第一章 世界樹の写し木 第14話
3分。アスタロトに告げられた言葉の意味にソラは咄嗟に思考が追いつかなかった。
(3分? 順当に考えれば顕現できる残り時間だけれど、それは俺も把握できていたし、あのアスタロトがわざわざ忠告してくるとは思えない。)
アスタロトは悪意の友と評することが出来る悪魔である。顕現中の仕事は全うするが、残り時間を律儀に伝えるような悪魔ではない。ソラの時間管理が行き届いてなければ、これ幸いとばかりに障害を残して退場する性格である。
(あの傲慢な性格で、コケにしてきた相手を殺さないで帰るとも思えないし、なんだ? 何が伝えたい…)
当のアスタロトは、ソラへ一言告げると、すぐさま大蛇の援護へと回る。大蛇は凄まじい再生力を誇っていたが、ペサディージャの猛攻に再生が追いつかず、切り裂かれ、潰され、その身をどんどん削られていっていた。
アスタロトは自身の左目をくり抜くと、宙に放り投げる。左目は黒い光に包まれながら、その姿を変化させていく。光が治ると、そこには先程までアスタロトの下半身であったドラゴンに瓜二つの存在が現れ、ペサディージャの元へと勢いよく向かっていくのであった。
それを見届けたアスタロトは、手早く手印を結び呟くと、自身の周囲に幾何学模様を描き、緑に輝く多大な文字列で出来た艦隊をペサディージャヘ差し向けていく。
混戦とも言える戦いを見届けながらソラは思考を回転させ、ある事に気づく。
ペサディージャとアスタロトで戦闘が成り立っていることである。
たしかにアスタロトの戦闘能力は高いが、伝説で伝わるペサディージャと同等かと言うと、そんな事はない。毒を利用した絡め手を得意としており、それが通じなかった以上戦闘が成り立たないくらいの差があるはずである。
(初手の黒い息吹は命を奪うまではいかなくとも、その能力を大きく低減させた? そしてその有効時間が3分であり、アスタロトが伝えたかったのは別の攻め手を召喚しろ。といういうことか。)
意図を理解したソラはアスタロトへと視線を向けるも、目が合うと偉そうに鼻を鳴らすのであった。
(プライドの高いアスタロトが、直接助けを呼んでくれなんて言う訳ないしな。)
ソラは言葉の意味に対し確信を持つも、問題が存在する。魔力の余裕である。いくら弱っているとはいえ、ペサディージャに対抗出来るほどの戦闘力をもつ悪魔を召喚する魔力が足りないのである。
「……これは使いたくなかったんだけどな。」
ソラはスカーの方をみて悔しそうに呟くと、右手の親指噛み、一滴の血を地面へと流す。
「運命の紅糸 茜の祝宴 朱華の愛誓
……助けてくれ。
ライラ・アルース・アルファジュル」
詠唱が終わると、血の雫を起点に2mほどの魔法陣が描かれる。すると魔力で生み出され薔薇がソラの周囲一帯を埋め尽くし、見上げるほどの大きな薔薇の蕾がソラの正面に現れる。全ての薔薇が蕾に向けて頭を垂れるように俯くと、蕾が開花し、中から一人の女性が顕現された。
女性は端的な表現で表すと絶世の美女であった。完全な黄金比を保った顔立ちに加え、一つ一つのパーツも非常に整っている。けれども、その美しさとは対照的に近寄り難さを感じるのは、猫科の肉食獣を連想させる獰猛な目つきと、勝気を通り越した傲慢な笑み、赤髪赤目に加え、全身を赤のウエディングドレスで仕立てられたコーディネート。そして本人が保有する魔力による周囲の空間が歪んでいることから、その危険さが大いに伝わってくる。
女性はソラの姿を認識すると表情を改め近寄り、ソラの腕に自身の腕を絡ませる。そして嬉しそうな顔でソラが話しかけるのを待っているのであった。対照的に決まずそうな表情をしたソラは、しばしの沈黙の後、意を決したように声をかける。
「やあライラ。突然呼び出して悪いんだけど、助けてくれない?」
ライラと呼ばれた女性は表情を変えずに即答する。
「結婚は?」
鈴の音のような綺麗な声が響いてくる。
「えーっとさ…… 向こう見てもらうと分かるんだけど、強敵と戦闘中でさ。アスタロトの顕現時間も残り間近でライラの力を借りたいんだ。」
ソラは魔物と悪魔の激しい戦闘を指さして伝える。
「結婚は?」
「……相手は危険度 9 に認定されている魔物で、今はアスタロトの毒のおかげで、本来の力を発揮できない状態なんだ。これを逃すと手に負えなくなる。」
「結婚は?」
「毒の効果がなくなれば、さすがのライラでも厳しい相手なんだ。頼む。」
「結婚は?」
このやり取りを横から見ていたスカーが思わず口を挟もうとする。
「ソラ殿、よく分かりませぬが今はふざけている場合で」
声をかけている途中であったが、スカーはそれ以上口を動かすことができなくなる。自身の身に起こった現象が理解できず、思わず身をよじろうとするも、それすらもできず一切の身体の自由が奪われていることに気が付いた。やがて、自分の意思とは異なり強制的に身体が丸められて行く。身体の節々から嫌な音が溢れ始めるも、スカーには何も抵抗が出来ず、恐怖が高まるのみであった。それを見たソラが焦ったように言う。
「まてまてライラ。こっちはスカーと言って俺の仲間なんだ。口を挟んでしまったのは申し訳ないが、それくらいで勘弁してくれ。」
「結婚は?」
壊れた録音機のように笑顔で同じ言葉を繰り返すライラであったが、言葉を発するたびにソラの腕を締める力が強くなっていき、徐々にソラの腕にも激痛が走り始める。
「わかった。結婚に関する話をしよう。ただ、こんなところでする話ではないし、先に魔物をどうにかしてくれないか?」
「……ちっ。相変わらずの根性なしが」
打って変わって舌打ちの後にどすの利いた声で呟いたライラは、ため息をつきながら右手を魔物たちへと向ける。すると今まで目にも止まらぬ速さで動いていたペサディージャの動きが、強制的に止められる。そのまま右手を引くように振ると、何かに引っ張られるようにペサディージャはライラの足元へと叩きつけられるのであった。
突然の事態に周囲が追い付けていない中、ライラは足を高く振り上げる。その足先には可視化できるほどの密に込められた魔力が宿り、空間を軋ませている。
今か今かと解放の瞬間を待ちわびるそれに対し、自身の命に届きうると見たペサディージャは、その場から抜け出そうとするも、身体の自由が利かず、縛り付けられたかのように動けない。
その様子を鼻で笑ったあと、ライラは威圧するような視線をソラへと向け告げる。
「たしかに1/10くらいか? こんだけ弱体化してれば大したことないな。。
ただよぉ。お前は仮にも召喚の魔道司書だ。この私をこんな気色悪いところに呼び出しておいて、ただで済むと思っては……ないよなぁ!?」
言葉を言い切るか否や、ペサディージャの頭部に向かいライラは足を降り下ろす。
その一撃は強固なはずのペサディージャの頭部を、まるで卵を割るかのように軽く踏み砕く。余波はそれに留まらず、床に蜘蛛の巣状の亀裂を入れると、そのまま嬢王の間を崩壊させるのであった。
ライラ・アルース・アルファジュル。
糸の魔道司書として帝国魔道書院特務課の製造部において製糸業を担当。本人の要望により探求課にも所属。
魔導書院探求課が定める探求者ランク 9 。
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