喧嘩法師 ~逃亡の姫君、不良法師と国を盗る~
滝山童子
第一章 喧嘩法師①
皐月。
冷たい雨がしとしとと恨めし気に降り、重たい雨雲の裏で朝日がひっそりと昇り始める。
もう十日以上も続くこの長雨も、ここ
この国を興し統治する大名――
富んでいる者は町に住まい煌びやかな生活を謳歌し、貧しき者は貧しき土地に追いやられ木っ端のように朽ちていく。
それが、この国の常であった。
朝靄が立ち込める山道を二つの影が行く。
双方顔を隠すように笠を目深に被っているが、その出立から一人は男、もう一人はまだ年端もいかぬ少女であることが分かる。
男は小袖袴といった恰好をしてはいるが、鋭い目付きとピンと伸びた背筋、そして何より腰に差した長物が、彼が農夫などではないことを雄弁過ぎるほどに語っている。
後ろに続く少女も何やら妙だ。
男と同じく小袖姿ではあるものの、その生地は庶民がお目にかかることなどほとんどない、上等な絹である。
そのような男女が人目を憚りそそくさと歩く様は、端から見ればかなり妙であった。
彼らが行く道の先には、山の中腹に到に主を失った廃寺がぽつりと佇んでいるのみ。
二人から漂う雰囲気がもう少し甘く浮かれていれば、駆け落ちや逢引にも見えたかもしれない。
しかし、笠から覗く鬼気迫るような面持ちとほとんど駆けるように黙々と歩くその姿からは、そんな甘ったるいものに酔い痴れているようにはとても見えなかった。
「待ちな」
鬱蒼と茂る山野の中から、二人の行く手を塞ぐように四人の男が現れた。
手には抜身の刀が握られており、その風体や目付きから堅気でないことが分かる。
「姫」
小袖の男が一歩前に出て一党と少女の間を遮った。
「ここは私めが。隙をついて逃げてくだされ」
やや半身になって立ち腰の長物に手を宛がいながら、少女に促す。
「なりません」
少女は即答した。
「私も戦います」
そう言って仕込み杖を抜いて構える。
堂に入った構え。幼いながらにして武の心得があるようだ。
しかし、その切っ先は小刻みに震えている。
「なりませぬ」
今度は男が少女を拒んだ。
「ここであなた様が連れ去られては、奥方――
「
母が幼い頃より仕えているという家臣の背を、少女はじっと見つめた。
この国の大名である実父よりも、ずっと父親らしかった男。
本当の父親が彼であったならと、少女は何度も思っていた。
「お逃げください、
少女――星七の不安に満ちた視線を感じながら、
「すぐに追い付きます」
「……必ず、ですよ」
「はい」
力強く頷く弥助に星七も頷いて返す。
「行かせるわけねぇだろ」
一党の一人が動いた。
それを確認した弥助は表情一転、修羅の形相で斬りかかる。
瞬足の一歩で距離を詰めたと同時に、刀を握った男の手を刎ね飛ばした。
絶叫が濡れた空気を震わせる。
驚き後退る一党の脇を縫い、星七は脱兎のごとく駆け出した。
「姫が逃げた! 追え!」
弥助に相対しながら男の一人が叫ぶ。
その声を背に受けながら、星七は必死になって駆けた。
この道の先で待っているであろう者の元へ。
我々の――母の悲願を成就させるには、あの方の協力なくして有り得ない。
破壊と略奪を繰り返し周辺諸国からも魔王と恐れられる実父――
「走れ、星七様ぁ!」
弥助の絶叫が耳朶を打つ。
なぜ今このタイミングで叫んだのか。
振り返りたい衝動を必死に抑え、星七はただ只管に走り続けた。
左右から迫る足音と雨音が重なり合う。
「あっ」
鈍痛と同時に何かに足を取られ、星七はつんのめって倒れた。
足に絡みついた鎖分銅を確認した刹那、忍び装束に身を包んだ男が馬乗りになって星七を抑え込んだ。
「放しなさい! 放せぇ‼」
吠えながら
いつの間にか増えていた二人の忍び装束に足を縛られ
そこに先ほどの一党が合流した。
その手に弥助の首を手提げて。
三人しかいないのは、弥助の仕業だろうか。
母から言い渡された禁を破ってまで、私を守ってくれたのか。
「これで良かったか?」
弥助の首を放り投げ、男の一人が問うた。
ごろりと転がった弥助の首と目が合い、星七の全身が
「上出来だ。受け取れ」
そう言って、星七に跨っている忍が男達の足元に袋を放り投げた。
じゃらり、と重たい音が鳴る。
男はそれを拾うと三人で袋の中を検め、
「おい、こっちは一人死人が出てるんだ。おまけにこいつは片腕落とされてる。もう少し色付けてくれてもいいだろ」
と忍に吐き捨てた。
お触れこそ回っていないが、玄明各地の領主には星七の救出令が下っている。
おそらくこの忍は近隣領主の遣いで、男たちはそれに雇われた
短い嘆息の後、忍は懐から銭を取り出し破落戸の足元に投げ捨てた。
「へへ、まいど」
銭を拾う破落戸共には目もくれず、拘束された星七を忍が担ぐ。
父のように慕っていた従者の死に、ここまで星七を奮い立たせていたものが崩れていく。
脳裏に浮かぶのは三ヶ月前。自分を逃がそうとした母が父に斬り捨てられた瞬間だった。
――助けて。
用意された
その願いを果たしてくれる者など、もういないのに。
虚ろに開かれた弥助の瞳と母の最期の姿が重なる。
あの時の母も虚ろな目から涙を流していた。
痩せ細ったその身を挺して私を逃がし、実父に斬られた母。
当時は何が何だか分からなかった。
泣きじゃくる私に弥助が教えてくれた。
なぜ母は私を城から引き離し、父に斬られなければならなかったのか。
母が身を挺してまで守りたかったものは何だったのか。
私はそれを守り通さねばならない。
こんなところで終わってはならない。
母の命を、弥助の命を、無駄にするわけにはいかない。
それなのに……。
葛籠の蓋が迫る。
星七は己の無力を呪い、せめてもの抵抗に迫る蓋を睨みつけながら祈った。
――誰か、助けて!
「なんや、取り込み中か?」
殺伐とした空気に風穴を空けたのは、拍子抜けするほど暢気な声だった。
見れば、そこにはいつの間にか男が一人立っていた。
どこで手に入れたのか白虎の毛皮でできた外套で全身を包んだ、
伸ばしたい放題に伸ばした黒髪に、赤銅色の肌と引き締まった筋肉質な体躯。
山伏のような装いをしているが、結袈裟も篠懸もない道着のようなシンプルな出で立ち。
伸ばした髪で視界が遮られぬよう、額には外套と同じく白虎の毛皮でできた鉢巻を巻いている。
射殺すような目付きで忍共が男を睨む。しかし、男は涼しい顔のまま喋り続けた。
「なぁ、この中に
そう言って、男は懐から一枚の折紙を取り出した。
そこには大きく「果たし状」と書かれている。
星七が認め、弥助が近隣の町村にばら撒いた物の一つだ。
それを見た瞬間、星七の心に再び火が灯った。
彼なら何とかしてくれる。
この最悪な状況を、彼なら覆してくれる。
「んーーッ! んーんー! んんーーーッ‼」
渾身の力で暴れて葛籠を倒し、星七は芋虫のように這って脱出した。
顔を地面に擦り付けて猿轡を押しのけ、ありったけの声で叫ぶ。
「セイシチではなく、セナです!
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