弐
「開門祭の神話舞に出んの!? すげーっ」
基礎祝詞作成の授業中、グループワークで机を合わせて祝詞の意味を調べていた私と慶賀くん、来光くん。
今朝富宇先生に呼ばれていた理由を尋ねられ、神話舞のことを話した。
「でも、私は全然端役で、後で踊るだけなんだって。2年生の
「聖仁さんは初等部の時からずっと神話舞に出てたぜ」
「えっ、そうなの?」
「ずっと大和舞の授業取ってるのあの人くらいだし、なによりあの聖仁さんは"聖人超人サイヤ人"だからな~」
腕を組んでふんふんと頷く慶賀くんに「なにそれ」と吹き出す。
「お前らなぁ……」
呆れた声が聞こえて顔を上げると、禄輪さん────もとい禄輪先生が私たちを見下ろしていた。
「禄輪禰宜、聞いた? 巫寿が神話舞出るんだって!」
「それだけ大きい声で話してたら聞いて無くても聞こえてくるわ」
ぱこんと教科書で頭を叩かれた慶賀くんは鼻をこすって笑った。
今日は基礎祝詞作成の先生が別件で仕事に出ていて、代わりに非常勤講師として禄輪さんが来ている。
皆は凄く嬉しいみたいでずっと浮き足立った雰囲気だけど、先生をしている禄輪さんはなんだか不思議だ。
「課題出来たのか?」
「もうばっちり!」
みてみて、とプリントを差し出す慶賀くんに、禄輪さんは苦笑いで落ち着けと促す。
今日の基礎祝詞作成は短い祝詞を創作するグループワークだ。祝詞の一部が穴空きになっていて、そこを埋めて旅の安全を祈願する祝詞を作る。
一から祝詞を作るのも神職の仕事のひとつだ。
「……
禄輪さんは、私たちがプリントに書いた祝詞を読み上げ、顎に触れながら「ふむ」と唸る。
「饒速日命は航空にご利益のある神だな。空路での安全祈願ならこれでも良いが、今回は
そう言われて日本神話の教科書を開く。猿田彦命と日本武尊を索引で調べて開けると、「道の神」という記載があった。
なるほど、旅の安全祈願だから道の神様にお願いするのがいいんだ。
「他は綺麗に簡潔にまとまってるな。上出来だ」
ぽん、と私の肩を叩いた禄輪さんが目を弓なりにする。
たまらず笑みがこぼれた。
「禄輪禰宜、これも見て貰えますか!」
メガネのブリッジを押し上げた来光くんは突然ノートをばっと頭の上で広げた。
普段とは違うその勢いに、私もみんなも目を瞬かせて来光くんを見た。
「お、おお……?」
若干戸惑い気味にノートを受け取った禄輪さん。
「俺らも見ていいー?」
「うん、皆の感想も聞きたい」
少し誇らしげにそう言った来光くん。
不思議に思いながらも禄輪さんの手元をのぞき込む。
「これはまた、難しい祝詞を作ったな」
古語で綴られたノート3ページ分にも渡る祝詞は聞いたこともない言葉がたくさん並ぶ。
はあ、と感嘆の声がもれる。
「効果は鎮魂、鎮静、浄化に禊祓……対
「すごい……ひと目見ただけで分かるんですか?」
まあな、と肩を竦めた禄輪さん。
祝詞を読み進めながらぶつぶつと何かを考えるようにつぶやく。
「ん……なかなかの出来だな。一年生でここまで上位の祝詞を作成できるのは努力の賜物と言ったところだろう」
その言葉を噛み締めるように目を瞑り、嬉しそうな顔で俯く来光くん。
「だが今は授業中だからな。後で休み時間に見てあげよう」
「やった! よろしくお願いします!」
来光くんは返されたノートを胸に抱きしめぎゅっと握りこぶしを作った。
「あと授業中に部活の内職はするなよ」
呆れ気味に笑った禄輪さんは来光くんの頭をこつんと小突くと、嘉正くんたちのグループへ声をかけに行った。
「部活?」
「へへ、怒られちゃった。これ、究極祝詞研究会で今自分が作ってるやつなんだ」
「きゅ、究極?」
聞きなれない言葉に首を傾げながら聞き返す。
「そ、究極祝詞研究会。僕が入ってる部活の名前。祝詞を作ったり意味を調べたり、祝詞に関する研究を行ってる部活なんだ」
へえ、と頷く。
この学校にも、他の普通の学校と同じように部活動があったんだ。
「俺も、中等部までは究極祝詞研究会だったけど、高等部に上がってから漢方学部に入ったんだ!」
話を聞いていた慶賀くんが身を乗り出してそう答える。
「漢方学部……漢方薬を作る部活?」
「そうそう! 嘉正は
流鏑馬といったら馬に乗って弓を引く神事だ。
祝詞研究会もそうだけれど、神職になるための学校ならではの部活もあって面白い。
これまでは授業について行くことや、言祝ぎの制御で頭がいっぱいいっぱいだったけれど、少しだけ余裕が出来たいまなら部活動の参加も出来るかもしれない。
「巫寿ちゃん、今度見においでよ。いつでも新入部員大歓迎だし」
「ほんと? 行ってみたい」
「漢方学部も来いよ! 授業ではやらないような面白いのが作れるぜ~」
面白そう、と返そうとしたその時。
パコン、と軽い音と共に小さな衝撃が頭に走って、その音が続けて二回なる。
「お前らなぁ……」
頭のてっぺんを押えながら振り返ると、禄輪さんが呆れた顔で私たちを見下ろしていた。
午前中の授業が終わり、みんなで昼食を食べてから校舎裏の木陰で休んでいると、遠くから「おーい」と誰かが手を振ってこちらへ歩いてきた。
「あれ、聖仁さんと瑞祥さんじゃね」
龍笛を吹いていた手を止めた慶賀くんは、歩いてくる二人に気が付いて大きくてを振り返した。
「巫寿ちゃんの居場所を聞こうと思って皆を探してたんだけど、探すまでもなかったよ。今朝は随分な勢いで怒られていたからね」
聖仁さんがくすくすと笑いながら慶賀くんの龍笛を指さす。
どうやら龍笛の音色を辿って私たちを探したらしい。
「あっ、ひっでぇ! それにそんなに怒られてねぇし!」
頬をふくらませた慶賀くんに「ごめんごめん」と彼の頭を撫でる。
仲の良いやり取りに気心知れた仲なのだと知る。
「巫寿、今から時間あるか?」
瑞祥さんにそう尋ねられ、特に予定もなかったのでひとつ頷く。
「これから神話舞の初顔合わせがあるんだ! 富宇先生が伝え忘れたって焦ってたから迎えに来たぞ」
それで二人で私のことを探して迎えに来てくれたらしい。
慌ててお礼を言って頭を下げると「可愛いなぁ」と瑞祥さんにぐりぐり頭を撫でられる。
「おい、聖仁! そろそろ行くぞ!」
慶賀くんと泰紀くんに龍笛のアドバイスをしていた聖仁さんが、げんなりするふたりの肩を励ますように叩いてこちらに歩みよる。
「お待たせ。顔合わせは神楽殿だよね、行こっか」
頑張れよー、と皆の応援の声に小さく手を振って私も歩き出した。
神楽殿への道のりを三人並んで歩いた。
「聖仁さんと慶賀くんたちは、お知り合いだったんですか?」
「うん。この界隈は狭いからね。歳もひとつしか離れてないし、初等部に入る前からよく顔を合わせることも多かったから」
へえ、と頷く。
確かに、人学年に六人しか学生が居ないような学校だと、自然とみんな知り合いになってしまうのかもしれない。
「あ、そうだ。慶賀くんが今日おかしなこと言ってたんです」
そんな私の言葉に、うん?と首を傾げた。
「えっと、確か"聖人超人サイヤ人"……?」
私が言い切ると同時に、ぶほっと盛大に吹き出したのは瑞祥さんだった。
あはは、とお腹を抱えて盛大に笑う彼女に、聖仁さんは「笑うなよ、瑞祥」と項垂れる。
暫く発作のように笑った瑞祥さんはひいひい言いながら目尻の涙を拭った。
「それはこいつのあだ名だ、巫寿」
「あだ名?」
「普通、本庁が定める階位は、学期末の試験に合格すれば中等部卒業試験で
それは以前に
神社本庁が定めるその人の学識到達程度を示すのが階位で、上から浄階、明階、正階、権正階、直階、出仕とあり、それを更に細かくして個人の力量を示す階級が上から特級、一級、二級上、二級、三級、四級、まであるのだとか。
普通に勉強を続けていれば正階三級までは取れる、と薫先生は言っていた。
「聖仁は中学卒業と同時に直階四級を取得して、今年の試験で権正階二級まで取っちまったんだよ」
「なるほど、だから超人……」
「バケモンだよなぁ」
言い換えてみれば飛び級と同じようなことだろう。
凄いなぁ、と尊敬の眼差しを向ければ聖仁さんは苦笑いで頬をかく。
「大袈裟だよ。僕は勉強が趣味みたいな所もあるし」
「気持ち悪っ」
「おいこら、瑞祥」
聖仁さんの手をひょいと交しながら、軽い身のこなしで近くにあった木へ飛び乗った瑞祥さん。
「やーい聖人超人サイヤ人! イケメン優秀優男部長!」
「瑞祥……それは僕を貶してるのかい? 褒めてるのかい? あと、そこから降りなさい。巫女見習いがはしたない」
息のあった仲の良い二人のやり取りに思わず頬が緩む。
「あれ、いま部長って」
「聖仁は
よっ、と木から飛び降りた瑞祥さんはふわり途中を一回転して音もなく着地する。
「神楽部……?」
「奉納演舞や神話舞を稽古する部活だよ。巫寿ちゃん、部活には?」
「まだ入ってないんです。丁度さっきも、皆ともその話をしてて」
「なら神楽部に入れよ巫寿!」がし、と肩を掴まれてそのまま踵を返した瑞祥さん。
「部室はこっちだぞー」とにこにこしながら私を引っ張る。
え、え?
「こら瑞祥」
すかさず聖仁さんのストップがかかってほっと息を吐く。
「まずは神話舞の顔合わせに行かないと。入部手続きはその後だよ」
「え……?」
まずはこっち、と背中を押される。
不穏な空気を感じるのは気のせいだろうか。
神楽殿のそばまで来ると、たくさんの神職たちが裏口から慌ただしく出入りしている姿が見えた。
それだけたくさんの人が関わる大切な神事なのだと改めて思い知り背筋が伸びる。
「聖仁さん、あの神職さんが持ってる大きな弓はなんですか?」
「あれは
「顔合わせのあとに衣装や小道具を試してみるんだろう」
大掛かりなんだなぁ、なんてぼんやり考えていると、人気の少ない本殿と神楽殿を結ぶ朱い太鼓橋のところに誰かが立っているのがわかった。
浅葱色の袴の男性はよく知っている顔だ。
「あそこに、
白髪混じりの灰色っぽい髪に、銀縁の眼鏡をかけた男性。
紫色に紫紋の入った袴は二級上の神職から身につけられる袴だ。
「
禰宜頭、というと禰宜の禄輪さんよりも上の立場の人ということだ。
二人の表情はよく見えなかったけれど雰囲気が重く、良い話合いでは無いことは何となくわかった。
聖仁さんは眉根を寄せて、「行こう」と私の背を押した。
神楽殿はいつも並べられている椅子が撤去されて、長机とパイプ椅子が並べられていた。
部屋の隅には積み上げられたダンボール箱や、ハンガーラックにかけられた衣装、大道具に小道具と、文化祭の前日みたいにたくさんのもので溢れかえっている。
富宇先生が手招きしているのが見えて、私たちは歩み寄った。
「良かった、みんな間に合ったのね。ごめんなさいね、うっかり顔合わせのこと伝え忘れてしまったの」
「しっかりしてくれよ富宇先生~」
なあ?と瑞祥さんに話を振られて笑って肩をすくめる。
「あら、もうすっかり仲良しさんなのね。さ、もうすぐ始まるから座って頂戴」
そう促され、私たちは並んでパイプ椅子に腰を下ろした。
ロの字に配列されたテーブルに続々と神職さまたちが座り始める。
全員席に着いたところで、
話を聞きつつ、席に座る人達の顔を見る。
一番真ん中にいる白紋の袴を履くおじいさんは、朝拝でいつも祝詞を奏上しているのでよく知っている。
まねきの社の神主、
まねきの社の宮司は神修の学長も兼任していて、神職奉仕報告祭で学長挨拶の時にも前に立って挨拶をしていた。
とても穏やかで上品な人というイメージが強いけれど、慶賀くんいわく「キレるとやばい」らしい。
あんなに温厚そうな人を怒らせるレベルの何をしたのかが気になるけれど、怖いので深追いはしなかった。
その隣にはあまり見かけない顔の男性が座っていた。袴の色からして高位の神職であることはわかる。
周囲にいる人たちに気さくに話しかけていて、豪快に笑うのが印象的だった。
瑞雲宮司よりかは若いけれど、六十代くらいに見える。
「聖仁さん」
隣にいた聖仁さんの腕を軽く叩いて小声で話しかける。
「ん? どうしたの?」
「あの、瑞雲宮司の隣にいる恰幅のいい人は誰ですか?」
目線をやって「ああ」と笑った聖仁さん。
「普段はあんまり前に出てこない人だからね。
権宮司、というと宮司を補佐する立場にある宮司の次に偉い人だ。
「普段の神事は宮司の補佐ばかりだからあまり前には出てこない人なんだけど、根っからのお祭好きでね。開門祭や夏越の大祓の時はすごく張り切って前に出てくるおじさんだよ」
おじさんって、と小さく吹き出す。
ついでとばかりに、その隣が巫女頭で本巫女、巫女助勤、禰宜頭に権禰宜の……と次々に名前を教えてくれる聖仁さん。
ひえ、と心の中で悲鳴をあげる。覚える人が多すぎて目が回りそうだ。
そんな私に気がついたのか、聖仁さんはくくっと喉の奥で笑う。
「みんな覚える必要は無いよ。今は神話舞に出る人達だけ覚えればいいから」
そう言われてほっと息を吐く。
それなら、知っている人がほとんどなので何とかなりそうだ。
いつも慶賀くんたちを鬼の形相で追いかけてくる
「あの紫袴の人は誰ですか?」
「
「おいくつなんですか?」
「たしか、四十二歳くらいだった……かな。方賢さんと同期だって聞いたことがあるね」
たしか禄輪さんが今年で50って言っていたから、
となると、四十代で禰宜になるのは詳しくない私でも凄いことなのだと分かった。
ふとあたりを見回した。
「どうした? 巫寿」
不思議そうに瑞祥さんが私を見下ろす。
「いえ……外で方賢さんを見かけたのに、そういえばいらっしゃらないなぁって思って」
「今年も出れなかったんだろうなぁ」
頬杖をついてそういう。
その言い方が引っかかって聞き返した。
「神話舞に出る神職は、禰宜頭が決めるんだよ。いわゆる、スカウト制で選ばれんの」
「スカウト制……」
「そーそー。で、方賢さんって在学時代から大和舞の授業も取ってたし神楽部の部長もして、神話舞に出るのを目指してたんだ。卒業して一年目に一度でたってのは聞いたけど、でもそれ以降は厳しいみたい」
いつも文殿で静かにお勤めしている姿しか見たことがないから、まさかそんな一面があったなんてびっくりだ。
それと同時に、あんなに勤勉な方賢さんすら選ばれないような少数精鋭のメンバーに混じることにまた不安が大きくなる。
「言祝ぎを高めなさい」と口酸っぱく色んな人から言われているけれど、やはり「本当に自分で良かったのだろうか?」「失敗してしまうんじゃないか」と言うことばかり考えてしまう。
だめだ、まだ始まってもいないのに弱気になっちゃ。
言祝ぎの制御だって、眞奉のおかげとはいえあそこまで諦めていたのにできるようになったんだ。
せっかく富宇先生に声をかけてもらったんだ、自分に出来ることを精一杯やろう。
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