ズレてるふたり

黒い白クマ

リアリスト

「肝試し行かないか。」


私が雑誌を突きつけた時の谷澤の顔を写真に撮れなかったのが残念だ。強いて表現すれば、口に食らった豆鉄砲が苦虫だった時の鳩の顔、だろうか。兎も角酷い顔をした。


「いやマァ、確かに暑いケドも。涼しくなりたい気持ちは分かるんだケド。」


ぶつくさ言いながら雑誌を手に取って、ウン、とかアァ、みたいな変な声を出す。意外だった。こんなに普通に怯えた反応を返すとは。


「谷澤、お化け怖いのかよ。」

「だって、いるかいないか分からないジャナイ。幽霊とか、お化けとかサ。」

「非科学的って言うと思った。」

「誰も学術的にいないって証明してくれないデショ。いるかもしれないヨ。」


成程。そういうことなら彼らしい。彼は実に頭でっかちな奴だ。哲学者か数学者に向いている、と常々思う。


「でもマ、イイヨ。暑いしネ。」


雑誌で紹介されていた場所を調べるのか、彼はソファに転がったままテーブルのスマホに手を伸ばす。彼の代わりに取ってやって、何となく尋ねた。


「涼しくなるのは否定しないんだな。」

「怯えて冷や汗をかけば気化熱で涼しくなるんジャナイ。よく知らないけどサ。」

「そうかも。」


返答も実に彼らしい。


「なぁ、今から行こう。いい時間だと思わないか?」


彼はスマホから顔を上げて、さっきと同じ顔をした。


「君は、怖くないのカイ。」

「ないよ。見たことないから。見たら怖がるかもしれないけど。」


ぐっと眉を寄せて、君は実に科学者的だネとぼやく。彼の口癖だ。私に対してよく科学者らしいと言う。褒められているのか貶されているのかは分からないが、言われ慣れているので今更別にどうとも思わない。徐に立ち上がった谷澤を横目に、私も自分のスマホを持ち上げた。食器棚の前に立った彼に、後ろから声を投げる。


「神社、寄っていこうか。」

「どうして。何か用があるのカイ。」

「お守り買おう。実際、あって助かったって話もある。」


彼は無事コップを見つけたらしい。流し台の方へ行きながら、不満げに唸る。


「そういうのって、プラシーボじゃないノ。」


谷澤は流れる水を睨みながら答えた。


「じゃあやっぱり行こう。行った方がいい。」

「なんで。プラシーボが効くか分かんないのにサ。」

「効かないとも限らないじゃないか。プラシーボにしろ、何か別の効果にしろ。」

「……マァ、確かにネ。」


谷澤は真偽が分からない情報には案外素直に従う。つまり、証明出来ない命題を否定することは出来ないということ。だから谷澤は幽霊に怯える。なんならサンタも否定しない。


車のキーと財布を取って、玄関に向かった。後ろから谷澤の足音がする。彼は手ぶらだ。見なくても分かる。彼は大抵のカードをスマホに登録しているから、いつもスマホしか持っていない。


「ナァ、神社行くなら現金いるカナ。」

「いいよ、払うから。」


靴を履きながら答える。ウン、と後ろで声がした。乗り気じゃなさそうな声だった。


***


実際、谷澤は酷く怯えた。夜道はよく見えないから人がいても気が付かないし、物音の原因が分からないから、と。


「幽霊、証明されるといいな。」

「ホントだヨ。いてもいいからサ、いるならなんで存在出来るのか教えて欲しいヤ。」

「いて欲しくないけどなぁ。」


御守りは谷澤の首にかけてやった。効かないとも限らない、と言いくるめて。怯えている奴からやられるって話はよく聞く。お化けだか幽霊だかいるのかは分からないが、もし谷澤が狙われたら嫌だ。そう思って首にかけてやったらちょっと嬉しそうだったのだから、リアリストが聞いて呆れる。


「幽霊がいたら、話せると思うか?」

「話せそうな気がするナ。会話って空気の振動ジャナイ。存在があるなら振動も起こせそうだヨ。」

「そうかも。」


紹介されていたコースは一本道だ。突き当たりの地蔵がゴールのはず。


「なぁ、会話が出来るならどうする?」

「幽霊とカイ?」

「そう。」


風の音に谷澤がいちいち跳ね上がる以外、何ということも無い。当初の目的は谷澤しか果たせそうもないが、隣の彼が面白いからいいような気もしてきた。


「死ぬネ。死んでも普通に話せるならこんな重い体要らないヨ。」


私の片腕をしっかり握ったまま、谷澤はなんでもないように言った。そういうものだろうか。


「でもサ、もしも幽霊と話せるようになったら、死んでも逃げられないネ。」

「何から?」

「人間関係とかサ。」


後ろで足音がしたが、すぐ止んだ。谷澤が振り返った。谷澤が力を込めるから、腕が痛い。誰かいたか何も見えないヤ、これだから夜道はサ、と彼はぼやいた。


「じゃあ幽霊、証明されないほうがいいな。」


気を紛らわせてやろうと話を戻す。谷澤は顔を顰めた。


「でも証明されないと、幽霊怖いんだケド。」

「そうだった。振り出しに戻っちゃうな。」


なんだか首筋に水があたる、と思った瞬間小雨が降ってきた。げ、と小さく声をもらした私とは違って、谷澤は何も言わない。そりゃそうだ。彼に雨は見えてないのだろう。天気予報は晴れだった。彼は根拠を持って今晴れていると信じているから、反する現象は認知しないのだ。土砂降りなら流石に気がついただろうが。まぁ、とんだ阿呆だ。


私はふと、谷澤には幽霊は見えないなと思った。なにせ谷澤は幽霊がいないとは思っていないけど、幽霊がいるとも確信してない。雨が見えないのと同じで、幽霊も見えないかもしれない。私が「雨が降っている」と言えば、谷澤も気がつく。けれど私は傘を持ってないから、この雨に谷澤を付き合わせるのも悪い。このままなら濡れて不快に思うのは私一人で済む。幽霊も、そう。黙っていてやろう。


「これ、さっきの写真の地蔵カナ。」

「多分。」


写真で見るより綺麗に見えた。多分、雑誌の写真はわざと怖く見えるように撮ったものなのだろう。


「手を合わせて、お供えしようナ。」


彼は鞄から饅頭を出した。神社で買おうとねだられたそれが、お供えだとは思わなかった。


「準備いいね。」

「風習って理にかなっているものが多いからネ。間違っているか分からないものは守るが吉だヨ。」

「だからお地蔵さんは大切に?」

「ウン。」


谷澤が饅頭を置いて、二人で手を合わせた。戻るかと数歩先に進んだら、後ろで谷澤が声を上げた。


「ア、」

「どうした?」

「御守り、壊れているヤ。」


谷澤が首からかけていた御守りの紐が切れていた。袋がパカリと開いている。


「どっか、引っ掛けたか?」

「首にかけていたんだから、引っ掛けたら気が付くサ。」


顔を見合わせた。風が木を揺らす音がする。


「良かったじゃないか、証明されそうで。」

「イヤァ、説明がつかないことが増えただけだヨ。怖いジャナイ。」


谷澤はそういう奴だ。此奴は明日、風邪をひいて首を傾げるんだ。いつだってそう。風邪をひいた。御守りは勝手に壊れた。何故か?納得出来ない因果律が彼の頭の中に構築されることは無い。疑問、思考、論拠なし、迷宮入り。雨が降ったとか、何かがいたとか、そう思うのは私だけ。


「帰り、しりとりでもしようか。」

「なんで?」

「迷信だよ、バリアになるんだって。ほら、林檎。」

「……胡麻。」


谷澤は真偽が分からない情報には案外素直に従う。つまり、証明出来ない命題を否定することは出来ないということ。だから壊れた御守りに怯えて、下らない迷信に付き合う。彼らしい。


「毬藻。」


谷澤の怖いものが減るなら早く幽霊が証明されればいいのに、とぼんやり思った。けれど谷澤が死ぬのは腑に落ちないから、幽霊とは会話出来なければ尚良い。びしゃびしゃになりながら下らないことを考えている私の横では、いつも通り顔を顰めた谷澤が歩いている。それでいい、谷澤はそういう奴だ。


「森。」


谷澤は明日も幽霊に怯えるし、私は明日から幽霊に怯える。それでいい。後ろから聞こえる足音を消すように、大きな声で「栗鼠」と返した。

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