第4話 気高き主(3)
「でも何故なんでしょうか、人を襲うようになるのは……」
「邪魔をされたくないんだろうね」
人に踏まれ浚われ邪険に扱われるのはきっと許せないのだろう。だから
折りたたみの小さな椅子をエレインに譲り、アルルカはシートを畳んでそれに座り
人の手が加えられていないこの場所はテントを広げる空間もなく、色々な生き物の存在を感じる。蛇避けを置いておけばある程度の危険からは身を守れる。
スラッジランガーの警戒に引っかからず川の見える位置でふたりは川を見つめる。もしかしたらスラッジランガーは近くに人がいるのに気づいているのかもしれない。けれど危害を加えないと分かったのか、それよりも優先すべき事があるのか襲いにくる様子はなかった。
ただ川底を這っている。
古いカンテラの灯りがゆらゆらと揺れる。
「食事処で頼んできました」
そう言ってエレインは包みを出した。
「クラウンチーズとハムと葉野菜のピリ辛サンドとチーズソースのたっぷり野菜サンドです。道中新鮮なお野菜は食べることが出来ないのでお野菜を中心に選んでみたのですが、どうでしょう?」
「いいね。美味しそう」
アルルカが嬉しそうに受け取ったことでエレインはほっとして自分の包みを開ける。
固めの茶色いパンには黄色のチーズと野菜がはみ出るほど挟まっていた。
アルルカとエレインはふたりともチーズソースの野菜サンドを手に取った。
がぶり。
大きな口で頬張ると端から野菜が包みの中へと落ちる。慌てて片手でサンドを持ちもう片方を皿のように下に添える。
チーズソースのチーズは何か混ぜてあるのか塩気よりも甘みの方が強い。千切りにされた野菜は軽く火が通っているがシャキシャキとした食感が失われていない。油の風味だろうかふわりと爽やかな風味が鼻を抜ける。
チーズソースと野菜の水分をパンが受け止めて食べ応えがある食感をしながらもしっとりしている。
少ないかもしれないと思い不安だったが腹に溜まりそうでエレインは安心して隣を見るとアルルカはすでに野菜サンドを完食していた。
「そういえば、なんで
アルルカは包みからもうひとつの方を手に取りながらエレインの疑問に答える。
「今もだけど、大昔から家を作る時とかの接着剤によく砂が使われてたんだ。もちろん砂を加工してだけど……。だから間に挟むことをサンドって言うようになったって説が有力かな」
「なるほど……」
アルルカは説明をし終わるとクラウンチーズが挟まるチーズサンドを1口頬張る。
昼間食べたものと違い、火の入っていないそのままスライスしただけのクラウンチーズはもちっとしており口からチーズが伸びていく。
塩気が強くなりそうだが葉野菜がチーズとハムの塩気を和らげ、スパイスの効いたピリ辛なソースが全体の味をぎゅっと締めてくれる。
「美味しかった。ごちそうさま」
アルルカは食べ終えるとエレインにお礼を言う。
エレインは口に入っていたふたつめのサンドを飲み込み昼間の宿のお礼とこの場に同行させてくれたことにお礼を言い返す。
「今だけじゃなく、本部まで送ってくださることも、本当に感謝しているんです」
「本部には俺もそろそろ行かなきゃって思ってたから」
「道中も勉強になることばかりで、こんなに色々なことをしてもって……」
エレインはアルルカから与えられるばかりで自分が何も返せないことを心苦しく思いついサンドを持つ手に力が入る。
「エレインさんは人について詳しいよね」
「父が、生物の……特に人間の研究をしていた影響です」
「なら、それを俺に教えてよ。俺は歴史とか動物とかはよく知ってるけど、そういうことには詳しくないからさ」
アルルカが興味を持っていたのは人の作りだした歴史であったり、動物の生態やそれに伴う自然への影響などで、人間というものに興味を持ったことはなかった。
けれど、旅をしている内に色々な人に出会い、自分の理解の及ばない出来事に出会うことがある。
その人個人について理解したいとは思わないが、少しだけ興味が湧いたのだ。
エレインはアルルカがこれまで出会ったことのない種類の人間だった。不思議だと思う原因が過去の記憶喪失によるものかは分からないが、エレインはどうしてかアルルカの興味を刺激した。
エレインはアルルカにとって金の林檎で気高き主と同じような観察対象だった。
「俺の知識をあげるからさ、エレインさんの知ってること、思ったことを教えてよ」
それからエレインが食事を終えるとアルルカは早速この村についてエレインに聞いた。
「そうだな、手始めにこの村をどう思った?」
「酪農が盛んで、水源に恵まれています。クラウンチーズというチーズとアマハナの加工品が主な特産品で他にも作物の育ちが良いですが、砂糖や卵などは他から仕入れているようです。他所から来た人にも親切にする優しい気質の方が多いように思えました」
「うん」
「それと、この川の件を鑑みると危険だと思えば徹底的に避ける印象を受けます。安全だという確証がなければ、川に近づこうともしないかもしれません。専門家に川の水質調査をした方が……いえ、これは出過ぎた真似ですね」
村の人間でもないのにいきすきたことをしようとしたとエレインは最後の言葉を訂正した。
アルルカはこれまでの旅を勿体ない過ごし方で終わらしていたエレインがここまで周りを見れていたことに満足してにっこりと笑う。もしかしたら本来のエレインはよく周りを見ることが出来る人間で、人に興味を持つことが出来る人間なのかもしれない。
「次に見つけたリチェルカ協会で記録を提出する時にでもこの川について手紙も出しておこうか」
「え?」
「もう一度調査の必要がある可能性があると一筆書くくらい普通のことだよ。状態の変わったところを再調査するのはよくあることだからね」
その言葉にエレインはぱっと顔を明るくした。
無表情に近い顔は意外とコロコロとエレインの心に従って雰囲気が変わる。分かりにくいのに分かりやすくてまるで動物のようだとアルルカは思った。
――ぽちゃん
水の跳ねる音が聞こえた。
寝ていたティティもその音で起き、耳を動かして音を集める。
「チ」
――ぽちゃん。ぱしゃ。ぱしゃん。
魚の跳ねる音がした。
それはスレッジランガーの体格が出せる音よりも随分軽く、そしていくつも鳴った。まるで何匹も魚がいるかのように。
アルルカはエレインに静かに移動をすることを約束させて少しずつ川へと近づく。
川はぼうっと光を放ち、その姿がよくわかる。川を魚の形をした水が生きているように跳ねている。それらの水の魚は1匹1匹スレッジランガー……いや、ノーブルランガーの元へ向かいノーブルランガーの中へ消えていく。
全ての水の魚がノーブルランガーの中に消えるとノーブルランガーは大きな体を川から出して飛び上がる。
――ばしゃんっ!!
これまでで1番大きな音を立てた水面は波が幾重にも広がっていく。
波が収まった頃にはぼんやり光る光もノーブルランガーの姿も川にはなかった。
試しに川へ音を立てて近づいても襲われることはない。ティティが川へ近づき川の水をチロチロと舌を使って飲み出す。
まだ毒素の消失を確認していないエレインは慌てたが、ティティはなんともない顔をしておりアルルカも普通にしている。
「毒があれば動物は近寄りすらしないよ。命に関わることには人間よりよっぽど敏感で賢いから」
「じゃあ本当にこの川は……」
「毒素も消えてるだろうね」
万が一朝にかけて更に何かが起こった時のために記録水晶は朝まで設置したままにし、リュックを枕に寝ることにした。すぐに眠ったティティの横でアルルカは起きている気配のするエレインに声をかけた。
「眠れない?」
「はい。なんというか、こう……胸がドキドキして目が冴えてしまって」
生まれてから初めて神秘に触れたエレインは興奮で眠ることが出来ないでいた。
リチェルカとして旅をすればこの感動を見ることが出来るのだとますますエレインのリチェルカに対する憧れは強く鮮明になった。
あの気高いノーブルランガーの姿を思い出しているうちにエレインは夢の中へと導かれていた。
「おやすみ」
――行こう。どこまでも。
水の中を進んでいく。
自分の中へ消えた同胞を抱いてその魚は泳ぐ。
その姿はまさに魚たちの気高き王だった。
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