壱―『扶桑樹の貪食』
①
奏彌の視界に移るのは、奏彌と同年代の容貌をした少女が一人。
肩口に掛かるセミショートの髪は乳白色。老化のソレとはまるで異なり、艶やかな絹糸の束を連想させる。
白く出来物一つない肌を覆うのは鈍色の水兵服。腰には小振りの日本刀。
彼女を前にした奏彌は、初めに大理石の彫像を連想した。
およそヒトに対して抱く印象ではないが、しかし彼の抱いたモノは正確を極めた。なにせ少女の顔を構成する全ての部品は、本来あるべき場所に、完璧な比率で配置されている。端正の二文字では、到底表現しきれない程だ。
その姿からして、偶然通りがかっただけの白髪の少女……という訳ではなさそうだ。
「それ。地味な格好してるくせに、えげつないことするんだね」
朱色の番傘を差した少女は異形の山を指差し、含みのある笑顔で尋ねる。
奏彌は答えない。否、応えることができなかった。
見るもの悉くを照らし尽くす、よく磨かれた宝石が如き橙色の瞳。
他の何よりも見る者の目を引き付ける、少女の中で最も特徴的な部位。
彼女のそれが奏彌の視線を捉えて離さず、彼から一切の言葉を奪ってしまっていた。
「どしたの? ねえ君、聞いてる?」
ひたすら黙って立ち尽くす奏彌を前に少女は訝る。彼女の呼び掛けで我に返った奏彌は、側に剣を呼び寄せて少女を睨み付けた。
「何だ……お前」
その髪、その瞳。尋常な存在ではないことは明白だ。
奏彌の仕事は怪異の駆除。どのような姿を象ろうと、駆除すべき存在であることに変わりはない。
何故ならそれは、かつて奏彌から全てを奪った者の仲間なのだから。
「えっちょっと待って……」
殺意を向けられた少女は驚き、傘を放り投げて一歩飛び退く。
そのまま腰に手を伸ばし、刃を抜く……ことはなかった。彼女はそれをベルトから外すと、奏彌に向かって投げて渡す。
奏彌は空いた手でそれを受け取った。全体が煤けており、血の匂いはしない。
「ほら。確かに怪しいかもしれないけど、誰かに害を与えようってんじゃないよ」
少女は雨に濡れるのも厭わず、両手を振って無害な存在であることを主張する。その声からは確かに、一抹の殺意も感じることができない。
しかし殺意の有無は、実害の有無と必ずしも直結しない。判断に悩む奏彌を前に、少女は右手を持ち上げ、人差し指を伸ばして……
そして掲げられた指の先端に、橙色の炎が沸き上がった。
「たぶん、君と同じ。境界人……ってやつ? 化物退治の途中なんだ」
境界人。化物退治。彼女は共通の敵を持つ同業者だ。
そしてこれ以上の追及は、仲間に対して礼を失することになる。
「確証もなく疑ってかかって済まなかった。ほら」
奏彌は剣を放棄して少女に歩み寄る。その途中で彼女の傘も拾い、刀と共に差し出した。
少女は頷いてそれらを受け取る。気分を害されたようには見えず、奏彌はひとまず安堵した。
「化物退治、どんな奴だ? 言ってみろ、僕に心当たりがある奴かもしれないから」
「『
ギキュウシャ。窮を偽る者。初めて聞く名に、奏彌は小さく首を振る。
「……聞いたことない名だ。悪いな、力になれず」
「やっぱり……ま、そう簡単に見つかる訳ないよね」
禊は落胆するが、すぐに顔を上げて気を取り直す。
「わたし、
橘。彼女の白い髪は橘の花弁、瞳はまさしく果実そのもの。
橘の姓を冠するに相応しい存在だと、奏彌は奇妙な納得感を覚えた。
「御影奏彌。同業者として、一応覚えておいてくれると助かる」
右手を差し出す奏彌だったが、禊がその手を取ることはなかった。
「うん……って、あれ」
奏彌の手を取る代わりに、禊は奏彌の背後を指差す。それに従って奏彌も振り返ると……
「……ほう」
異形の死骸の山の隙間に、何やら動くものが見える。
奏彌は近寄り、邪魔な死骸を足で退かす。するとそこには、瀕死になりながらも数匹の小さな個体を庇う異形の姿。
「キ……キキ……エ……ア……」「化物であっても親は親か」
成体は泣き喚く幼体の口を必死に抑え込み、奏彌からその存在を隠そうとする。せめて子供だけでも守りたい、そんな必死の努力が垣間見える。
奏彌はそれを無感情に見下ろし、足元に転がっていた剣を呼び戻す。泥水に漬かっていた剣がふわりと浮き上がり、彼の目線の高さで静止した。
「それ、どうするの」
背後から禊の声。何か憂慮するような声だが、それは奏彌の感知するところではない。
「駆除する以外に、手段があるとでも?」
断末魔すら上げさせない。剣がすらりと落下し、覆い被さる親諸共に、異形の幼体を微細な肉片になるまで斬り刻んだ。
「容赦、ないんだね」
禊は溜息を一つ、憐憫の籠った声で呟く。
「こいつのせいで何人も死んだ。ここで取り逃せば、再び繁殖して同じことを繰り返す」
「……そうだね。かわいそうだけど、仕方ないよね」
俯いて呟く禊。どこか哀しげなその声色が、奏彌の鼓膜を震わせる。
「ごめんね、邪魔しちゃった。何かわかったら、すぐにお願い!」
それからすぐに、禊は傘を開いて走り去っていった。
白。昏く淀んだ街を切り裂く、閃光の如き白。
それが奏彌の瞳に焼き付いて、消えるまでしばしの時間を要した。
「禄でもない慈悲だな。ああいう奴が躊躇するから、こうやって人が死ぬ……」
雨は一層勢いを増す。後に残るのは、紫の血溜まりだけだ。
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