第2話
シエナは田舎領主の三番目の娘。両親が兄や姉のしつけに気を取られている間に大自然の中でのびのびと育ち、めきめきと武芸の才を発揮するに至った。
領地が国境の近くだったこともあり、戦争の気配が濃厚になった頃「それは誰かがやらなければいけないことだから」と家を飛び出し、新兵として前線で戦い抜いて生還。
当初は少年を装っていたが、やがて末端貴族の娘であることが噂にのぼり、その卓越した戦闘能力ともあいまって「戦女神」と祭り上げられるに至った。
シエナが戦場に立つと、勝利は約束されたものと、派手に喧伝された。
実際には何度か負け戦も経験していたが、「戦女神」の名の下に不名誉な戦歴は隠された。
そして、国王はさらにシエナと国の結びつきを強固にするため、奇策を打った。
準王家である三大公爵家の跡取り息子と、シエナの結婚を大々的に発表したのである。
(そういえば戦場にいるときに何か書類きたけど「サインだけいただければ」って言われて「兵站の件かな?」くらいの感覚でサインだけしてあとは部下にまわしちゃっていたんだよなぁ……。「シエナさま、結婚の件承諾したんですか?」て副官のサンドに確認されたときには、もう王宮からの使者はとんずらしていたし。あそこからすごい勢いで全部話が進んじゃって。ついてないよな、私の旦那様は)
きちんと書類に目を通していたら、断るくらいの理性はシエナにもあったというのに。
公爵家に嫁ぐ、すなわち未来の公爵夫人。どう考えても、シエナはその地位に必要とされる教養が不足している。しかも、戦場暮らしを続けてすでに二十五歳。不本意な夜這いはすべて叩き返してきて、実は鉄壁の処女を守り抜いているとはいえ、男所帯の長い年増だなんてまともな目で見られるはずはない。さらに言えば、旦那様は年上の三十歳。これまで妻や恋人、婚約者のひとりもいたはず。そこに断りようのない「王命による結婚」が降って湧いて身ぎれいに準備をしたとあらば、シエナには想像もつかない愁嘆場や修羅場のひとつやふたつ……。
「『戦女神』に箔を付けるための結婚とはいえ、こんなの誰も幸せになってないよ……。結婚しちゃったけど、旦那様は熱を出して当然だよね。私だって自分が男だったらこんな女嫌だし……」
結婚式当日の今日、シエナは衣装を身に着けて待機していたが、旦那様は高熱で起き上がれないと欠席。もともと、体が弱いので式は内々ですませ、お披露目はまた改めてと言われてはいたものの、肩透かし感があったのは否めない。
シエナはそのまま夜を迎えるのに耐えきれず、公爵家を飛び出してきてしまった。
本当は、シエナの副官である青年サンドから「今回の戦闘、閣下が出てこなくても良いようにする」と事前に念押しをされていた。
(だけど私の問題ではなく、旦那様の問題で結婚式を挙げられなかったし、初夜もなかったんだ。だから私が戦場に現れても怒るなよ)
心の中で年上の部下に言い訳をしつつ、単騎、夕日の沈む田畑の間の道に馬を走らせていれば、正面の森から人馬の近づいてくる気配があった。
「急ぎか……?」
思わず声に出してから、シエナは馬の足を止めて、その場で待機した。
(この先は公爵家の敷地で、用件を知らせる宛があるとすれば……)
果たして、木立の間から現れたのは、見慣れた黒髪の青年。速度を重視したのか鎧は身につけておらず、馬に負担をかけぬ軽装で、またたく間に距離を詰めて来る。
シエナの手前から減速しながら近づいてきて、驚いた顔で見てきた。
「こんなところで何をしているんですか。今日、花嫁でしょう。戻りますよ」
「なんだ、サンド。参列なら間に合わないぞ。式はもう、だいぶ前に終わってる」
「終わって……?」
普段は冷静さを欠くことなく、シエナを的確にサポートしてくれる有能な副官だというのに、このときばかりはなぜか声がひっくり返るほどに驚いていた。確認するように胸のポケットから眼鏡を取り出して顔にのせ、「シエナさまですよね?」とぶしつけなまでにまっすぐ目をのぞきこんでくる。
「なぜ、終わっただなんて。始められなかった、の間違いですよね?」
さらっと言われて、シエナはおおいにむすっとした。
「そうだよ。旦那様にすっぽかされたんだ。笑っていいよ。男勝りの猿女が、お上品な旦那様に愛想を尽かされて、結婚生活は始まる前から破綻しているって」
「あなたらしくない卑屈の大行列ですけど、どこでそんなにたくさん仕入れてきたんですか? さては、よほどあなたの旦那は悪人なのでしょう。百戦錬磨の我らが戦女神に、そこまで悲しいことを言わせるなんて」
サンドの眼鏡の縁が光り、灰色の瞳が酷薄な色を帯びる。戦場ならいまのセリフの間に五人は屠っていただろう。
(なになに、サンド。なんでそんなに怒ってるの?)
どうも先程から様子がおかしいと思いつつも、シエナとて一介の武人。気迫で負けるわけにはいかないと、ことさら胸を反らして
「べつに、百戦錬磨だって国が大げさに吹聴しているだけで、私はそこまで常勝将軍ではないし、サンドみたいな優秀な副官がいるからの功績であって……。それにさ、サンドは私の旦那様には会ったことないだろ? なのに知ったような悪口はやめてもらえないかな。ほら、仮にも私の旦那様なんだから」
「閣下、それならお聞きしますが、いまどこへ向かっていたんですか? つつがなく結婚を終えたご夫婦は、僭越ながら本日甘い夜をお過ごしになるのでは?」
「甘……っ」
「今日は特別な一日のはずですよ。それなのに、こんなところで何をしているんです」
真面目くさった顔で重ねて言われ、シエナは妙に動揺してしまった。かーっと顔に血がのぼってくるのがわかる。
もともと、シエナは戦場生活が長いとはいえ、本人が周りにそう見せているほどに、がさつではない。男性同士があけすけと性愛を話題にしているのを聞くのは大の苦手で、いつもそういった話が始まるとさっと場を辞するようにしてきた。
サンドはそういったシエナの性質を深く理解している節があり、決して男女の営み事をからかい半分にも口にすることがなかったし、恋愛めいた感情をのぞかせる部下がいればシエナの盾となって遠ざけてくれていた。
それなのに。
「わ、私は……。私がいないと、サンドが困っているんじゃないかと思って。ここのところ、結婚準備に専念しろ、戦場には出てくるなって言っていたけど、無理させたよね。それで、今日はもう暇になったことだし」
「つまり、閣下は私の元へ来ようとしていたということですか? 結婚当日に夫になる男を振り切り、俺の元へ?」
上ってきた血が、さーっと引いていく感覚。背筋まで冷えていくが、どんな表情をして良いかわからず、シエナはひとまずにこっと笑ってみた。心の中は大嵐が吹き荒れていた。
(不義密通みたいに言われた……。仕事に行こうとしただけなのに、わざわざ「俺の元へ」を強調して……)
サンドは眼鏡のフレームを軽く指で押し上げ「わかりました、それでは参りましょう」と言ってきた。
その笑顔がとても怖い。
怖いが確認しないわけには行かないので、シエナは恐る恐る聞いた。
「どこへ?」
「決まっています。閣下は俺のいるところを目指していたんでしょう? 俺は閣下のいるところを目指していました。閣下のおうちはどこですか? 送って差し上げますから、一緒に行きましょう。言っておきますけど、逃げたら刺し違える覚悟で捕まえてその場で押し倒しますよ。俺はこういう冗談言わないのを、あなたはよくご存知ですよね」
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます