深い森の町
バイクがガサリガサリと地面に落ちている葉を踏みながら進んで行く。新しい葉が多いのか、タイヤが良くズレる。横にずれたり少し空回りしたり。
元々濡れたり水分の多い場所では、タイヤは滑り易い。
仕方ないとはいえ、よろよろと進んで行くような状態にディナは困っていた。揺れすぎてちょっと気分が悪かった。
その顔色を見てヨルがバイクを止める。
「降りて歩いた方が良いな」
「…そう?」
「ああ。このままは良くない」
ディナの両脇に手を入れて地面に下ろす。ヨルは平気な顔なのがちょっと悔しかった。
自分の足で立つとすぐに眩暈は消えた。歪んでいた景色も元に戻る。
ヨルもバイクを降りて隣を歩き出す。そしてバイクは後ろからついて来た。
ディナは振り返り誰も乗っていないバイクを見る。
「動いてる?」
「勝手について来るから気にしなくていい」
そういえば“ざんけつ”に襲われた時も勝手に走り出していた。
「自動で動くの?」
「完全に自動では無い。俺を追尾してついて来る」
ヨルが自分の耳をトントンと触って言った。よく見るとヨルの耳には何種類かの飾りがついている。
「それは?」
「ピアスに似せた機械だ。耳に埋め込んである。それの追尾もここにある」
また耳を指して言う。
その耳を下から眺める。何だかおしゃれな気がする。
「いいなあ。そういうの私もしてみたい」
「…痛いぞ」
「え、痛いの?」
ヨルが頷く。ディナは歩きながら痛みと引き換えに、おしゃれをしたいか考えだした。
今はまだその時ではない。
そんな気がした。
湿気の多い地域の為に、歩くだけで汗が出て来る。足元はしっかり踏みしめないと水気の多い葉で滑る。
不意にヨルが腰の銃を抜いて、頭上を撃った。
ビクッとしてディナが頭上を見る。小さな動物が落ちてきた。
ディナの眼の前に落ちて、もう動かない。
それの足を掴んでヨルが持つ。それからまた歩き出した。
「え?」
「ん?」
「それ、は」
「…今日の夕飯にするが」
やはり。生々しいそれは小さく血を流している。
ディナの知識には無い動物だ。
「それなんて言うの?」
「これの名前か?」
少し持ち上げてヨルが見る。ディナが頷くと自分の握っているものをじっと見る。
「名前、か」
何だったかな、そう言いながらヨルは歩いている。
ディナは後について行く。
名前が無い動物。
その肉を喰らう。
「食べなきゃ駄目?」
「うん?」
ヨルは片手に持ったそれをディナの頭ぐらいまで掲げる。
「…嫌か?」
「うん」
「そうか」
ディナの返事を聞いた途端に、そう言って遠くの木の根元に投げ捨てた。
無造作に投げ捨てられる物を呆然と見る。
「え」
「危険だから撃った。それを放置するのは嫌だから食べようと思った。それだけだ。嫌なら食べなければ良い」
「え、うん」
それはどちらが優しいのか。投げ捨てるほうか、食べるほうか。
「ふ、普通は食べるの?」
ヨルの服を掴んでディナが問いかける。
「…半々かな」
そう言ってから急にディナの頭をぐっと押す。
肩に掛けていた銃を半回転させて、ヨルが放った。
轟音があたりに響く。
「ひっ」
押されてそのまま屈んでいるディナはヨルを見る。
ジャキッと薬莢を出して素早く二発目が放たれる。轟音。
ヨルが狙っている先には、大きな獣が突進して来ていた。
素早く弾を込め、もう一発叩き込む。
獣の勢いが緩む。また轟音。薬莢が足元に落ちる。
獣は動かなくなったが、手早くヨルが弾を込める。それから銃身をガチャリと起こした。
ディナを庇う様に身をかがめていたヨルが立ち上がる。
「今の時期には珍しいな」
少し息を吐きながらヨルが言った。
「こ、これ、なに?」
「熊だ」
「くま」
動物だ。この資料は記憶に有った。しかしそれは動物園にいるもので。
けして森の中で人を襲う物では無かった。
「これは食べる?」
「いや、これは置いて行く。さすがに持っていけない」
「う、ん」
「銃声を聞いて誰か取りに来るだろう」
誰か取りに来る。取りに来たら食肉になるのだろうか。
ヨルがディナを見る。
「人が来るか獣が来るかは知らないが」
ディナは、こくんと頷いた。
どちらにせよ、誰かが食べるのだ。地上では倒されたら何かが喰らう。それは多分きっと自分も例外ではない。
自分を青い顔で見上げているディナをヨルが片手で抱き上げた。
「え?」
「少し急ごう。気配が多い」
森の中が不穏だと言っているのだろうか。ディナはヨルの首に腕を回す。ヨルが走り出す。ディナに合わせて歩いていたが、ヨルが走りだせば移動の時間は随分短縮される。
流れていく緑の風景が、美しく見えるのだが。ディナにはそれがただ美しいものには思えなくなってしまった。
よく見れば木々の隙間から覗いている何かの眼が。空を飛ぶ何かの羽音が。走っている足元の蠢く姿が。
このヨルだけが。よすがの全て。
ぎゅっとしがみついてくるディナに、ヨルが呟く。
「大丈夫だ。俺が守るから」
「うん」
走る先に、石の欠片が増えてくる。
荒い息で話さなくなったヨルの見ている先。そこに小さな光が見えてきた。
揺られてウトウトしていたディナも、見えてきた光に目を凝らす。
それは人口の光で。木々の向こうに石造りの壁が見え始め、それが町の門だと分かるぐらいには、ディナの眼も覚めていた。
門をくぐる前にヨルに下ろされる。さすがにヨルもすぐには喋れないようだ。
それでも5分もしたら話してくれた。
「此処は、ハトゥラ。深森の町だ」
「うん」
バイクが後ろに付いて来る不思議な光景に、街の中に居た人たちがこちらを見ている。ヨルは視線を無視して入り口から少し入った家の前に止まった。
そこでバイクの上に座る。
そこから動かないヨルの傍に、ディナも座る。バイクのシートを少しずれてくれたヨルにくっつく。
まだ浅く息をしているが、もう苦しそうでは無かった。
しかし、何を待っているのか。
この場所は道の外れで、殆んど人が通っていない。
ディナがヨルを見上げる。お腹が空いているのだが、ヨルはそこを動きそうもない。もう少し我慢しようとヨルにくっつくと、頭を撫でられた。
暗くなるまで待っていたが、その場所に誰かが来ることはなかった。
ヨルがバイクを発進させる。
今入って来た町の門を潜り、入り口横に自動ハウスを展開した。
「待たせたな」
「ううん」
きっと誰かを待っていた。それが分かっていたディナは首を横に降る。何かを考えながらヨルが風呂に向かう。出て来るのを待とうかと思ったが、ディナも早く汗を流したかった。
ヨルが入るのと同時にディナも風呂に入った。
ディナを見てヨルが固まる。
「なぜ」
「一緒でもいいでしょ?」
先にお湯に満たされた浴槽に入る。それからヨルの身体を見た。
随分自分と違う気がする。
見られているヨルは、これは有りなのか悩んでいる。
「ヨルは男の人だよね?」
「…そうだ」
諦めて座り、身体を洗いだしたヨルを見る。
「私と違うね?」
「そうだな」
「どうして?」
それの返事がない。
頭を洗っているヨルに返事を求めてみるがまったく返事がない。
「ねえ?」
「その話は次にしてくれ」
「え?うん。分かった」
非常に困った顔をしているヨルを見て、ディナは今回の質問は諦めた。
しつこいのは良くない。うん。
湯船に入らず出て言ったヨルを見てディナは首を傾げる。
一緒に入ってはいけないのかな。
キッチンでヨルは悩んでいる。
子供だから良いのか。それとも少女だから駄目なのか。
何歳までなら良いのか。制限があるのか。
母親ならいいのだろうが。
野菜を切りながらも、ヨルに答えは出ない。
…父親って大変だな。
そんな俗な感想で、ヨルはこの話に悩む事を止めた。
すっかり満腹で寝ているディナを見てからヨルは外に出る。
待ち合わせ場所に誰も来なかった事を少し疑問に思ったが、町は崩壊している訳でもなかったし、守り人に会えない事も仕方なしと煙草を咥える。
明日は街で買い物をして、本来行く先だった町の方へ行こうと思いながら森を見る。今日はやけに地面が滑っていた。多分、巨大なナメクジの様なものが森に増えているのだろう。滑った地面で走るのも苦労した。
何か変化が有るのか。それともこういう時期なのか。定住していないヨルには判断が出来ない。話を聞きたかったが、居ないのならば仕方ないだろう。
煙を吐いて、木々の隙間から星を見る。
この町には、いま二人守り人がいるはずで。ビリーフの情報が正しければ元々管轄しているプレシャと何故かこちらに来ているレイタがいるはずだが、どちらも現れなかった。
面倒になっていなければいいのだが。
そのヨルの前に誰かが近づいて来た。目の前の森からぬっと人影が現れる。
ヨルが煙草を咥えたまま、銃を構える。
「誰だ」
それは傷を受けた女性で、その顔に見覚えがあった。
「プレシャか?」
以前見た時よりも大きく育っている姿に、完全に確信が持てない。
「ああ、ヨル様ですね。こちらにいらしていたのですか」
よろよろと近づいて来る。
「止まれ」
ヨルの短い言葉に、プレシャが立ち止まる。
そのまま引き金を引く。
プレシャの右頬の横を弾丸が通り過ぎる。風圧で髪が跳ねる。
すぐ後ろで魔獣の叫び声が上がった。
プレシャの腕を握って自分に引き寄せる。
腕の中に置いて、もう一発銃弾を魔獣に打ち込んだ。
白い不定形な魔獣はその場で動かなくなった。
確認はしなくても大丈夫だろう。腕の中のプレシャの顔色を見る。
それから自動ハウスの中に入った。
急いで風呂場に連れ込む。頭からシャワーを掛ける。
それからプレシャの服に手を掛けた。
「あの、ヨル様」
「黙ってろ。何で“骨無”なんかがいるんだ」
服を剥がすと、皮膚が爛れて赤くなっていた。ヨルが眉を顰める。
「…最近増えているのです」
自分の表皮を清めていく水に、少し楽そうな顔をしながらプレシャが答える。
「常にいるという事か」
「はい、以前はいなかったのですが」
「何でお前は森にいたんだ」
「レイタが攻撃をしてきました。逃げて森にいたのです」
プレシャの腹を洗っていたヨルがプレシャの顔を見る。
「洗い終わったら薬を塗る。その時に聞こうか」
「…はい」
プレシャは恥ずかしかったが、ヨルの視線は以前と変わらずに何の意図も感じない眼だ。あくまでも守り人の身体の心配をしているだけの。
本当に、ヨル様はそういう方ですよね。
プレシャのついた溜め息は、水音に流れていく。
服を脱がしてタオルに包み、プレシャをソファに寝かして薬を物置部屋にヨルが取りに行く。辺りを見回してプレシャが首を傾げる。前に見た時よりも物が増えている気がした。
「ねえ、あの銃声は何?」
目を擦りながらディナが入って来る。
プレシャと目があった。
「え、だれ?」
「あなたこそ…?」
クスリの容器を持ってきたヨルが、ディナを見て動きを止めた。
「なぜ、ディナがいる?」
「あんな大きな音がすれば、起きるよ」
「そうか」
そう言ってプレシャのタオルを取ろうと思ったが、はたとヨルが手を止める。それからディナを見た。
「見ているのか?」
「え、ヨルが何かするのを見ていちゃ駄目?」
「……プレシャ、塗れない所は塗ってやる。自分である程度できるか?」
あら?
プレシャが薬の容器を貰いながら、ヨルを見る。別にプレシャに何かを思うのではなく、どう見てもディナを意識していた。
あらあら?
「…俺は外にいるから」
あらあらあら?
出て行ったヨルを見て、自分を見ているディナを見る。
「薬?どこか悪いの?」
「魔獣の“骨無”にやられたのよ」
「ほねなし?また新しい魔獣だね」
プレシャの隣に座って、身体に薬を塗る所をじっと見ている。それからプレシャの身体をしみじみと見て。
「お姉さんは女性?」
「そうよ」
「そんな風な身体は生まれた時から?」
胸を指さされて、プレシャは恥ずかしかったが、なんとなくヨルの気持ちが分かる気がした。これは、質問をする時期の子供では。
「大人になるとこうなるのよ、女性はね」
「え、じゃあ、私もそうなるかなあ」
そこには個人差というものがある。即答が出来ない。
「ディナ、プレシャが恥ずかしいから、そんなに近くで見るんじゃない」
「恥ずかしい。うん分かったゴメンなさい」
ディナが離れてヨルの傍に立つ。
プレシャにヨルが服を手渡す。
「女性用の服があまり無い。これでも来ていてくれ」
何故、女性用の服があるのかは考えないようにして、有り難く着替えさせてもらう。その間ヨルは背を向けてキッチンに立っていた。お湯を沸かしているようだ。
「わたしも、あんなに胸が大きくなるかなあ?」
「ならない」
ディナの言葉に、はっきりとヨルが答える。
「ええ!?大人になれば女性は胸が大きくなるって」
「……なら…」
声が小さくてヨルの声が聞こえなかった。その返事を聞いて、ディナははしゃいでいた動きを止めていた。
「ああ、そっか」
「いずれ、話す」
「うん、待ってる」
ディナが欠伸をすると、ヨルが頭を撫でて抱きかかえた。ヨルの首に腕を回してディナは半分以上寝ている。
寝室にディナを置いて来たヨルは、プレシャにお茶を出して自分も向かい側のソファに座った。
「レイタが、どうしてプレシャを攻撃したんだ?」
事務的な話。プレシャとしてはディナの話を聞きたくて仕方なかったのだが、何よりも守り人の仕事が優先される。
「守護地域を広げたいと言われました」
「なぜ?」
「分かりません。守り人は己の実力に応じて守る地域を決められているはずですが、それが足りないと思ったのかも知れません」
「…そうか。言われれば再試験を受けて守護地域を決めても良いのだが。そういう事ではないという事だな?」
「はい。自分の力で守護地域を拡大したいようです」
ヨルがお茶を飲む。同じタイミングでプレシャも喉を潤した。
「同士討ちは重罪だ。力の強い者がそれを使って他人を蹂躙してはいけない」
「はい。少なくとも話し合いをしないで力で解決を望む者は、守り人には向かないと思います」
ヨルは何かを考えている。プレシャは邪魔しないように黙って待っている。
しかし今いるリビングすら、クッションがあったり、ひざ掛けが置かれていたり。
うん、子持ちの家だわ。
黙って待っていると、余計な事を考えてしまう。
「ここを守るには戦力を増やさねばならないな」
「痛み入ります」
プレシャが頭を下げる。
「新しく守り人を集めるのは難しいのか」
「この地で集めるのは難しいかと」
「そうか」
ヨルが耳を触って連絡をする。何処かはプレシャにも想像できた。
「トラスト、いま、いいか?」
『はい、どうされましたか?』
やはり守り人という組織の要、軍を備えている大都市のトラストに連絡をするのが当然ではある。
「新しい守り人はいるか?」
『どうされたのですか?』
「一人か二人、見習いでもいいからハトゥラに来て貰えないか?」
『レイタの話でしょうか』
「ああ、それを」
『お断りします。そんな守らなくても良い場所に守り人は行かせられません。守るのでしたらご自分でどうぞ』
トラストの言葉にヨルは黙った。何も言わないままインカムを切る。目の前のプレシャにも何も言わずにヨルは外に出た。
プレシャは、多分煙草を吸うのだろうと察して声は掛けない。
そしてトラストが言ったであろう言葉を想像する。
断られたのだろうなと思った。
ここは森が残っている稀な土地ではあるが、資源がある訳でも人が多い訳でもない。ただの森が存在しているだけの場所だ。
軍人のトラストには無価値に思えただろう。
ヨルは夜明け前の空を見上げながら、煙草を吸っていた。
そうか、地上に於いてこの場所は不要と思う者もいるのか。木々が無ければ人は生きていけなくなるかもしれないのに。
それとも天空のように全てをシステムにして、生きていきたいと思っているのだろうか。軍事だけでは生きていけない。農作業も商売の流通も、服の縫製だって軍人ではできない。
ただ戦う事だけをする国は、いずれ滅びる。
戦いに勝ったとしても、滅びるのだ。
トラストは滅びを選ぶのか。
そこまで考えてヨルは苦く笑う。
自分もディナが来るまでは、この世界が滅んでいいと思っていたくせに。
守る者が出来たからと言って、以前とそこまで意見は変わっていないはずなのだが。気が付かないうちに、ずれていたりするのだろうか。
滅びを受け入れる時期が遅くなるというのは、思考の変化かも知れないな。
どちらにしろ新しい人員は来ない。
ならば、プレシャに頑張ってもらうしかない。
ヨルは家の中に戻り、ソファに座っているプレシャを見た。
「プレシャ。”覚醒“する気はあるか?」
「え?私がですか?」
ヨルの言葉にプレシャが背筋を伸ばす。
「ああ」
「…すべての守り人に恨まれそうですね」
困った顔でプレシャが笑う。ヨルは笑わずに黙っていた。
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