第3話 可愛すぎる魔獣
「今日の訓練はここまでにする!」
ゼエゼエと息を乱しながらボルズが宣言する。
疲労困憊のボルズとは対照的に、俺の方は体力的にかなりの余力を残している。
とはいえ、楽な訓練だったわけでもない。
全身をはしる鈍い痛み。これらは全て、ボルズの戦技を受けた時の影響だった。
……くそっ。合いの手いれるみたいにぽんぽんと使いやがって。戦士の秘技ならもっと勿体ぶって使えよ馬鹿野郎。
「それでは私はこの辺で戻らせてもらいます。お食事がくるまでお待ちください」
セシリアはそう言うと、俺を治療することなくエルグを伴って部屋から出ていく。
……訓練序盤と比べると、明らかに治療頻度が減っていた。
汗で湿った髪をガシガシとかくと、小さくため息を吐く。
「それでも、最後のやつさえなかったら、まだ頑張れそうなんだけどなあ」
多少のダメージさえ気にしなければ、模擬戦は我慢できる程度のものだ。
この体が打たれ強いのもあるだろうが、そんな考えが浮かぶほど最後のトレーニングは地獄だった。
変な拘束具をつけた状態で、体力の限界まで運動をさせられる。
そして、最後は指一本も動かせないような、疲労困憊に追い込まれて……
すでに教官のエルグより体力があるのがわかってるのに鍛えさせて、いったい何をさせたいんだか。
訓練期間が終了するまで城を出ることは禁じられており、彼らの言い分に
「戦技ってなんだよ……」
今回使ってきたボルズも、体で覚えろといった考えではなく、模擬戦を優位に進めるための手段にすぎなかった。
あのハゲは俺をかかしだと思っているんだろうか?
こんな扱いを受けて、やる気を出せる奴がいるんだったら見てみたい──
「お食事をお持ちしました」
ノックの後、扉が静かに開く。
やってきたのは、端正な制服に身を包んだ侍女だった。
彼女が持っていたお盆の上に乗っている料理を見て、俺は思わず顔を引き攣らせる。
俺の気持ちを察したのか侍女は眉をぴくりと動かすと、こちらに冷たい視線を送った。
「すいません。ありがとうございます」
「……どうぞ」
俺が慌てて謝罪すると、侍女は食事が乗ったお盆を俺の前に置いて、そそくさと部屋から出ていった。
「……食事が楽しくない」
用意された食事に目を向ける。
タダで食事をもらっている身で、文句を言える立場ではないことはわかっている。
けれど、地球での食生活を知っているだけに、この味にはどうしても慣れなかった。
食事は昼と夜の一日二回。毎回出てくるのは、ボソボソで苦味が強い、プロテインバーのような食べ物だ。
激しい訓練に耐えるために、特別に用意しているらしいが、毎食これを食べるのは頭がおかしくなりそうだった。
部屋の隅に移動して、水樽から水を補給しながら食事を始める。
半分ほど胃袋に流し入れたところで、部屋の扉が勢いよく開かれた。
中に入ってきたのは、ボサボサの金髪の男──オリバーだ。
「新人いるか? 今日の相手を持ってきたぞ」
オリバーは肩に担いでいる小さな木箱を部屋の中に置くと、周囲を見渡す。
そして、食事中の俺を見つけると、眉をしかめた。
「何食ってんの?」
「用意されたご飯ですけど?」
「それ魔獣……まあいいや。魔獣持ってきたから適当に処理しといて。この箱はもう少ししたら開くようになってるからさ」
それだけ伝えると、オリバーは疲れたとぼやきながら部屋を出て行った。
「……現代っ子の自分が狩りを練習することになるとはな」
転生した後も、地球での価値観を引き摺っているのはよくないと思う。
だけど、いくら攻撃性が高くとも、小動物を仕留めるのはまだ抵抗があった。
食欲が薄れたため、手を止めて武器棚に向かう。
この部屋に置いてある武器は、刃を潰した訓練用のものしかないが、振り回して鈍器代わりに使えば案外戦えた。
今回持ってきた木箱の大きさを見る限り、大きさは最大で小型犬程度。
力加減をミスして武器を壊してしまうことはあれど、負けることはないだろう。
離れたところでしばらく待っていると、オリバーの言葉通り、地面に置かれてあった木箱の壁が自然と崩れていった。
……模擬剣を握る手に力がこもる。
壊れた木箱からのそのそと這い出てきたのは──首周りにマフラーのような毛を蓄えた、可愛らしいウサギだった。
ウサギのおでこには、チャーミングな小さな角がちょこんと一本生えている。
見た目がどんなに愛らしくても、相手は魔獣。
いつ飛びかかってこられてもいいように、警戒するが……
「ムキュ」
「……かわええ」
こてんと首をかしげて、こちらを見てくるその姿に、思わず頬が緩む。
ウサギはふんふんと鼻を動かしながらこちらに近寄ってくると、攻撃する素振りもなく、ただこちらを小さな瞳で見上げてきた。
「これを殺すの? ……いや無理無理無理無理! 冗談きついよオリバーさん……」
今まで魔獣を倒してこれたのは、自分に危害を加えられる可能性があったからだ。
少なくとも俺に敵意を持っていたし、放置すれば何かしらの攻撃を受けていた。
だが、この子は何だ? 可愛いすぎ……いや、敵意など微塵も感じないじゃないか。
恐る恐る手を近づけていくと、ウサギはふんふんと俺の匂いを嗅ぎにくる。
入り口に視線を送り、扉が閉まっていることを確認すると……
「ここが! ここがええんか! 可愛い奴め! 俺の美技に酔いしれるがいい!」
「ムキュ! ムー……ムキュキュ……」
あれから数十分後、変態に撫で回される一匹の魔獣の姿がそこにはあった。
魔獣は気持ちよさそうに目を閉じて横になっている。
「一人暮らし始めたら、ペット飼いたかったんだよなあ。まあ入社一週間で断念したけど。やっぱり何かしら飼っておいた方が良かったか?」
飼っていたとしても、過労死の道連れになっていたので、飼わなくて正解だったのだろうが。
「メスか? 多分そうだな。ああ……耳もふわふわで柔らかい。やっぱり動物はいいなあ。人に仕事を押し付けないし」
そんな愚痴をこぼしながら、俺はこの一週間のストレスを晴らすべく、魔獣と交友を深めていった……
「危ない危ない。忘れるところだった」
手を離せば魔獣はこちらを見上げて、もうしないの? と言うかのようにじっと見つめてくる。
あまりの可愛さに主旨を忘れていた。
オリバーも可愛いペットとして、こいつを寄越したのではないことはわかっている。
だけど、こいつを俺が殺せる……のか?
「オリバーさんには無理だって伝えよう」
魔獣の認識もあやふやなままで、人懐っこいこいつの命を奪う覚悟はまだできない。
それどころか、今までほとんど考えなしに殺してきたことを、後悔しているくらいだった。
手を止めると、魔獣がのっそりと立ちがり……俺の指先に口を近づけてガジリと噛み付く。
「痛っ!」
魔獣は俺の声にびくりと体を動かすが、逃げることなく齧った指をぺろぺろと舐め始めた。
敵対行動か、力加減を間違っただけか……
魔獣の行動に、どうしたものかと悩んでいると、頭の中に幼子のような声が流れてくる。
『ご主人、ご主人』
「ご主人じゃなくて俺は独り身です……って、今の声は?」
辺りを見渡すが、ここには俺と魔獣以外誰もいない。
『ご主人、なでて! なでて!』
「今の声……もしかしてお前か?」
視線を落とすと、ウサギは嬉しそうに地面に横になって、尻尾をフリフリと振っている。
『なでて! なでて。なでられるの好き』
「それはいいけど……これは現実? 頭がおかしくなったりしてない?」
ストレスによる幻聴かもしれない。
そんな考えがよぎるが、原因を確かめる術はなかった。
……最初に魔獣のことを詳しく説明してくれれば、こんなに悩むこともなかったのに。
「――エリオットさん。魔獣の討伐は終わりましたか?」
頭に響く魔獣の声に困惑していると、セシリアが戻ってきた。
セシリアは不思議そうに辺りを見渡して、俺に声をかける。
「エリオットさん、討伐した魔獣はどうしました? オリバーさんが持っていきましたか?」
「魔獣? 魔獣なら今ここに……いない?」
視線を落とすと、ついさっきまでいた可愛がっていた魔獣の姿はどこにもなかった。
首を傾げる俺の元にセシリアが詰め寄り、すごい形相で肩を揺らしてくる。
「さっきまではこの部屋にいたんですね? 本当に殺してないんですよね?」
「何をそんなに興奮して……そう! そうだから。嘘は言ってないよ」
別人なのかと錯覚するほどの変わりように驚きながら返答すると、セシリアは全開に開かれたドアへと顔を向ける。
「……外に逃げた? 手分けして探さないと」
「ごめん。捜索するなら俺も手伝うよ。元はといえば見失った俺が原因だから」
「いえ、結構です。捜索はこちらでしますので。エリオットさんは自室で待機していてください」
手伝いを願い出るもセシリアは俺の提案を断り、血相変えて外に駆け出していった。
一人残された俺は、その背中を見守ると、大人しく自室に戻る。
部屋のソファーの上に座り込むと、突然肩の上に軽い重さを感じた。
「うわっ! 何だ?」
『ご主人! なでて〜』
すうっと空間が揺らいだと思うと、肩の上に先程の魔獣が出現する。
魔獣は小さな尻尾を振りながら、頭をこちらに押し付けてきた。
「お前なあ……せめて逃げろよ。俺についてきてもいいことなんて何もないぞ」
こいつは俺に殺されるために用意された魔獣だ。
いくら人懐っこくても、いい扱いはされることないだろう。
それは、帰り道でこっそりと盗み聞きした兵士の会話――生死問わずに回収せよ、といった命令でわかっている。
「セシリアに直接渡せば丁重に扱ってくれるだろうか? 温厚な魔獣だと説明すれば……」
『セシリア?』
「ああ、セシリアってのはさっき入ってきた金髪の女の人。何か聖女って呼ばれてる偉い人らしいぞ」
そう説明すると、魔獣は体をぶるりと震わせて俺の服の中に入りこもうとする。
「急にどうした? ちょっと待てって……」
『あれきらい』
「そんなに嫌がる理由は何なんだ?」
もしかして虐待でもされてきたのだろうか?
それならば考えを改めないといけないが……
小さな前足を支えるようにして持ち上げると、深い紫色の瞳が俺をじっと見つめて。
『だって、あれからは仲間の臭いがするから』
怯えた様子で言い放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます