第26話 一人の体に三人も入ってるとデートは大変



「てめえら、最初から事情を聞かせろコラ」


 雷人くんに正座させられた俺と和也。

 とりあえずシートの上で勘弁してもらえたから、かろうじて砂浜で直に足が焼かれるのは防がれた。


「どっちから殴った?」


「……俺です」


「何でだ?」


「言いたくありません」


 俺はこう言って口をつぐむ。

 莉緒が和也とセックスしていて、その様子を聞かされたからキレてぶん殴ったわけだが、それをそのまま口にする気にはなれない。


「言わなくてもいいけどな。しかしな、何があってもぶん殴んのは良くねえ。まずはしっかり話をしろ」


 出会った時に俺にやったこと、この人、忘れてんの?

 しかも、不良のくせに何だか学校の先生みたいなことを言う。

 まあ「不良」というのは俺のイメージでしかないのだが……だからといって雷人くんが学校の先生の人格なのかといえば絶対にそうではないと思うけど。


「……ああ? ああ。……わかった、莉緒、じゃあ一回話すか?」


 どうやら雷人くんと莉緒が脳内会話したようで、雷人くんはすぐさまスイッチが切れたかのように無表情になる。

 そして現れた、大人しい表情。今は少し影もあるように見える。これは莉緒で間違いないだろう。


「……悠人」


「莉緒。ごめん。せっかく遊びにきてるのに」


「……ううん。あっちにいこ」


 小さな声で話す莉緒の声は、こういう時には癒しを感じる。

 最初の頃は断じて癒しなど感じる雰囲気ではなかったが、今の莉緒は、きっと俺に優しくて思いやる気持ちを込めてくれているのだろう。だからそう感じるのだと思う。

 

 莉緒は、俺の手を引いて二人っきりになるために歩き出す。

 海の家の裏側──影になっているところへ来たとき、莉緒は、俺に抱きついた。

 

 水着姿。ほとんど裸に近い状態の莉緒が、海パンだけの俺に抱きつく。

 本当なら、ギンギンにおっ立ててしまうくらいに興奮していたんだろうな……。


「……何があったの?」


 こう尋ねられても、俺は言うつもりはなかった。


 言えるわけがない。

 莉緒は「和也とは何もない」と言い切っているのだ。

 奴と風華ちゃんがセックスをしている時は、意識を閉じているから何もわからないのだと既に説明しているのだ。

 

 俺は莉緒に「嘘つけ!」と言うつもりはない。

 そんなことがあっても不思議じゃないなとは懸念していた。

 和也の証言によって、それが証明されてしまった。それだけのことだ。


 これを莉緒に話しても、何も解決しないだろう。

 莉緒にだって性欲はあるし、彼氏を作るつもりがなかったのなら一生我慢し続けることなんてできないのだ。


 俺が一人で性欲を処理するように、莉緒だってそうするかもしれない。

 それを一部始終見ていた風華ちゃんが、莉緒を想ってどういう取り計らいをしたとしても全く不自然ではない。

 

 それに、仮に和也とセックスをしていたとしても、それは今までのこと。

 俺と付き合う前のこと。それを……彼女が選んできた人生の選択を、後から出てきた俺が遡って咎めるなんておかしい。


 わかってる。全て俺の問題なのだ。

 そして、だからと言って和也を許せるものでもない。


 それだけのことなんだ……。


「何でもないよ」


 だから俺はこう言った。

 どれだけ莉緒から悲しそうな顔で見られても、絶対に話すつもりはない。

 俺にできることは、精一杯、莉緒のことを抱きしめることだけだった。

 

「……どうして、話してくれないの?」


「君のことが好きだから。誰よりも、大好きだから」


「じゃあ、なんで、」


「ごめん。ほんとごめん。俺の問題だから」


 やっぱり悲しそうな顔を向けてくる。

 予想の通りだったが、莉緒のこんな顔を見るのは思いのほか辛いなぁ、と思ってしまった。

 

「和也くんには、後で謝るよ。もう喧嘩もしない。だから、これ以上は聞かないで」


「……うん。わかった」


 俺は一体、どういう顔で莉緒にこう言ったんだろうな。

 どう見えていたかはわからないけど、莉緒は心臓でも痛いのかと思うような顔をして、また俺に抱きついた。


 莉緒と二人で手を繋いでみんなのところへ戻る。


 俺は和也に謝ったが、和也は無表情の無感情。

 何を考えてるか全くわからない顔で「ああ、気にしないで」とだけ答えてそれ以上は何も喋らなかった。結衣さんは「やれやれ」みたいな感じだ。

 最初に口を開いたのは莉緒だった。


「悠人。雷人と風華と話し合ったんだけど、次は風華の番になったんだ。だから、私たちは最後。でも、その後は、ずっと私たちの時間にしてくれるって」


「……そっか。うん、わかった」


 莉緒はそう言うと、例の如く無表情になる。

 大好きな莉緒の顔が消えていく瞬間。なんかちょっとトラウマみたいになってきた。


 そうしてから現れたのは、朗らかに微笑む妖艶な表情。

 まるでこちらを誘惑するかのような表情だが、これが風華ちゃんの通常運転なのだろう。

 風華ちゃんは、和也ではなく、真っ先に俺へと視線を向ける。

 

「ごめんね、悠人。今日、やっぱり莉緒と悠人の二人だけのデートにすればよかったね。こんなことになるなんて思わなくて……ほんとにごめん」


 少しだけ悲しそうに微笑む風華ちゃんは、和也の手を取って、二人で乗っかれる浮き輪を持って海に入っていった。

 残された俺は、結衣さんとテントで座る。


「飲み物無くなったし買ってきますよ。何がいいですか?」


「……トロピカルジュース」


 なんだこれ、流行ってんのか?

 なんかちょっとだけホッとする気持ちが湧くが、まあ結局、俺の恐れは現実のものだったわけだし。

 

 はぁ、とため息をついて海の家で飲み物を買う。

 こんなクソ暑い海にいる時まで、俺はホットコーヒーを飲むのだ。


 テントへ戻って結衣さんに飲み物を渡し、コーヒーに口をつけた。

 コーヒーは俺の精神安定剤なのだ。

 あ──……、ほんと落ち着くわぁ……。


 横を見ると、結衣さんは足を組んで、完全にスマホを触って俺に話しかけようなんて気は微塵も感じられない状態。


 情報収集と銘打って和也に話しかけたせいで、マジで知りたくなかった情報を取得してしまった俺は、もう話しかけるのはやめようかと思ってしまっていたけど……。

 まあ、ここまできたら、せっかくだから結衣さんのことも知っておきたい。


「すみません。俺と話すのなんてかったるいかもしれませんけど」


 まさにかったるそうに俺を見る結衣さん。

 首の動きは最小限にして、ジロっと流し目を向けられる。


「……確かにそうだね」


「……ですよね」


 やっぱ、やめよっかな。

 俺がそう思った矢先、


「初っ端から、案外飛ばすんだね」


「…………?」


「我慢できなかった? 和也が、莉緒ちゃんの体を抱くのが」

 

「…………!! 何で──」


「ほとんど初対面のはずなのに、君はずっと和也のことを親の仇みたいな目で見てたもんね。そうなる理由なんて、あたしには一つしか思い当たらなくてさ」


 そう言った結衣さんは、海のほうを指差した。

 海では、八の字型をしている二人用の浮き輪に、互い違いの方向に足を出して乗っている風華ちゃんと和也が、熱烈なキスをしている。


「……あたしも、同じだよ」


「え?」


「あたしの雷人の体が、他の男を受け入れてる。あたしのいない間に穢され、いつそいつの子供を孕むかわからない。愛する人の体がよ? そんな状況、受け入れられると思う?」


「……結衣さんは、その……」


「そうだよ。同性愛者。レズビアン、ってことになるかな」


 そうだろうとは思っていたし、別に特別驚きがあるわけではない。

 そこよりも、こういう話をきちんと話してくれたことに、俺は意外性を感じたというか。

 俺はてっきり完全に嫌われているものと思っていたので、完無視されていないだけでも奇跡を感じていたのだ。


「初めて出会った時、電気が走ったかのようになった。チーム同士の抗争で追い詰められていたあたしを、割り込んで入ってきた雷人が助け出してくれたんだけどさ」


 遠くを見るような結衣さんの視線は、風華ちゃんと和也を眺めているのか、それとも、無限に広がるその後ろの澄み渡った空に置かれているのか。


「自分の秘密なんて、誰にも言えなかった。好きな人ができても、告白をすることもできなかったし、向こうから好いてもらえることもなかった。

 それがさぁ。ずっと誰にも言えなかったあたしに、あいつはこう言ったんだ。〝お前、俺の女になれ〟ってさ。はは。言う? 普通。そのタイミングで。しかも、女のあたしに、女のあいつがよ? あたしのことなんて、何もわかってないはずのあいつがよ?」


 おかしくて堪らない、って感じでくっくっく、と笑う。

 それから真顔になって、ふぅ、と大きく息を吐いた。


「あたしには、雷人しかいない。もうこれ以上の人は現れない。絶対に、逃せないの。その雷人が多重人格者だと知って、他の人格にも恋人がいるって知って、そいつがあたしの雷人の体を散々穢してることを知って。

 気が狂いそうになった。殺してやろうかと思った。でも、そいつのほうが、あたしより前から、雷人の体の別人格──風華と付き合っていたんだ。仕方ないよね。だから、あたしも弁えることにしたんだ」


 だから俺にも弁えろって?

 莉緒の体が穢されていくことに耐えて、黙っていろって言うのか?


 もちろん、言ってることはわからなくはない。

 だが、莉緒の体を誰にも渡したくない気持ちは、簡単に無くなったりしないと思った。





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