歴史学者×神殿×雨

 自国では今、記録的な干ばつに悩まされていた。

 もう1年以上も雨が降らないという異常気象に見舞われ、あのナイル川でさえ水位が大幅に減少するという未曾有の事態が発生している。地域全体が深刻な水不足に陥り、農業や人々の生活に多大なる影響を及ぼしていた。


 そして、その余波は私の研究にも。


「ですからっ! このままでは古代遺跡は深刻なダメージを受けます! なんとか水の支給をお願……ちょっと、もしもし? もしもしッ!?」


 こちらがまだ必死に懇願をしているというのに、受話器の向こうからは無情にも通話が切れたことを示す電子音が鳴り響いていた。

 相手の非道さと自分の無力さに思わず携帯を放り投げそうになるも、込み上がる怒りを何とか抑えて机にそっと置く。


「ダメ、でしたね?」

「えぇ、聞く耳さえ持ってもらえなかったわ……困ったわね」


 隣に控えていた研究仲間のナディアと共に、私は途方に暮れて深い溜め息を吐いた。


 古代文明の国・エジプトにあるカイロ大学考古学部。私はここで勤務するセプティ・ハッサンという歴史学者である。

 同じ職についていた祖父の影響で古代歴史に情熱を抱き、彼と同じ道を進んだ。専門は古代エジプトの宗教儀式と建築で、主にカルナック神殿の保存と修復に焦点を当てて活動している。


 ――のだけれども。


「どうしましょうか。大学に掛け合ってもダメ、水道局に直談判してもダメ。まさか私たちみたいな一介の学者が、考古省になんて取り合えないでしょうし」

「むしろ考古省こそ我々以上に頭を抱えているでしょうね。エジプト全土の遺跡が危機にさらされているのに、何の手立てもないのだから」


 そう。我々は今、古代遺跡の保存修復に必要不可欠な水資源の調達に苦しんでいた。


 元々エジプトでは、地下水位の上昇や都市化の影響による文化財への塩害が、深刻な問題となっていた。その塩を洗い流すのはもちろん、被害から守るために散布する薬剤や湿布にも水は必要だ。

 それにある程度の湿気がなければ石材やプラスター(保存修復で使用する仕上げ材の一種)が乾燥し、ひび割れや崩壊が進む可能性だってある。あれほどの巨大な神殿が崩壊すれば、復元はかなり厳しいものになるだろう。直すにしても、接着剤となるモルタルなどにも水がいる。


 諸外国から水資源の支援はあるものの、エジプトだけが抱える問題ではないため、我が国単独で十分な量を確保することは困難だ。結果、その殆どが人々の生活や農業へと回されていた。もちろん国がそれを第一優先とするのは当然のことと理解はしている。

 でも古代から受け継いだ神秘の建造物が失われるのを、黙って見ているわけにはいかない。


「もうこうなったら、をやるしか」

「正気ですか? アレは命に関わる危険があるって、教授も言っていたじゃないですか! 私も遺跡は守りたいですけど、貴女が犠牲になるなんて納得できませんッ!」


 ナディアの言葉が私の心臓を強く締め付けた。私たちの脳裏には、ある1つの儀式のことが思い浮かんでいる。それはカルナック神殿でも祀られている全能の神、アメン神へ捧げる雨乞い儀式のことだ。

 『新月の涙アアフ・ウアト・リィミィ』――再生を象徴する新月に合わせて行われるため、古代エジプトの言葉でそう呼ばれている。この儀式は祭主が5日もの間、飲まず食わず眠らずで祈りを捧げるものであり、有識者の間ではとても危険とされていた。


 古より様々な儀式が存在してきたけれど、『新月の涙アアフ・ウアト・リィミィ』は歴代のファラオに受け継がれ、王の一族のみが行うことを許されている。何を隠そう、私の家系こそ彼らの末裔なのだ。私が祖父の意思を受け継いで学者になったのはそうゆう理由もあり、この仕事に使命感を持って臨んでいる。

 とはいえ果たして本当に儀式なんてものに効果があるかは分からない。でも今は藁にも縋りたいほどに切羽詰まっていた。そんな私の手を握り、彼女は真っ直ぐと目を見つめる。


「他にも方法があるはずです。諦めず探してみましょう!」

「……そうね、ありがとう」


 とりあえず今日はナディアの制止を聞き入れて、私たちは帰宅することとなった。しかし帰路の足取りは重く、不安が募るばかり。このまま水が手に入らなかったら、どうしたら良いのだろう。


「ただいま」

「お帰りママ! どうしたの? 顔色悪いよ、大丈夫?」

「ママー、おなかすいた~」


 リビングの扉を開けると子供たちが出迎えてくれた。面倒見が良くて優しい14歳の長女ハトリアと、そんな姉に甘えてばかりの10歳の次女セリーナである。彼女たちの笑顔を見れば、仕事の悩みなど家の中では忘れることができた。

 ハトリアには「大丈夫よ」と応えて、私は夕食の支度を始めた。家庭には多少の水が支給されているから、少しずつ大事に使いながら調理する。今日は朝に下ごしらえをしておいた料理があり、それを揚げるだけでいい。それにサラダとスープ、パンを添えて完成だ。


「わぁ! 今日は世界一のファラフェルね!」


 食卓についたハトリアが歓声を上げる。セリーナも早々と美味しそうに頬張っていた。

 ひよこ豆やそら豆を潰して、スパイスと共に混ぜ合わせて丸め、ゴマをまぶしてカラッと揚げたものがファラフェル(別名ターメイヤ)だ。娘たちに大好評の我が家のファラフェルは、沢山作ってもすぐになくなってしまう。


「ね、ママ。そろそろ私にもこのレシピ教えてよ」


 既に3つ目を完食したハトリアが、目を爛々と輝かせて私にそう言った。

 実は我が家には王家代々に伝えられてきたレシピがあり、具材やスパイスの調合は門外不出なのである。


 私も母から教わるまではその日を楽しみに待ちわびていたから、娘の気持ちは良く分かった。少し悩んだ末、ハトリアの年齢ならもう料理はできるし、秘密も守ってくれるだろうと心を決める。


「分かったわ、じゃあ次の金曜で一緒に作りましょう」


 そう告げるとハトリアはとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

 エジプトの休日は金土であり、金曜はイスラム教徒の我々がモスクで祈りを捧げる日とされている。ただし義務があるのは男性のみで、女性は子供の世話などがある場合は無理に行く必要はない。


「ずるい~、わたしも~」

「はいはい、セリーナはもう少し大きくなってからね」


 頬を膨らませてせがむ次女を宥めていると、主人がファラフェルの匂いに誘われたように帰宅。家族揃っての団欒を改めて楽しみながら、私も次の金曜に思いを馳せるのだった。




 ところが休日明けの日曜、大学に出勤すると事態は一気に急変した。カルナック神殿最大の見所である、大列柱室の崩落がついに始まったとの報告が入ったのだ。

 ナディアと共に急いで現場に急行した。そこで見事な浮き彫りレリーフで飾られた巨大な円柱が、まるでジェンガのように脆く崩れていく様を目の当たりにする。このままでは数日で神殿そのものが崩壊するだろう。


 惨状を前にして私たちは呆然とその場に立ち尽くした。

 カルナック神殿がこの状態ならば、他の文化財も恐らく……。


 雨さえ降ってくれれば。いずれ他国でも水が尽き、私たちの手に渡る量も限られてくるだろう。水を求めた紛争だって起きかねない。

 ほんの少しの雨だけでも降れば多くの人の命が、そして古代歴史が救われるはずだ。


 私一人の犠牲で、皆が助かるのなら。


「……ねぇ、次の新月はいつかしら」

「今週の木曜が丁度新月ですけど……まさか、セプティさん」


 木曜ということは、儀式の5日目に新月を迎えるには今日から始めなければ間に合わない。こんなことになるなんて思ってもなく、家を出る時には何の覚悟や準備もしていなかったから全身が震え上がった。


「それだけはダメです! 自分を犠牲にするなんて馬鹿な真似は止めてください」


 確かに馬鹿な選択かもしれない。ここで私が死んだら娘たちはきっと悲しむだろう。それでも彼女たちを守るためなら私は――。


〝ね、ママ。そろそろ私にもこのレシピ教えてよ〟

〝ずるい~、わたしも~〟


 娘たちの温かい笑顔が脳裏に浮かんで、ハッと目を開いた。


 ――否、死ぬと決まったわけではないじゃないか。

 そもそも死ぬことが決まっているなら、儀式自体が無に帰してしまうのだから意味がない。歴代のファラオたちには生き残った者もいただろう。だから私も、何が何でも生き抜いてみせる。


 この5日間を耐え、儀式を完遂してあの子たちとの約束を果たす。……必ず。


「大至急『新月の涙アアフ・ウアト・リィミィ』の準備を! アメン神様にエジプトを……ナイル川流域の国々をお救いいただくよう、ここで祈りを捧げます」


 私の言葉にナディアは烈火の如くに反対をしたけれど、固い意志を汲み取ると奥歯を食いしばって承知してくれた。現状、他に解決策がないことも確かなのだから。


 儀式は円柱の崩落が始まった大列柱室で行うことになった。比較的まだ柱の煉瓦がしっかりしている場所を選び、人手を募って急ピッチで祭壇が作られていく。

 その間に私は古代エジプトらしい白い衣装に着替えていた。普段頭に巻いているヒジャブを取り払うと、肩までのダークブラウンの髪がサラリと落ちた。青いラピスラズリの首飾りを下げ、顔に濃いめの化粧を施す。


 いよいよ極限との戦いが始まる。儀式が決まった後、主人には電話でそのことを伝えた。突然のことで驚きのあまり叱責されてしまったけれど、子供たちと待っているから必ず帰るようにと約束した。

 娘たちには帰ってから怒られればいい。だって私は必ず帰るのだから。


「……では、始めます」


 雲1つ無い青空を睨むように見据えて、私は大きく息を吸った。



 ――儀式開始から3日目。


 頭痛や目眩が酷い。血圧が低下し、全身に血液を送ろうと心臓が奮闘している。胃は空っぽで、唇は乾燥して裂傷しているのに、意識が朦朧としていて何も気にならなかった。ただ祈りの言葉を今にも消えそうな声量で呟く私。

 昨日までは周りで見守るナディアたちの声が聞こえていたのに、それももう耳に入らなかった。私の異常なのか、見捨てられてしまったのか。不安に駆られても涙すら流れない。それでも私は儀式を中止しようとはしなかった。


 4日目。遠退きそうになる意識を気力で繋いでいる。でも体にはもう力が入らなくて、私はついにその場に臥してしまった。


「セプティさん……!」


 ナディアが駆け寄り、私を抱き起こした。

 彼女は驚いただろう。そんな状況でも、私の口からは祈りの言葉が微かに紡がれていたのだから。


「もう限界です! 儀式を中止しましょう」


 彼女が仲間に叫んだその声だけは何故かハッキリと聞こえ、残っていないはずの力を込めて彼女の肩を必死に掴んだ。〝ダメ〟という意で。


「セプティさん……」


 ナディアの涙が、私の干からびた手の甲にポトリと落ちて流れた。……その刹那。


「あーあ、そんなことしても雨なんて降らないのに。食べ物を口にできないなんて、僕なら耐えられないよ」


 太陽が降りてきたと思うくらい、目映い光を放つ何かが私の前に現れた。まさかアメン神が降臨したとでもいうのだろうか。いや、儀式はまだあと1日半残っているのだから早すぎる。

 ならば天から私にお迎えがきたのか。まだこんなところで死ぬわけにはいかないのに。


「死……? あぁ、昔会った子がそんなこと言ってたなぁ。アメン神なんて本当にいるかも分からないのに、君はその恐怖と戦っているの? 頑張ってるのにお気の毒。僕が代わりに願いを聞いてあげるよ」


 光の中から子供のような声がしているのに、どうして誰も不思議に思わないのだろう。それに意識はもう限界のはずなのに、どうしてこの声ははっきりと鮮明に聞こえるのだろう。


「ん~、僕の声だけ聞こえてもなぁ。会話ができないと困るから、番人の間に案内するよ。……おいで」


 その言葉を合図に、五月蠅かった心音が徐々に治まり、浮くのではと思うくらい体が軽く感じた。現実の私は、そこで意識を手放した。



 コツコツと高天井に響く足音で目が覚める。

 先ほどまでの乾ききった砂の世界とは打って変わり、辺り一面鮮やかなスカイブルーの中に私はいた。まるで箱のような空間で、壁の外では白い雲が悠然と流れていく様子が見える。飛行機に乗っているよりも開放的な景色だ。


「ここは……? えっ、私、声が出る!?」


 自分で自分の声に驚いた。あんなに朦朧としていた意識も覚醒しているし、手の平を見ても頬を触っても歳相応の潤いを感じる。空腹や痛みといった感覚もなかった。


「気がついた? 自己紹介がまだだったね。僕はメネル、空を管理する番人さ」

「その声、あの光の……。私はどうなったの? もしかして死んでしまったの!?」

「落ち着きなよ。下界の君の体の中心はまだ動いているから大丈夫だと思うよ。死ぬとココが止まるんだろう?」


 そう言ってメネルは自分の心臓の位置を指さした。良かった、とりあえず死んではいないようだ。ということは、ここは夢の中か何かだろうか。

 空よりも少し深い青色の衣装に身を包んだメネルは、今まで見たどんな人よりも綺麗な顔をしている。こんな子を娘が彼氏として連れてきたら、ちょっと嬉しいかも。


「そう? ま、僕は溜め息すら旋律になる美青年だからね。でも生憎、今回はあまりお喋りしている時間がないんだ。早速、君の願いについて検討しよう。ナイル川流域に雨を降らせてほしいんだよね?」

「貴方、さっきもそんなこと言っていたわね。本当に叶えてくれるの?」


 メネルの言葉に私は一気に仕事モードへと頭が切り替わった。この際、アメン神だろうと空の番人だろうと誰でもいい。雨を降らせてもらえるなら、このチャンスを逃すわけにはいかない。


「できなくはないけど、大雨は降らせられないよ。君、あれほど干ばつした地に雨が降ればどうなると思う?」

「どうって……地面が乾いているのだから、吸収されるんじゃ」


 私の答えに、メネルは小さく溜め息を吐いて首を横に振った。


「残念、不正解。乾燥した土は構造が変わって、水を吸収しにくくなるんだ。雨は染み込むどころか表面を滑って、大量の水が地表へ溢れることになる。……ここまで言えば、もう分かる?」


 大量に降った雨が地表に吸収されず溢れて流れる……。私の脳裏に、さきほど自分の手に落ちたナディアの涙が蘇った。

 そうか、つまり全て洪水になる恐れがあるのだ。考えてみれば神殿を形成する煉瓦だって、急激に水を吸収すれば膨張して破損する可能性がある。雨が降っても窮地を救うどころか、二次災害になりかねないということ。私は水不足を解消することばかりで、その危険性を全く考えていなかった。


「そうだよ。天気の願いを叶えることはできるけど、地上の環境を勝手に変えると怒られちゃうんだよねぇ」

「そんな……。でも空を管理してるってことは、ここまで干ばつに追い込むほどの天気にしたのは、貴方なのでしょう?」


 そう口にした途端、それまで無邪気な笑みを浮かべていたメネルの表情が一変し、氷のように冷たい目をして私を見下ろした。


「勘違いするなよ、人間。海水温が上昇しているせいで、こっちも天気を一定にせざるを得ない状況なんだ。精霊たちの計算では、向こう数年は雨を降らせることはできないそうだよ。これはお前たちが招いた結果だ」


 子供とは思えない体を貫くような視線に背筋が凍った。彼が言っているのはエルニーニョ現象のことだろう。私もテレビで何度か見たことがある。

 確かに、この事態を招いたのは他でもない我々人間だ。それなのに、なんて勝手でおこがましい願い事をしているのか。


「全くだよ。でも僕は優しいから、環境を変えないよう少しずつなら降らせてあげてもいい」

「助かるわ、それなら――」


 再び柔らかな表情に戻ったメネルだけれど、私の返事に被せるように「ただし」と続けた。


「相応の報酬はいただくよ。いつもなら依頼人の一番好きな食べ物だけど、君からは代々伝えられたファラフェルとやらをいただこうか。君だけじゃなくファラオの末裔である君の家族から、秘伝のレシピごと僕が貰うことになる。それが条件さ」


 要するに、私はもちろん子供たちもファラフェルを食べられなくなるってこと?


 頭の中が真っ白になった。だって、今度の金曜にハトリアと一緒に作ると約束した。あの子も私も楽しみにしているのに。セリーナだってアレが大好きなのに。


「わ、私は構わないわ。でもどうか娘からは――」

「だーめ。代々継承するものなら、僕がその権利ごといただかなきゃ。君の希望どおり、予定にはない雨を分割して降らせるんだ。これくらいのご褒美は当然さ。嫌ならこの話はナシだね」


 どこか面白そうにクツクツと笑っているメネルが悪魔に見えた。でも代償を受けてもおかしくない話をしているのは分かっている。

 承諾すれば我々家族がファラフェルを失い、断れば雨が降らず地上から多くの命が失われる。2つの重さには雲泥の差があり、どちらを選択すべきかなんて考えるまでもないことだ。


 愛する娘の笑顔が浮かぶ。

 拳を痛いほどに強く握り、一筋の涙が頬を伝った。


「決めたわ、メネル」


 私の声を聞き、少年は満足そうに不敵の笑みを浮かべた。




 私が次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。ぼんやりとする頭の中で辺りを見渡すと、主人や娘たちが心配そうに私を覗き込んでいて、彼女たちは私の意識が戻ったことに大泣きして喜んだ。

 どうやら儀式の最中に意識を失った私は、そこから1日眠り続けていたらしい。二人を抱きしめたい気持ちはあるのに、腕を動かすことも声を出すこともままならないほど衰弱していた。お医者様によると命に別状はないけど、暫く入院が必要とのことだ。とりあえず家族は一安心し、一旦家へ帰宅していった。


 その夜、窓越しに聞こえる音で再び目が覚めた。窓を開けなくても何の音かはすぐに分かり、一人残された病室で静かに響いている。明日、ナディアが血相を変えてここを訪れることだろう。

 嬉しいはずなのに、私は全身を震わせて泣いた。どうしてこんなにも涙が溢れるのかは分からない。無事に雨を降らせることができたから? でも私は儀式を完遂していないし、この絶望的な虚無感を上手く説明できない。


 病室は月明かりもなく真っ暗だった。

 木曜の今宵は新月。『新月の涙アアフ・ウアト・リィミィ』とは、儀式名ではなく祭主が辿る末路のことだったのだろうか。



 あれから雨は短い時間だけれど、日を跨いで継続して降り続いている。一気に大雨が降れば大惨事になるところを、都合良く降っているから専門家たちも「奇跡だ」と議論を繰り広げていた。

 私は学者の仕事に加えて、新しく温暖化対策に取り組む団体へ加入した。そもそもこの水不足は我々が環境問題へ真摯に取り組まない結果だと、日々様々なところで訴えている。抱える問題は大きいけれど、やれるところまで頑張ってみようと思う。


「ね、ママ。そういえば私、何かママに教わらなきゃいけないことなかったっけ?」

「そうね、何かあった気がするんだけど。なんだったかしら」


 ハトリアと首を傾げながらそんな会話をしつつ、今日も夕飯の支度をしている。何故か大量に余っているひよこ豆やそら豆を使って、今日は煮物にしようと思う。


「ママー、おなかすいた~」

「はいはい、もう少し待っててね」


 ――我が家に、コロッケのような揚げ物が並ぶ日は二度とない。



***


「へぇ。環境問題に取り組み始めたんだ、セプティさん。そうやって行動に移す人間が増えれば、精霊たちも頭を悩ます回数が減るかな」


 空を巡回しながら、僕は先日契約を交わした女性の姿を見つけた。あぁ、彼女を見たらまたファラフェルを食べたくなっちゃったよ。外カリカリの中ホクホクで、色々なスパイスが効いてて美味いんだよなぁ。流石はファラオ秘伝のレシピだよね。


「でも皆、どうして天使とか神様が空にいると思ってるんだろうね。ここには僕しかいないのに」


 素朴な疑問を浮かべながら、食べ物を求めて番人の間へ戻ることを決め、僕は広い空を横断した。



 そう。この広い空に、生命体としての存在は僕しかいない。

 たった一人、僕だけ――。

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