弐
鎮守の森の桃の花が散って、新緑が芽吹く五月に入った。
連休で学校が休みになって2日目。
1日目は、薫先生が言い残した「課外授業」という不穏な言葉にみんな怯えながら過ごしたけれど、突然呼び出されることも先生の形代が迎えに来ることも無く平穏に終わった。
朝ごはんを食べ終わって、なんとなく共用スペースに顔を出すと嘉正くんがいた。嘉正くんの前には初等部の一二年生くらいの男の子がノートと教科書を広げてちょこんと座っている。
「嘉正くん、おはよ」
「巫寿。おはよう。ここ座る?」
隣のスペースを指さした嘉正くんに、礼をいいながら腰を下ろした。
「
嘉正くんにそっくりな
「……宜、嘉明です。初等部の2年生です」
「こら、ちゃんと挨拶しなさい」
困ったように嘉正くんがそう言い、慌てて「大丈夫だよ」と手を振った。
「ごめんね巫寿。弟の嘉明。人見知り激しくて」
嘉正くんにがしがしと頭を撫でられて、嘉明くんは嬉しそうに笑った。
可愛いなぁ、と頬が緩む。
「嘉正くん、兄弟いたんだね」
「実はね。弟ふたりに妹ひとり。すっごく大変だよ。嘉明は泣き虫で甘えただし、来年入学する弟は手に負えないわんぱく小僧だし。一番下の妹はまだ話し始めたばっかりだからね」
「わっ、大家族。でも楽しそう」
まあね、と肩を竦めた嘉正くん。
嘉正くんにこんなに小さな弟がいたなら、面倒みの良さも納得だ。
「兄さまここ分かんない」
「どこ? 見せて」
勉強を見てあげているらしく、教科書を覗き込んだ嘉正くん。
弟から兄さまって呼ばれてるんだ。
常々、嘉正くんの立ち振る舞いや言葉遣いは丁寧だと感じていたけれど、もしかしたらとても家柄のいいお家のご子息なのかもしれない。
「あれ、お前ら何してんのー?」
入口から顔をのぞかせたのは、慶賀くん達三人だった。
ぞろぞろと中へ入ってくる皆。
その瞬間、驚いた子猫のごとく嘉明くんががたんと立ち上がり嘉正くんの背中に隠れた。
何事かと首を傾げると、嘉正くんは苦笑いをうかべた。
「お、ちっこいのがいると思ったら嘉明じゃん!」
「なに隠れてんだよ嘉明~」
泰紀くんと慶賀くんにつつかれて、必死に嘉正くんの背中にしがみつく嘉明くん。
「よし、嘉明! これから遊びに行くか!」
「鎮守の森連れてってやるよ!」
その瞬間、ぶわっと涙目になった嘉明くんはワーッと火がついたように泣き出す。
「おいおい、なんで泣くんだよ~」
「あんたらがトラウマになるような遊びに連れ回したせいだよ」
来光くんが鋭くつっこみ、可哀想にと頭を撫でる。
「なるほどな」と苦笑いを浮かべた。
確かにあのふたりに連れ回されたら、私もトラウマになるかも。
「そういや二人とも、薫先生からなんか言われた?」
「いや、まだ何にも」
「私も何も聞いてないよ」
三人も何も言い渡されて居ないらしく、もしかしたら今日も平穏に一日が終わるんじゃ、なんて思った次の瞬間。
うわあっ、と嘉明くんが悲鳴をあげる。
何事かと振り向けば、必死に嘉正くんの背中に隠れながら窓の外を指さした。
「ぎゃーッ」
窓の外に現れた大きな目にみんなの絶叫がこだまする。
「び、びっくりした。落ち着いて皆、薫先生の管狐だ」
からからと窓を開けた嘉正くん。白いふわふわの毛が風になびいている。
な、なんだびっくりした。
まだばくばくする胸にそっと手を当てて息を吐く。
急に大きな目玉がにこ現れたら、誰でもびっくりするよ……。
「待て、ということは────」
泰紀くんがそう言いかけた次の瞬間、管狐は空いた窓からその大きな前足をつっこんで引き出しの中をまさぐるように動かし出す。
うわあっとまたみんなの絶叫が響いて、蜘蛛の子を散らすように部屋の中を逃げ惑う。
「うわっ」
「に、兄さまっ」
嘉正くんの慌てた声と、嘉明くんの絶望に染った声が響く。
はっと振り返ったその瞬間、柔らかい何かに体中を包み込まれた。それが何かを理解する前に体がふわりと浮かび上がる。
叫ぶまもなく、白いふわふわの上にぽすっと尻もちを着き咄嗟に目を閉じた。
「巫寿、大丈夫?」
恐る恐る顔を上げると嘉正くんが自分と同じように尻もちを着いていた。
「管狐に捕まったみたい」
「じゃあこれって……」
「うん、管狐の背中の上」
ふわふわした地面は管狐の背中だったらしい。
ため息つくまもなく、管狐が立ち上がるとのそのそと歩き始める。
思わぬ揺れに背中にしがみついた。
「────だからね、農家さんも困ってるんだよ」
「我も、左遷された時は右も左も分からぬ土地ゆえ、非常に困ったのだぞ!」
「いや、それは分かるんだけど」
「お主のような小童らに我らの気持ちがわかるか!」
「分かるかー!」「分かるかー!」
広大な畑がどこまでも広がるのどかな田舎の田園風景に、木にとまる数十羽の雀たち。
その木の根元で、私と嘉正くんは深いため息をこぼした。
「ため息とはなんだ!」
「これだから今どきの若者は!」
「ここで一句。かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを……」
雀たちは、私たちの頭上でぴいぴいと鳴いた。
好き勝手に喋る雀、正確には
姿形はよく見る雀だが、顔が人の顔をしていて髷をゆっている。
最初はその不気味な姿にギョッとしたけれど、今はもはやそれどころではない。
小一時間ほど前にここへ着いて、薫先生が使役する管狐から「怪鳥被害を解決すべし」との伝言を受け取った。よく分からないまま近隣に住む農家さんに話を聞けば、最近畑の農作物が荒らされるようになったのだとか。それに合わせて夜な夜な人が何かを嘆くような声が一晩中聞こえるようになり、近くの神社の神主に相談したらしい。
どうやら、私たちの課外授業「怪鳥被害を解決すべし」とはこのことのようだ。
そして畑の周辺を見回っていると、あの入内雀たちを見つけたのだ。
「ここじゃなくても住みやすいところは沢山あるだろう? ほら、近くに鎮守の森もある」
「ここが住みやすい故ここで良い」
がくりと肩を落とした嘉正くん。
「森の方がキノコとか木の実とか、食べ物のレパートリー多いよ?」
「我らはそのような下等な食い物はもう食わんのだ。ここにおれば春には小松菜、夏にはトマトに茄子に胡瓜、を秋には米を冬には白菜を。年中食い物には困らぬ」
だめだ、何を言っても聞く耳を持ってくれない。
もし彼らが、以前祓った蛇神のように人に害を及ぼす妖なら祓っていただろうけれど、作物が被害にあっただけで人への被害はまだない。
無差別に妖を祓うことは神役諸法度に触れる大罪だ。
だから私たちは説得を試みて見たんだけれど、まさに「ああ言えばこう言う」状態で、お手上げだった。
「巫寿、ちょっと作戦会議」
げんなりした顔の嘉正くんがそう言った。
「どうしようか、この調子で説得しても絶対にここから動かないって感じだね……」
「何を言っても、こてんぱに言い返されちゃうもんね」
二人同時にはあ、とため息をついた。
「そういえば、入内雀ってどういう妖なの?」
「えっと……確か、左遷されたお侍さんの恨みを募らせた魂が雀に取り憑いて生まれた妖だったはずだよ」
恨みを募らせた魂……。
二人してうーんと首を傾げる。
どうにかしてここを離れてもらいたいんだけれど、何を言っても怒ったように言い返される。
せめて、話だけでも聞いてもらえればな。
「……あ」
「どうしたの?」
「嘉正くん、なにかこう……精神を落ち着けるような祝詞って知ってる?」
「精神を落ち着ける?」
不思議そうな顔をした嘉正くんは顎に手を当てて首を捻る。
「
「上手くいくか分かんないけど、奏上して貰ってもいい?」
よし、と頷いた嘉正くん。
また木の下に戻ると、雀たちは「しつこいぞ!」と私たちを睨んだ。
ふう、と息を吐き、胸の前で手を合わせた。
「……
教科書でも見たことがない祝詞だ。
嘉正くんが自分で勉強して身につけたのだろう。
やっぱり嘉正くんって凄いな、と改めて尊敬の念を抱く。
心地よい声に耳を済ませた。
「
最後の一文字を言い切ったその瞬間、心地よい風が吹き抜けた。清々しい晴れた日の空を吹き抜ける風のように、温かく柔らかい。
心地良さに目を細めていると、気がつけばぴいぴいと鳴いていた入内雀たちの声が止んでいた。
不思議に思って木を見上げる。
入内雀たちも、その心地よい風に吹かれて顔をほころばせていた。
「まあ、なんだ。主たちも困っていたのだな」
「民を困らせるのは、武士としてあるまじき姿」
「我らは何故、あそこまで怒り狂っておったのか」
「ここで一句。かくとだに……」
穏やかな顔で口々にそう言い始めた入内雀たち。
これは、と小さく拳を作って雀たちに畳み掛ける。
「裏の山の鎮守の森なら沢山の妖がいるから、みんなの苦労した話も聞いて貰えると思うよ……! 近くに社もあるから、困ったことがあれば助けてくれると思う」
「助け合いの精神こそ美徳」
「主らや地主には迷惑をかけた。すまない」
「ここで一句。かくとだに……」
すまない、すまなかったな、と口々に鳴いた入内雀たちは一羽また一羽と飛び立つ。
やがて空で群れを作った彼らは、裏の山に向かって飛び立っていった。
「巫寿」
その姿を見届けていると、名前を呼ばれた。振り返ってみると嘉正くんが片手をあげて笑っている。
なんだか少し照れくさくて、はにかみながらその手を叩いた。
「……もうやだよ俺。心が病みそう」
「俺は魂が抜けそう」
「僕は自我を失いそう」
夜、夕飯の席で顔を合わせたみんなは疲れきった顔でそう言った。
泰紀くんが白ご飯を二回おかわりしただけで「もう無理」と弱音を吐く。
よほど大変な課題だったようだ。
「なんだよ、ホストに入れ込んだ口裂け女を改心させろって……ッ」
「そんなんまだマシだろ! 俺、泳げない河童に平泳ぎマスターさせたんだぞ!? 五月の川くっそ寒かったんだからなッ!」
「いいじゃん、みんなはまだ……僕なんて民家の洗濯干しに紛れ込んだ一反木綿を捕まえなきゃいけなかったんだよ……探してただけなのに、下着泥棒なんて汚名を着せられてさ……」
各々に、なかなか癖のある課題が割り振られたらしい。そう思うと私たちの課題はとても簡単なものだったのだと気が付く。
嘉正くんと無言で目を合わせて「課題のことは黙っていよう」と伝え合う。
三人のため息が重なる。
「俺もう絶対悪戯なんてしない」
「俺だって校則は死んでも守る。来光もだよな?」
「僕はいつだって守ろうと心がけてるけど!? 無理やり付き合わせてるのはあんたらだろッ」
そんなやりとりなぷっと吹き出す。
明日からも大変だろうけど、なんとかやって行けそうな気がした。
その日を境に、薫先生の管狐コンちゃんとの熾烈な戦いが繰り広げられることになった。
みんな二日目でしっかり学んだらしく、戸締りを徹底することで窓からの奇襲は免れることができた。
けれど戸締りを徹底することで想定外の事件が起きる。
「うえ!? コンちゃん、なんでこんな所にッ」
たまたま通りかかった男子トイレからそんな悲鳴が聞こえ、数秒後にコンちゃんにシャツの裾を引っ張られながら嘉正くんが出てくる。
「え、その子コンちゃんなの……?」
通常の狐サイズの大きさになったコンちゃんに目を丸くする。
「変幻自在とか聞いてねぇ!」
そんな声とともに同じようにしてズボンのベルトを引っ張られた泰紀くんがやってくる。
泰紀くんを引っ張っているのはゴンちゃんだろうか。
かくして全員管狐に捕まり、3日目も課外授業へ無事連行された。
「こうなれば、隠れるぞ」
その日の夜、怒りに任せて唐揚げにお箸をぐさりとさした慶賀くんが据わった目でそう言う。
「でもどこに? いつも隠れても見つかっちゃうじゃん」
「確かに成功したことないよね」
そう言う来光くんと嘉正くんに、「ふふふ」と不敵に笑う。
「豊楽先生の薬品棚から、拝借してきたこれがある」
「お前はまた馬鹿なことを……」
頭を抱える嘉正くんに、知ったことかと慶賀くんはポッケから乾燥した草を取り出した。
なにそれ、と皆が怪訝な顔をする。
「
「天狗の隠れ蓑?」
聞いたことの無い単語に聞き返す。
「天狗が使ってる雨具だよ。天狗の妖力が移って蓑に姿隠しの効果が現れることがあるんだ」
へえ、と目を丸くする。
姿を消せる蓑ってなんだか面白そう。
「でもそれ、ひと握り分くらいしかないじゃないか」
「この乾燥した茅一本につき、一分間姿を隠せる効果がある。だからみんな、明日はこれを羽織の裏に縫い付けて、コンちゃんズが現れたら身を隠すんだ!」
「すげぇっ!」
「だろ!? 名案だろ!」
大盛り上がりの泰紀くんと慶賀くん。
はい、巫寿の分! と渡された一掴みほどの茅を明かりにかざす。
そんなに上手くいくのかな。
同じことを思ったらしく、「そんなに上手くいくのかねぇ」と嘉正くんが呆れたように息を吐いた。
次の日。
「くそおおおなんでだよおおお」
首根っこを掴まれて、どこかへ連れ去られていく慶賀くんが寮の窓から見えた。
数秒して泰紀くん、来光くんの悲鳴も聞こえて苦笑いをうかべる。
それもそうだ。
確かに姿を隠せたとしても、匂いは残ってしまう。妖とはいえ元は狐、人よりも数倍は嗅覚がいい。
匂いを辿れば例え見えなくとも捕まえることは容易いだろう。
私は抵抗するのはもう諦めたので、薄手の上着を羽織って寮の下駄箱へ向かう。
既に靴に履き替えた嘉正くんが待っていた。
「あれ、巫寿も辞めたの? 抵抗」
「ふふ。薫先生に挑んでいるようなものだし」
「確かに」
楽しげに笑った嘉正くんと、外に出るとやはり玄関口のそばに管狐のギンちゃんが待っていた。
ギンちゃんは私たちを見つけると、背中に登りやすいようにその場に伏せる。
お礼を言いながら大きなその背中によじ登った。
「駄目だ。もう無理だ」
いよいよ夕飯の白ご飯をおかわりが一杯だけになった泰紀くんが遠くを見つめてそう言う。
心做しか頬が痩けて、いつも自慢していた筋肉も落ちてほっそりした気がする。
「僕、早く学校が始まって欲しいって生まれて初めて思った。あはは」
本人は冗談のつもりで言ったらしく笑ってみせるが、その声には張りもなければ力もない。
死んだ魚の目で、今日のメインの鰆の塩麹焼きをつついている。
「こんなことなら、最初から潔く諦めればよかった」
すん、と鼻を啜った慶賀くん。
「ほんとだよ全く。俺の可愛い狐さんたちを困らせないでよね。あはは」
思わぬ第三者の声にみんなが振り返った。
「たっだいま。君らの薫センセイが沖縄から帰還したよ」
ダメージジーンズに白いタンクトップとアロハシャツ、サングラスにクラッチバッグを片手に持った姿の薫先生がピースサインを作ってそこに立っていた。
心做しか日焼けして肌が黒くなった気がする。
「めちゃめちゃ旅行楽しんでんじゃねえかッ!」
泰紀くんの鋭いツッコミが入る。
「不本意だなぁ、仕事だよ仕事。あ、これみんなへのお土産、紫芋タルトね。クジラと泳いだ写真みる?」
嘉正の隣の空いた席に据わった薫先生は楽しそうにスマホをいじって、クジラと泳いだ写真を披露する。
「俺らに面倒な仕事丸投げして、沖縄観光してたんじゃんかッ!」
慶賀くんはひどいよと半泣きで紫芋タルトをバクバク食べる。
「あはは、だから違うってば。ちゃんとしたシゴト、本庁のクソジジイたちから直接命令されたんだよ。そんなん断れないでしょ」
「それで沖縄に?」
「そ。俺大活躍だったんだから。空亡の残穢を食べた沖縄妖怪キジムナーの修祓」
え、と皆が動きを止める。
それまでの顔つきとは打って変わって、真剣な表情で薫先生を見上げる。
「薫先生、空亡の残穢を祓ってきたの……?」
「うーん、正確に言えば違う。この際だから空亡の残穢について少し教えてあげよう」
鞄の中から丸まった紙とペンを取り出した薫先生は、太陽のイラストを書いて真ん中に「空亡」と名前を入れる。
「みんなが知ってる通り、12年前に空亡は禄輪禰宜によって体の二十分の一を祓われたことで、自分の体を八つ裂きにした。すかさずそれを当時の審神者が祓ったけれど、それでも倒すことは出来ず残穢は方々に散った」
薫先生は、空亡のイラストに細かい斜線を縦と横に引いた。
「ずっと気になってたんですけど、八つ裂きになった残穢はどれくらいあるんですか?」
嘉正くんの質問に、薫先生は顎に手を当てて考え込む。
「正確な数は誰もわかっていないけど、一応散った残穢は154個って言われてる。それから色んな神職が捜索に当たったから、もう少し減ってると思うけど」
「そんなに……」
戸惑いを隠せない皆がお互いの顔を見合う。
154。
その数字の異常さに鳥肌が立った。
そんなにまで自分を切り刻んで、どうしてそれほど生き延びたかったのか。
「残穢は単体で動くことは出来ないから、そのほとんどがほかの妖に食べられる。そして、残穢を食った妖が、空亡の力の一端を手に入れるって訳なんだけど……」
耳が大きく鼻が長い三本足の妙な生き物の腹の中に、小さな四角を書き込む。
話の流れからして、多分なにかの妖だろう。
四角から矢印を引っ張って「残穢」と書き記された。
「単純に考えて、残穢ひとつの戦闘力は空亡の154分の1だ。数字だけ見たら容易そうだけど、現役の禄輪のおっさんが寝ず食わず休まず三日間戦ったらやっと一太刀あびせれるくらいだね」
「そんなに……!?」
「そんなになんだよ」
現役の禄輪さんですら、手こずるような相手。
まだ何となくでしか分かったいなかった空亡の強さが、容易く想像できてしまった。
「空亡の残穢はその力が強大すぎるから、妖に喰われても消化吸収されることなく生き続ける。そして、その強大な力は、その妖のものになる」
三本足のあやかしのイラストに筋肉を付け足した薫先生。
大切な話をしているはずなのに、いちいちそのイラストが気になって仕方ない。
「残穢を取り込んだ妖に出会った時、神職がすべきことは主に二つある。一つ目はその妖を祓うこと」
「御魂を鎮めるだけじゃダメなんですか?」
「出来たらいいんだけどね。残念ながら、残穢によってもう自我は失っているから、際限なく人も妖も襲うようになってる。生かすことは出来ない」
そういった薫先生はなんだか少し怖かった。
「二つ目は、妖の体から残穢を取り出して回収すること。これはまあ、そこまで難しくない。口から腹の中にぐちゃぐちゃっと手を入れて、パッと掴んではい終わり」
おえ、と慶賀くんが嘔吐く。
何とか自分は堪えたけれど、慶賀くんの気持ちは痛いほどわかる。
他のみんなも青い顔をして俯いた。
せめて晩御飯じゃない時に聞きたかった。
「回収した残穢はどうするんですか」
いい質問、と指を鳴らした薫先生。
「一箇所に集めると何が起きるか分からないから、全国各地の社に保管されているよ。その場所を知っているのは保管先の社の禰宜以上の神職と本庁の上層部だけ。定期的に本庁の人間たちが、祓おうと躍起になってるみたいだけど、ひとつも成功したことは無いね」
12年だ。
空亡が自分を八つ裂きにして12年もの歳月が過ぎたと言うのに、空亡の欠片ですら敵わない。
それだけ強大な敵だった。
両腕を抱きしめた。
「まあ、そんな感じなので、皆も偶然残穢と対峙した場合は、死に物狂いで祓って回収するようにしてね~」
「出来るかよッ」
そんな泰紀くんのつっこみで、みんなの表情が少しだけ柔らかくなった。
幾分か空気が明るくなって、肩の力が抜ける。
「まあ、もしそんな場面に遭遇したら、お前らは一目散に逃げなよ。知ってる祝詞を片っ端から奏上して、自分の身だけを守ることを考えて。間違っても戦おうなんて思っちゃダメだよ。お前らは、死ぬな」
「戦おうなんて考える前に逃げ出すよッそんなおっかない妖!」
大袈裟にぶるぶる震える慶賀くんがそう叫べば、みんなは声を上げて笑った。
私も笑いながら、なにか胸に引っ掛かるものを感じていた。
「そうそう言い忘れてたけど、みんな明日は休みね」
「え!?」
ガタン、と立ち上がった慶賀くん。
その拍子にお箸が床に落ちた。
「流石に薫センセイ、そこまで鬼じゃないからね。最終日くらい自由にしていいよ」
よっしゃああ、皆の喜ぶ声が食堂にひびき、なんだなんだと他の学年の人達がこちらをちらちら見る。
先生と目が合った。
方目を閉じた薫先生は、にっと笑った。
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