第7章 タカの世界
第20話 他者肯定のための献身
だめだ……。
まったく身体が動かない。
ここ十年近く風邪というものに罹ったことは無かった。
だからだろうか?
それとも年齢のせいなのだろうか?
トイレに行きたい。
だけど、身体を起こすことさえ億劫だ。
まるで身体が鉛のように重く、アタマから背中にかけて重しがかけられているようにすら感じる。
だが、自然が私を呼んでいる。
動かない身体を無理やりによじり、腕をつき、全身のチカラを総動員して立ち上がる。
「こら~!!
立ち上がるとか、絶対に無理でしょ~!
四十度近い熱なんだよ! 絶対に寝てなきゃダメ~!」
明が立ち上がりかけた、私の身体を無理やりに寝かせる。
私に比べれば明のチカラなんて容易いモノであるはずが、完全に制圧される。
こんな風に無理やりに明に制圧されるのもワルクナイと朦朧としたアタマに浮かぶ。
「あ、明……、トイレ……、行きたい……」
振り絞るように私は言う。
このままでは、二十歳を越えた大人として。
いや。
男としての威厳をすべて失うことにもなってしまいかねない。
この状態であったとしても、それを失っては、いけない。
「あれ~?
弘毅君はトイレのお時間でちゅか~?
じゃあ、お姉さんが見てあげましょうか~?」
明は、これまでにないくらいの悪魔的な笑みを浮かべ、私の寝間着のズボンに手をかける。
ダメだ。
いま、そういう時ではない。
「明、ふざけてないで、トイレに……、トイレに連れて行って……。
そうじゃなきゃ、明が大変なことになる……」
朦朧とする私は、今生を賭けた願いを明にぶつける。
ああ、もうやばいかもしれない……。
「わかっているよ。
大丈夫。弘毅のことは私がずっと見てあげるから、心配しないで!」
明はそういうと私の脇に入り込みスッと立ち上がらせる。
さすが元女子ハンドボール部の部長だ。
自分の筋肉の使い方、チカラの入れ方、相手の身体の支え方。
それらをいとも簡単にやってみせる。
朧げなアタマで「やっぱり、明はすごいなぁ……」と思う。
だが、抱えあげられた私の身体、及び、左手は明の暴力的な弾力のあるそれに接している。
いやむしろ、包まれていると言っても過言ではないだろう。
こんなにも消耗しているにも関わらず、私のそれは意思に反して稼働をはじめる。
当然、私は前のめりになり。
「ちょ……、弘毅、そんなに体調悪い?
ちゃんと立てない? 前かがみになって……。
大丈夫、私がちゃんと支えるから!」
明は、その身体をさらに私に密着させ、チカラを込める。
それと同時に、彼女の武器が私にめり込むように、そして、締めあげるように肉迫してくる。
無理矢理、立たせられた私を見て、明は言う。
「ほら!
弘毅、大丈夫。トイレに行こう!」
そう言って、彼女は私を見て、その表情を暗転させる。
そう。
もう一人の私が全力で元気になっているのだ。
「バカ~!!
なに考えているのよ~!
信じられない~! アホ~!!」
その言葉を発すると共に、私は突き離される。
当然、抵抗や受け身さえもとるチカラは私に残っているハズがない。
なす術がないままに私は、再度布団の上に倒れ込む。
そして……、二十年以上ぶりの失態を明の目の前でしてしまったのだ……。
―――――――――――――――――――――
そんな夢を見た。
これは作品として残さなければならないと思い、身体を起こそうとする。
だが……、百キロのデッドリフトをするかのように身体が重い。
節々の重さというだけではなく、内臓自体がその重量を増しているかのようだ。
「うぐぅぅ……。嘘だろ……」
口端から、悲痛なコトバが漏れる。
起きられないので、身体を転がし、どうにかスマホを掴み、見る。
九時十七分。
出勤時間は既に経過し、着信数は八件。
そのすべてが会社の番号であるのは、言うまでもない。
慌てて会社に電話をかける。
「はい~。極東清掃です~」
よそ行き声の山田女史の声が聞こえる。
「あ、あ、あ、す、鈴木ですが……」
今になって気付いたが、喉が痛くて言葉につまる。
やばい、これはもしかしたら、アレなのか……。
電話口の山田女史の緊張がうっすら受話器の向こうからと感じられる。
「ちょ、、、班長に変わります!
ちょっと待っててください!」
ああ、こんなやり取りを小林も佐藤もしたのか……。と、朦朧とするアタマで考える。
「おい! 鈴木、生きてやがんのか!?」
ダミがかった野太い声が、脳髄に響きわたる。
もうちょっと、音量を下げてくれ。
今の私には、耐えきれない。
「あ……、すみません……。
どうにもこうにも、身体が動かないです……。
今日はお休みをいただいて、明日には……」
そう言うが早いか、班長の声が畳みかける。
「いいかぁ! 一日中、くっそ寝てやがれ!
水分だけは取るんだぞ! 一週間は寝てていいからな!
給料はくれてやるから、とにかく家から出んな!」
そのコトバの勢いに押されるように私は、
「はい……。あざっす……」
とだけ、応えていた。
電話を切ると、私の部屋には静寂が訪れた。
何もない。
静寂とはある一定のそれを越えると、それを受けるモノにとっては刃になる。
つまり……、静寂が私のココロを切り刻んでいくのだ。
熱による苦しさよりも、咳による息苦しさよりも、静寂の方が怖いのだ。
気づくと私は原稿用紙に向かっていた。
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