幼少編・7『屋敷脱出大作戦』
数字って言うのは不思議なもんだ。
文明が進んでいくと、いろんな文化圏で生まれていた数の数え方が統一されていく。それは地球でもそうだったし、この異世界でも変わらないらしい。
いわゆる十進法かそれ以外の進法か。地球では科学が、この世界では魔術が進化して情報伝達がより速くより広範囲になるにつれて、あらゆる文明が十進法に統一されていった。もちろんプログラミングや少数部族ではいまだに使われているけど、もはや例外と言ってもいいだろう。
なぜ十進法になったのか。
それは、俺たちの手の指が十本だからじゃないかと言われている……らしい。
「これがこの世界のお金か……銀貨一枚で1000ダルク相当。100ダルクでリンゴ一個ってことは銀貨二枚でイコール二千円って感じか」
俺に渡された二枚の銀貨。失くさないようにそっとポケットにしまい込んだ。
世界や言葉は違えど数の数え方は同じ。そういえば異世界小説とかでも言葉は違っても数字の違いは目にしたことはなかったな。自分でもなぜかその事実自体に興味を持ってしまった。なぜだろう。
まあいいや。
とにかく俺はもらった銀貨二枚を大事に持っていなければならない。息をひそめて、荷馬車の荷物に紛れ込んで。
なぜそんなことをしているかって?
それは数十分前にさかのぼる。
「え、父上が?」
「そうさね。今朝、巡回のため隣の領へ向けて出立したのさ」
いつものように書斎に向かった俺は、メイド服のヴェルガナに鉢合わせして世間話をしていた。そしたら父親が遠征を再開したことを耳にしたのだ。そういえばこのところメイドたちがいそいそ旅の準備を進めていたな。
父に帯同していったのは執事、護衛騎士三名、メイド五名。このまま西へ向かってから南下して、ぐるっと反時計回りに移動して王都に戻っていくらしい。我が屋敷には一年近くも戻らない予定なんだとか。
「ってことは俺、ついに自由――」
「バカなこといいな。メイドも兵士も共に厳しく言付かってるさね。ルルク坊ちゃんは敷地から出すな、ってね」
「ですよね~」
そもそも同じ屋敷にいても滅多に顔を合わせなかったんだから、今更家にいなかったところで状況が変わるわけもなし。
「はぁ。せめて鑑定くらいはしておきたいんですけど……チラッ」
「アタシはメイド長で子どもたちの教育係さね。他を当たんな」
「わかってますよ、わかってます……わかって……うっ、目から汗が」
必殺、自由を与えらえない可哀相な子どもビーム!
「ウソ泣きは本当に必要な時に取っておきな。慣れると鈍るさね」
「ご指導あざます」
やはりヴェルガナには通じないか。
「……ルルク坊ちゃんは変わったさね」
「そうですか? もう筋肉ついてきましたか」
ステータスは緩く伸びていっている。体力も普通の子どもくらいはついたと思うし、確かに貧弱な坊やから普通の坊やに変わったと思う。
「そうじゃないよ。生き返ってからどうも垢抜けて大人になったようで、かといえば子どもらしくなったとも言えるさね」
「そりゃあ一度死んだら変わりますよ。まあ昔のことは一ミリも憶えてないですけどね!」
「そうかい……ひとつ聞くがね、ルルク坊ちゃん。将来のことは考えたことあるかい」
「騎士になるんじゃないんですか? ヴェルガナはそのために鍛えてるつもりなのかと」
素直にそう言うと、ヴェルガナは声を抑えた。
「それは建前だよ。もともと魔術も使えないのに騎士になんてなれやしないさね。ディグレイ坊の言う通りに、アンタがどこぞの子爵家の婿養子になるってんなら、いまの訓練もそこそこにして領地経営の勉強を叩き込むんだけどねぇ……アンタ、その気ないさね?」
「わかります? 俺、結婚は恋愛してからしたい派なんで」
「はん、公爵家の人間が甘いこと言うもんだねぇ」
そりゃあ貴族は政略結婚がふつうだろうからね。
でも俺はまだ五歳。理想を語るのも許される年齢だ。
「そういえばヴェルガナは結婚してないんですか?」
「……アタシの話はどうでもいいんだよ。それよりアンタ、婿養子にならなければどうするつもりさね。まさか学者にでもなるってワケじゃないだろうに」
「まあ正直言うなら、そのために隠しステータスを鑑定したいんですよ」
基礎ステータスは普通の男児。
コモンスキルも精神系のひとつのみ。
俺もただ娯楽で本を読んでたわけじゃない。情報収集もきちんとしていた。
この世界の人々にはもともとの肉体が持つ【基礎ステータス】と【コモンスキル】のほかにも、隠しステータスやスキルがあることを知っている。
鑑定魔術を使わなければなぜか閲覧できない仕組みらしいけど、自分の素質を知るためには鑑定するのが最短距離だ。ちなみに鑑定でも見れないステータスもあるらしい。
「なのでよければ俺を教会まで連れてってもらえると……」
「それはダメさね」
とりつく島もなかった。
俺がガッカリと肩を落としていると、さらに声量を絞ったヴェルガナ。
「……ところで今日の午後、リーナ様がリリス様を連れて中心街の商人ギルドで買い物をする予定さね。商会ギルドは教会の隣にあるから歩いてすぐだし、買い物の予定だから荷馬車で行くつもりだね。荷馬車も往路はすっからかんで空箱がたくさん置いてある。それと鑑定には手数料がかかるけど、おっと、手が滑ったさね。あたしも歳かねぇ」
と俺の手に銀貨を二枚握らせてきたヴェルガナだった。
この老婆、神か何かか?
「ありがとうございます!」
「はて、何のことやら。荷馬車はリーナ様が昼食の間に準備を済ませるから、それから出発までの間は誰も見張ってないさね。じゃあアタシは帯同するメイドの人選を考えないといけないから部屋に戻るさね」
「はい! ごゆっくり!」
そういうわけでヴェルガナを見送った俺は、急いで部屋に戻って服を着替えた。
こっそり教会に行くから普通の恰好でいいだろう。でも普通の男児ってどんなだ? 街にいる子どものイメージは……悪ガキだな。よし、ガウイに似た格好で行こう。
着替えた俺は、運ばれてきた昼食をマッハでかき込んで部屋を飛び出した。
銀貨を二枚大事にしまって裏庭から出て屋敷をぐるりと回り、正面玄関そばの木陰に隠れる。巡回の兵士たちに見つからないようにコソコソと。
しばらくすると馬車が二台やってきて玄関前に止まった。豪華な装飾の馬車と、車部分に布が張られただけの荷馬車だ。それぞれの御者が下りて玄関から中へ入って行く。
無人の荷馬車。いまが好機!
俺は抜き足差し足で荷台によじ登る。木箱がいくつも置かれていた。
さーてどこに入ろうかなぁ。
あまり悠長に選んでる時間はないので、とりあえず奥の大きめの木箱を開けて……。
「……なにしてんの?」
「しっ! 見りゃわかるだろ!」
ガウイが中にいたんだけど。
そりゃ見ればわかるよ。俺と同じくこっそり忍び込んで外出しようって算段だろ。そうじゃない、そうじゃないんだガウイよ。
「俺は外出禁止だけど、ガウイは違うじゃん」
「そうだけど! 家の決まりでリリスとは一緒に出かけられねぇんだよ!」
ああなるほど、公爵家のキッズたちが同時に出かけたら、警備があっちこっちで大変だからかな。
だからこっそりついていって一緒にお出かけ気分を味わおうってか?
あのさガウイ。それ、控えめに言ってストーカーじゃね?
「黙っててやるからやめたほうがいいよ。とくにリリスにバレたら好感度が取り返しつかなくなるよ……」
「うるせぇ! おまえも行くならなおさら止められるかよ!」
おおう。嫉妬で身を滅ぼしていく系の男児だ。
まあよく考えたらリリスの好感度はとっくに火車だろうから、いまさら採算つくものでもないか。
とりあえず俺の邪魔にならなければいいや。
と、玄関の扉の向こうから話し声が聞こえてきた。リーナとメイドの声が近づいてくる。
「(おいモヤシさっさと隠れやがれ!)」
「(わかったよ。じゃあまた後で)」
もちろん同じ箱に隠れたくなるほどガウイにはトキメいてないので、ちょっと離れた中くらいの箱に入り込む。ガウイの箱に比べればちょっと小さいけど、膝を畳めば余裕だ。完全に蓋を閉めると怖いから、ちょっとだけ空気穴の隙間をあけておこう。
じっとしているとリーナとリリスが話しながら前の馬車に乗ったのがわかった。他の声はメイドと護衛の兵士たちかな? 三人くらいは護衛がいるっぽい。
ほどなくして馬車が動き出した。異世界で初めての馬車体験だ。乗り心地は……おお、思ったより揺れない。ちゃんとサスペンションがついてるからかな。さすが公爵家の荷馬車。
さて、しばらくはドナドナ気分だ。
子牛はいないし荷馬車はたいして揺れないけど、乗っているのは可哀想な忌み子と言いつけを破る常習犯の悪ガキだ。売り飛ばされても文句は言えない。
「行ってらっしゃいませ! お気をつけて!」
門が開き街へ。
ヴェルガナの部屋から見たけど、たしか屋敷は街の西端にあるんだったな。屋敷前には大きな公園があって、そこから真っすぐ進めば中心街だ。
ってことはそろそろ顔を出しても誰にも見られないんじゃないか。
「そろーり」
あ、ガウイも同じタイミングで顔をだしやがった。マネすんな。
ゆっくりと進む馬車は、公園を抜けて街道をゆく。公爵家の馬車だからかみんな避けてくれるみたいで、速度が変わることはない。
住宅地を抜けて、賑やかな音が増していく。
「らっしゃい! 串焼きが安いよ!」
「そこのお姉さん、新鮮な採れたてキャベツが入荷したよ!」
「お嬢さん、占いに興味ない? 運命の相手がわかっちゃうかもよ」
客の呼び込みが活発になってきた。
ここはどうやら露店街ってやつか。
おお、たくさん人がいる。
屋敷じゃ考えられないような人口密度だな。みんな活気づいているというか逞しいというか、商売人と客の交渉なんかも風に乗って聞こえてくる。何かを焼いた香ばしいニオイが漂ってくる。甘い匂いもするぞ……
「リリあれ食べたい! あっちも!」
「さっきお昼食べたばかりでしょ。我慢なさい」
「え~」
リリスがワガママを言い、リーナが
もっともリリスの気持ちもわからなくはない。屋敷で出てくる甘味はさっぱりとしたものが多い。それに比べて露店の甘味は、どう見ても体に悪そうな揚げ物の塊みたいな……あれ、どこかで見たことあるぞ……たしか沖縄名物に似てる気がするな……?
「うーん。偶然か?」
あまりじっくりと見られなかったので定かじゃないが、まあ気にするほどのことでもないだろう。揚げるという調理法さえ使えば思いつく菓子だろうしな。
俺も高校生の頃はほとんど一人暮らしみたいな生活だったから多少料理はしてきたけど、知識豊富ってワケじゃない。いずれ食べたいとも思うけど、それよりもあっちの異世界っぽい物のほうが気になる。
串に刺さってる、タコの足っぽい見た目の肉だ。
「さっき入荷したイビルハウンドの尻尾だよ! 珍味だよ!」
イビルハウンド。書斎の魔物図鑑に載ってた犬の魔物だ。
ってことは魔物の肉……美味しいのか?
「じゅるり、うまそうだな」
「え、魔物なのに?」
ガウイが涎を垂らしていたので驚く。
「何言ってんだモヤシ。肉なんてほとんど魔物の肉だろ」
「そうなの?」
「おまえ知らなかったのか? うちで出てくる肉も全部魔物の肉だぞ。というか、魔物以外の肉なんてこの街じゃ手に入らないだろ」
そうだったのか。
どうりで出てくるのが謎の肉ばっかりだと思ってた……たぶんしっかり臭み抜きはしてるんだろうけど、日本の牛とか豚の品質が良すぎたせいか気になってたんだよね。
「っていうかなんで魔物以外の肉がないの?」
「そりゃ、この街の東にダンジョンがあるからだろ。冒険者がみんな魔物の肉を獲って帰ってくるから、この街は魔物の肉がめちゃくちゃ安いんだって父上が言ってたぞ」
なるほど流通と相場のバランスのせいか。
それなら納得だな。あと、出てくる食事に必ず数種類の肉があった理由もダンジョンのせいか。
というかダンジョンか……冒険者ギルドがあるのは『三賢者』の物語で読んで知ってたけど、この世界にはダンジョンもあったのか。
「まあ、俺には関係ない話だな」
ステータスがぱっとしない五歳児にとっては冒険者もダンジョンも関係ない。
そうこうしているあいだに馬車は露店街を抜けて、やがてひときわ大きな建物の前に着いた。
街の建物はたいてい二階建てだけど、この建物だけは五階建てっぽい。高さだけならムーテル家の屋敷より立派だな。
『商人ギルド』
看板にそう書かれているから、ここが目的地だ。
ギルドの定義がよくわからないけど、組合みたいなもんなんだろう。買い物もできるってことは中に店もあるに違いない。それも貴族御用達のハイブランドショップが。
高校生が「見て~彼氏に貰ったの~」って教室で自慢するようなブランド品じゃなく、ガチの金持ちが持っているようなものが並べられているんだろうな。
うん、完全に俺は場違いだな。はやいとこ離脱して教会に向かおう。
馬車は門の前で少しだけ停車したが、すぐに敷地内へ進みはじめた。正面玄関の入り口近くに馬車がいくつも停まっている場所があった。
その一番広い一角に停車して、リーナとリリスがメイドたちに付き添われて下車した。彼女たちがすぐ傍の屋根のある場所で一休みしている様子をこっそり眺めながら、抜け出し時をうかがう俺とガウイ。
「なあモヤシ」
「どうしたの」
「……俺、中に入れるかなぁ」
「うーん、ムリじゃないかな」
正面玄関には屈強な警備兵が二人立っており、鋭く眼光を光らせている。リーナもリリスも綺麗におめかししていて、見るからに上客だとわかる。
ガウイはもちろんいつもの悪ガキファッションだ。がんばって目を細めて見ても街中にいる子どもと大差ない。
ドレスコード判定があるなら、審査員全員が迷わず不合格を上げること間違いなしだ。
「俺、何で来たんだろ……」
現実を知り、膝を抱えて箱の中に埋もれたガウイ。
その背中に何とも言えない哀愁が漂っていたので、優しい俺はそっと蓋を閉めてやった。蓋に耳を当てたら中からシクシク泣く声が聞こえる気がする。うん、聞かなかったことにしよう。
かくいう俺もガウイの相手をしてる場合なんかじゃない。隙を見計らって飛び降りて、すぐさま木の陰に隠れる。
まだ人の目が多いから動くには早計だ。せめて公爵家の面々がいなくなるまで隠れておくのが最善手だろう。
そう思ってじっとしていると、リーナの慌てた声が聞こえてきた。
「リリス! どこに行ったのリリス!?」
よく聞けばリーナだけじゃなく、護衛の兵士やメイドたちも声を張ってリリスを呼んでいた。
さっきまで休んでいたリリスの姿はどこにもない。
……待て待て。
これはシャレにならない展開じゃないか?
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