1部1章 鶏と卵は商売の基礎 4
夜の終わりと朝の始まりの合間限定の景色を彩っていた青さが、陽射しによって払われていく。オレは橙色の眩さに目を細めながら、グレンさん所有の敷地に足を踏み入れた。
ここは、どちらかと言えば町の外れの区画だ。
近くにはギルドや役場といった行政組織もなければ、商店や診療所などもなくて、便利とは言い難い。
そんな郊外のこの場所に、グレンさんはオレが生まれる前から、単身で、ずっと暮らしているという。
――人から見たとき価値があると思えた場所を幸運にも得られたのなら、そこで自らが贅沢をするのではなく、そこを活かしてより利益を得よ。自分が多少の不便を我慢することで大きな利益を得られるのなら、それを手にしないことは商売人にとって愚行だ。贅沢なんてものは、ある程度の資産家になれば、やろうと思えばいつだってやれるのだから。
頭に浮かんだそれは、ここを訪れるたびに思い出す、グレンさんの教えの一つ。
前に聞いても教えてくれなかったが、この人は賃料だけでどれだけの利益を上げているのだろう。
以前、町役場で閲覧した不動産の所有情報が脳内を巡る。
今、グレンさんが所有している土地や建造物は、全部で十あった。
ギルドの傍で営業している『シリオ商店』の土地と建物。
診療所の近くで営業している『イリオ食物店』の土地と建物。
町の北門傍で営業している『ロジ厩舎』の土地と建物。
オレたちマークベンチ一家の暮らす長屋の土地と建物。
そして、グレンさん自身の住居であるここの土地と建物の、計十件。
最後の住居以外は、当然、グレンさんは貸主として賃料をもらっているはずだ。
土地と建物は自前でも、そこを利用しているのは赤の他人なのだから。
自らで投資して生み出したものをタダで使わせる人間なんていない。もしそんなヤツがいたら、ソイツの心には何かしらの企みがあるに決まっている。
他人が差し出す『無償』ほど恐れ注意すべきものはない。
これもグレンさんの教えだ。とくに、自分と境遇や立場が近しい者の『無償』には、気を付けても気を付け過ぎるということはない、らしい。
とにかく。
これだけの不動産を所有しているグレンさんの、月々得られる金銭が気になってしょうがないわけだが。まあ、一度聞いてダメだったのだから、改めて聞いてみたところで教えてもらえないだろう。
「あ、ちょうちょ!」
シルキアの興奮した声。
ロットマン邸の土地は、およそ半分を農園が占めている。
農作物の生産と小売り・卸売りをしているわけではないと、以前、グレンさんは語っていた。自分で好きなように生産し、好きなように消費しているだけだ、と。だから手入れも雑になってしまうことがあって、せっかく実ったものを枯らしてしまうこともあるとかなんとか。
もちろん、嘘か真かは、わからない。
というより、オレは嘘だと思っている。
だって根っからの商売人のこの人が、せっかく農園を所有していて、せっかく農作物を作れたのに、それを自分だけで消費するなんて信じられないのだ。
売れば、金になるのに。
しかし、そんなことを指摘した試しはない。
下手なことを言って機嫌を悪くしたら、グレンさんの中にあるオレへの印象が悪くなってしまったら、こっちとしては望まない展開になりかねないから。
オレとグレンさんは、子どもと大人であろうと、借主と貸主の関係なのだ。
長屋を借りている親だけでなく、アクセル=マークベンチも、グレン=ロットマンととある賃貸借契約を結んでいる。
だから、あまり怒らせるようなことはできない。
基本的にこの世の契約には、上下関係というものがある。
対等の契約なんて、実際、ほとんどないのだ。
それはこの小さな町で生きてきただけの、オレみたいな子どもでも気づけること。
だから、誰かと契約を結んでいるものは、その誰かとの関係性に気を遣わなければならない。
とくに、自分のほうが立場が下だとわかっているときは、尚更……。
契約改正によって、自分に不利な条件にされる恐れがあるから。
まあ? この人がオレのような子どもの言葉で気を悪くするとは、微塵も思えないけれど。
農園区画を舞う白色の小振りな蝶――名を、シシロチョウという。この辺りでは頻繁に見かける蝶だ。冬の終わり、春の訪れを告げる、季節の変わり目を象徴する種でもある――を目で追いかけながら、オレたち兄妹はグレンさんの後について目的地に向かう。
――コケーッ、コッコッコッ
石壁で囲まれているこの敷地の一角にある納戸に近付いていくと、鳥の鳴き声が聞こえてきた。前はもっとうるさくて、この敷地に入る前から聞こえてくるほどの音量だったけれど、だいぶ抑えられている。うるさくてかなわん! と、以前グレンさんが納戸の防音性を高めるための改良をおこなうと言っていたが、どうやら上手くいっているようだ。
三人、納戸の前に横並びに立つ。
グレンさんが錠前を外し、木製の戸を開けた。
むわっと、顔面にぶつかってきた獣臭さ。
コケーッと、鼓膜を盛大に刺激してくれた鳥の鳴き声。
グレンさんのあとについて、オレと妹は納戸の中へと入る。
「さぁて、今日はいくつ産んでおるかのぉ」
正面右奥の、簡易の柵と壁で囲っている区画を覗き込みながら、グレンさんが言った。
いくつ産んでいるのか。
オレも気になるところだ。
「コーくん、ケーちゃん、おはよぉ!」
名前を付けるなよと、初めてここに連れてきてグレンさんに見せたとき言われたにも関わらずその日のうちに付けた名前を呼びながら、シルキアは柵にしがみついた。
オレも柵に顔を寄せ、中に目を凝らす。
藁が敷き詰められたそこでは、二羽の鶏が元気に鳴いている。雄鶏と雌鶏だ。
「……あった。三個、かな」
左の壁際、藁の上に、白茶色の卵が三個。
「取ってくるので、入らせてください」
グレンさんに許可を取る。うむと頷いたグレンさんは、柵の一部を括っている草紐を解いた。オレは柵を自分一人が通れるギリギリのぶんだけ開き、中に入る。
コケーーーッ! コッコッ! コケーーーーッ!
侵入者に大興奮状態となった鶏たちが、羽をバサバサさせながら跳びはねる。耳をつんざく鳴き声と、舞い立つ羽毛と塵に顔を顰めながらも、オレは探し物を回収。
なかなかの大きさで、自分の手で三個とも持つのは落としそうで不安になったため、ここでもう一個、グレンさんに渡すことにした。
「グレンさん。これ、今日のぶんの賃料です」
「うむ、確かに受け取った」
オレの掌にある卵を、グレンさんが摘まみ取り、しげしげと眺めながら言った。
これが、オレとグレンさんとの間で結ばれている、契約。
鶏は貴重な財産だ。
健やかに育成すれば、ほとんど毎日、卵という報酬を生み出してくれる。
だから『鶏は駆け出し商人が得るべき最初の資産。そして、鶏が卵を産み、その卵を使って、また別の何かを得る。それこそ駆け出し商人の商売の始まりである』そう言われているくらい、鶏は素晴らしい財産なのだ。
だからオレも、機嫌のイイときに父親がくれる僅かな小遣いを貯め、町民の手伝いなど自分でもやれる(やらせてもらえる)仕事をこなし、雄鶏雌鶏を買った。
そのときの高揚感と言ったら、人生で経験したことがないものだった。
だって、初めての、自分の、自分の力で得た財産らしい財産だったから。
しかも、商人の基礎と言われているものだ。
凄い商人を目指している自分としては、確かな一歩を歩み出せた気持ちになれた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
でも、すぐに壁にぶち当たった。
鶏たちを養育する場が、オレにはなかったのだ。
そして当時のオレが選んだのが、グレンさんを頼ることだった。
グレンさんの所有不動産の一角を養育に使わせてくださいと頼んだのだ。
契約を結ぶ覚悟があるのか。
そう問われ、決断した。
納戸を養育場として使わせてもらう代わりに、毎朝、卵が一個以上あれば、一個を対価として支払う。
そういう内容の契約を結んだのだ。
オレは、残る二個も無事回収し、囲いから出る。
「あ、まだ閉めないでください」
グレンさんが柵をまた草紐で縛ろうとしたため、オレは止めた。
「シルキア。羽を集めてくるから、卵、持っててくれ」
「うんっ」
お椀を作った妹の小っちゃな両手に、慎重に卵二個を置く。
「羽? 何に使うのだ?」
「わかりません」と答えながら、オレは再び藁の上に戻った。
しゃがみ込み、あちこちに落ちている焦げ茶色の羽を拾い集めていく。
「何に使えるかはわからないですけど、この鶏たちはオレにとっての貴重な財産ですから。卵だけでなく、何か、少しでもお金に換えたいんです」
財産を使い、新しい財産を得ていく。
それが商売。
だから、得た財産からは、使えるものはなんだって使い、富を増やしていきたい。
「なるほどなぁ。鶏といえば卵。そんな思考に囚われない、よい考え方だ」
そう、オレは昨日まで囚われていた。
鶏を得た。そこからさらに得られるものと言えば、卵だ。卵を得て、食べるか、売るか、物々交換すれば、自分は満たされていく。それしかない。それだけで充分だ。そう、囚われていた。
しかし、昨日、大好きな人の作った装飾品を見て、ピンと来たのだ。
それには、アオバキジという鳥の羽が使われていた。
だから、もしかしたらオレの鶏の羽も、何かに、誰かに使われる可能性があるんじゃないだろうか。そう思ったのだ。
お金に、何かに交換できる可能性があるなら、羽を放っておくのはあまりにも勿体ない。
抜けた羽一枚だって、オレの鶏――財産が生んだものなのだから。
まあ、アオバキジの羽は、粗野な人間であっても美しいと思えるほどの、濃い青空のような美麗な羽だから、たかだか普通の鶏の焦げ茶色の羽に需要はないかもしれないが。
しかし、かもしれないというのは、可能性があるということだ。
オレは両手一杯に――途中から、両手で足りなくなって、肌着を脱いでそれを袋のように結び、その中に羽を詰めた。たくさん、たくさん。落ちているもの、全部。
拾い集め、オレは上半身裸で立ち上がった。
「まるで屑拾いだなぁ」と、グレンさん。
「見っともないですか?」
「いいや、その考え、その姿勢、むしろ褒めるに値する」
グレンさんは、ニカッと、年不相応に整っている歯を剥いた。
世辞でもなければ、子供だましでもない、素直なものだとオレでもわかった。
「失うなよ、その気持ち、その姿勢。本物の商売人は、常人が屑だと捨てるものでも、何かしらに変えてみせるものだ」
オレは嬉しくなって、でも、気恥ずかしくもあって、「はい」と頷いて顔を背けた。
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