第一章 喧嘩法師③

 景虎かげとらに縄を解いてもらった星七せな弥助やすけの首に駆け寄り、ひしと抱きしめた。

 不思議と涙は零れなかった。

 破落戸共を木に縛り付けると、景虎は星七達が来た道を歩み始めた。

 その意図も分からぬまま、星七もそれに着いていく。

 少し歩くと、そこには傷だらけになった弥助の遺体と彼が殺した男の遺体が無残に転がっていた。

「阿保やなぁ」

 苦々し気にこぼすと、景虎は二人の遺体を担いで元来た道を戻り始めた。

「あの、どちらに?」

 ここで初めて、星七は景虎に尋ねた。

「決まっとるやろ、墓ぁ建てたるんや。待ち合わせ場所にしとった寺の裏が墓地になっとる。そこに仏さん埋めたらんと、成仏できんやろ」

 先ほどの激しさが嘘のように、淡々とした口調で景虎は説いた。

「ほれ、そいつも連れてったれ」

 そう言って破落戸の首を顎でしゃくって示す。

 どうして私が……。

 そんな言葉が出かかったが、星七はそれを飲み込んだ。

 弥助の首は胸に抱え、破落戸の首は風呂敷に包んで手提げて運んだ。

 それ以降二人を襲う者はなく、廃寺に辿り着いたのは未の刻を少し回った頃だった。

 景虎と星七は黙々と穴を掘り、二人を埋葬し、手ごろな石を積んで墓とした。

「弥助……」

 遠山弥助とおやまのやすけの墓前で星七が立ち尽くしていると、景虎はその場で座禅を組み、読経を始めた。

 瞬間、周囲の空気ががらりと変わった。

 朗々とした声が遠くに伸び響き、目に見えない何かを浄めていく。

 長らく放置された廃寺の寂れた空気が静謐なそれに。

 恨めし気に降る雨が死者を労わる天恵に。

 景虎の読経にいざなわれ、弥助との思い出が心の奥底から染み出してくる。

 幼い頃、馬の真似をして私を背に乗せ遊んでくれたこと。その時に私が髷を引っ張り、たいそう痛がりながらも笑って馬の真似に乗じてくれたこと。

 母の奏でる琴を聞きながら、安らかに転寝うたたねしていたこと。

 母の断末魔を背に、涙を流しながら私を城から連れ出してくれたこと。

 事の顛末を知らず当たり散らす私の暴力を、黙って受け止めてくれたこと。

 そして、私が立てた無謀と言う他ない策に最期まで付き合ってくれたこと。

 気付けば、星七は墓の前で蹲り嗚咽を漏らして泣いていた。

 景虎の読経は星七が一頻り泣いて落ち着くまで、途切れることなく続いた。

 彼の所作一つ一つが、とても美しかった。


「生々流転っちゅうんやけどな」

 読経を終えた景虎が、星七に語りかける。

「今ここに埋めた二人の体は土に還り、この辺の草木の栄養としてその一部となり、その草木が落とした種がその辺に芽を出したり虫や生き物に食われたりする。それを食った生き物たちも子どもを産んだり食われたりするし、その生き物を食った動物たちも子を産んだり食われたりして、常に新しい命の一部になっていく。こんな具合に、死んだモンはこの辺で生まれる全ての命の中に宿っていくんや。魂もおんなじや。成仏した魂は一度精霊に還って、次に生まれてくる全ての命の一部になる。このお侍さんも破落戸も、どっちもや。二人の肉体も魂も、皆等しく平等に、苔の一つから人に至るまで、この辺一帯の命に分け与えられる」

 星七も母から聞いたことがあった。

 命は巡るものだと。

 植物や動物だけじゃない。死した命は吹き抜ける風やこの雨の一粒一粒に形を変えて宿り、また次の命の一部と成り変わっていくのだと。

「生まれ変わり死に変わり、何百年、何千年後かにこの二人がまた人の命に行き着いた時、今度はこんな悲しい死に方せんでほしいモンよなぁ」

 景虎の言葉に、星七は無意識に頷いていた。

 全くその通りだと思う。

 人が人を殺す世に生まれたばかりに、弥助は私を守って殺された。

 私の母もだ。

 こんな悲しい世に生まれたばかりに、私の大切な人たちは志半ばで命を落とした。

「……残された私は、生きねばなりませんね。彼らが来世で笑って生きられる未来を創るために」

「よぉ言うた!」

 ぽつりと星七がこぼすと、景虎は膝を叩いて立ち上がった。

「ほな、始めよか」

「……始めるとは?」

「決まっとるやん、喧嘩や」

「へ?」

 今まで自分すら聞いたことがない声が、星七の喉から漏れた。

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