第1話 金の林檎(4)
金の林檎はたった数分でその姿をただの平果へと戻した。
日は昇り、落ちた平果を食べ終えたカペルスは帰っていくこともせずにむしゃむしゃと雑草を食べ始める。
「平果は周りの作物に影響を与えるの。だからこうして離れた場所で林とも距離を置いて育ててるのよ」
「そこまでして平果を育てる意味はあるんですか?」
「そうよね。そう思うわよね」
テミスはアルルカの疑問に苦笑いをして、まだ金の林檎の興奮から冷めずはしゃぐ子供たちを見つめる。
「私も小さい頃に姉さんとこの景色を見たの。――ああ、こんなにも美しい光景があるんだ。って思ったわ。あの時の感動を、今でも鮮明に思い出すことが出来る」
「平果は貴女たち姉妹の思い出なんですね」
「甘い平果パイもね」
アルルカの言葉にテミスは綺麗に笑った。
遅れて今起きたばかりのティアが合流し、子供たちの満足そうな様子に笑うと平果の実を見ると眉を下げる。
「この後カペルスの毛を拭き取るのが大変なのよねぇ」
「小さい頃からお姉ちゃんはその作業苦手だもんね」
カペルスの毛は枝や葉にはつかず、実のみに付着している。出荷するにはひとつひとつ丁寧に拭き取らなければならない。
アルルカは素晴らしい光景と美味しい平果パイのお礼にその作業を手伝うことにした。ナーラたちもアルルカが手伝う様子を見て小さな手で丁寧に拭いていく。
傷つけないように落とさないようにと恐る恐るゆっくりと拭く姿が初々しく、アルルカと姉妹は顔を見合わせて笑った。
「よしっ。みんなありがとうね。助かっちゃった」
「これでまた美味しい平果パイ作れるの?」
「そうよ〜」
「でもおれたち、お金ないから買えないや……」
あの平果パイをまた食べることが出来ないと悲しそうに俯く子供たちにテミスは慌てる。かと言って食べたい時に無料で食べさせていては他の子も羨ましがるだろうし、そこまでの余裕は姉妹たちにはない。今回のことだって平果の出荷の手伝いと、その前にアルルカが子供たちの分を含めた平果パイや夕飯の代金を支払ってくれたことがあったからこうして振る舞えたのだ。
アルルカの善意と対価の上に、この子たちは今ここにいる。
善意だけでいつでもご馳走するとは言えないのが現実だ。
「お金がないなら稼げばいいのよ」
ティアが明るい声でそう言った。
「どうやって?」
「お店の掃除を手伝ってちょうだい」
「姉さん! そんな余裕ないわ」
テミスはティアの提案を否定する。平果を育て、平果を売りパイを売り、ふたりで生きていくことで精一杯だ。平果の実らない時は他の仕事をして稼がなければならない程度には金銭の余裕はあまりないのだ。でもそれは姉妹が思い出を最優先し取捨選択をした結果。それを後悔したことはないが、今こうして手を伸ばせないことにテミスは歯がゆい思いをしていた。そんなテミスの思いをティアはよく分かっていた。
「そうね、だから10日に1回、平果パイをご馳走の代わりにお店の掃除でどうかしら?」
自分の子供でも徒弟でもなくこの歳の子供を雇ってくれるところはあまりない。あったとしても寝泊まりする場所と最低限の食事の提供だけで、給料など出ずに1日働き詰めがほとんどだ。そんな中提示されたティアの条件は好条件とも言える。
「ごめんなさいね。いつでも食べにおいでと言えたら良かったのだけれど……」
「やる! やります!」
「おれも!」
「ナーラも!」
子供たちは手を挙げてティアの提案に乗っかる。
「じゃあよろしく頼むわね」
子供たちに明るい笑顔が戻る。苦笑いをしてテミスを振り返るティアに、テミスは仕方がないなとため息をひとつして同じような笑顔を返した。
「いつも勝手に決めてしまってごめんなさいねテミス」
「もう慣れたわ。それに、姉さんはいつも私が選べないことを選んでくれてるだけよ。……ありがとう」
すっかり空が明るくなり、アルルカたちは孤児院に帰る準備をする。子供たちの相手をテミスがしてくれている間にアルルカはテントを仕舞う。
「アルルカさん、これ良かったら旅のお供に。嵩張るかしら?」
そう言ってティアが手渡してきたのは手のひらに収まる大きさの包みだった。中には紙に包まれた小さな丸いころりとしたものがいくつも入っている。
「平果の樹液から作った飴なの。パイにかけていたシロップも同じ樹液から作っているのよ。ほとんどシロップに回してしまうからこの時期はあまり量がないのだけれど……」
子供たちには秘密ね。とティアはウインクする。
「ありがとうございます。大切に食べますね」
飴を懐に仕舞いアルルカはティアと握手をする。
「良い旅を」
子供たちに声をかけて来た時と同じように連なって林を進む。
街に着く頃には既に人々は忙しなく働いている。子供たちを孤児院へと送り届け、院長へその挨拶へ向かう。
「無事に送り届けました」
「ええ。ご苦労さま」
院長は穏やかな表情でアルルカを出迎えた。
「あの子たちにとっていい経験になったことでしょうね」
「そうだと、いいですね。……そうであってほしいと思います」
孤児院の庭ではナーラたちが他の子供たちと楽しそうに笑っている。
院長とナーラたちと別れの言葉を交わしてアルルカは宿へと戻り、眠りにつく。子供たちに何かあってはいけないとずっと起きていたアルルカはやっと眠ることが出来た。
協会に今日取った記録水晶を提出することも日誌を書くことも起きたらやろうと思いながら意識を手放す。
夢の中ではキラキラと輝く金の林檎と子供たちの笑い声が響いていた。
それから数日、炭鉱の方も調査をし、周りを探索したが特に気になることもなかったのでアルルカはこの街を後にすることを決めた。
まだ暗さの残る雪の降る街をアルルカは歩く。
あと数歩で街から出るという時、子供の声がしてアルルカは振り向く。そこにいたのはナーラを心配していた兄のような方の男の子だった。人見知りなのかあまり会話をすることがなかったその子がどうしたのだろうと思っていると、鼻先を真っ赤にしながらアルルカに駆け寄ってくる。孤児院を抜け出してきたのだろう。
「あのっ、おれ」
「うん」
「おれっ、もっと大きくなったら旅をする! お兄さんみたいに色んなところを旅をして、それで色んなものをみる」
「うん」
「おれに、出来るかな」
意を決したような瞳が少しだけ不安で揺れる。それでも少年の瞳には強い光が灯っていた。
アルルカは巻いていたマフラーを少年に巻いて頭を撫でる。
「いつかまた会おう。この世界のどこかで、君と出会うことを待ってる」
「うんっ!!」
雪の降る街。平たい酸っぱい林檎が売っている小さな街を夜明けと共にひとりのリチェルカが去っていく。
街の人たちはいつもと同じように起きて仕事を始める。
マフラーを巻いた少年が新たな夢を抱いて、今日が始まる。
「寒い日には温かいスープはどうだい! 旅人さんも満足のお味だよ!」
今日も街には人の声が行き交っている。
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