サーナ、大丈夫だよ。何があっても、私が守るから」
少し控えめにそう言った私に、サーナは目を丸くしてからクスッと笑った。
「そっか……ありがとう、ベリィは勇者さんだもんね!」
「そ、それは昔のことで……恥ずかしいから言わないで!」
「あっはは! 頼りにしてるよ、勇者さま!」
どうして私は、勇者になりたいなんて事を友達に公言してしまったのだろうか。
恥をかいてしまったけれど、サーナが元気になってくれて良かった。
「で、でも本当にサーナのこと、助けたいと思ってるから。何かあったら、いつでも言ってね」
「ベリィ……うん!」
その後、サーナをキャンベル邸まで送った私は、来た道をゆっくりと戻り城まで帰った。
「ベリィ様!」
城の門を開くと、かつて無いほど取り乱した様子のミアが私の名前を呼んでやってきた。
「何か、あった……?」
「魔王様が……ローグ様が……ッ!」
知らされたのは、父の訃報だった。
魔王ローグ・ロス・バロルは、カンパニュラ公国からの帰り道で何者かの襲撃を受け、従者共々暗殺されたらしい。
その夜、アルブ王国は混乱に陥った。
私はまだ頭の整理が付かず、一晩中ミアに付き添われて、涙も流せないまま暗い部屋の中に踞っている。
それから一晩中、底冷えの夜の静けさが、嫌に付き纏って離れなかった。
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