第三話 異変と冷徹会長

 翌日、和哉かずやは教室に到着するなり、すぐさま机に突っ伏した。


「ヤバイ……朝から刺激が強すぎる」


 学校に登校途中、和哉の視線は自然と女子生徒のスカート丈へと向かっていってしまう始末。

 何とか変な目で見られることなく教室に辿り着いたものの、今度はクラスメイト達のスカート丈から見える太ももへ視線が行ったり来たり。

 完全に末期症状の依存者。

 太もも中毒者と化していた。

 出来るだけ変態な欲望を落ち着かせるために、和哉は視界を遮って呼吸を整えていく。


 日常にも変化が生じていた。

 少年雑誌の表紙でセクシーなポーズで胸元を強調するグラビアアイドルにも目が向かなくなってしまい、むしろお尻を突き出して太もものラインを見せているやや大人向けの漫画雑誌の表紙へ視線が行ってしまうし、美少女育成のスマホアプリゲームも巨乳おっぱいが揺れるエルフちゃんから褐色の太ももを惜しげもなくさらした聖女に鞍替え。

 和哉の癖は完全に【おっぱい<太もも】へとシフトチェンジしていた。


 さらに分かりたくなかったことだが、和哉は太ももフェチに目覚めて気づいたことがある。

 それは、好きな太ももの種類があるという事。


 スラリとした太ももより、少し肉付きのあるムチっとした太ももの方が好きであり、白い肌よりも少し日焼けした色黒のムチ足が好きであるということである。

 結論、今まで見てきたどの太ももより、亜美あみの太ももがドストライクということに気づいてしまったのだ。

 恐らく、元々意識していなかっただけで、潜在的に和哉の中に好みはあったのだろう。

 ただしかし、あの消しゴムの野郎がドストライクだった亜美の太ももにダイブしたせいで、性癖が開眼してしまったらしい。


 全く、余計なことをしてくれたものだ。

 おかげで顔を上げることもままならない。


「つーか聞いてくれよ。昨日亜美が帰った後カラオケ行ったんだけどさ~」

「えーまじぃ!? ヤバッ!」


 隣では、いつものように友人と談笑しながらケラケラと笑う亜美の姿があった。

 和哉は気付かれぬよう、突っ伏してふて寝ているふりをしながら、隙間から太ももを覗き込む。


「んじゃねー」


 友達と話が一通り終わりを告げたところで、亜美がちらりとこちらを覗き込んできたかと思えば、トントンと指で和哉の肩をつついてきた。


「おはよ、だてにしー!」

「お、おはよう」

「どったの? 元気ないじゃん?」

「そんなことない」


 和哉は突っ伏したまま亜美に受け答えをする。


「ほら、起きてー! 朝起きはなんかの得だよ!」


 浅はかな知識を披露しながら、亜美がさらに追撃するようにして肩を揺らしてきた。


「あぁもう分かったってば。というか、朝起きは三文の得な!」


 亜美に促され、和哉は突っ込みながら体を起こした。

 顔を上げると、亜美が和哉の顔色を窺うように覗き込んでくる。

 前屈みになっているので、大胆にボタンを開いたシャツから胸元が見え隠れしていた。

 昨日までの和哉だったらその胸元に視線が釘付けになってしまっていたものの、今は全く気にならない。


「うん! 体調は問題なさそうだね」

「だから言っただろ。元気だって」


 そう言って、和哉は視線をすっと逸らす。


(ダメだ、太ももが眩しすぎて直視できない!)


 完全に亜美の太もも中毒者へと変貌を遂げてしまった和哉の視線は、完全に下へと移ってしまう。

 まともに亜美を見つめることもままならなくなっていた。


「ん、どうしたの? 何かあった?」

「何でもない。ちょっと一人にしてもらえると助かる」

「私でよければ相談に乗るよ?」

「本当に大丈夫だから!」


 和哉が無理やり手で制すると、亜美もそれ以上深追いはしてこなかった。


「そう? でも本当に調子悪いなら言ってね。保健室連れてってあげるから」

「うん、ありがとう」


 一言お礼を言って、再び和哉は机に突っ伏した。

 亜美が心配そうにこちらを見つめているものの、邪な目で太ももを見つめちゃうから直視できないなんて口が裂けても言えない。

 その後も、ことあるごとに亜美は和哉に声を掛けてきてくれるのだが……。


「あぁ」

「うん」

「そうだね」


 という、そっけない返事三連発。

 本当は亜美の話にちゃんと返してあげたいのに、挙動不審になってしまい受け答えすらままらない状態になってしまっているのだ。


「……そっか」


 すると、亜美の声が明らかにしぼんでいってしまう。

 申し訳ないと思いつつも、話を続けていたら亜美の太ももをガン見しかねないので、ここは戦略的撤退を行うしかなかった。


 悲しきことかな。

 その後も、亜美がこちらを見ていない隙に、視線は太ももをチラチラ、チラチラ。

 こちらを気に掛けてきたら、スンと視線を逸らす。

 そんなことを繰り返しつつ、あっという間に時間は過ぎて行った。



 ◇◇◇



 亜美は授業中、隣に座る和哉の異変に気が付いていた。

 朝からずっと机に突っ伏して寝そべっている和哉。

 モゾモゾ身体が動いているので起きてはいるのだろう。

 顔色は悪くなかったので、体調的には問題ない。

 それどころか、和哉は時折顔を起こすと、チラチラと亜美のことを見てくるのだ。

 視線に気が付いて亜美が和哉を見ると、彼はぷぃっと視線を逸らす。

 そんなやり取りを何度か繰り返し、亜美はだんだんムズムズしてきてしまう。。


(何よ……いつもならアーシの胸元ジロジロ見てくるくせに……)


 和哉が胸好きであること亜美は知っていた。

 さらに言えば、亜美は大胆に胸元をはだけさせているのは、和哉の反応が見たいからだったりする。

 しかし、今日は胸元に視線を感じないどころか、休み時間に亜美が声を掛けてみても、「あぁ」とか「うん」とか薄い反応しかしてくれないのだ。

 いつもなら、亜美の胸元をチラチラ見つめながらバレてないという感じのすまし顔で楽しく話をしてくれるはずなのに、視線を合わせてくれないどころか会話もしてくれない。

 亜美が何かしてしまったのだろうかと黙考するものの、心当たりが全くない。

 いつもなら前屈みになっただけで胸に突き刺さるような視線を感じるというのに、今日は敬遠されている感じがしてなんだか胸がモヤモヤする。


(どうしちゃったんだろう……もしかして、アーシに愛想つかせちゃったとか?)


 亜美は不安になってきてしまう。

 チラチラと胸元を見つめてきていた男の子が、いきなり亜美のことを避けるような行動をとってくるのだから。

 亜美が悩んでいる間にも、チラチラとこちらを見つめてくる和哉。

 そんな和哉の謎行動に、真相が分からない亜美はだんだんと苛立ちが沸き上がってしまうのであった。



 ◇◇◇



 迎えた放課後、ようやく長い一日を言えて、和哉はぐったりとへたり込む。

 亜美の眩しいムチムチの太ももに目がいかぬようずっと葛藤を続けていたら疲れてしまったのである。


「ねぇ、アーシなんかした?」


 すると、ずっと様子のおかしい和哉に気が付き、しびれを切らした亜美が今日一番の不機嫌声を上げながら、咎めるような視線を向けてきた。


「別に……」


 しかし、和哉の反応は相変わらず素っ気ないものになってしまう。

 亜美の太ももへすぐ目が行ってしまうため、視線を逸らすことしか出来ない。


「ふぅーん。あっそ。んじゃ、また明日」


 和哉の反応を見て、亜美は呆れかえってしまったのか別れの挨拶を交わすと、そっぽを向いたまま荷物を持って友人の元へと向かっていってしまった。


「はぁ……何やってるんだ俺は」


 この調子では、今までみたいに亜美と仲良く会話が出来る気がしない。

 今亜美を直視したら、それこそ童貞丸出しなだらしない笑みを浮かべてしまうだろう。


「よっ、和哉。って、どうした? 元気ないじゃん」


 すると、隣のクラスの勇太ゆうたが和哉の元へとやってきて声を掛けてくる。


「こいつ、朝からずっとこんな感じなんだよ」


 続くようにして、クラスメイトの牧人まきともやってきて、勇太の会話に加わった。


「何かあったのか? 俺たちでよければ相談に乗るぞ」

「ありがとよ。ただ今は少し一人にしておいてくれると助かる」


 和哉がそう言うと、牧人と勇太は顔を見合わせて首を傾げる。


「あーっ! にしてもいいよなぁ。和哉はふて寝してても怒られねぇんだからよ。俺なんて一番前だからすぐ注意されるのによ」


 突っ伏す和哉を見て、牧人があからさまに話題を授業中の時間潰し談議に逸らしてくれた。

 それに応えるようにして、勇太が会話を続けていく。


「テスト明けの授業なんて気が抜けるもんな。俺なんて暇すぎてずっとスマホアプリで漫画読んでたわ」

「うわっ、ずりぃー! 俺なんて最前列だからスマホすら触れねぇのによ!」

「どんまい。俺は授業中ずっとこの『爆乳後輩ちゃんは、今日も献身的に尽くす』を一気読みしてたぜ」

「うわぁマジかよ……おい和哉も見てみろよこの子。やばすぎない?」


 牧人に促されて、和哉は顔をスマホの画面へと向ける。

 画面に映っているのは、ショートカットで庇護をそそられるような上目遣いでこちらを見つめる、ボインという効果音が正しいような制服がはち切れそうな爆乳ちゃんだった。


「ふぅーん」


 しかし和哉は、薄い反応だけ示してすぐさま視線をそらしてしまう。


「マジでどうしたんだよ和哉。こんな爆乳美少女、いつものお前なら絶対に食いつくだろ?」

「おっぱいに目がない和哉が興味を示さないって、マジで重症だな」


 和哉が興味を示さなかったことに驚きを隠せない二人。

 本気で心配な目を向けてくる。

 しかし、和哉はおっぱいフェチから太ももフェチになってしまったため興味が湧かないだけであり、いたって健康体。

 牧人と勇太の三人で組んでいるおっぱい同盟も、近々解散の危機かもしれない。

 そんな同盟解散の危機に瀕した矢先――


「和哉君。ちょっといいかしら?」


 透き通るような声が教室内に響き渡った。

 名前を呼ばれた和哉は顔を上げ、教室前の扉を見つめると、そこに立っていたのは、背中辺りまで伸びた黒い艶やかな髪を靡かせ、悠然とした佇まいで腕を組む美少女。

 まさにクールビューティーという言葉がふさわしい彼女の名前は、片貝琴音(かたがいことね)。

 百浦(ももうら)学園生徒会会長であり、その断固として罰を犯した者を許さない頑な姿勢から、『冷徹会長』として生徒たちから恐れられていたりする。

 そんな『冷徹会長』様が教室に現れたものだから、教室内が一気にピリっとした空気に包まれてしまう。

 近くで他愛のない話をしていた牧人と勇太ですら、その威圧感に気圧されてしゅんと黙り込んでしまっている。


「会長、どうかしましたか?」


 和哉はその空気を一蹴するようにして柔和な笑みを浮かべながら尋ねる。

 こう見えても和哉は実のところ、この百浦ももうら学園のれっきとした生徒会副会長なのだ。

 クラスで陰キャ高校生しているので、あまり知られていないけれども……。

 まあ、少し性癖をこじらせているが……。


「話したいことがあるの。生徒会室に来てくれるかしら?」

「急ぎの予定ですか?」

「えぇ、そんなところ。それじゃ、私は先に行っているわ」


 会長は用件だけ言い終えると、踵を返してとっとと教室を出て行ってしまう。

 息が詰まるような凍てつく空気が段々と弛緩していき、我に返った牧人と勇太が小声で話しかけてくる。


「和哉、お前よくあの会長様と普通に会話できるよな⁉」

「相手はあの『冷徹会長琴音様』だぞ?」


 驚いた様子で尋ねてくる二人。

 和哉としては生徒会副会長として普通に接しただけなのだが、彼らにとっては違うらしい。

 冷徹会長である琴音と話しているだけで、尊敬の眼差しをを向けられるのだ。


「ただの俺を呼びに来ただけだって。なんでそんなに怖がってるんだよ」

「そりゃだって、会長からの呼び出しって言ったら何かやらかした時しかねぇだろうに!」


 断定的に決めつける牧人。

 そんなことはないと思うけれども、それほどまでに琴音はこの学園で絶対的な存在なのだ。


「俺もてっきり、和哉が何かやらかして呼び出し食らったのかと思ったぜ」

「いやいや、なんで俺がやらかした前提なワケ?」

「なんせあの冷徹会長様だからな。この前だって、二組の渋沢しぶさわがアダルトサイト閲覧してたのバレてヤバかったんだからな⁉」


 それは、アダルトサイトを授業中に見てる渋沢が悪い。


「生徒会室に赴いたら最後。生きて帰ってこれるものはいねぇって噂だぜ」

「いくらなんでもそれは大げさすぎでは?」


 学校で死者が出たということも聞いたことがないし、学校から消されたという人も聞いたことがない。

 まあ、アダルトサイトを閲覧してた渋沢は、一週間の停学処分を食らっていたけれど、自業自得なので和哉から言えることは何もない。


「あぁ見えて会長は普段優しいんだ。ちゃんと周りに気配りもできて、尊敬できる会長さ」


 和哉がフォローを入れるものの、牧人と勇太はいまだに信じられないらしく、和哉が呼び出された理由についてあぁでもない、こうでもないと議論を交わしていた。


「んじゃ、俺は生徒会に行ってくるから、また明日な」

「おう、またな」

「生きて帰って来いよ」

「だから死なねぇっての」


 二人に突っ込みを入れつつ、和哉は荷物を持って席を立ち、教室を後にする。

 去り際、ちらりとこちらを見つめる亜美の視線を感じた。

 和哉は気付かないふりをして亜美の横を通り過ぎ廊下へと出ていく。


「なんだし……会長とはあんなに仲良く喋っちゃってさ」


 そんな亜美のボソっとした独り言が聞こえてきたような気がしたけれど、和哉は足を止めることなく生徒会室へと向かっていった。


 この後起こる悲劇も知らずに……。

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