僕は神様が、

「なぜそんなものを思い出したのか」

と問いかけたとしても、絶対正確に答えられなかったであろう。なぜなら、これに、特段大きな理由はなかったからである。今の僕は、万物に理由づけをする必要はないと考えていた。ならばそう……、


「不意に思いついた」とでも言えばいいだろうか、と。


 現実世界のブラックホールの中では、一度引き込まれた情報は抜け出すことができない。光すらも。そして一説に、引き込まれた情報はいずれ蒸発してしまい、認知できないどこかへと消え去ってしまう。

 僕はそれが、まるで脳内の記憶のようだと感じていた。記憶はいつか忘れ去られてしまう。ほとんどがいまだ科学的に未解明の、脳のどこかへと霧散していってしまうようなものだ、と。

 今の僕は、ただ一様に暗黒で小難しい世界を考えるうちに、闇の中でバラバラに霧散する記憶のほんの一片が脳裏をかすめさっていた。

 しかし偶然か必然か、その記憶がかすってしまった僕は、その記憶をのぞいた代償なのかはわからないが、かなり不愉快な気分になっていた。なぜならただ単純に、それが無駄にリアルでグロくて気色悪い想像だったからである。

 「宙ぶらりんになった内臓」というのは、まるで巾着袋のように体のなかで吊るされていて、その吊り糸は細く弱々しい。いまにもちぎれて落ちてしまいそうで、もし何かの拍子でちぎれてしまえば、僕の下腹部に腸やら胆やらが、どちゃどちゃと積み重なるであろう。

 想像を絶する感覚が、鈍い痛みと耐え難い重厚感と共に全身をかけめぐって、何もできずに無常に時が経つと、機能を失ったその臓物たちは屈託して死にはてる。しだいにそれは腐敗し、僕の体はようをなさなくなった体の内壁にゆっくり突き動かされるように、静かにくずおれる。

 僕の体をいまだかつてない不快感が貫いていた。だがその鋭敏な感覚をみょうなトリガーとして、僕はそのおかげで一度冷静になることができた。

 これはあくまで、気色悪い妄想にすぎない、と。

 僕の妄想に、医学的根拠はどこにもない。


 ああそうである。そんな状況は、現実にありえないのだから……。


 と、そう思った時、次の瞬間から、僕はいったん別のことを考えていた。だかそれにも深い思惑はなかった。ただ、奇妙な気色悪さを忘れたかったのである。だが、その「別のこと」というのは、今になってみると思い出せない。きっと、それは思い出せないくらいに些細で稚拙なものだったにちがいない。

 がそのせいか、その次、ふと僕は、もしいろいろな現実を無視し、僕の奇妙な妄想が起こりえたとした場合、そのとき僕はどうすればいいのだろうか、と考えてしまったのである。


 僕はひたすら歩く中で、ひたすらその「宙ぶらりんの臓物」について、再び自問していた。いまさらながら、やはり非常に気色悪い自問ではある。が、その感情に反してその光景はしつこく、どうしても僕の脳裏にひっついたまま離れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る