第54話 もう会えない人

「もしかして、私の苗字に何か心当たりが…?」

樹里の言っている意味がわからず、小春は首を傾げる。

「いやぁ、ごめんね。君の顔を見てるとどこか懐かしい気分になって、何でかなって思ってたんだ」

そう語る樹里は、まるで昔を懐かしむような、少し幼さが戻ったような、そんな表情だった。

「思い出したくないならいい。君、白川実里っていう名前に覚えはあるかい?」

「……白川実里は、私の母、ですけど…」

白川実里。自分の母親だった女性。職業すら聞いていない小春にとって、目の前の女性が自分の母親について語る姿は、とても不思議だった。


「やっぱり!いやぁ、似ていると思ったんだよ。実里先生は私の小学校の時の先生でね!名前の字が一つ一緒だったっていうのが少し自慢だったくらい、すごくいい先生だったんだ」

そうやって語る樹里の姿に、小春は少し申し訳なさを覚えた。

何せ、自分の母親はもう既に亡くなっているのだ。新島由良という一人の女性によって、10年前に命を奪われた。

「3年生に上がる前に他所の学校に移っちゃったんだけど……。ねえ、先生は元気?今どうしてる?」

「あの……実は……」

「実は?何?どうしたの?」


爛々と目を輝かせ、身を乗り出すように自分を見る樹里を見て、ますます小春の中に悲しみが増してくる。

自分だって、母とはずっと一緒にいたかったのだ。

「お母さんは、えっと…10年前に……」

その先の言葉は出なかった。ただ、言わなくても察してくれるだろうと思った。

何よりも、その残酷すぎる事実を、自分から伝えるのが、まるで心臓をズキズキと刺されるように、心が痛んだ。

「あ、ああ……そう、か……それは…辛かった、だろうね…」

近づけていた顔を一気に遠ざけて、樹里は肩を落とす。辛いのは自分もだろうに、自分の心配をしてくれたことに、小春の胸はますます苦しくなる。


「それにしても、小春ちゃんのお母さんがまさかねー。実里先生の話はずっと聞いてたけど、まさか親子だったなんてねー」

「な、偶然ってのもあるもんだな」

優芽も夏生も、調子はまるで普段通りであろうという風に見えた。しかし、樹里の方は、ずっと肩を落として、それなりに背の高い身体が小さく縮んだかのように、うずくまっていた。

「また会いたかったな……」

絞り出すようなその一言を聞いて、小春の心はますます、沈もうとしていた。


「ま、まあ。興味が出ればまたここに来ればいいさ。何もオレたちはキミたちに仲間になることを強制するつもりはない。何なら、仲間にならなくとも、遊びに来るくらいのつもりでくればいいさ」

「……わかりました。その時が来たら、また連絡しますね」

「講義が終わった16時30分くらいからなら大体誰かしらはいるからさ。キミも『自由』を手に入れられることを祈ってるよ」

そう言いながら、夏生は小春と紬にそれぞれ1枚の小さな紙を手渡す。天使の羽根のような意匠と、『坂巻夏生』と書かれた名前と連絡先のみが書かれた手作りの名刺だった。

「優芽は小春ちゃんに入ってきてほし~って思って勧誘したんだけどね~。小春ちゃん、もしかして乗り気じゃない?」

「うーん、そういうわけじゃないんだけど、ね?」


正直、小春の今の気持ちはサークル入りを考えることなんて頭に入れることが出来ない程、いっぱいいっぱいになっていた。

久々の幼馴染に会えたと思ったらかなり変貌していたり、母親が実は小学校の先生でここで会った人の恩師だったり、色々と新しい事実が彼女の頭の中を襲ってきて、先の事を考える余裕なんて、なくなってしまっていた。

「今考えようとしても、あんまりちゃんと考えられないかなって思ったから、後ででも、いいかな?」

「ふーん……。それはいいんだけどー。あ、所でそっちの人…紬さんって言ったっけ?あなたはさー、どんな才能<ギフト>持ってるの?」


「私?簡単に言うなら、電気を操るって感じかな、結構良い能力だと思うよ?」

そう答える紬の方を、優芽は訝し気に見つめていた。

「優芽ね、あなたみたいな人、ほんとはあんまり好きじゃないけどさ、小春ちゃんがもしあなたを選ぶとしたら、絶対小春ちゃん裏切らないでね?」

「その言葉そっくりそのまま返すね。藍原優芽さん」

またも貼り付いたような笑顔を浮かべる2人に、小春はまたも一触即発の空気を感じ取る。妙に居心地の悪い空気に少し逃げ出したくなるが、どういうわけか、優芽にも紬にも、小春を逃がさないと射止めるような迫力があって、彼女は動けないでいた。


「優芽のやつ妙に嫉妬深くてな。ま、ちょっと変わった奴だけど気にしないでおいてくれると助かる。それと樹里、大丈夫か?喋れるか?」

夏生に促されるようにして、樹里がゆっくりと立ち上がる。

「うん、大丈夫。こういう出会いも一種の運命…っていうとちょっと臭いかな?まあ、君たちのことは私達も信頼できるって思ってるから。私達の仲間になってくれたら嬉しいけど、強制はしないよ」

そう話す樹里の目はまだ赤く腫れていた。小春もその顔を見て、目に涙がこみ上げてきた気がした。

「そんなぼーっと見つめられると、ちょっと照れるなぁ。私は大丈夫だから、ほら。……ん?小春ちゃん?」

小春が見ていた方向は、樹里などではなかった。


視界が急に切り替わる。

小春のもとに、優芽が駆け寄ってくる。それ自体は、あの道で会った時や、それこそ、このサークルの部屋でもあったような、出来事だと思うだろう。

だが、優芽の表情が違った。今にも閉じそうに目は半開きになり、元々色白な顔からは健康的な赤みが消え失せ、そして。

口の端からは、赤黒い液体を垂らしていた。

「こ、春、ちゃ……たす、けて……」

そのまま、すべての体重を小春の方へと預け、彼女はゆっくりと動かなくなった。


その様子から目を離すようにして、少し外の景色を見る。

そこにはまた、樹里が背中から赤黒い血を流し、倒れていた。

出血量やぴくりとも動かない様子を見るに、既に息絶えているだろう。そう冷静に判断できる小春自身にも、もう嫌気が差していた。

そして、背中に痛みが走り、視界が暗転したとともに、その『予知』は途切れた。


「樹里、さん……」

「小春ちゃん?急にどうしたの?」

「……『予知』が、見え、ました……!」

顔に脂汗を浮かべながらも、その目はしっかりと樹里の方を見据えていた。

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