1部4章 ストラクを目指して 3

 お腹いっぱいになって。

 涙も流したからか。

 シルキアは食べ終わると、すぐに欠伸をするようになった。

 我慢させるより眠気があるうちに眠らせたほうがいいと判断したオレは、自分の両腿を枕代わりにさせて妹を寝かせた。横になった妹は、すぐに寝息を立て始めた。オレも眠るときには、妹を毛布まで移動させればいい。一度深く眠ってしまえば、相当疲れているだろうし、その程度で起きることはないだろう。


「散歩」

 唐突にそう言って立ち上がった、フィニセントさん。

「遠くに行ってはダメですよ」

 忠告したディパルさんに対し、フィニセントさんは何も言わずに歩き出す。

 離れていく小さな背を、オレは困惑しながら見詰める。

 今晩は雲も少ないからか月光も強く、しばらくその姿を追えていたけれど、やがて夜に紛れてしまった。見えなくなったのにそこを見ていてもしょうがない。


「……あの、大丈夫なんでしょうか」

 ディパルさんへと顔を向けながら、オレは尋ねた。

「独りで行かせても、という意味ですか?」

「はい」

「そうですね。でも、止めても無駄ですから。やりたいことはやる子なのです」

「そうなんですか……」

 ディパルさんが受け入れているのなら、オレには何も言えない。

 二人のこれまで培ってきた関係性は、二人にしかわからないものだから。


「アクセル、お椀を」

 こちらに伸びてきたカノジョの手に、オレは空になっているお椀を渡す。

 ディパルさんは脇に置いてあった水袋のフタを開き、お椀にとぷとぷと注いだ。

「どうぞ」

 差し出されるお椀。

 しっかり感謝を伝えながら受け取る。

「いただきます」と告げ、早速ひと口。

 ぬるい水は、旅一番の貴重品だとも思えば、凄まじく美味しく感じられた。

 もうひと口飲み、ディパルさんに目を向ける。

 カノジョは自分の飲み水は用意していなかった。

「ディパルさんは、飲まないんですか?」

「……水は貴重ですから」


 だから。

 我慢するということか?

 それは、大人だから?

 それとも、先が短い命だから?

 真意は定かではない。

 ただ……。

 だったら……。


「オレに注いでくださったぶん、飲んでください」

 水の揺れるお椀を差し出す。

 もうこの水は、水袋に戻すことはできない。袋内の水が不潔になってしまうから。

 ここで飲むしかないのだ。だったら、飲み干すしかないのなら、あとは人数の問題だ。

 一人で飲むのか、二人で飲むのか。

 その程度のこと。

 些末なこと。


 ジッと見詰めてくるディパルさん。

「こんなに、一人でいらないです」

 オレは引き下がらない。

「……わかりました」

 カノジョの細い手がお椀を取り、自分のお椀へと少しだけ水を移した。

 返ってきたお椀の中、水量はまだまだ十分だ。

 ディパルさんが口を付けたのを見届けてから、オレも改めてチビチビ飲み始めた。


「……アクセル」

「はい?」

「キミは、ストラクまで行ったあと、リーリエッタまで行くのですよね?」

「そうですね。リーリエッタには行きたいです」

「……ストラクから、シルキアと二人、兄妹だけで行くつもりですか? 誰も頼らず?」

「それは……はい。頼れる人も、いないので」

「……手紙をリーリエッタに送り、迎えに来てもらうことはできないのですか?」

「知り合い、いませんから」


 確実に《リーリエッタ》で生活していると断言できる人でなければ、手紙を送ったところで意味はない。というか、そもそも送り先がない。

 モエねぇがいるかもしれないし、ネルたち避難した人もいるかもしれない。

 でも、不確実だ。ここで、手紙を送れる相手がいるとは言えない。


「そう……でしたら、ストラクに来る行商隊を頼るとイイかもしれません」

「行商隊ですか」

「私が村にいた頃と契約が変わっていなければ、半年に一度、とある商業組合の派遣する行商隊が物資の売買に来るはずです。交渉の必要はあるでしょうが、隊に同行させてもらえれば、安全にリーリエッタまで行けるでしょう」

「なるほどっ、覚えておきますっ」


 素晴らしい知識を授けてもらった!

 その行商隊に同行することが叶えば、オレたち兄妹だけで《リーリエッタ》を目指すよりは、格段に安全な旅路になることは間違いない。

 ……ただ。

 か。


 前回、《ストラク》にやってきたのは、一体いつなのだろう。

 いつの時点から、半年、なのだろう。

 なるべく早くその日が訪れたらいいけれど。

 もし当分先だとしたら、そのときはどうしようか。

《ストラク》で生活しながら、その日が来るのを待とうか。

 それとも、改めて、自分たちだけで《リーリエッタ》に向かおうか。

 しなければならない。


「……そういえば、お金は持っているのですか?」

「お金は……あっ」

「どうしました?」

「その、コテキから逃げるとき、託されたものがあって」

 言いながら、シルキアを起こさないように気を付けつつ、腰紐に括り付けていた小袋を取った。逃げるとき、グレンさんがくれた小袋を。

 袋に意識が向いたからか、別れたその瞬間の光景が頭に浮かんだ。

 腹部を魔族に貫かれながらも、グレンさんは笑っていた。


 オレは。

 生きなければならない。


 シルキアを。

 守らなければならない。


 兄妹二人で。

 幸せにならなければならない。


 守られた命だという自覚が、強く強く胸で弾ける。

 オレはギュッと一度強く袋を両手で握りしめたあと、口紐を解いて中を覗いた。

 初めて目にする中身は……だった。


 右手を広げ、その上に少しだけ中身を出してみる。

 ちゃらりと音を上げながら姿を現したのは、四枚の銅貨。

 ……グレンさん。

 右手を握り締める。


「お金でしたか?」

「……はい。どれほどあるのか、わかりませんが」

 袋は、腰から提げていても動作に支障がないくらいには、小さめのものだ。

 けれど、そんな小袋でも、底がしっかりと丸く膨らむくらいに詰まっていれば、中身はそれなりの量になるというもの。

 となれば、間違いなく、この中身はオレがこれまでの人生で手にしたことがないほどの大金だ。すべてが銅貨だとしても。硬貨のほかにも何か入っているとしても。

「……託されたものと言いましたが、大切な人からなのですか?」

「はい……師匠、みたいな人でした」

「……その方も殺されてしまったのですね、魔族に」


 でした、というオレの言い方から、カノジョは判断したのだろう。

 この世にもう生きてはいない、と。


「オレを庇ってくれました」

「そうですか。生死の狭間において、他者を庇える人は少ないです。相手がたとえ親しい者であっても、子どもであっても。なので、その方は立派な人だったのですね」

「はい。とても立派で、凄い人でした」

「……だとしても、アクセル」

「え?」

「お金はお金、ですからね」

「お金は、お金?」

「大切な人から託されたものとはいえ、大事に大事にしていてはということです。お金は使もの。もちろん、無駄遣いは厳禁ですが」


 使ってこそ、価値があるもの。


 オレは強く頷いた。

「はい。大事に使います、使ってみせます」


「……これから先、仕事、なるべく早く見つけないとなりませんね」

「はい。自分の力で稼ぐことは、少しでも早く始めたいです」

 お金は、使うもの。

 使えば、減っていくもの。

 足さなければ、やがてなくなってしまうもの。

 当たり前のことだ。

 足すために、仕事はしなければならない。

 生きていくために。


「……私は商人として生きたことがありませんので、稼ぐことについて確かな助言はしてあげられませんが。個人的には、機会があればに参加するとイイかと」

「公共事業、ですか?」

「防衛拠点の整備とか、戦場となった都市の復興とか、そういったものです。アクセルなら年齢制限に引っ掛かることはないでしょうし、身一つで仕事を受けることができます。過酷ではありますが、社会に、人々に貢献しながら、確実にお金を得られますし、炊き出しも配給される場合が多いです。やりたいことが定まっていなくて、時間がある、燻っている、そんなときは受けるとイイでしょう」

「わかりました。よく、覚えておきます」

 確かな助言はできない、とカノジョは言ったけれど。

 オレにとっては、充分すぎるほど価値あるものだった。


               ※


 そうして――オレは、フィニセントさんがふらっと戻ってきたところで、眠ることにした。

 シルキアを毛布に寝かせたあと、自分も寄り添うにように傍に敷いた毛布に転がる。

《コテキ》を脱してから初めての睡眠は、寝ようと意識する必要もなく訪れた。

 それほどまでに、疲れていたのだ。

 しばらく聞こえていたディパルさんの鋭い咳ですら、まるで障害に思うこともないほどに。


 目覚めたとき。

 夜は明けていた。


 そうだ。

 人が、大勢が死ぬようなことがあっても。

 眠り、起きれば、朝は来る。


「……ちくしょう……」

 無性に悔しい気持ちになって、オレは呟きながら、滲む涙を拭った。

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