第25話 ミスティック
未だ薄暗い中、孤児院に集まった俺達は、朝食を食べながら最終確認をしている。
「徒歩でも一日で往復できる距離だが、今回は三日から五日滞在する予定だ。これは今後の旅に向けての経験を積むためだ。各自、魔法鞄を用意。非常食、装備と消耗品、そして獲物を収める鞄。無駄なものがないか再度確認しろ」
俺の合図で、ロゼッタ達はそれぞれ三つの鞄を確認する。現在のエンバーハイツでは錬金術で作られた魔法の鞄が大量に出回っている。試作品の小さな物から、大型の獲物を収めるものまで多種多様だ。まず、非常食用にはベルトに留められるサイズの小型の鞄、装備品や消耗品には腰に巻く中型の鞄、そして大型の獲物を持ち帰るための背負える最大の鞄を用意した。
最大のものは特注品で、追加できたのは二つしかない。これまで俺が使っていたものと合わせて三つだ。一つはカトラに、もう一つはシモンが持つことになった。ロゼッタ、ミト、ロミナの三人には一般的な中型を一つずつ追加で持たせた。これほどの魔法鞄を用意するだけで、ロゼッタが頑張って貯めたお金は底をついている。
非常食用の鞄はなくても良かったんだが、女性組から「混ぜるのは嫌です」と言われ、急遽、小さなものが追加された。大きい方が良いという意見もあったが、腐りやすい物を大量に持っていくのは無駄だ。基本は現地調達を前提としている。干し肉や乾燥させた野菜もあるが、小さな鞄に収められるだけで十分。今回の狩りではすぐに食べられるよう、一日分の弁当だけは用意した。
皆が準備に問題ないと頷いたが、少しの無駄は含まれている。手帳や武器の手入れ道具、読書用の本、そして何故か酒も。もちろん、俺じゃない。
「準備完了! いつでも行けるよ!」
「僕も問題ありません」
「自分も問題ありません」
「おじ様、わたくしの荷物はもう少し……」
「却下だ」
酒を二本持っていこうとしたからな、一本だけにさせた。不足に慣れる練習なんだぞ。それにしても、いつもどうやってマルクから隠してるんだよ。
「リヴェル様、私も準備は整いました」
少し赤い顔をしたカトラがスイッと近づいてくると、腕が触れそうな位置まで来ていい匂いを漂わせる。その雰囲気にドキドキさせられる。化粧をしているわけでもなさそうだが……
「ロミナ、カトラに魔法をかけ直しだ。まだ酔ってるだろ。獣寄せの匂い袋が空いたままだぞ」
「はぁい」
やる気のなさそうなロミナがぽてぽてとカトラに近づいて行く。カトラの腰にある小袋、獣寄せの匂い袋は主に獣の雄を引き寄せるものだが、人間の男にも作用する。だから誤って使わないように気をつけなければならない。厄介なのは、誤って使う方が有意義な場合があることだな。
「終わったら、一本追加を認める」
「絶対ですよ!! <キュア>!」
ロミナがカトラの胸に向かってメイスを振り下ろす。その力加減に心配したが、メイスは触れる少し前で止まり、緑色の魔法の光が広がり、カトラの胸に吸い込まれた。
「カトラ、匂い袋を匂い消し代わりに使うな。襲われ……注意しろ」
「す、すみません。すぐに消えるから大丈夫だと……」
そんな使い方を教えられる奴は一人しかいない。匂い袋は本来、獣を引き寄せるためのものだ。袋の口が開いていると甘い匂いが漂い、それを辿って獣が集まってくる。この匂いを利用して獣を引き付け、逃げるのが正しい使い方だ。
問題の使い方が二つある。一つは娼婦が男を誘うために使うこと。男も雄だからな。酒で酔っているときは特に効果的だ。ベッドでのマナーとして使われることもあるらしい。二つ目は体臭を隠すためだ。酒や事後の匂いを消すために、娼館ではよく使われる。そのまま町の外に出ることを「朝帰り男は狼に挑む」と言い、女の場合は「薄着で出歩いてる」と言われる。
カトラがこんな使い方をするのはおかしいからな。しかし、なんでそんな使い方まで知っているんだ?
「おい、ロミナ」
「おじ様? 約束は約束ですよ?」
ロミナは笑顔でカトラに抱き着き、匂い袋に手をかけている。結ぼうとしているのか、それとも開こうとしているのか、どっちにしろタチが悪い。
そもそもカトラを飲ませ過ぎたのはレナータだし、舌が回るなら良いかと見過ごしたのは俺だ。今後はカトラに飲ませ過ぎないようにしよう。さっきのは危なかった。
「まぁいい。俺の役目はここまでだ。後はロゼッタ。リーダーに任せる」
「はい!」
今回の狩りはロゼッタのパーティが自力でどこまでできるかを見極めるものでもある。相手はサラマンダー、ランク3の冒険者ですら躊躇う大物だ。二月以上間引いていないため、下見に行った時はファイヤーフロッグだけで数十匹いた。それを餌にするサラマンダーがどれだけ増えているのか想像もできない。
それでもロゼッタ達はやると言った、楽しみだと言った。だから俺達……俺とカトラは助力に止めるだけだ。
「ごほん。では、パパに代わって、わたしロゼッタがリヴェル隊を引き継ぎます」
「おい、待て、なんだそのリヴェル隊ってのは? 初めて聞いたぞ」
「もう、パパ。折角の出陣式なのに水を差さないでよ。いいじゃない、リヴェル隊。格好いいよ」
「却下だ却下。このパーティはロゼッタがリーダーだろ。俺の名前を使うな」
「仕方がないパパだなぁ。んー……だったら、失れん――」
「怒るぞ」
「冗談だって。それじゃ、パーティ<ミスティック>、最初の冒険、サラマンダー討伐へしゅっぱーつ!」
◇
サラマンダーが棲む場所は地熱が高く、乾燥している場所にある。そのひとつ、エンバーハイツから見える火山は有名だ。そこには噴火によってできた日陰や樹林がある、おまけに水の確保が容易な場所が存在している。俺達、ロゼッタのパーティはまずそこを目的地とした。
町を出てからは商人の馬車が脱輪しているのを助けたり、鹿を追う狼に遭遇したりと、ロゼッタが期待するイベントはなく、平穏に時が過ぎていく。たまにシモンが遠くに見かけた鹿に<アイスランス>を試し撃ちしたり、ミトがスリングショットで野兎を狙ったりしている。いつもとは違って、街道は襲ってくる魔獣が少ない。緊張感よりも腕馴らしの時間になっていた。
反対に興奮して早起きしたロゼッタは、会話も疲れて俺の背中で眠っている。ロミナも皆が起きる前から食事の仕込みをしていたらしく、今はカトラの背中だ。ロゼッタよりロミナの方が身体が大きいから代わろうと言ったが、俺の背中に乗って良いのはロゼッタだけらしく、真顔になったカトラに丁寧に断られた。
「……それにしても、<ミスティック>か」
「何かご存知ですか? お嬢様は名前の由来を教えてくださらなかったのですが」
「あぁ、俺が最初に作ったパーティと同じ名前だな」
ロゼッタにはまだ話したことがなかったはずなんだがな。失恋組の正式名称だ。途中からドラゴンスレイヤーとしか呼ばれなくなったから、少しばかり懐かしい。
話を聞きたがる男の子達も集まり、ロゼッタに話した失敗談を歩きながら語ることにした。聞き終えた面々はそれぞれ複雑な顔をして、誰一人ロゼッタのようには笑わない……いや、カトラの背中で揺れてるのがいるな。
「それって、女の子が無責任じゃないですか?」
「自分も選択肢があれば悩みます」
「私はその女の子がちょっと羨ましいです」
男の子達はそれぞれ違う感想を持ったらしいな。今だったら、俺もシモンと同じ考えかもしれん。女の子は早熟だと言うが、それもわかる気がする。
ただ、カトラは少し違った感想を持っていた。小さい頃から剣の練習、成人してからは冒険者として活動し、ランク3になって実家に戻って護衛の訓練、そして選抜されてロゼッタの専属護衛に。俺と付き合うまで遊ぶ暇もなかったらしい。パーティメンバーも前に聞いた通り――何故か念押しされたが――女性ばかりで、女の子らしいことと言えば装備を飾るおしゃれくらいだったという。「今なら
出発の直前、ロゼッタの計らいでメンバー全員に<まいこちゃん>が配られた。今カトラが嵌めている指輪は元はロゼッタのもの。恋人ならお揃いが良いよねと渡され、受け取ったカトラは大喜びだった。代わりに自分を含めた子供組は全員護符型を身に着けている。<まいこちゃん>はネックレス型もあったはずだが、納得しているのならいいのだろう。
しばらく他愛のない会話をしながら歩いていると、ミトが上手く野兎を仕留めたので、木陰で少し休憩することになった。
「それでは、わたくしの出番ですね!」
ロミナは野兎を木の枝に吊るし、小さなナイフで腹を切り開いて素早く毛皮を剥いでいく。あっという間に肉と毛皮だけにすると、シモンを使って毛皮と血を水魔法で洗い流し、風魔法で乾燥させ、火の魔法で血の跡ごと内臓を燃やし尽くした。
「シモン、便利に使われてるな」
「指示があった方が助かります!」
「シモン様はとっても活躍してくださるので、わたくしも助かっています」
ロミナからするとシモンは便利な魔道具扱いかよ。もともとウェインと二人きりで旅に出ても大丈夫なように、獣の血抜きや解体の仕方、寝床の確保などを暇を見て習得していたらしい。料理も得意で、胃袋を掴むのは任せてくださいと自信満々だ。こいつは肉食系聖職者だからな、まだ見習いだけど。
ミトが獲った兎は夕食に使うことになり、魔法鞄に入れておく。代わりにロミナが作った弁当を食べることになったが、自信を見せる通り、文句なしのものだった。
「わたしも料理覚えようかなぁ」
「食わせたい相手を見つけてからでいいんじゃないか?」
「それじゃ遅すぎるよ」
ロゼッタが目を向ける先には、思案顔で兎の毛皮をひっくり返しているカトラがいた。
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