第33話 愛される死体です。

 

 ◇◇◇


「……死体だってバレてないかしら」

「大丈夫ですよ。私がお身体を診ましたので」


 ジュリの診察を受ける内に、夢見心地だった私は徐々に現実へと引き戻され、不安に襲われていた。


「混乱していて、意識が戻った時のことをよく覚えていないの。辺境伯様に変なことを言っていなければいいのだけれど」


「……大丈夫だと思いますよ。気味悪がられたりはされなかったのでしょう?」

「ええ……」


 それどころか……


 指でそっと唇に触れれば、まだじんじんと熱い。薄い辺境……キリル様の唇が、あんな激しい熱を持っていることに驚いていた。

 ……そうよね。死体にあんなことを出来る訳がないわ。見た目も臭いも気にしない……愛していると……そう仰ってくださったけれど。でも、それはあくまでも病気だと思っているからで。


「私……見た目はどうかしら。まだ綺麗? 本当に臭いもしない?」

「ええ。問題ありませんよ」


 そう淡々と言うと、ジュリは居住まいを正し、深く頭を下げた。


「……大切なメンテナンスを怠ってしまい、申し訳ありませんでした。お嬢様のお命を……危険に晒してしまうところでした」


 命……

 私はくすりと笑いながら、ジュリの肩に手を添える。


「ジュリったら、私には命なんてとっくにないじゃない。朝もしっかり診てもらったのに、こんなに急に悪くなるなんて……幾ら優秀なお医者様でも、死体の状態なんて完全には予測出来ないわ。それより、お買い物は出来たの?」


「……出来ませんでした。色々お店を回ったのですが……買えなくて」


「お金が足りなかったの?」


 するとジュリは私の目をきょとんと見て、少し笑いながら首を振った。


「いいえ……どれだけお金があっても、どんなに素敵でも、私は結局買えなかったと思います。見ているだけで、哀しくなってしまって」


 目元を歪め、後の言葉を呑み込むジュリ。今にも泣きそうな頬を撫でてあげると、すぐに涙が溢れてしまった。

 哀しいなら話さなくても構わないのに。すんと鼻を啜りながら、一生懸命言葉を届けてくれる。


「ベビードレスを……買おうとしたんです。お嬢様の棺に入れる……」


 私は、ああと頷いた。この国では輪廻転生を願い、ベビードレスを棺に入れ埋葬する風習がある。華やかで綺麗な物であればある程、来世は幸せな人生を送れると。

 本来ならば、家族が愛を込めて用意する物を……多分家族の誰一人用意してくれなかった物を……ジュリは私の為に用意してくれようとした。たった数ヶ月、一緒に過ごした他人の為に……


 私もすんと鼻を啜れば、「お身体が傷みます」と言いながら、ハンカチで素早く涙を拭ってくれる。自分だって涙だらけなのに……

 そんな彼女らしさが愛しく、ふふっと笑みを溢せば、照れたように笑い返してくれた。少し気持ちが楽になったのか、ジュリはさっきよりも柔らかい顔で話の続きをする。


「……ベビードレスを見る度に、棺に横たわるお嬢様を想像してしまって。買えない……いえ、買いたくなかったんです。色々なお店をふらふらしている内に、露店でこんな物は買ってしまいましたが」


 ジュリは鞄から小さな包みを出し、私へ差し出した。


「どうぞ」

「……私へ?」


 受け取り開いてみると、美しい金色の刺繍糸が現れた。


「まあ……綺麗……」

「お嬢様のおぐしの色に似ていると思いまして。つい買ってしまいました」


 そう言われれば確かに、白みがかった淡い金色は、自分の髪色に近いと感じた。

 自分の髪ではなく、こうして糸として客観的に見ると、とても綺麗な色なのね。

 初めてジュリに髪をいてもらい、自分で好きなリボンを選んだ日のことを思い出し、胸が温かくなった。


「……ありがとう、ジュリ」


「いいえ、それはお嬢様から頂いたお金で買ったんです。贈り物ではないので、お礼など要りません」


「貴女にあげたお金で貴女が選んでくれたのなら、贈り物に違いないわ。こんなに素敵なものに替えてくれて……本当にありがとう、ジュリ。大切に使うわね」


 優しい糸を胸に抱けば、互いの目からまた新しい涙が溢れた。




 優しい手で優しく毛布を引き上げ、優しい声で「おやすみなさい」と微笑んでくれるジュリ。

 ドアへと足を踏み出すも、ふと何かを思い付いたのか、再び私へ向き直った。


「……お嬢様。もしもこの先、辺境伯様のことで何か不安に思われることがありましたら、全てご自分に置き換えて考えてみてください」


 ……自分に置き換える?

 一体どういう意味だろう。


 首を傾げる私に、もう一度優しく「おやすみなさい」と言い、ジュリは部屋を出ていった。




 ◇◇◇


 あれからキリル様は毎日、朝も昼も夜も夜中も……少しでも時間が空く度に、私の元へ来てくれる。

 何気ない挨拶、何気ない会話、何気ない “今” の触れ合いの全てが愛しい。


 私は約束していた分の “吸い込むお仕事” を終えると、新たな依頼は断り、自分の身体を休ませることにした。

 誰かの役に立つことは、嬉しくて本当に幸せだった。でも……もっと大きな幸せを知ってしまったから。出来るだけ長く彼と過ごす為に、自分を大切にしたいと思った。

 ……私はなんて我が儘で自分勝手な死体なんだろう。せっかく人の役に立てるのに、自分を優先してしまうだなんて。きっともう天国には行けないけれど、今が幸せならそれでもいいとさえ思うのだから。神様にも呆れられてしまうわね。



 屋敷中が寝静まった頃、今夜も私達は寄り添い、魔道具の穴を交互に覗く。目で星の一粒一粒に触れながら、その感動を分かち合っていた。


 彼が触れるのは、星だけじゃない。肩から手、手から髪、髪から頬、頬から……唇へ。何度重ねても心臓は慣れなくて、熱はどんどん高まるばかり。

 芯を絡めた深い唇が離れれば、冷たい外気に晒され、余熱がカッと全身を燃やす。行き場のない刺激に、私ははあと吐息を漏らしながら、広い胸にもたれ掛かった。柔らかなシャツ越しに、ふわりと鼻腔をくすぐるのは大好きな匂い。石鹸と彼自身が混ざり合った……爽やかで暖かな匂いを、胸一杯に吸い込んだ。


「……くすぐったいな」


 ふっと笑われ、私は彼の胸に鼻をくっ付けていたことに気付く。

 嗅覚が生きている内にと思ったらつい……


「ごめんなさい!」


 慌てて離れようとするも、逆にぐっと引き寄せられてしまった。


「いいよ、このままで……」


 熱い手で髪を撫でられ……るだけならいいけれど、顔まで……高くて綺麗な鼻までつむじにうずめられ、心配になる。


「あの、臭くないですか?」

「臭くないよ、全然。むしろ甘い匂いがする」

「……甘いの?」

「うん。お菓子みたいな」

「そうなの……ヘリオスのお菓子のお陰かしら」


 私の言葉に、辺境伯様は少し身体を離すと、真剣な顔で言う。


「セレーネ。今日ジュリから聞いたんだが……ヘリオスの魔力は、君の身体を美しく保つ一方で害にもなるそうだな」


「……はい」


 ジュリったら、どうして言ってしまったの?

 ……なんて、そんなの分かっているわ。日々悪化していく、私の身体を心配してくれているからだ。


「僕は君の外側よりも、内側が健康でいてくれた方が嬉しい。だから、もし君が僕の為に美しくあろうとしてくれているなら、今すぐにでも食べるのを止めてくれないか?」


 外側よりも内側。……本当に?

 気味の悪い私を見た瞬間、幻滅してしまうのではないかしら。こうして触れ合うことも出来なくなって、触れ合っていた記憶すらも消してしまいたいと思うのでは?


 その時ふっと、ジュリのあの言葉が頭に浮かんだ。



『ご自分に置き換えて考えてみてください』



 もし……もしも私が生きていて、キリル様が死体だったとしたら。

 キリル様のサラサラの黒髪が真っ白で……滑らかな頬が痩せこけて……薄い艶やかな唇がガサガサと荒れていて……美しいアイスブルーの瞳が、死んだ魚みたいに濁ってしまったとしても。

 腐って髪も目玉も歯も落ちて、酷い腐敗臭の中骨だけになってしまったとしても。私は彼の全てを一つ残らず抱き締め、共に土に還りたいと願うだろう。


 彼への愛が洪水のように溢れ、全身を潤していくと同時に、彼の愛も私へと流れてくる。

 一滴たりとも溢したくないと、心の器で全て受け止めれば、底から彼の哀しい愛が浮かび上がり波紋を広げた。


 アイネ様が亡くなった時……キリル様もきっと、共に土に還りたいと願ったはずだ。私がまた眠ってしまったら……今度こそ永遠に目を覚まさなかったら……遺されたキリル様はどうなるのだろう。


 見たくない未来が、すぐそこに立ちはだかり、自分を睨んでいる。



「私……最近すごく我が儘なんです」

「我が儘……君が?」


「人の役に立つよりもキリル様の傍に居たいと思うし、内側よりも外側が気になります。好きな男性ひとの前では……やっぱり綺麗で在りたいから。キリル様の為じゃなくて、自分の為なんです」


 身体が傷むと分かっていても、涙が勝手にほろほろと溢れてしまう。


「こうして泣けるのも……すごく楽なんです。泣けるようになったのは、ヘリオスが魔力をくれたからで。みんなで……家族で食卓を囲めることも、美味しいねって笑い合えることもすごく幸せで。だから、私は食べるのを止めたくありません。たとえ内側が悪化しても、止めたくありません」


 静かに耳を傾けてくれる彼に、上手くまとまらない感情を、ぐちゃぐちゃのままぶつけてしまう。


「だけど……キリル様を哀しませたくない。その為には外側よりも内側を大事にして、少しでも長く傍に居たいって思うんです。だけど……泣けないのは苦しいし、食べたいのに食べられないのは辛いし、気味が悪い自分を見られるくらいなら、いっそ早く棺に隠れてしまいたいし……我が儘で自分勝手で、もうどうしたらいいのか」


 わあっと声を上げ泣きじゃくる私を、キリル様は何も言わずに抱き締め、背中を優しく撫でてくれる。

 それでも興奮が収まらず、子供みたいにしゃくり上げていると、すっかり感覚の鈍くなった右手にふと熱を感じた。何かしらと、涙に揺れる視界を左手で拭えば……

 火種の正体に気付いた瞬間、切ない炎が、壊れた神経を一気に駆け上がる。

 指先から指の間、甲に……掌まで。まるで美味しいお菓子を味わうみたいに、甘く喰んでは啄まれている。右手が余すところなく燃え上がった頃、キリル様は漸く唇を離し微笑んだ。


「君には、もっともっと我が儘でいて欲しいくらいだよ」

「もっ……と?」

「ああ。僕をうんと困らせるくらいにね」

「……今は困っていないの?」

「まだまだ、全然足りない。僕の我が儘とぶつかり合って、喧嘩出来るくらいにならないと」


 喧嘩……立場も歳も、自分よりずっと上のキリル様と? 想像が出来ないわ。

 時折見せる色々な顔……そう、こんな風に悪戯っぽく笑う顔なんかは、少年みたいだけれど。


「キリル様も我が儘なんですか?」


「うん、すごく。我が儘だし欲張りだよ。未来より “今” を見たいなんて言ったくせに、こうして君と過ごす内に、やっぱり未来も見たいと思ってしまうんだから」


 ……駄目。

 未来を見たら……未来を見れば見る程、お別れが辛くなってしまうのに。“今” だけを見ていないと、“今” だけの幸せに浸っていないと、辛くなってしまう。


 目が熱くなりうつむくと、金髪がはらりと落ち、私の視界を暗く覆った。キリル様はそれを優しく掬い上げ、ぽつりと呟く。


「……急がないといけないな」


 急ぐ……?


 顔を上げれば、明るいアイスブルーの視線が、私へと真っ直ぐに注がれていた。


「セレーネ、一緒に首都へ……王宮へ行かないか? 君の病気を治せるかもしれないんだ」


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