第2話

 現代日本に住む人は、この世界が原子からできていると理解している。まあ、俺は化学が大の苦手だったから、詳しいことは知らないんだが。

 

 だけれども、こっちの世界の人は違う。この世界が陰陽五行でできていると理解しているらしいし、実際のところもそうらしい。


 何が言いたいのかというと、この世界は「五行」という「火」、「水」、「金」、「木」、「土」という五つの要素から成り立っており、それは更に「陰」と「陽」の二つに分類し、合計十個の要素でこの世界が形成されているのだ。


 まあ、詳しいことはまだわからない。なぜならこの話は、俺の寝付きを良くするために、龍麗が同じ牀の上で語ってくれた話なのだから。あの細い手で頭をなでながらしてくれる話であったから、すぐに眠くなって意識が飛ぶので、大まかな概要しか掴めない。


 これ以降の専門的な話は、曰く大人になるにつれて詳しく学んでいくとことだが、驚いたのはこの五つの「徳」(要素だと思ってもらえればいい)を、人間が操れるということだ。


 この世界では、生まれた血筋や日付によって、自分が操作できる五行の種類とその陰陽が決まっている。


 例えば龍麗はさっき言った五行の内、陰の火徳が操れる。これがどういうことかを説明するために、昼餉時や夕餉時の調理時間を紹介したい。


 彼女は草庵の裏に取り付けられた厨房で調理をするとき、火起こしなんていう面倒くさい行動はしないのだ。


 ライターがあるから?そんな現代的な理由ではない。竈門の焚口に薪を置いたあと、龍麗はその中に手を突っ込む。そして、目を瞑ってじっと何かを念じるように、その眉を曲げて力を込めると、俄然、手から火が立ち込め、薪が赤々と燃えていくのだ。


 龍麗は陰の火徳を有しているからこそ、灯火レベルの火炎なら意のままに操れる。俺は初めてそれをみたとき、


(すげええ!)


 と心のなかで叫び、少年のようなワクワク感と恍惚とした感情が湧いたのを覚えている。


 まさしく「異世界」という感じがする一面だ。だからこそ、俺はこの世界を「剣と陰陽五行の世界」というふうに表している。この世界における魔法が、五行の徳なのだ。


 で、せっかくであるから、俺もその五行を使いたい。その一心で、近ごろまで見様見真似の練習をしていた。


 俺も裏山に行って、龍麗が持ち前の双剣で切り倒した枯れ枝を大量に積み上げ、その中に手を入れてぐっと、拳に力を入れてみるのだが、結果は虚しい。ただ力の入れすぎで頭がクラクラするのと、枯れ枝の粗い樹皮で怪我をするだけであった。


 五歳児になってから、体がようやく意のままに動かせることができるので、ここ最近はずっとこんなふうに独学での五行習得を敢行していた。が、成果は何もでない。


 独自の修行を始めてからはや一週間は経ったかというところで、いつも通り山中に入っていると、マムシらしき蛇に噛まれそうになった。そしてこれが独学を諦めるきっかけとなる。さすがに幼子の状態で毒蛇に噛まれるのは、命に関わる大事であるだろう。


 その日の夜。町から買ってきたという豚肉を炙ったものを夕食に食べながら、母さんに


「僕もお母さんみたいに、火が出せるようになりたい!」


 と、元気よく質問してみた。


 すると、母さんはちょっとびっくりしたように目を大きくしたあと、すぐに目を弧の形にして


「え、阿糞はお勉強してみたいの?」


 と嬉しそうに言葉を弾ませた。


 お勉強?あの五行を習得するためには、お勉強をしないといけないのか。いや、てっきり修行的な何かをするものだと思っていたから、


「おべんきょう?」


 とアホっぽく尋ね返してみると、


「そうだよ。五行は阿糞が八歳になったら、小学っていう学校にいって習うことになるよ」


 え、この世界って結構教育制度がしっかりしてるのかよ。しかも、八歳から小学って、なんか日本の小学校とあんまり変わらないんだな。


「でも、やってみたい?お勉強。あと、五行とか」


 勉強というのでびっくりしてしまったが、しかし、やってみたい。現代日本で中年まで生きたが、正直なところ学び直しとかしてみたかった。若い頃はもっと勉強しておけばよかったと、ちょっと後悔する事もあったので、元気よく


「してみたい!」 


 と即答した。


「じゃあ、先生を呼ばないとね」


 と、龍麗は炙り肉を美味しそうに頬張った。


ーーー

 

 この日から数日後、とある快晴の朝方に草庵の玄関をトントンと叩く音がする。


 今日は町に繰り出して買い物をする予定であった龍麗は、居間の椅子に座って、鏡を見ながら眉を整えていたが、音を聞くやいなや


「あ、もしかして」


 と呟いた。そして化粧も気にせず椅子を引いて立ち上がり、玄関に向かっていく。


 俺はその時、暇であったから牀の上で寝転がっていた。最近、外がずいぶん寒くなってきたので、畦道を駆け回る遊びに対するやる気が起きない。かと言って家にある本は文字が難しいくて読めない。まさしく暇を弄んでいた。


 柔らかい牀の上でじっと静かにしていたから、玄関からの声が聞こえてくる。


「お久しぶりです」


「お待ちしてました」


 という問答が聞こえたので、いよいよ教師というのが来た、と思った。


 どんな事を教わるのだろう。正直ワクワクする。居ても立っても居られないで、牀から飛び降りた。不思議だ。前世じゃあ勉強に対して高揚するなんてことまったくなかったのに。


 飛び降りたはいいものの、何をしてればいいかわからない俺は、入口から一番遠い場所にじっと正座した。入ってくる教師とやらの姿をよく見えるようにするためで、どんな人が来るのか、ソワソワと体が揺れる。


「さあ、こちらへ」


 龍麗の高く透き通った声が近づいてきて、ぬっと入口に現れたのは、背の高い、いやずいぶん高い女性だった。


 龍麗も長身な女性だが、目の前の彼女は龍麗よりも十センチほど高いのではないか。しかも、色が白い。というか、白すぎる。その白さはもはや自然の肌色とかではなく、敢えて白粉をベタ塗りにしたかのような、とにかく下品ではないがぎょっとするような白さであった。


「ああ、あなたが」


 龍麗から先生と呼ばれたその女性は、片手に持った扇を口元に近づける。扇は鳥の羽根で作られた白羽扇で、元現代日本人の俺でも諸葛亮孔明が持っていた扇として親しみ深い造形である。


「お名前は?」


 と彼女は細い眉毛を少しだけひそめた。なぜだろう。何も失礼なことはしていないはずなのに、彼女の目付きが悪いのか、非常に威圧感がある。つり目の彼女は常に怒っているかのような表情を目元に浮かべていた。


 こんな人に「阿糞」とかいうふざけた名前を言うのは少々気が引けたが、仕方なく


「阿糞です!」


 とひるまず大きな声で受け答えた。流石に愛想笑いは付け加えない。それはあまりにも大人びている。


「な、あ、阿糞?龍夫人……」


 彼女は後ろに控えていた龍麗の顔を呆れた目で見つめた。いや、ほんとだよ。俺も一応、納得しようと努めていたけど、実の息子の幼名に「糞」の字を使うか?とてつもなく息子思いの母だからいいんだが。


 まあ、しかし、龍麗は


「ふふふ、可愛いでしょう」


 と白い歯を見せながら笑ったから、彼女も


「はあ……そうですねぇ」


 と呆れたのか、こちらに目線を向け直して


「じゃあ、えっと、阿糞。私が今日からあなたの教育を担当します。姓は董、名は天、字は文近と言います。よろしく」


 というと、片手の扇を下に向けて、軽く胸の前で両手を握った。ああ、中国ドラマで見たことある挨拶だ、とぼんやり浮かんだ俺だったが、少し後にこの挨拶は拱手と言うことを知った。


 

 

 

 

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