第3話 月が大小2個

 「吃驚(びっくり)したな。開いたよ」


 僕は思わず大声を出してしまった。

 急に開いたんだ、そりゃ驚くのが当たり前だ。

 

 このトンネルと壁は、一体なんだろう。

 タッチセンサーの自動ドアがあったぞ。

 この世界に有るとは思えないテクノロジーだよ。

 塔の一部だとは思うけど、塔とは本当に何なんだろう。


 僕は壁の中へ入っていくことにする。

 ここにいてもしょうが無いし、鉱山の寝床に帰れば殺されるだけだ。


 ガラス板に手を触れ、壁を開けて入ろうとするが、手を離すと壁がスゥーと締まってしまう。

 ガラス板から壁までの距離があり過ぎて、閉まるまでに壁の中へ入れないんだ。


 どうしょうか。

 いくら考えても良い案が浮かんでこないな。

 単純なことだけど、単純故(たんじゅんゆえ)に打開策が見つからないんだ。


 それにしてもお腹が空いたよ。 

 ここにいても、飢え死にするだけの未来なんだ。

 じわじわと苦しむ飢え死には、とても辛いらしい。

 だけど抜け出すには、肥溜めを上がるしか無いのか。

 はぁ、しょうが無いな。

 肥溜めまで戻ることにしよう。


 穴に身を乗り出して身体を伸ばすと、何とか縁(ふち)に手が届くようだ。

 臭い匂いを我慢して、何とか身体を引き上げることが出来た。


 僕は止めていた呼吸を解放して、夜の冷気を肺一杯に吸い込んだ。

 臭くない空気が、こんなに美味しいとは知らなかった。


 近くに流れているドブ川で、痛みを堪(こら)えて、頭と身体とボロボロの服をザブザブと洗う。

 ドブ川も臭かったけど、肥溜めの匂いよりはまだましだ。


 空腹を満たすためとこの後ことを考えて、奴隷の長屋に忍び込み、食べ物と武器を盗むことにする。

 見つかったら、ひどい拷問(ごうもん)の末に殺されるから、僕の心臓がバクバクと鳴りやまない。

 もう鞭で叩かれるのは、身体も心も耐えられないんだ。


 身体が痺(しび)れたように、上手く動かいなので、気持ちがとにかく焦(あせ)る。

 身体についた肥溜めの匂いも、気づかれそうですごく気になる。

 だけどこうするしか、もう生き延(の)びる方法はないんだ。

 腹をくくって、やるしかない。


 食べ物は酸っぱくて固いパンと、異臭がプーンとしている肉の固まりが、少しだけ手に入った。

 武器はスコップだ。

 ツルハシと迷ったが、スコップの方が少し軽いからこれに決めた。

 ツルハシをもう触りたくないと言う、気持ちも強かったと思う。


 長屋の警備は、誰も何もして無かった。

 当たり前かも知れないな。

 こんな奴隷の住処(すみか)で、泥棒をするヤツはいないのだろう。

 奴隷が逃げ出さないように、鎖さえ頑丈(がんじょう)であったら良いんだ。


 友達の〈カボ〉のことは、頭に浮かんだが、どうしようもない。

 鎖を切る道具もないし、僕と一緒に来ても、たぶん飢えて死ぬだけだ。

 じわじわと苦しませて殺すのは、たぶん友達とは呼ばないだろう。


 崩れかけの長屋を出て、さて、どこへ行こう。

 どこにでも行けそうだけど、どこにも行く所がない。


 見上げれば、満天の星空が広がっている。

 明かりは月明かりだけなので、僕の周りに星が降ってくるようだ。

 月が大小2個なのが、異世界を象徴しているな。

 ふぅー、家へ帰りたい。


 少し遠くを見ると、ホームレスの少女が道端で倒れているのが見える。

 動く気力がもう無くて、その場で寝たのかも知れない。

 それとも、すでに寝る場所を失くしているんだろうか。

 どちらでも、この汚い少女の運命は、少しも変わらないだろう。

 明日死ぬか、五日後に死ぬかの違いしかないと思う。


 そうだ。

 コイツを使おう。

 僕は長屋にもう一度忍び込んで、ロープをくすねてきた。


 僕は少女へ近づいて、頬(ほほ)を突っついて目を覚(さ)まさせた。

 起こされた少女は、疑い深そうな目を、僕へ向けて来るのは当然だろう。

 真夜中だし、伝染病で死にかけていても、若い女の子だ。

 僕を警戒するのは、極めて自然ことだからしょうがない。


 「君、このままでは、死んでしまうよ。僕にかけてみないか」


 少女は、干(ひ)からびた唇を動かして、掠(かす)れた声を出した。


 「怖い。嫌です」


 「大丈夫だよ。怖く無いよ」


 僕は少女の口の中へ無理やりパンをちぎって押し込んで、強引に少女を抱え上げて肥溜めへ向かった。

 少女は「むぐ」って、くぐもった声を上げたけど、口の中のパンは吐き出さなかった。

 誘拐するような男がくれたパンの欠片(かけら)でも、少女は惜しかったんだろう。

 叫んでも、誰も助けてくれないのを、十分分かっているのだろう。

 何日ぶりかの食べ物が、美味し過ぎたのかも知れないな。


 少女を肥溜めの縁(ふち)まで連れて行くと、本当に嫌だという顔をする。

 斑点だらけの歪んだ顔をさらにしかめている。

 重い病気でも、さすがにここは臭いのだろう。

 その気持ちはすごく分かるけど、今は堪えてくれよ。


 少女をロープにくくり付けて、穴に降ろそうとしたが、弱弱しい身体で必死の抵抗を止めない。

 夜が明けてきたので、早くトンネルに入らなくてはならないんだ。

 逃亡した奴隷が、人に見られたらお終いだ。

 連れ戻されて、見せしめのためリンチされた後、出来るだけ苦しむように殺されてしまう。


 「穴の先がトンネルになっていて、壁が開くんだ。壁の中にはきっと良いことがあるはずだ。このまま死ぬより何かして死のうよ」


 少女に頑張って説明しても、言うことを理解してくれない。

 まあ、逃亡した鉱山奴隷が、信用されはずも無いか。


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