エルヘイム~竜と獣と黒魔術~

縞乃聖

第1話(1)

 ファブリークの村。

 その小さな農村は人里離れた辺境の森林地帯に存在する。

 その名の由来はファブリーク遺跡と呼ばれる旧文明の遺跡が近くにあるからだと言われている。


 ――ああ、またこれか。どこに行っても変わらないな。


 とある考古学者の護衛としてこの村に訪れてすぐに抱いた感想はそれだった。


 村人たちが私に向ける眼差しは嫌になるほど警戒の色が濃い。

 しかし、勘違いしてはいけないのは、この村が特別排他的というわけではない。

 どこでもこうなのだ。


 私の持つ焼け焦げたかのような茶褐色の肌と赤みの帯びた瞳、それは悪しきエルフ――ダークエルフの証だ。

 ダークエルフは大昔から彼ら善良なるエルフ――ライトエルフに忌み嫌われる種族。

 故に私も彼らから忌み嫌われて当然なのである。


 けれど、ライトエルフの中にも私のような女を差別しない変わり者も一定数いる。

 

 その一人が私の護衛対象で幼馴染の考古学者プリムラだ。

 私の肩くらいしか背丈がない上に細身な彼女は村に漂う重い空気をものともせず、私の前を堂々と歩いている。

 七つも年下とは思えないくらい頼もしい。


「すごくきれいな村ですね。アディ」


 初めて訪れる場所を前に、プリムラはコバルトブルーの瞳をキラキラと輝かせていた。


 立派な住居に村を取り囲む堅牢な石壁、血管のように張り巡らされた石畳、そして小奇麗な衣服を身にまとう村人。

 周囲に町どころか集落もないド田舎の村にしては驚くほど発展している。


 よほど有名な名産品でもあるのか?

 そんな話は聞いたこともないが。


 「あ、あそこ!酒場ですよ!早速入ってみませんか?」


 プリムラは酒場の看板が掲げられた建物を指差す。


「おい。まずは宿屋だろう」

「まだ時間もありますし、宿屋探しはご飯を食べてからってことで」

「……で、本当のところは?」


 ぐううう……。


 プリムラのお腹が盛大な音で私の質問に答えた。


「あ……」


 プリムラの透き通るような白い肌に赤みが帯びていく。


「腹が減って仕方がないと」

「うう……はい。そうです」

 

 プリムラはもじもじと身体をくねらせる。


 まあ、夕暮れ時でそれほど遅い時間でもない。

 プリムラの言う通り、宿探しは一服した後からでもいいだろう。


「分かったよ。先に食事だな」

「流石アディ!分かってくれると思っていました」


 プリムラは余程空腹なのか私の手を引いて酒場へと走り出した。




 酒場は仕事終わりの農夫たちで楽しそうにどんちゃん騒ぎをしていた。

 しかし、私が酒場に足を踏み入れるとその楽しそうな空気は一瞬の内に打ち破られる。


 ――これはまずいな。殺気がダダ漏れだ。


 差別の仕方は場所によっては様々だ。

 最低限人の扱いをしてくれるところもあれば、問答無用で襲いかかって追い出そうとするところもある。


 どうやら、この村の気質は後者らしい。


 こういった時の対処法はただ一つ。

 彼らを刺激せず、ただその殺気を受け入れること。


「……」

 

 対抗心も差別意識に対する怒りといった何もかもを押し殺す。

 今の私はただプリムラの側に居るだけの人形だ。


「マスターさん、ワインを二人分お願いします!あと長旅で疲れているのでお腹にたまるオススメの品はありますか?」


 爆薬庫の中に火を持って入っているかのような状況でプリムラのはつらつとした声が響き渡る。

 そのあまりの度胸にマスターだけでなく酒場の農夫たちも何とも言えない表情を浮かべた。


 こいつ、今の状況わかってるのか?


 彼らはきっとそう思っていることだろう。

 その気持ちはとても分かる。


「ははっ、面白えな!マスター、このおチビさんに俺のお気に入りを出してやれってくれよ」


 耳をつんざくような大声を上げるのはスキンヘッドの頭を真っ赤にしたライトエルフの男だった。

 彼はゆらゆらと身体を揺らしながら、こちらへと近付いてくる。


 この男、なかなかガタイがいい。

 筋肉は衣服がはちきれんばかりに隆起しており、農夫としてはいささか鍛え過ぎているように見える。

 

 ……また、変なのに絡まれたな。


 経験上、好き好んで私たちに近付いてくる奴は余程の変人か、面倒事を招く厄介者かの二つに一つだ。

 

「……ほう。お前、学者ギルドの学者様か?」


 プリムラの身に着けるガーベラがあしらわれたブローチを覗き込んでそう言った。


「はい。ファブリーク遺跡の調査に来たプリムラです。それで彼女は――」

「ああ、いい。奴隷に名前なんていちいち覚える気にはならないよ」

「奴隷ではありません。彼女アドニスは私の親友です」

「ははっ、マジかよ。聞いたか皆、都会の学者様はダークエルフを友達にするんだってよ!ボッチって奴だ。悲しいね」


 男は大声で親友を笑った。

 つられて周囲の農夫たちからも笑い声が上がる。

 どうやらこの男は後者――面倒事を招く厄介者だったらしい。


 この野郎……!


 私は無意識に腰の得物へと手を伸ばしていた。


 ……抑えろ。今暴れたらもっと面倒なことになる。


 ここは調査対象であるファブリーク遺跡から最も近い村だ。

 調査の間、拠点として利用しなくてはならない。

 つまり、村で問題を起こして追い出されようものなら調査に多大な影響が出る。


 よって、親友を侮辱された怒りは奥底へとしまい込むしかないのである。

 

「学のない学者様に教えてやるよ。ダークエルフっていうのは大昔に魔物を作ってばら撒いたクソッタレ共だ。お陰で世界中魔物で溢れかえって皆大迷惑よ」


 さも得意そうに語る男の話は学者のプリムラが当然知っている内容である。


「そんなダークエルフがよ、が俺たちと対等に扱われてるっていうのはおかしいよな?」

「……っ!?」


 男は背後から私に覆いかぶさる。

 そして腕を回して、私の胸を鷲掴みにした。


「アディ!」

「プリン、大丈夫だ。これくらいどうってことない」

「お?流石は学者様の親友さん。お行儀がいいな。そりゃそうだよな。お行儀が良くないとすぐ捨てられちまうもんな?」


 そう言って、彼は私の胸を乱暴に揉みしだく。

 酒に入った農夫たちは胸を揉まれる女の姿に下衆な笑みを浮かべた。

 

「お前、ずいぶんといい身体してるよな?ダークエルフは嫌いだが、お前のエロい身体の女は好みだぜ」

「……クソ野郎が」

「おまけに気も強いってか。こりゃ、泣かせがいがありそうだな」


 男はニヤニヤと笑みを浮かべながら、手を私の下腹部の方へと伸ばす。

 その様子に周囲のゲスな男たちは興奮の声を上げる。


 クソッタレ。


 暴れて振りほどくくらい簡単だ。

 けれど、そうした結果何が起こるかは予想がつかない。


 プリムラに危害が及ばず、調査も滞りなく進むというならば、恥は捨てるべきなのかもしれない。


「……い、いい加減にしてください」


 男の手を止めたのはハンドガンを構えたプリムラだった。


「ははっ、流石は学者様だ。アーティファクトは普通に持ってるんだな」


 アーティファクトとは古代遺跡から発掘された遺物――古代文明の技術によって作られた魔術具の総称だ。

 プリムラが持つそれはかつての古代文明で量産された携帯武器である。


 この古代文明の技術は今や失われたに等しく、量産品でさえ宝石ほどの価値がある。


「早くアディを解放してください。そうしないと……」

「そうしないと?それを撃つってか。その状態で?」


 男はハンドガンを握るプリムラの手が震えていることを指摘した。


「う、嘘じゃありません。私だって撃とうと思えば撃てるんです」


 プリン……。


 撃とうと思えば撃てる。

 だが、引き金を引きことができないことを私は知っている。

 プリムラは優し過ぎるのだ。


「……分かったよ。言う通りにするから、それを下ろしてくれ」


 一瞬の膠着状態の後、男は意外にもすんなりと私を解放した。


「流石にアーティファクトを出されちゃ、敵わねえよ」

「もうこんな事はしないでください」

「……分かったよ。じゃあ、また明日」


 男は不気味な笑みで浮かべてそう口にすると、そのまま酒場を出ていった。


「アディ、大丈夫ですか?」


 男がいなくなるとプリムラが慌てて駆け寄ってくる。


「ああ、大丈夫だ。プリンのお陰で助かった」


 プリンが勇気を出してくれなければ、今頃私はあの酒場で見世物にされていただろう。

 本当に感謝しかない。


 私は彼女の小さな身体を腕の中へと抱き寄せる。


「プリン、今度は私が守るからな」

「……はい。明日の遺跡調査はしっかりお願いします」


 花のような美しい笑顔につられて、私も自然と笑みが溢れる。


「……それにしても、また明日か」


 あのガタイのいい男が言い残した言葉が頭の片隅で引っかかる。

 また面倒事になるような予感がする。


 予感が的中しなければいいが……。


 そう思いながら迎えた次の日、この予感は予想外な形で的中してしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る