第20話 準決勝第二回戦
「やっぱり強いわ」
と、最初の速攻から完全に押し戻され、更にはそのまま押され気味でもどこか余裕を滲ませて『女王』は言った。
「まぁ、女に何度も負けるのは――趣味じゃねぇしな」
ギリギリと歯を食いしばって、獰猛な笑顔で『達人』は応えた。
「ところで、あなたのカワイイ後輩が見に来ているわよ」
「……っ」
鈴木の視線が一瞬だけぶれる。力が緩む。
その隙に絵梨は盛り返す。結果、ほぼ最初の状態にまで戻った。鈴木は舌打ちをする。絵梨の口は止まらない。
「可愛いわね。えっと、千鳥ちゃんと双樹ちゃんか」
「……だからどうしたよ」
絡むように、ネチネチと――。
「ところで、千鳥ちゃんと橘くんってどうなんだろうね?」
「関係ねぇだろ」
どこか蔑むように、見下したように――。
「そう? 自分よりも弱い橘くんがねぇ」
――女王は囁く。
「うっせぇ!」
『達人』鈴木は激昂した。怒りに身を任せて、絶対に負けないと不退転の意志で。
絶対に、勝つ!
その瞬間、『女王』絵梨は冷徹な目で観察していた。
鈴木はそれに気づけなかった。
それを見て、暢気に後輩女子二人は会話する。
「あ、サブロー先輩がキレた」
「意外と熱くなりやすいんだよねぇ、鈴木先輩って」
「普段は飄々としているんだけどね。ああいう時ってちょっと怖いよね」
「あれが、獣が棲んでいるってやつなのかなぁ」
「なぁに、それ」
「いや、鳴海くんが言っていたの」
「へぇ」
『達人』は『女王』を睨みつけながら呟く。
「絶対に、負けねぇ」
「負けないと勝つって別物なのよ」
絵梨は『女王』らしく傲然と告げた。
「あぁん?」
「あなたは私よりも強いから勝てるかもしれない。でも、もう負けているのよ」
「まだ負けてねぇよ!」
だが、鈴木が簡単に勝てそうにないのも事実だった。
『女王』は負けないように、負けないように力を上手く逃がしている。
防御に徹しているのだ。
だから、良いところまで押さえつけてもそこから先が続かない。
『達人』鈴木にはそこで畳み掛けるだけの技量が不足している。
そして、直情径行のある鈴木には――それでも力押しするしか術がなかった。
思考能力と体力には相関関係がある。
当たり前だが、体調に波があるように思考能力にも波があるのだ。
鈴木は『トレーニング狂』本岡との勝負でかなりの体力を消費していた。また、当然だが鈴木はこの試合を遊びとしか考えていない。故に普段通りの練習を自身に課していた。
それに対して絵梨は万全を期している。彼女本来の大会もまだ先で調整以前の段階だ。
コンディションの良し悪しでは勝負にならない。
「ほらほら、さっさと勝たないとまた橘くんに差をつけられちゃうわよ?」
「ってっ、めぇぇ」
絵梨の挑発に、鈴木は視野が狭くなるほど力を篭める。歯が軋むほど力が入る。
『達人』の今の顔は目の前の敵を食い殺さんばかりに――厳しい。
そして――『女王』絵梨の右手が教卓についた。
試合終了。
勝者は――。
『達人』はゆっくりと席に戻る。
そこへ声を掛ける二人の後輩。
「あ、お疲れ」と、双樹が軽く言い、
「お疲れ様でした」と、千鳥がマネージャーらしくタオルを渡しながら労った。
「あ、うん。あんがとさん」
鈴木はぎこちなく笑いながらタオルで汗を拭いた。
「ところで、どうしてあんなにキレていたんですか?」
千鳥が続けて不思議そうに訊いた。
その問いに、気まずくなった『達人』鈴木は目を逸らし、言葉を濁す。
「あ、いや、別に……」
双樹が「そうそう」と相槌をうつ。
「もうちょっと冷静だったら勝てたんじゃない?」
「そうですよ。あんなに押していたのに」
二人のその言葉に「ああ……だな」と『達人』は悄然とした態度で頷くしかなかった。
勝者として宣言されたのは『女王』絵梨だった。
理由は単純なものだった。
『達人』鈴木の反則負け。
負けたくなかった鈴木は勝ちに急くばかり――ルール違反を犯した。
ルールその五『勝負している手については肘がついた状態でなければ認められない。故意に浮かすことは禁止』
ルールその六『禁止事項を積極的に実行した場合、反則負けとする。』
鈴木は肘を浮かし、勢いを利用して『女王』の手を教卓に叩きつけたのだった。終わって冷静になってしまえば、全ては後の祭り。
「……完敗だよ、畜生」
うな垂れる『達人』に『女王』が「ちょっと良いかしら」と声を掛ける。
千鳥と双樹の二人から充分に距離を取り、鈴木は小声で問う。
「なんだよ? 敗者に鞭打つとか『女王』はドSだねぇ。それとも、ご褒美のつもりかい?」
「そんなつもりはないわ。それに、良い試合だったわ」
「どこがだ。お前の手の平の上で踊らされただけだろうがよ」
絵梨はゆっくりと首を横に振る。
「貴方の才能よりも私の戦術がちょっと上回った。それだけよ」
それはいつものような作った表情でなかったので、それが本音だと鈴木は悟る。
「あの挑発もか?」
「貴方は意外と短気だって知っていたからね。それにお互い様でしょ」
『女王』は『達人』の荒々しい獣性を見破ってそれを利用した。
「貴方、ちょっと勝利に執着し過ぎね」
「……悪いかよ」
「別に。でも、これは忠告よ。貴方は剣道が好きなんじゃない。自分が才能豊かだから努力しているだけよね。そんな調子じゃいつか足元をすくわれるわよ。今みたいにね」
「……お前にもそっくりそのまま返してやるよ。同類」
「ええ、自戒も込めての説教だからね。受け入れるかどうかは貴方次第よ。同病」
鈴木三郎が橘鳴海に引け目を感じている理由は自分の好きな相手の意中の人だから――だけではない。むしろ、それはついでというか、二義的なもの。
結局の所、鈴木は剣道で『勝つ』ことが好きなのだ。剣道それ自体ではない。
もしも、敗北が続くようであれば、簡単に投げ出してしまうだろう。
長期に渡ったスランプなどまだ経験ないが、もしかしたら、あっさりと逃げ出すかもしれない。とてつもない負けず嫌いにセンスが抜群だっただけで、剣道である必然性がないのだ。
だから、弱くても好きで真摯に努力する後輩が眩しくて仕方がなかったのだ。
そこまで見破られていた『達人』鈴木はあーあ、と諸手を挙げて降参のポーズを取った。
「……完敗だよ、畜生」
ヘラヘラと笑いながら二人の後輩に慰められている『達人』を見やり、どうにか負けなかったと『女王』は胸を撫で下ろした。
さて、ようやくここまで来た、と彼女は考える。
一回戦も準決勝も戦術でどうにか凌いだ。
だが、次は本物の天才である。万全を期し、万難を排しても届くかどうかは定かではない。
だが、どう料理してやろうか……という想像だけで楽しかった。
『女王』は『最強』との戦いを考え一人笑う。
四
そして、今回の罰ゲームは『達人』鈴木である。
彼はしばらく悩んでいたが、ふと思いついたようにカバンの中から週刊漫画誌を取り出した。
「んじゃ、雑誌を握力限界突破で破りまーす」
という軽い言葉にみんながずっこけた。
市川が代表して抗議する。
「ってお前、『達人』だろーが! もっと、こう、剣で一刀両断とか!」
「無理無理。だって、真剣なんて持ってないし」
それは真剣さえあれば斬ってみせるという言い分にも聞こえたが、結局は用意できないので何とも言えなかった。
文句が出なかったことに安心して、鈴木は両手の握力で努力、友情、勝利を掲げた某週刊誌を破りにかかる。
「あー、あれじゃ、ちょっとキツイかもね」
と言ったのは『トレーニング狂』本岡である。
「キツイってどういう意味ですか?」
と訊いたのは幼なじみの悠里ではなく、『最強』の妹琴梅だった。
ちなみに悠里はさっきの罰ゲームに腹を立て『トレーニング狂』から少し離れたところに憮然とした表情で立っている。復讐しても、まだ腹の虫が収まらないらしい。
本岡はポリポリと後頭部を掻きながら照れ笑いを浮かべる。
「ああ、うん。あのね、ああいう素手で雑誌を千切る芸ってね、背表紙を千切るんだよ。ペラペラめくる方は人間の力じゃちょっと千切れないかな。あは、ははは」
『トレーニング狂』本岡富士雄は同性の友人は多いが、異性にはどちらかと言えば敬遠されている。
筋肉好き以外には受け付けにくいらしい。性格が良いので、実はニッチな人気があるのだが、はとこを除いて――あまり異性と触れ合う機会に恵まれていない。
というわけで、超一級の美少女である琴梅と話している現状がちょっと照れくさい。
本岡はキョロキョロと見回して、悠里に助けを求めるが、彼女は彼女でデレデレしている筋肉莫迦が面白くない。
面白くないが放っておくこともできず、トコトコと悠里が近付くと――本岡は安堵の笑顔になった。
その表情だけで先ほどの阿呆な所業を許すわけにはいかないが、その安堵の表情はすごく特別な存在に対する感じで――悠里も照れくさい。
そんなちょっと良い空気のせいで、その後の『最強』とその妹の会話を聞いていた者はいなかった。
「あ、本当に苦労されていますね」
琴梅の言葉通り『達人』は顔を真っ赤にして少しずつ雑誌を破いている。
少しずつでも破けるのは大したものなのだが、体を張った芸人さんにしか見えない。しかも売れない、どんなことでもする類の芸人である。頑張り過ぎて観客にドン引きされる辺りもよく似ている。
最初は応援していた観衆も飽きたように静かになっている。
鈴木は静まってしまったので焦って破ろうとするのだが、焦れば焦るほど遅々としか破けない。そして、更に盛り下がるという悪循環に陥っていた。
その雰囲気も含めて『達人』鈴木らしいが――本当にただの罰ゲームに成り下がってしまっていて非常に哀れである。
「兄さんだったらどうですか?」
妹の言葉に兄は首を横に振った。
「無理だと思うよ。だって、僕の握力って鈴木くんとそんなに変わりないから」
「そうですか」
そう呟く琴梅の表情はどこか納得できていないようだった。
『最強』南口はその様子に不審なものを感じ、訊ねる。
「どうかしたの?」
「この間、いろいろありまして、私、西中の人に助けてもらったのですよ」
琴梅はちょっとした縁で、西中に友人ができた。
困難に巻き込まれた時、助けてくれたらしい。南口はすれ違いばかりで会ったことないし、詳しくも聞いていないが、良い人ということは耳にしている。
「それで?」
「その人は雑誌をこう簡単に千切ってみせたのです」
身振り手振りで説明してくれるが、その耳を疑う所業に『最強』南口は訊いた。
「そういえば、名前聞き忘れていたね。それって誰?」
その名前は比較対象としてよく語られるが――彼らに実際の面識はまだない。
彼らが出会うのはもう少し先の話である。
『最強』と『怪物』が出会うのは……。
琴梅は微笑みながら言った。
「西中の北方さん」
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