第43話 併合拒否

「併合を延期したいとはどういうことでしょうか?」


 ヴェルデ女王の口調はとても温和だった。だが笑顔は引きつっている。

 内心の苛立っていることは明らかだった。

 動揺を必死に抑えながら、言葉を返す。


「エドワード王子がサインいたしました証書には、いつまでに併合するという具体的な期限は記載されておりません。政情が安定し、国民の理解を得るまで、待っていただきたいのです」「我が国としても、その方が望ましいかもしれませんね。いつくらいになりそうか、大まかな目安を教えて頂きたいです」

「併合した後に一切のわだかまりが無いようにするため、1年で終わるかも知れませんし100年以上かかるかも知れません。この点についてはどうかご容赦ください」


 事実上の併合拒否を伝える。ヴェルデ女王は、今までに見せたことがない冷たい目を私に向けた後、再び、いつもの笑顔になり、優しい口調で私に語り掛けてきた。


「ラヴェンナさん、貴国は今、アホな王子と、アナタとは似ても似つかない大馬鹿な妹のせいで、深刻な財政危機と食糧不足に陥っています。さらに治安も我が軍が駐留していることで一時的に安定しておりますが、撤退してしまうと再び混乱するでしょう」

「自国のみで国を立て直すのは、無理だと言うことは重々に承知しております」

「ヴィヒレアの一部になれば資金と物資の援助が約束され、さらに治安維持のための軍も駐留いたします。遠い未来のことを心配されているようですが、まずは今のグリマルディが一刻も早く立ち直ることが先決です」

ヴィヒレアの一部にならなければ、再建の援助はしない。そう遠回しに言っている。確かに完全な善意で他国を助ける必要などない。ヴェルデ女王のお考えに自体には、全く異論は感じない。だからこそ次に言うことが怖かった。


「恐れながら、我が国を併合することは貴国にとって、利益よりも不利益の方が大きいと考えます」

「どういうことでしょうか?」

「ヴェルデ女王もご存じの通り、我が国は四方をヴィヒレアも含めた4国に囲まれております。ヴィヒレアを除く残りの3国のうち2国はヴィヒレアと国境は接しておらず、1国は海路でしか接しておりません。我が国を併合すれば、これら3国との通商はよりスムーズなものになるでしょう。加えてなにかあった時に派兵できる勢力圏も拡大します」

「間違ってはおりませんが、少し付け加えることがあります。グリマルディの先王は、3国のうちの我が国と海路を接する忌々しい1国の圧力に屈し、我が国と残り2国との通商に、制限を設けておりました。これはアホ王子が政務を取り仕切っていた時も解消されておりません。……馬鹿なので、これの存在を知らなかっただけという可能性が多分にありますが。しかし貴国を併合すれば、それが恒久的に解消されます」

「ですが、我が国を併合してしまった場合、その忌々しい海路を接する1国、アフマル神聖帝国と陸地で国境を接してしまうことになります。アフマルとの直接対峙は貴国としても避けたいのではないですか?」

 アフマルはヴィヒレアと同じ規模の大国で、共に長い歴史を持つ。過去には何度も戦争をしてきた国で、今でも国際社会ではライバル関係にある。

 もし国境を接することになれば、緊張が高まる可能性が高い。もっともヴェルデ女王が、それに気づいていないはずはないのだが……。

 現にヴェルデ女王は、表情一つ変えていない。


「アフマルとは、もう100年ほど戦争はしておりません。その間も海では隣接しておりました。それほど大きな問題とは考えておりません」

「それは100年前に、陸地での国境が無くなったからではないのですか? もしそれが再開すれば、アフマルが貴国への態度を変える可能性は十分にあります。また防衛線が複雑化するリスクもあります」

「ラヴェンナさん、随分と難しい言葉を、お使いになられておりますね」


 女王陛下は微笑を浮かべて、アレッサンダル様をチラリと見た。

 ……バレた! 私が先ほどから言っていることは全てアレッサンダル様からの受け売りだ。甥が他国の利益を守るために動いていることに、ヴェルデ女王はイラっと来ている。私は冷や汗を流しながら話を進める。


「ですので、まだ併合は行わず、資金と物資の援助に留めて、影響力を徐々に広げていくことを提案いたします。先王が設けた通商制限も、解消することを約束いたします」

「それだけで、我が国が貴国に影響力を広げることができるとは到底思えません」

「勿論、それだけでは不十分です。私には王位継承権はあるようですが、実際に政治を行った経験はありません。ですので、夫であるアレッサンダル様に共同の統治者になって頂き、実権は全てアレッサンダル様に委ねます。アレッサンダル様にはバルダハール領を立て直した実績がありますので信頼性は十分かと」

「……」

「さらにアレッサンダル様はヴェルデ女王の甥御です。私との間に生まれるであろう子供はヴィヒレア王家の血を引きますので、影響力は確実に強化されます」

「……条件があります。我が軍を、この後も駐留させてください。アフマルを含めた周辺国を刺激することになりますが、現状、我が軍がいなければ、治安維持ができないことは、ラヴェンナさんもお分かりではないかと思います」

「かしこまりした。ただ、駐留期間は設けさせてください。具体的な期間については、本日はもう遅いので、明日またお話いたしましょう」

「最後に1つ大丈夫でしょうか? アレッサンダル、いくら妃といえど、他国の者に肩入れして、自国の利益を脅かすようなことをするなど、どういうつもりなのです? アナタには失望しました」

「伯母上、この件に関してはヴィヒレアの利益を一番に考えて、ラヴェンナに助言いたしました。この提案は、ヴィヒレアとグリマルディ双方にとって最善の策です。ヴィヒレアの影響力を安全に、そして確実に広げることができます」


 ヴェルデ女王は険しい顔で私を見据えた。これは不味い。理論で正しい条件を飲ませても、人は感情で動く。強い反感を抱かせれば、全てが無駄になってしまうかも知れない。

 そのとき、ドアが開く。


「ギャハハハ! ヴェルデ! てめえ、すっげえ悔しくて泣きそうになってるだろ!」


 お父さんだ。ヴェルデ女王の泣きっ面がみたいと言っていたので、私達より先に入城して、一連のやりとりを隠れて見ていたのだろう。


「政治関係の助言をラヴェンナにしたのは坊ちゃまだが、お前に関する助言は俺がした! てめえとは20年来の付き合いだから、どうやれば吠え面かかせられるのか事細かに教えてやったわ! ざまあみやがれ! 日頃から俺をストーカーしてるからこんな目に会うんだ! 分かったかクソ女!」

「……う、う、うわーーん!」

「最高だ! 愉快だ! メシウマだ! ギャハハハ!」


 ヴェルデ女王が大きな声で泣き始めた。今まで見たことがない姿に、私は困惑する。


「聞いて下さいコウスケ様! ラヴェンナさんとアレッサンダルがグルになって私をいじめるのです! うわーん! うわーん!」

「うるせえ! いい気味だ! てめえもう30後半なのに、こんな泣き方して恥ずかしくねえのか! ギャハハハ!」

「うわーん! いつものツンデレは大丈夫なので、今は素直にヴェルデを慰めてくださいませ! うわーん!」

「やかましい! 家を弁償しろ! 慰謝料も払え! ドサクサに紛れて盗んだ聖女のポーションも返せ!」


 なんだか分からない。だがこれは先ほど抱かせてしまった反感を払拭し、ついでにお父さんに先日の復讐もするチャンスだ。高鳴る喜びを必死に抑えながら、ヴェルデ女王に心配そうに声をかけた。


「落ち着いてください。お義母様、お父さんは悪気があって言ったわけではありません」

「お義母様? 叔母様ではないのですか?」

「女王陛下はお父さんのお嫁さんなので、私から見れば義理のお母様です」

「確かに。ラヴェンナさんとの関係は叔母より母の方がしっくりきます」

「はい、お父さんはいつも冗談を言いますから気にしないでください」

「そうですね! コウスケ様の妻として未熟でした! 反省しなければ!」


 ヴェルデ女王は立ち直って、とても上機嫌になった。正直、お義母様と言ったら年齢的に不快に感じてしまうのではないかと危惧したが、それが杞憂に終わったことに胸を撫でおろす。


「ラヴェンナ! 何度も言うが俺はお前の親父じゃねえ! 勘違いすんな!」

「コウスケさまあ♡ 今宵は私と共にラヴェンナさんの弟か妹をお作りいたしましょう♡」

「よ、よるな! 変態高齢処女! ぎゃああ気持ち悪りい! 誰か助けてくれえええ!」


 ヴェルデ女王はいつもより、勢いよく追いかけ始めた。お父さんはいつもの様に応戦できず、逃げるのに必死になっている。

 グリマルディを守ると同時に、新婚旅行の夜を邪魔された復讐も果たせ、私はとても満足した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る