第13話 怖がり

 色田の顔が硬直していくのがわかって、俺は彼の隣へ駆け寄った。真っ青な顔のまま必死に歌おうとしている彼を支えるように、コーラスで誤魔化せるようにと声質を変えたり、歌うリズムを大幅に変えたりして、そのせいで変に聞こえるような細工をした。


 そうやってどうにか本編を歌い切り、バックステージへ下がった途端に、色田は俺にマイクを投げつけてきた。


『お前のせいだ! お前のギターの主張が強すぎて、俺の歌が死ぬんだよ!』


 色田の喚いた言葉で聞き取れたのはそこまでだった。そこからは、焼かれるような猛烈な痛みが襲ってきて、叫びながらのたうちまわった記憶しかない。その次にあるのは、治療後に一度眠って目が覚めた後に『右目は完全に失明した』と言われた時の絶望感だけだった。


「……あいつとは、あれ以来か?」


 俺の視線の先に気がついた耀が尋ねる。俺は「そうだな」と頷いた。あれ以来一度も顔を合わせていない。


「そういう約束だっただろう?」


 問い返した俺に、今度は耀が「そうだな」と苦々しげに答えた。


 チルカモーショナは解散する自由を与えられず、今もギタリストを定期的に迎えて活動を続けているが、俺が辞めてからはライブチケットの売れ行きが格段に悪くなったらしい。


 ただ、事件以前にリリースされていた作品は変わらず人気があり、色々なメディアで時折ランクインするほどに、ロングヒットしているものが多い。そのヒット作は、俺が作詞作曲したものばかりだ。


 俺がそれほど優れた音楽家なのかと言われれば、そういうことではない。その現象の原因は、俺のにあった。


 色田が俺にケガをさせたのが、俺が脱退した直接の理由ではない。ケガをしたことで、見た目が悪くなったからと言って、俺は事務所からクビを言い渡された。


 チルカモーショナはビジュアルも売りにされていた。四人とも背が高く痩せ型で、手足が長いのが特徴だった。


 少女漫画のキャラクターのようだとよく言われたこともあり、それを売りにしようとした事務所が、衣装を中性的なものへとシフトする等していて、いつの間にかアイドルバンドのような扱いになっていた。


 その中に、傷を隠すために前髪を長くしていないといけなくなっていた俺の存在は、汚点のように見えると重役が判断したらしい。しばらく活動を休止すれば、今のような治療用コンタクトとメガネ、コンシーラーで誤魔化せたはずだったのだが、それを待つ辛抱強さが事務所側に無かった。


 そうやって簡単に俺を切ったとしても、目先の利益は得られると考えていた事務所は、ファンによってしっぺ返しを喰らう事になる。


 俺のファンだった子達はこぞって離れてしまい、その時ネット上に内部事情を暴露されてしまった。色田を悪く捉えた者は殺害予告をしたり、残ったメンバーはハヤトを庇わなかった人でなしとして嫌われたりと、散々な目に遭う事となる。


 辞めた俺は俺で、可哀想な人のその後を投稿したがる配信者たちから追い回され、大変な生活を強いられていた。


 全員の命を守るためにも、直接会うことは避けようという話になり、脱退以降メンバー同士の接触は、完全に絶たれていた。


「この状況、俺らとしては全く喜べないんだけどな。直接顔を合わせられるようになったってことはさ、『チルカが落ち目になってきたから、今なら顔を合わせても誰も危険に晒されることはないぞ。俺たちのためにそんなに真剣に怒ってくれるような熱心なファンは、もういない』って自分たちで証明しているようなもんだからなあ」


「うわ、すごい自虐だ。でも本当にそうだと思うから、俺も怒れない」


 苦笑いをしながらそう言う耀と純を見て、俺はわずかに胸が痛んだ。二人がそんなふうに考えるきっかけを作ってしまったのは、間違いなく俺と色田だ。二人は何も悪くない。


 外野に何を言われようと、チルカは真摯に音楽に向き合い続けている。その姿勢が、ジャンルの違う孝哉の親父さんの耳にも届いているらしい。だからこそ、孝哉が復活するためのレコーディングに、是非付き合ってあげて欲しいとお願いしてくれている。


 俺も孝哉もチルカも、今日を機に、もう一度目指すものへ向かって歩き始められたらいいなと考えている。


「お前らなー、そんなことを言ったら孝哉が泣くぞ。あいつは今でもチルカのファンなんだから。俺たちのユニット名聞いたら、きっと納得するだろう。同じじゃないけど、発想がチルカマインドなんだよ」


 孝哉がブースの中へと入っていった。色田がそれに気がついて、立ち上がり頭を下げている。孝哉は慌ててそれに倣う。そして、二、三言葉を交わすと、すぐに色田の隣で声出しを始めた。


 孝哉の声を聞いた途端に、色田の顔色が変わった。一瞬青ざめた。おそらく、その音色のふくよかさに驚いたのだろう。孝哉は、柔らかく響き渡る豊かさがあるのに、バンドにも負けないような芯の太いパンチのある声をしている。


 声質的には色田に似ている。ただ、色田の声が聞いている者に高揚感を与えるのに対して、孝哉の声は癒しを与える。似たような音の中に明確に現れる個性に、自分の持たないものを持つ者に、自分の存在価値を揺らがされているようだ。


「へえ、そうなの? そういやユニット名なんていうか聞いてなかった。教えてよ」


 ブース内の空気が変わっていくことに、まだ純は気がついていない。耀は色田の表情の変化に気がついたようだ。


「ハヤト?」


 孝哉は色田に背を向けて、集中して喉の調子をあげていく。その姿を見ながら、小さく縮こまっていく色田が見えるような気がした。


 色田だってすごいものを持っているのに、当の持ち主はそれを当たり前のように思いすぎてしまって、大したモノでは無いように思うのだろう。周囲は色田にその感覚が無ければ、彼は大スターにだってなれるだろうと思っている。


 それでも、その繊細さがあるから色田であるとも言えるため、複雑な思いにさせられる。この解決策を探すことは、本当に難しい問題だった。


「……チアークレグロ(cheerclegloat)だよ。チルカモーショナ(chillcamotiona)はチル、カーム、エモーショナルだろ? 穏やかだけど感情的。チアークレグロは、チアー、クレバー、グローティング。全部小気味よいって意味。音の小気味良さを楽しんでいこうって意味にした」


「へえ、いいな。それに、確かにチルカのマインド感じるね」


「うん。なんか嬉しいね。孝哉くんは俺たちのことを純粋に好きでいてくれてるんだもんな。今や貴重なファンだよ」


 二人の笑顔の向こうで、色田は彼も成長したという耀の話を象徴するような行動をとっていた。大きく深呼吸をして、自分の感情をコントロールしたかと思うと、孝哉に背を向けて発声を続けた。


「色田ね、パニックのコントロールを身につけるために色々勉強してるみたい。メンタルトレーニングやったり、病院通ったりって色々やっててさ。おかげでバンド内での衝突は、もうほとんどないよ。ギタリストだけなんだよね、うまくいかないの」


「そうか。俺もあいつが望んでることってあんまりよくわからなかったからなあ。あいつ自身はちゃんとわかってんのかね。もし自分が何を欲しがってるかわかってないなら、人とうまくやるのはずっと無理かもしれないよな」


「あの頃はそうだったかもしれないな」


 耀はブースの中をじっと見つめたまま、そう呟いた。純もそれに頷いている。色田の背中を見つめたまま眩しそうに目を細めると、「俺たちは、あいつが欲しいものはもうわかってるよ」と言った。


「色田はあの頃、お前のギターは合わせにくいとよく言ってただろ? でも、その言葉の本当の意味は、色田自身にお前のギターに合わせるだけの実力が無い、それで焦ってたってことみたいなんだよ。それだけお前の演奏に惚れ込んでたらしいんだよね。俺たちもそれは最近知った。わかりにくすぎるだろって色田には言ったよ」


「そうそう。さっきも言ったけど、色田の葛藤を俺たちが気づいてあげられてたら、あんな爆発することも無かっただろうと思ってるんだ。だからどうしてもハヤトに謝りたかったし」


 孝哉が一通り声出しを終えると、色田の背中に声をかける。その声に一瞬表情をこわばらせたが、次第にその表情が和らいでいくのがわかった。


——あ、笑った。


「それにね、色田が気にしてた不足しているものって、多分経験と共に身についていってると思うんだよ。だってあいつは、理想に近づくためにずっと努力する人だからさ。五年もプロでフロント張ってるんだもん、成長は凄まじいものがあると思うんだよね」


 色田は孝哉に何か声をかけられて、とても柔らかく笑っている。相手が孝哉だからそうなるという部分もあるだろう。でも、俺たちには見せたことのないその顔に、あいつが変わろうとしてやって来たであろう努力が垣間見えるような気がした。


「つまりお前たちは、色田は俺に戻って来て欲しいって思ってると言いたいわけ?」


 楽しそうに談笑し始めた二人の姿を見ながら、隣の二人へと問う。すると、二人は俺の目の前に立ち、視界を遮った。そして、二人揃って頭を下げる。直角に腰が折れる、最敬礼の状態だ。


「都合いいのはわかってる。お前の人生の邪魔はしないようにする。ハヤト、もう一度俺たちと一緒にやってくれないか」


「お願いします」


 気がつくとコントロールルームには誰もいなくなっていた。この話をするために、スタッフさんに出払ってもらったのだろうか。それとも彼らが自主的にそうしてくれたのだろうか。


 どちらにせよ、レコーディング前にこんなことをしようとしているのに、それに付き合ってくれるということは、それだけこいつらにそうしてもらえるだけの人徳があるということなのだろう。


 僅かな情報から一方的に悪者にされ、歯噛みしながらの五年間を過ごしただろう。その中でも腐らずに頑張ってきた三人の気持ちを思うと、むしろ自分がここで固辞する意味がわからない。


 俺は正直、どっちでもいいと思っている。今の仕事も嫌いではないが、音楽で生きていけるのなら、それはそうしたいのが本音だ。


 これまで問題だった部分は、孝哉のおかげでほぼ解消している。以前のように感情が乗ったギターが弾けるようになったし、それに合わせれば歌うことも可能だ。


 右目が見えないことは、演奏する上では俺には大した問題では無い。そのあたりは、おそらく耀がサポート出来るだろう。


 孝哉も今は俺がそばにいなくても歌えるようになっている。だから、もしチルカに戻って仕事をしても、きっと文句は言わないはずだ。


 俺が孝哉と音を鳴らすのは、別に仕事でなくてもいい。休みの日に、二人であの形でギターを鳴らして歌えれば、それだけで心は満たされるのだから。俺たちの音は、俺たちだけが知っていればいい。


 それでも、そこはミュージシャンだ。まずは音を合わせてからの話だろう。


「即答してやりたいところだけど、そんなに急には決められねーよ。取り敢えず、今からのレコーディング頼むわ。孝哉が生きていくための指針になる大事な曲だ。頼んだぞ」


 二人の肩に手を置き、そう言い残して椅子へと座る。二人が合わせて歌っている姿が目に入り、俺はフェーダーを上げてその音に浸る事にした。

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